37 第四の受難:上の空の戦い
模範試験は、偶然にもジョージの兄、フローランとだった。
ジョージが嬉しそうに、でも複雑そうに俺を送り出してくれた。フローランは俺より少し上の、割と端正な顔立ちで、ジョージの兄、と言われて探しきれないほどには似ていなくて、それでも、言われてみればどことなく似ていた。
「・・・よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
互いに礼をして、剣を構える。
フローランはよく動いていたと思う。しかし、俺はそれ以上に自分の体が動くのがわかった。復帰したばかりにしては、よくできている方だと自分でも驚いた。
スティーブから言われたことが気に入らないからかもしれない。
あるいは。
セレスティーヌの隣にいるのが、あのショーンであった方がずっと良かったのだろう、という苛立ちか。
理由が何であろうと、こんな風に気軽に、子息に近衛騎士の体験をさせられる権力がある家の方が、セレスティーヌにはふさわしい。
そうだ。本当は、セレスティーヌが別の、俺よりもっと地位の高い、強くしっかりした男と結婚した方がいいことも知っている。そう、本当に、第二王子だっていい。ショーンだってアルフォンスだっていい。その地位が、役割が、彼女を守ってくれるから。
それなのに。
俺は我儘だ。
セーレが自分の肩書きをいささか面倒だと思っているのをいいことに、俺は子爵夫人になれるのだと誘惑している。子爵夫人になった時、セーレが苦労し、困惑するだろうことは想像できるというのに。
わかっているのに、それでもセーレがいいのだから。
ハッと気がついたときには、遅かった。
「ルイ! 終わりだ!」
審判員の役をしてくれていた先輩に大声で止められ、我に返った。
「え?」
少しだけ弾む息を落ち着かせれば、ジョージの兄、フローランは地面に崩れ落ちていた。
「あれ?」
「やりすぎだ、実戦じゃないんだから。手本にならないとダメだろう」
「ああ、・・・申し訳ないです。考え事をしていて・・・」
呆れたように先輩が言った。
「考え事してあの動き? 信じられない」
気のせいか、フローランが俺を呆然と見上げていた。そこまで彼は悪くなかったはずだが? 俺は不思議に思いながら、手を差し出して素直に謝った。
「申し訳なかった。練習だったのに、」
フローランはハッとしたように気がつくとで、俺の手を取って引っ張ると、立ち上がった。体の埃を払いながら、穏やかに言う。
「・・・いやはや、完敗です。あなたは私より年下なのに、とても優秀だ。贔屓目に見ても、近衛騎士にふさわしい方です。本当に・・・、素晴らしいです。私もあなたを目指さないと」
「い、いえ。至らないことばかりです。近衛騎士として恥じないようにとは思っていますが、何ぶん、まだ若輩者で、かじりつくようにしがみついているだけで、何も成せてはおりません」
「何をおっしゃいます。もっと自信を持ってください!」
フローランが朗らかに笑った。
「弟のジョージも、よくルイ殿のことを家で自慢しておりますよ。最近は、見習いになっての交代勤務もあって、なかなか帰ってきませんが、本当に、ルイ殿を尊敬しているようだ」
「ありがとうございます。フローラン殿もとても美しい剣筋でした。あなたが近衛騎士になれば、きっと、ジョージも心強いでしょう。お二人ともご兄弟らしく、使命に敏感で、強い方に見受けられる。将来有望に思います。・・・私などが言ったところで、あまり信憑性はないでしょうが」
「いいえ、ありがとうございます。とても嬉しいです」
フローランはそれは嬉しそうに頬を緩めた。俺はホッとして握手をした。
「おい、ルイ。なんだその剣さばきは」
よく通る声が響き渡り、みんなが振り向いた。一目でわかる紫色の王宮文官の制服、金ボタンにダブルのコート、そしてセレスティーヌによく似た、整った理性的な顔が俺に向かって歩いてきていた。
ブリュノ・アドルフ・トレ=ビュルガー。セレスティーヌの長兄でヴァレリー公爵家の嫡男、俺が目指して肩を並べなければならない先達だ。そして先ほどまでいたらしい場所では、セレスティーヌを溺愛する彼女の従兄、アルフォンス・パストゥールがニヤニヤと笑っていた。
そういえば言われていたではないか。ブリュノが来るとかなんとか。アルフォンスは聞いてない。でも来ても不思議はない。今回のこの模擬試合は”見世物”だそうだから。
「お前の剣はどうなってるんだ。輝きが鈍っていないか? 私がくれてやった剣の手入れを怠っているんじゃないだろうな?」
文句を言いながら、ブリュノはつかつかと俺に近づいてくる。ブリュノの言い分に、皆が好奇心をあらわにした。
何を言うんだ・・・
「ブリュノ殿・・・私だって手入れしてますよ。失礼なことを言わないでください」
反論してから気がついた。俺の方が失礼だ。宰相の第三補佐官、俺より年上、爵位も上、むしろ最上位。よく知らない相手なら不敬罪だ。セレスティーヌの前で話す、いつものように言い返してしまった・・・俺は慌ててショーンを見たが、ショーンはクスリと笑っただけだった。
「いーい度胸だ。私に反論するとはな」
目の前にきたブリュノは腕を組んで威圧してくる。眉間のシワがことさら険しいのは俺のせいじゃない。・・・はずだ。だって俺はちゃんと手入れしてる、それくらいわかるだろうに。
「ブリュノ殿にいただいた貴重な剣を、ないがしろにするわけがないという意味ですよ。ご自分が剣の手入れを怠る相手に剣を贈るとでもいうんですか?」
「物は言いようだな。よし、剣を見せてみろ。向こうでじっくり細部まで確認してやる。私が未来の弟のために特別に作らせたものだからなぁ? 使い込まれてないわけはないよなぁ? メンテナンスはしっかりしてるよなぁ?」
絶対嫌味だ。なんなのこれ。
すると、フローランが目をキラキラさせて俺を見ていた。
「・・・”ブリュノモデル”の特注品なんですか? デザインなさった方の検品・・・もしよろしければ、私も立ち合わせていただいても?」
「え? いや、私の一存では・・・」
ブリュノにどんな意図があるのかわからないので、なんとも言えない。セレスティーヌの話をするにしても、俺に文句を言うだけだろう。見合いの釣書はお前よりずっといい男ばかりなのだがな、とか。言いそう。それは辛い。
俺が首をかしげると、それにショーンが気がついた。
「あれぇ、フローラン・ビアンキ殿」
ショーンが言った。
「ここに嵌っているのは、やはりガーネットですか? 小さいけれど大変に美しいですね」
「え、ええ。そうなんです。よくわかりましたね」
「もちろんですよ。もしや、代々伝わるような剣ですか?」
「ええ」
「ああ、そうですよねぇ。質のいいガーネットとその周囲を彩るペリドットが、家の繁栄を願うようです。僕、今、剣についている宝石の調査をしているんです」
「ああ、ですから、参加なさってるんですか」
「ええ。この後、東西南北の騎士団にも向かいますよ。色々な方の剣を見て、知りたいのです」
「そうなんですね」
「できれば、フローラン殿、装飾の意味についても教えていただけると・・・」
ショーンが話を続け、二人が顔を向けあう。そして、いつの間にか、話し込んだまま廊下を向こうに進んでいってしまった。ショーンって、こういうのがずっと上手だ。
ぽかんとしている俺の肩を、ブリュノがつついた。
「こっちだ」




