28 結婚への意欲
アガット手が私の腕にそっと添えられ、私はハッと我に返った。
「セレスティーヌ様、どうなさいましたか?」
また余計なことを考えてるんじゃないでしょうか、と表情は語っていたが、賢明なアガットはそれを口にしなかった。
「え、ええ、あの、デビューの時のドレスのことを考えていたの。今回はお姉様が二人とも張り切っているから、ルイが気にいるようなドレスを作れるのかしら、と思って」
「ルイ様は、セレスティーヌ様がどのようなドレスを着用なさっても、気に入らないことなどないと思いますが・・・」
「そうかしら」
むしろ何を着ても気に入らないのかもしれない。ユニスよりもユニスが着ていたドレスに注目したのもそれが証拠だ。どんなに美しい令嬢より、きっと、ドレスの方が好きなのだ・・・
私がふてくされて紅茶を飲み干すと、アダムは私をなだめるように、空いたティーカップに紅茶を注いだ。
「ルイ様は、セレスティーヌお嬢様がデビューなさるのを心待ちにしておいでですから。何しろ、それまではご結婚はできませんからね」
そして、悪戯っぽくウィンクをする。うっかり見とれてしまった私は、そういえばアダムはアダムで、引き抜きの声があるほど人気があったことを思い出した。
アダムはかなりの美形だ。加えて処理能力も高い。ご主人の粗相も、優秀で見目の良い侍従が丁寧に謝れば、ご令嬢も奥方もなんとなく許してしまう・・・、アダムはそんな手腕を持った侍従だった。
見栄えのする侍従を雇うのがステイタスである貴族の世界で、アダムほどの逸材が子爵家程度にいるのは珍しい。彼なら侍従をこなして屋敷内で位をあげるより、引き抜かれて屋敷を転々としていくことで、どんどん出世していけるはずだ。給金もかなり上がるはず。
ウェベール家はそれなりに裕福な方だが、言ってしまえば、侯爵家であるショーンの生家、エマール家の方がずっと裕福だから、もし引き抜かれれば、同じ侍従でも、倍くらい出せるはず。・・・考えてみれば私の生家も。
「アダムって、・・・ルイの侍従にしておくのは惜しいわねぇ」
ルイの侍従なら、もっとお堅くても充分やっていけるような気がする。私が言うと、アダムはにっこりと微笑んだ。
「お褒め言葉としていただいてよろしいのでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。失礼に聞こえたならごめんなさい。だってあなた、優秀なんだもの。ルイの侍従じゃ、あまりやることがないんじゃなくて? もっと爵位の高い、間抜けな主人に仕えてる方がずっとあなたらしいわ」
先ほど例に出したショーンが間抜けなわけではない。断じて。ただの例だから。うん。とにかく、なんでもソツなくこなす上に粗相もしないルイの侍従では、その手腕も使う必要がない。宝の持ち腐れとは言い過ぎかもしれないが、そう表現しても差し支えない程度には、ある意味、ルイはアダムを活用できていない。でもきっと、それでいいのだろう。アダムは満足そうだ。もしかしたら、そう言われるように画策しているのかもしれない。
「それは光栄です、セレスティーヌ様。・・・確かに、私のご主人は本当によくできた方ですが・・・お嬢様が思うほど、ご立派な方ではありませんよ。ルイ様はセレスティーヌ様に情けないお姿を見せていないだけです。かっこつけですから、基本的には」
私は目を瞬かせた。
「・・・そんなこと、侍従のあなたが言ってもいいの?」
「将来の奥様になる方ですので、特別にお教えした次第でございます」
「あらまぁ。それなら、結婚したらもっと色々教えていただけるのかしら」
「それまで心待ちにしていただけるとこちらも嬉しいです」
「それなら、すぐにでも結婚したいわねぇ」
私が笑うと、アダムは嬉しそうに目を細めた。
「それはルイ様に直接おっしゃっていただけると従業員共々、とてもありがたいのですが」
大げさな。私は紅茶を飲みながら笑った。
「・・・『アダムからルイの弱みを聞きたいから、早く結婚したい』って? 」
「理由なんてなんでも構いません、ご結婚の意思があるなら」
「変な話ね」
「そうでしょうか? ルイ様の現在のご準備状態からすると、デビューと同時にご結婚なさる勢いですが」
私は思わず手にしていたティーカップを取り落としそうになった。
「あと一年もないじゃない!」
それに、私は何も聞いてないばかりか準備もしてない。
「セレスティーヌ様が同意なされば、すぐにでも整えることができるようになっております」
私が無事にティーカップをソーサーの上に置いてホッとしていると、アダムは澄まし顔で答えた。
「それは無理よ。デビューのドレスだって、今度ようやく作りに来てもらえることになったのに」
多忙な父と姉たちがどうしても一緒に選びたいと駄々をこね、無理やりスケジュールを合わせるのに、とても時間がかかったのだ。それ以外のスケジュールなど、入れるのは難しい。
「ですが、珍しい話ではありません。公爵様とのお約束がなければ、デビュー前だって厭わないでしょう。もちろん、セレスティーヌ様がご同意なされば、の話ですが」
まぁ、確かに。
婚約状態が長く続くことで、面倒事が多いなら、私も早く結婚してしまいたいような気もするし。ユニスに言ったように、私は確かに待ち遠しく思っているのだから。
この国では、だいたいにおいて、十六歳から二十歳くらいまでが女性の社交界デビューの適齢期とされている。結婚適齢期は同じくらいから始まり、二十五歳くらいまでだろうか。貴族は政略結婚がほとんどということもあり、早いうちから家の関係を確保するため、デビューしてすぐに結婚する令嬢も少なくはない。
そして、デビュー前に結婚する令嬢もいなくはない。そこまでくると少し珍しいが、その場合、だいたいは家と家の関係上が多く、夫なる男性が十歳位上歳が離れているなどの条件が多い。ルイのように二十歳そこそこでデビュー前の令嬢と結婚することはほとんどないと言っていい。
なので、実際に結婚するとしたら、早くてもデビューしてから一、二年かな、と思っていた。ルイはそれでも若い方だから、もっと先かもしれない、とも。なので、ルイが早く結婚したいらしいというのは驚きだ。
「同意、同意って・・・同意を強要されてる気がするんだけど・・・」
「まさか、そのようなことは微塵も思っておりません」
疑わしい。でも一介の侍従が、無理に同意を迫るなんてことはできるわけがない。
「どっちにしろ、聞かれてもいないことに同意なんてできないでしょう」
「ごもっともでございます」
「まぁ、でも、ルイの気持ちも分からないでもないわ」
私が頷くと、アダムが目を輝かせた。
「・・・! 本当でございますか!」
「だって、結婚してしまえば、お偉方はルイに肩書きを与えようなんて、もう思わないもの。私と結婚しているという理由で簡単に格上げしちゃうかもしれないけど、その時に必要がなければ、もう、ルイはいらないと言うことができるでしょう?」
私の言葉に、アダムは微かに失望したようなため息をついた。失礼ね。あらアガットも・・・なぜ?
でも、本当のことだ。先日のお茶会の後、兄のブリュノに聞いてみたら、渋い顔で教えてくれたのだから。嫌な忠告も添えて。
もしかしたら、スティーブのような人が増えるかもしれない、と。
これまでのヴァレリー公爵家の令嬢は、それ相応の相手しか選んでこなかったため、周囲は”公爵令嬢を手に入れる”など考えもしなかった。しかし、身分違いの婚約を取り付けたルイがウナギのぼりに出世していくのを見て、見方が変わっている人も多いというのだ。表面上はルイに譲っているが、正式とはいえまだ婚約中。どうにかならないかと強気の姿勢を示している人もいる。
結果、なぜか見合いの釣書が増えたというのが私の現状らしい。父と兄が丁寧に断りを入れているそうで、私は一度も見ていないし、見たいとも思わないのだけど。




