19 近衛騎士という地位
アンドレとクロードが一瞬で笑顔を消し、ザァッと血の気を引かせた。こういう時のエヴァは凄みがある。
「え、ちょっと、エヴァ、・・・何があったの?」
「え? 俺たち、ちゃんとセレスティーヌを見てた、よ・・・?」
エヴァは彼らの言葉を鼻で笑った。
「素敵なご令嬢たちに囲まれて鼻の下伸ばして、どこがセーレを見てる、って?」
すると、二人はもごもごと口を閉ざした。一応、それなりに自覚はあるらしい。彼らの仕事は女の子に囲まれることのようなもの。生花業のクロードに、ドレス生地を売るアンドレ、女性たちを大切にせず何を大切にするというの?
「仕方ないことだとはわかっているけど、だったら安請け合いしないであげて。私は空回りしてハイスペックになっていくルイを見るのを楽しんでるのであって、報われないルイを見たいわけじゃないわ。この手紙を読んで、ルイに渡してくれる? この方が身分をわきまえず、セーレを馬鹿にするかのような態度をとったことを、私は許したくないし、ルイの自業自得と思ったけれど、それでも何とかしてあげたくはあってね」
エヴァが差し出した手紙を、クロードが訝しげに、それでも素早くパッと手に取ると、側のテーブルの椅子に座った。
アンドレはクロードの読んでいる横に座り、その手元を覗き込んだが、読み切れずに諦め、つまらなそうにつぶやいた。
「・・・鼻の下なんて伸ばしてないぞ」
エヴァは給仕に勧められるまま、彼らの向かいの席に座って、肩をすくめた。私もとりあえず、エヴァの隣に座る。
「笑顔ではあったでしょ」
「仏頂面なんてできるかよ。いつ顧客になるかわからないんだぞ」
反論したアンドレに、エヴァがため息をついた。
「仕方ないとわかってると言ったじゃない」
軽い痴話喧嘩のような、本気のような、言い合いが始まった。二人の会話をぼんやりと聞いていた私は、また別のことを考えていた。
なるほど。ルイがアンドレたちに私のことを頼んでいた、と。
私一人では心許ないと。
ルイがいないと何にもできないと。
ユニス嬢一人、お相手できない、と。
そう思われていたってことね。
そりゃ、そんなだったら、ルイとの婚約を自分から破棄するなんてこと、できないわよね、私。
ルイがいないと、社交一つできないんだから。
ルイはそう思って、私と正式に婚約をしてくれたのかしら。
かわいそうな公爵令嬢?
取り柄の身分ですら、いらないと思っている哀れな公爵令嬢?
そんな風に思われていたりする?
なんだか胃が痛いわ。頭も痛い。とってもイライラする。でも言葉にならない。
その間に手紙を読み終わったクロードが首をひねった。
「・・・ユニス嬢が? そんな切羽詰まってるんだったっけ?」
エヴァも同じように首をひねった。二人が首を傾ける姿は、なんだかちょっと可愛らしい。
「そんなはずはないのよ。婿養子にできるような優秀な次男以降なんてたくさんいるし、別にルイじゃなくてもいいはずなんだけど」
「結局、なんなの?」
しびれを切らしたアンドレが、紅茶を飲みながらクロードから手紙を奪い取った。読んでいるアンドレに、エヴァが軽く説明をする。
「ルイはあまりに優秀だから、もっと爵位が高い方がふさわしいって。だから、・・・セーレとルイが婚約破棄してルイがユニス様と婚約しなおしてぇ、ルイは侯爵家に婿養子に入る」
アンドレが驚いてのけぞった。
「えぇ?! ルイは家を継ぐ気満々だぞ?」
「そんなのわかってるわよ。そもそも、ルイがそんな人なら、ヴァレリー公爵がセーレとの婚約を許すはずがないじゃない? でも、ユニス様はそうおっしゃったの。ほら、ちゃんと手紙を読んで」
アンドレは眉間にしわを寄せる。
「・・・何でルイがいいんだろ。そりゃ、顔もいいし頭もいいし剣術も優れてて、・・・近衛騎士になって、・・・うーん、まぁ、・・・ちょっと目立ってるか」
アンドレの言葉に、エヴァが口を尖らせた。
「とは言っても、よ。後継でもいいなら、あなたでもいいってことでしょ? 婚約してるルイにしなくてもいいじゃない?」
「何が?」
「ユニス様の御相手」
「いや、無理無理。俺たちは完全に無理。俺なんて弟いないし」
「それなら、ショーンは? 侯爵家の三男だし、教育もちょうどいいでしょう? わざわざ子爵家の後継なんかじゃなくて、同じ身分のショーンと結婚すればいいんじゃないかしら?」
「うーん、そうじゃないんだよ。俺たちがダメなのは、嫡男って意味じゃないよ。ユニス様の父上は財務大臣だ。お堅い仕事だから、ショーンは商売っ気がありすぎて、ダメだと思う」
「でもルイの家も商売をしてるでしょ」
「んーん。近衛騎士だから」
「え? あぁ、なるほど・・・肩書きね」
互いの地位に敏感な貴族である私たちにとってはデリケートで切実なポイントだ。名誉ある肩書きはその爵位に上積みされ、爵位以上に魅力的なものになったりもする。
クロードが肩をすくめた。
「ユニス様の思惑はさておき、お偉方のプレゼントにしちゃ、粋な方だったんじゃないの? 近衛騎士の肩書きは。早いうちに活躍させて、軽く功績を出させて、ってすれば、ま、公爵家三女のセレスとそれなりに釣り合った体裁を整えることができるから、楽だものな」
「はっ、肩書きって面倒だよなぁ」
アンドレが呆れたように肩をすくめる。貴族相手の商売、特にアンドレのような、服飾ブランドなどは、それに翻弄されることもしばしばだ。煩わしくて、ありがたい。そういうものだ。
「仕方ないよ。でもそれなら、セレスが子爵夫人になってもブランド価値は下がらなそうだから、まだまだ広告塔としては安泰なんじゃない? よかったな、アンドレ」
クロードがアンドレの肩を叩く。どうやら、私がシルヴィー商会で作ったドレスは、私が作っていないドレスより売れ行きがいいらしい。おそらく、新進気鋭のドレスメゾン、ヴァン・パリスも人気が出るだろう。
が、アンドレはあしらうように笑った。
「何言ってんの? お偉方の面目なんて、売れ行きには関係ないぜ。購買意欲はドラマもセットだ。セレスが爵位を落とすのは事実なんだし、こんなドラマのある美貌の淑女の広告塔はなかなかいない。ルイの肩書きが上がっても、ドラマに彩りが加わるだけさ。というわけで、セレスティーヌには、子爵夫人になっても、ぜひともうちの生地を使っていただきたいね。縫製技術はもしかしたら、トリュフォー商会の方がいいかもしれないから、・・・ヴァン・パリスへの協力を頼むかなぁ」
トリュフォー商会はジネットが運営している商会だ。本人の名前は出していなくても、商売人として目の利くアンドレに一目置かれるというのはさすがだ。
そして、アンドレは手紙を見ながら、指で気になる箇所を差した。
「だいたい、この、ユニス嬢の言い分はなんだ? すごい誤解じゃない? ルイの大抜擢は、すべて実力のみで、家柄の背景なんて何もないだなんて」
「でも、さっきもご令嬢がちらっと言っていたでしょう? そんな噂が出回ってるみたいね」
「それは・・・嬉しいことのはずなんだけどね・・・?」
クロードが苦笑する。
「本人のいないところで話が進むっていうのは、あるもんなんだな。俺たちもそれなりにあるけど、この話、ヴァレリー公爵が聞いたら卒倒するぞ・・・さすがに、他の当主たちは信じてないだろうね?」
「わからないわ。でも、近衛騎士になっただけで、どうしてルイはそんなに持ち上げられちゃうの? そりゃ、難しいことはわかってるけど、それにしたって」
クロードが眉をひそめた。
「もしかして、・・・もしかすると、近衛騎士ってのは、俺たちが思うよりずっと、名誉な地位なんだな?」
「・・・多分。考えたことがなかったわ」
「俺たち、研究者と商売人だからな、ちょっと政治的な地位には疎かったな・・・」
三人が、うーん、と唸る。
なるほど。
私たちが思うよりずっと、ルイには高い肩書きが与えらえたらしい。
アルフォンスが驚き、レイモン・ヴィルドラックが訝しがるのも、当然だったのかもしれない。
ブリュノが思わず褒めてしまうのも。
「そういえば、ルイに何をもらう約束だったの?」
私はアンドレに向き直り、イライラをぶつけるようにできるだけにっこりと笑みを浮かべた。特別に可愛らしいはずなのに、なぜかアンドレは引きつった。
「・・・絵皿だよ」
「ふぅん?」
私が笑顔を崩さず頷くと、アンドレは顔に恐怖を浮かべながら目をそらした。
「もう生産されてない、有名絵付師が描いた風景画の絵皿! 親父が欲しがってたんだ! でもなかなか見つからない上に、結構なお値段なんだ。ルイに相談していて、そしたらこないだ、ルイが買い付けてきて、・・・」
「わかったわ。それは私が責任を持ってお受け取りしましょう、あなたのお金でね。お父様には、いいプレゼントになるかしら?」
アンドレがカエルが潰れたような声をあげてうつ伏せた。
ちなみに、クロードの約束は、父が出られない時の、舞踏会での母のエスコート代理です。理由は、品種改良している花が完成しそうなので、なるべく家にいたいから(クロードは統括責任者なので、実際に作ってはいないけれど、完成する瞬間を見たり労ったりしたい)。多分、アンドレにお願いするんじゃないかと思います。
誤字報告、ありがとうございます!
大変助かります。




