16 それは多分宣戦布告
「ユニス様、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
サロンで席について、お茶とお菓子が運ばれてきた後、私が言うと、ユニスは固いながらもしっかりと頷いた。
「え、ええ、・・・私はなんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」
「セレスティーヌでよろしいですわ。なんだか不思議ですわね、ユニス様の方がずっと素敵でご高名な方なのに、こんな時に礼儀が必要とは」
そうなのだ。直接会うのは今日が初めてだけれど、おそらくお互いによく知っている相手だろう。少しだけ不思議に思うのは当たり前だ。
実を言うと、彼女には、私の姉を目の敵にしているなんとも困った人、という印象しかない。
一番上の姉、バルバラ・ソメールは、私より十二歳年上で、五年ほど前に侯爵家に嫁いでいる。その嫁ぎ先、サンティニ侯爵は、ユニスのポートフリー家、トーマン侯爵と家族ぐるみのおつきあいをしていたそうで、ユニスはバルバラの夫、フィルマンと非常に仲が良かった。十歳近く離れてはいるものの、よくある話で、ユニスは彼のことを好きだったらしい。長男と一人娘では結婚には無理があるし、そもそも両家はそのつもりはなかったが、フィルマンに弟がいることで、ユニスはそのバルバラの夫をトーマン侯爵として迎えるつもりになっていた。
それなのに、バルバラに出会って一目惚れした彼は、あらゆる伝手と誠意と勢いでもって、周囲と私の父を説得して納得させ、バルバラと結婚してしまったのだ。
彼女はバルバラに悪い態度を取り続け、結婚式にも出席しなかったくらいだが、バルバラの夫は、ユニスの事を”兄を取られた妹”としか思っておらず、ただ可愛いと思っているそうで、困っているのはバルバラのみだ。
この後、いったい何を言われるのか・・・バルバラが夫婦仲良くやっているかどうか知りたければ、遊びに行けばよくわかる。仲睦まじく、幸せそうにしているから。いったい私にどんな話があるというのだろう? 意地悪をするために協力しろとか? でも、一年以上も経って?
「ところで、ルイ様のことはどうお考えですの?」
ユニスの言葉に、私は目をパチクリとさせた。バルバラの話じゃなかった。
ルイ? ルイって、あのルイ?
「私がですか?」
「ご自分がルイ様にふさわしいと、本当にお思いですか?」
「ちょっと、ユニス様・・・」
少しだけ睥睨するように、ユニスは言い、エヴァが窘めようとしたが、私はそれを止めた。
「エヴァ、いいわ」
ルイのことを聞かれたことは多々あったけれど、こんな風に聞かれたことはなかった。なんだかアガットに教えてもらったロマンス小説みたいだ。詳しくないから、どっちがヒロインでどっちが悪役なのかわからないんだけど・・・どっちだったっけ・・・今度、アガットに本を借りて確認しなくちゃ。
「ええっと、ユニス様、私、実は考えたことがありませんでしたの・・・それというのもね、今までずっと身近だったから、考える必要がなかったからですわ。それに、外からどう見えるかも、考えたことがありませんでした。先日、指摘されまして、これから精進しようと思っているところなのです」
すると、ユニスは満足そうににっこりと微笑んだ。
「それを聞いて改めて思いました。やはり、ルイ様にふさわしいのは私ですわ」
「まぁ」
バルバラの旦那様のことは、もういいってことかしら? あれだけバルバラが困っていたのに、不思議なことだ。
ユニスは嬉々として続けた。
「ルイ様の優秀さは、本当に素晴らしく、目をみはるほどで、侯爵家に入るだけの器があります。ご本人だって、それをお望みでしょう、あれだけ見せつけているのですから。なのに、いくら公爵令嬢といえど、あなたと結婚すれば、結局はまた子爵。身分は変わりません。でも私の家に婿養子になれば、侯爵家の当主になる未来があります。もっと色々なことを成し遂げられますわ。そう思いませんこと?」
「さぁ・・・したいことによりますわね・・・」
私が首をかしげると、ユニスは苛立つようにテーブルで爪を軽く鳴らした。
「今回、近衛騎士になったのも、ルイ様の優秀さあってのことです。あなたのおかげではありませんことよ? それは周囲の皆さんからの言葉でも明らかです。あなたなど、ルイ様にはいらないのです。あなたという後ろ盾は、逆に無益ですわ。もっとあの方は上に行ける方です。子爵よりずっと、”使える”身分になるべきです。つまり、私と結婚するべきだと思うのです。セレスティーヌ様は、どう思われますか?」
私はユニスの淀みない言葉を聞きながらそわそわしてしまった。
まぁ・・・いつの間に・・・すごいことに・・・
うん。すごい。ルイってすごい。
騎士団内では”七光りのルイ”なんて言われてるけど、一歩外に出てしまえば、そんなことわからないんだわ。彼女がそう断言するということは、おそらくかなりの令嬢がそう思ってるはず。これはすごいことよ。
ちらりとエヴァを見ると、私が思ってることがわかったようで、落ち着け、という顔をされた。
確かに、ルイにも弟がいるから権利を譲ることはできる。でも本人は爵位も仕事も継ぐ気満々だ。
もともと、アンドレやショーンとは、画商や骨董商がメインの仕事であるトゥールムーシュ子爵の後継として、そのつながりで知り合っている。互いの協力体制も充分だから、継ぐことに問題はなさそうに見える。だから、基本的に、本人たちの意向を支持しつつ、適性を判断して職に就かせる騎士団において、近衛騎士になりたかったわけでもないルイが、なってしまった時点で実力の前に政治的だとしか思えない話なのだけれど、彼女たちは、そんな内情はきっと知らないのだろう。
結局、私の周りにはいつも政治や思惑が取り巻いている。仕方ないとはいえ、少しうんざりだ。そして、政治的に意味のある存在でなければならない私は、教育は誰よりも完璧に仕込まれている。そんな私を、誰もが使いたいと思ってる。でもルイは、私を”使おう”とはしていない。つまり今、ルイは私を誰も”使えない”状態にしている。だからなのか。今度は、私がルイを”使えなくしてる”と思われている。
つまりそれは、ルイが私を使おうと思ってるのに使いこなせていないということ? 随分とルイを馬鹿にしてるんじゃない? 侯爵家に婿入りしたかったらとっくにしてるはず。ルイが今後、私を”使おう”と”使わなかろう”と、私が公爵令嬢じゃなければ、こんな言いがかりをつけられなかったのに。
「そう思いませんか?!」
強い語気に、私はハッとした。また物思いにふけってしまった。目の前にイライラしたユニスの顔があった。綺麗な顔は歪んでも綺麗だ。何をどう思うのか、忘れてしまったけど、これだけは思う。
「えぇと、そうですわね、私、ルイと結婚する日が楽しみですわ」
子爵夫人。
なんて素敵な響きだろう。
身分が下がった公爵令嬢なんて、なんて”使えない”存在なんでしょう?
そうすれば、こんな風に言われることもないし、名乗って目立つこともない。紹介してと誰かが頼まれることもないし、さっきみたいにエヴァが困ることもない。子爵夫人になれば、向こうから声をかけてくれるのだ。私がどうしたらいいのかなんて考えなくても、声をかけられれば答えればいいだけ。
「婚約破棄はなさらないと?」
「ええ、なんでそんな話に? 私とルイ・・・ルイ様の話ですから、あなたにお話しする必要はありません。ルイ様と結婚なさりたいと、そういうご相談なら、ルイ様となさればよろしのでは?」
「ルイ様はあなたに遠慮しておいでだからですわ」
「遠慮・・・」
私がエヴァを見ると、エヴァは肩をすくめた。
ルイが遠慮。
私の目には、なんでも好き勝手やってるように見えるけど。
「それなら、私に遠慮なさらず、好きなようになさってと、私が言っていたと伝えてくださいな。いつもいつでも、私はルイ様の決定に従いますと」
「それでよろしいの?」
「ええ、もちろん」
私が頷くと、ユニスは少し得意げに口角を上げた。
「・・・でしたら、もう話すことはございませんわ」
「あら。本当ですか?」
「ええ。今日はもう、帰りたく存じます。あなたとお話できたこと、大変に嬉しく感じております」
「それは私にとっても嬉しいことです。・・・私、てっきりバルバラお姉様のことを」
「そのことはもう終わったことです。兄を取られただけの話ですわ」
「そうですか」
私が笑顔を向けると、ユニスは言葉を詰まらせ、席を立った。
ユニスが私たちのテーブルから離れた時、ちょうどユニスを探しに来た取り巻きが、ユニスを見つけてホッとした顔をした・・・と思ったら、私の顔を見てギョッとする。
「ユニス様?」
「何?」
「・・・セレスティーヌ様とお話を?」
「ええ。有意義でしたわ。ね?」
ニコリと微笑んだユニスに、私も笑いかけた。
「そうですわね。ユニス様のドレスは胸元の刺繍の花のあしらいが見事でしたわ。髪飾りもエレガントな髪によく映えて、とてもお似合いです。大変に目の保養になりました」
私が言うと、ユニスは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「いくわよ!」
「あ、・・・ユニス様!」
ユニスの取り巻き達が私に一礼をして、去っていくユニスを追いかけて行った。
セレスティーヌが思うほど、”元公爵令嬢”という肩書きは、そんな単純にはいかないのですが、でも今のところ、楽観的に思っているということで。




