14 騎士の職場見学にふさわしいドレス
けっこう長めです
「お嬢様。休憩のご様子ですが」
ジョージの声にハッと目を上げると、剣闘場には誰もいなくなっていた。
「あらいやだ。私ったら、寝てしまったのかしら・・・」
「お疲れの様子でしたね」
言うと、ジョージはニコリと微笑んだ。つられて私も微笑んだ。なんというか、ジョージは癒し系だ。
ふと背後に人影が差し、振り返るとそこには、濃紺の制服を着たルイが立っていた。
「・・・セーレ・・・、まだいたのか」
私は息を飲んだ。地の色が濃紺である以外は、基本的にレイモンが着ていた制服と同じだ。それにしても濃く深い色合いはルイに似合っている。そして、今訓練を終えて、まだ汗が髪から落ちてくる様は、えも言われぬ色気がある。
「お、お疲れ様ですわ」
私は慌てて立ち上がった。
「・・・ダメだった?」
「別に構わないが・・・面白くもないだろう?」
ルイはとても困ってる。私がなんで見ていたのか、わからないから。でもそんなの、私にだってわからない。
「いいえ、面白いわ。ルイが動いてるんだもの」
ルイがタオルをかざしながら、フルフルと頭を振った。金色の髪が日に輝いて、紺碧の瞳が私に真っ直ぐ向く。ああ、綺麗だ。いつだってルイの目は濁りがなくて綺麗だ。
「・・・俺はオモチャか」
ルイの髪から汗が落ちて、タオルに吸い込まれていく。ふっと笑顔が漏れた。どきりとした。なんでこんなに心臓に悪いんだろ。ずるくない? 私には綺麗とは言ってくれないくせに、こんなに綺麗なんだもの。自分の方が綺麗だからなのね。やぁね、ナルシストって。
「今日はもう終わりなの?」
「いや・・・まだ職務中なんだ」
「ふぅん」
私の気の抜けた返事にルイは不思議そうに首をひねった。
「どうした」
「終わったのなら、・・・一緒に帰れるのかなって思ったの」
ルイが目を瞬かせた。
「な、なんだ急に」
「私、変なこと言った?」
「そうではないが・・・いつもと様子が違うから」
違う? 違うって? さっぱり思い当たらない。・・・あ、ドレス? ドレスでしょ?
「あ、わかった? 今日はね、アガットたちが充分に吟味してくれた、騎士の職場見学にふさわしいドレスなのよ! 落ち着いて上品だけど、ほら、ちゃんと凝った作りになってて、私好みでもあり、ルイ好みでもある、なかなかのドレスでしょう。お茶会や普段着にもちょっと着ないような、いつもと違うドレスなの」
私がくるりと回ると、ちらりと見えたジョージはぽうっとした顔をしていた。ルイは一瞬目を奪われたが、すぐに呆れた顔で髪をかきあげていた。
「・・・ドレス、な」
もう一声! 私は次の言葉を期待してジッと見たけど、ルイは何も言わなかった。
そこはさぁ、ほら、『いつもと雰囲気が違うけどそういうのも似合うね』とか『気に入ったよ、普段にも来て欲しいな』とか、なんかいろいろあるじゃない?
ねぇ、ないの?
・・・ないか。
私は諦めて、違う話題を探した。
「楽しそうにしていたわね」
私が言うと、ルイは鼻で笑った。
「当たり前だ。俺の身分では無理だと思っていた、剣豪と言われる方々と手合わせいただけるんだ。ありがたいことだよ。もともと近衛騎士には興味がなかったが、・・・あ、いや、今はないわけではない。なってみたらずいぶんとしっくりきた。思ったよりも楽しめている」
「なら、良かった。ルイには申し訳ないと思ってるのよ」
「なにがだ?」
「・・・いろいろ。政治的配慮とか? ドレスのことか?」
つまり、お偉いさんがルイを抜擢するように推薦してたりとか、ルイが気にいるドレスを作ってあげられないこととか。
「問題ないよ。俺はお前の婚約者なのだから」
うーん。
「でも、そんな肩書きがなければ、ルイは自分で選べるでしょう? ヴィルドラック様も言ってらしたわ、私などいなくてもルイは近衛騎士になれるって」
「でも、そうでなければ、近衛騎士にはならないぞ?」
「あぁ、そんなこと、前も言っていたわね・・・あ、いや、だから、なりたくなかったのに私のせいでごめんなさい、と・・・ヴィルドラック様はルイが努力をしていると評価していたけど、いらない努力でしょうに」
「気にするな。努力するのは俺の仕事だ。お前はそのままでいい」
何を言っているんだろう。そのままでいいだなんて、失礼しちゃう。何の期待もしていないだなんて、年頃の乙女心を踏みにじるつもりだろうか。
私が少し睨むと、ルイは困ったように私を見つめ返してきた。
「お前の目には、俺はどう映ってるんだろうな?」
「どう・・・って、」
なんと言えばいいのだろう? 至高のドレスを求めて腕を磨く美青年、とでも言えばいいのだろうか? 本当のことを言ってしまっても?
恐る恐るルイを見た。
サラサラに輝く髪は太陽の光をそのまま反射しているかのように金色で、紺碧の瞳は深い海のように遠くて真っ直ぐで、剣だこがあるのにとても滑らかで美しい手と、細身で、見た目の印象からは想像もつかないくらい、しっかりと筋肉がついてがっしりとした体格をしている。
改めて見ると、ルイは男の人だった。近いようでとても遠かった頃よりずっと、ルイは素敵に見えた。私に婚約破棄してやると息巻いた少年はもういなくて、いつの間にか、正式な婚約者となっていた。とても立派で、およそ欠点のない、完璧な。身分のことがなければ、もっと簡単だったろうに。私が相手でなければ、もっと肩肘張らない素敵なご令嬢と出会えただろうに。そしてきっと、その人の事は、たくさん褒めて綺麗だと言ってあげるのだろう。私みたいに面白みのない令嬢なんて、褒めるに値しないのだ。・・・からかうには値しても。
つまり、ルイにとっては、私はまだまだ子供なんだろう。別に、それでもいい。
「必死すぎて嫌になる、か?」
「なんのこと?」
何にそんなに必死だというのだろうか? そつなくこなしていたようだけれど・・・もちろん、とても一生懸命頑張っていたし、それが未来につながることは、私にもわかる。
「俺が」
「あ。これね、お兄様が贈った剣って」
私は思わずルイの言うことを遮って、ルイが帯刀している剣を指差した。
「あ、ああ」
「お兄様の趣味って、ちょっと偏ってない? 使いやすいの? 私、使ったことがないからわからないけど」
私は物珍しさにしげしげと見つめてしまった。
「・・・持ってみるか?」
「いいの?」
「ああ。ブリュノ殿が特注してくださったそうだ」
「まぁ」
あの兄が特注。それはまた。後ろでジョージが息を飲んだのがわかった。
「期待されているのね」
ルイが剣を外している間、私がからかうように言うと、ルイは渋い顔をした。
「いや・・・違うだろ。お前と婚約するからには、見合うようになれというプレッシャーだ」
「見合うように? 私がではなく?」
私は不思議に思いながら、ルイの差し出す剣を手に取った。
え、思っていたよりずっと重い!
「きゃ」
「だ、大丈夫ですか?!」
バランスを崩し、反動で後ろに倒れそうになった私を、慌ててジョージが支えてくれた。
「ええ、ありが」
私がお礼を言う前に、ジョージがパッと私を立て直し、直立の姿勢をとった。
「せ、セレスティーヌ様にお怪我はございません!」
「・・・そうか、ありがとう」
顔を上げると、ルイが真顔で目の前にいた。うわぁ、これは怒ってる。
「ルイ、・・・ごめんなさい」
「怒ってない。腑甲斐なく思ってるだけだ」
「でも、剣を落とさなくてよかったわ」
私がホッとして言うと、ルイは目をパチクリとさせた。
「剣?」
「落としそうになってごめんなさい」
「いや・・・別に・・・構わない」
「そう? 剣騎士の命みたいなものなんでしょう? だから、大切に扱わないとならないのに」
「セーレになら何をされても俺は怒らないよ。これくらいで壊れるものではないのだし、将来は文字通り命を預ける相手になるんだから」
「なるほど」
私が剣を抱えて頷いていると、私の後ろに立っているジョージが、そわそわし始めた。
「どうしたの?」
「いえ、・・・なんでも」
振り返るとジョージは視線をそらし、その頬が少し赤い。ルイが首をかしげた私の腕を掴んだ。私が驚いてルイに振り返ると、ルイはものすごく不機嫌そうにしていた。
「なんでビアンキを見てるんだ」
「向こう向いちゃったからよ」
「なんで」
「だって、ビアンキさんはルイのファンだって言ってたから、」
「だから、気を利かせてくれたんだろ」
言うと、ルイは私を引き寄せて、ふわりと抱きしめた。ちらりとジョージを向くと、本格的に顔を背けていた。
「俺以外の男を見るなよ」
「ルイのことはよく見てると思うけど・・・?」
首を傾げて見上げた私の頬を、ルイはゆっくりと撫でる。ルイの紺碧の瞳に私が映っている。とすれば、私のグリーンの瞳にも、同じようにルイが映っているのだろう。ルイは満足げに微笑んだ。
「これで俺だけだ」
「いつもこんなにくっついていられないわ」
「それなら、俺以外と会う時は目をつぶっていろ」
「それは無理よ」
「じゃ、目を合わすな」
「それも無理。失礼でしょう」
「なら、会うな」
「お兄様にも会うなと?」
「・・・家族は仕方がない。でも他の男はダメだ」
「何言ってるのよ・・・」
私は途方に暮れそうになった。ルイがわがままを言っている。しかも、今まで言ったことがないような内容だ。そして、内容の趣旨がわからない。
「でも、そうしたら、社交界デビューできないけど」
デビューできなければ、結婚もできない。それは、父との約束だ。
「・・・それは困るな」
ルイがため息をつき、私の後れ毛を耳にかけた。
「いや、いっその事、それでもいいか・・・一生家に閉じ込め」
ごほん、と咳払いが聞こえ、顔を向けるとジョージがこちらを向いていた。
「そろそろお時間かと」
言いながら、まったく物騒な、そんな人だとは、とジョージがつぶやくのが聞こえた。
「そのうちお前にもわかる」
「・・・いえ、不躾ながら、わかる気がします、ウェベール殿。お相手がその方では、いくら愛でても足りないだろうことは」
「ビアンキ・・・?」
「もっとも、私にはそんな度胸はありませんが。ええ、わかります。良い匂いでしたから・・・」
「おい」
「あぁウェベール殿。もうお戻りになられないと、お時間が」
ジョージがにっこりと微笑む。さすがレイモンについているだけあって、それなりに圧がある。ジョージの言うことはよくわからなかったけど、ルイを少しばかり正気に戻らせたようだ。
「お嬢様も、パストゥール様方がお待ちしておりますので、そろそろ」
「ええ、そうだったわ。帰らなきゃ。ルイ、」
何か言わねばと、私はルイから体を離しながら考えた。ルイの腕はもう強く引きはしなかったが、名残惜しそうに私の肩に手をのせていた。そして、肩から首を伝い、ゆっくりと私の顎を撫でていく。ルイの顔が近づいた。
「ルイ、あの勝負、まだ続いている?」
私の言葉に、ルイはぴたりと動きを止めた。
「何って?」
「”いたずら”の”スキンシップ”」
「ああ、お前が続けて良いのなら」
「そう・・・ルイは続けたいの?」
「そうだな。続けられればいいと思うが」
「アガットに聞いたら、ルールをもう少し考えたほうがいいって」
「アガットは考えすぎなんだよ」
「そうかしら・・・」
アガットに言われた時はもっともだと思ったのだけど、こうしてルイを前に言われると、どうにもルイが正しいように思えてしまう。
昔っからそうだ。私はいつも、ルイが正しいと思っていて、・・・だからなのかしら? 今までずっと、ルイが私と話さなかったのは? 意外と私のことがわかってた? でもドレスのことだけは違ってた・・・やっぱりルイはドレスに並々ならぬ情熱を捧げているからかしら?
「今日は、私の勝ち?」
「なんで?」
私が嫌がるほどのスキンシップがどのようなものか想像つかないが、少なくとも、公衆の目がある場所でできるようなことじゃないのは間違いない。
「今日のスキンシップは、充分できたと思うもの。これでまた、引き分けね」
私が言うと、ルイは少し思案して私の手を取って手袋を取り、そこに口づけをした。そして、・・・舐めた。
「!!!」
私が顔を赤くして引っ込めると、ルイは澄まし顔で言った。
「これは嫌だったんじゃない?」
「うう・・・嫌じゃなかった!」
私がキレ気味に言うと、ルイは意地悪く微笑んだ。
「残念だな。仕方ない、宣言通り、お前の勝ちだ」
酷い。何て人だろ。私のことを熱のこもった目で見てて、悔しがる私を面白がってるじゃないの。勝ったはずなのに、負けた気分になるのはなぜなのよ?
「ウェベール殿・・・いい加減、団長に怒られますよ」
呆れ顔のジョージに言われたルイは、肩をすくめると、悠々とその場を離れていった。
うう。悔しい。でも宣言したかったんだもの。負けたくなかったんだもの。
だって、ルイは今日だって、私のドレス姿を見て何も言ってくれなかった!
だから少しくらい、意趣返ししたかったの!
なのに、手袋を取るなんて!
あの手袋、とっても気に入ってたのに。つけてるところをルイに見せたくてつけてきたのに!
すぐ外すなんて!
帰りの馬車の中、私がずっと愚痴っていると、アルフォンスはげんなりした顔で羨ましいものだとつぶやき、ジネットは呆れた顔で、犬も食わぬ・・・と頭を振った。
ここで職場見学終了です。
この後、ルイ視点のサイドストーリーです。
そのあとの章ではセーレはお茶会に行きますが、ルイがいません。




