10 不測の事態
ルイがレイモンに何か言われている。
周囲を同じ近衛騎士の練習着を着た騎士たちが囲んでいた。ブルーグレーの練習着は形がシンプルで動きやすそうだ。ところどころほつれたようなところがあり、おそらく繕ってある部分もある。
あれは誰がやっているのだろう? やはり、繕い専門の女中がいるのだろうか? それともルイが言っていたように、自分で繕ったりするのだろうか?
・・・ルイの顔が見えないけれど、いったい何を話しているのかとても気になる。
ルイがくるりとこちらを向いた。不意に綺麗な顔が私をまっすぐに見て、どきりとする。そして、そのまま不機嫌な顔で私の方へ向かってきた。
私、怒られるのかしら。
私がドキドキしていると、ついにルイが私の眼の前に立った。
低い壁はぐるりと丸く、円の中は数段低くなって固い土が露出している。私がいるところは石畳になっていて、少し高い。壁はルイにすれば肩の下、私には腰くらいの高さになる。
「セーレ、君たちが来るのはこの後じゃなかったのか?」
「アル兄様が、早く見たいとおっしゃったので」
「そうか」
ルイは私をじっと眺めた後、アルフォンスやジネットに視線を動かし、ため息をついた。
「レイモン様に気を散らすんじゃないと怒られた」
「まぁ」
怒られなかった。
「どのような場合にも不測の事態は起こるのだから、動揺を動きに出さないようにしろと」
「ルイは? どう思ったの?」
「確かにそのように思う。セーレは狙われやすいからな、気をつけねばならない」
私は首を傾げた。
「賊などそんなに出会うとは思えないけれど?」
「それだけじゃない・・・」
ルイは言うと、視線を逸らした。
「・・・なるほど、確かに不測の事態にはまだ慣れないようだね、ルイ」
アルフォンスがニヤリと笑って続けた。
「まさか、私が律儀に、行くと言った時間にくると思っていたのか?」
ルイはムッとしたようにアルフォンスをジロリと見た。
「あなただけとか、ジネットだけとか、それなら考えますがね。セーレがいるんだから、まともにくるんじゃないかと思いますよ。お二人ともセーレに対しては真っ当ですからね」
「おやおや。それほど私たちがセレスを甘やかしていると?」
「セレスティーヌを大切になさっているという意味です。だから、”兄上”がそんなことをするとは思いませんでした、ということです」
ルイが言うと、私の後ろで聞き覚えのある声がした。
「なんだ。ウェベールがアルフォンス殿とそんなに仲がいいとは聞いていなかったが」
レイモンだ。ルイは眉をひそめた。
「仲がいいとはどういうことでしょうか?」
「ウェベールが”兄上”と呼ぶだなんて、セレスティーヌ嬢とうまくいっている証拠だな」
レイモンが頬を緩ませる横で、アルフォンスが不機嫌そうにそっぽを向く。
「私は許しておりませんよ、ヴィルドラック殿」
「でも、呼ばれても否定しなかったではないか」
「そ、それは・・・セレスティーヌ嬢が」
「おやおや、女性を言い訳にしますか」
「そうではなくて」
アルフォンスが一生懸命言い訳をしているが、レイモンはおかしそうに笑うだけで、アルフォンスをからかっている。
終わりそうにない二人の会話を横目に、私はルイに顔を向けた。ルイはそれはそれでしてやったりという顔で、二人を見ている。なによ。楽しそうにしちゃって。
ルイのつむじがよく見えた。
本当に、よくできた男なのだ、ルイは。
眉目秀麗、品行方正、智勇兼備、彼を賛美する人は後を絶たない。スティーブなんて自分の方が年上なのに、ルイを大好きなようで、憧れていて、ジネットを苛立たせるほどルイを賛美した。羨ましいこと。
どうせなら、いつも見られないルイをとことん見てやる。だって今日は、こうしてジロジロと眺めていても、ルイは全然気がつかないみたいだから。
・・・あーあ、いくら見ても見飽きない。ずっと見ていたい。ルイを一日中、そばで見ていられたら、ただ一緒にいられたら。そんな風に思うようになるなんて、私ったらどうしちゃったんだろう。
「ここ、切れているわ」
練習着の右肩の上の方に切り込みが入っていた。ルイはこの部分を繕うのかしら。私がその部分をそっと触ると、ルイがびくりとした。
「・・・痛い?」
「いや。下に服も着ているから。そうではなくて、いつもならこんな風に気づかれることはないから・・・」
「ああ、そうね。ルイの頭が私より下にあるなんて不思議な感じ。・・・なんだか可愛いわね」
私が笑顔で言うと、ルイはとろりと眦を下げた。
「いいや、セーレの方が」
言いかけて、ルイは言葉を止めた。
ニコニコニコニコ。
私も笑顔で舌打ちをしそうになって、危うく押しとどめた。なんてこと。はしたないことをしてしまうところだったじゃない。私は慌てて話を流した。
「ねぇ、この破けたところって、繕い物をしたりする?」
「いや・・・昔は自分でしていたけど、近衛騎士の場合、見習いがするらしい。だから、こないだからしなくなったんだ」
な、なんですって・・・
私は目の前が真っ暗になりそうだった。
この目で見たかったのに。お針子さんみたいな腕前かもしれないじゃない? そしたらドレスも縫えるじゃないの? そこのところの見極めしたかったのに!
「も、もう繕わないの?」
「まぁ、・・・繕うこともあるだろうけど、ここでは、そうないだろうな。遠征の時は何もかも自分たちでするから、練習のためにやることになっているが、すでに繕いだって料理だって一通り教え込まれているから、あえてやる必要もない」
「ルイは器用だから、なんでもすぐにできるんでしょうね」
がっかり半分、感心半分で私がため息をつくと、ルイは形の良い眉をひそめた。
「そんなことはない」
言うと、壁のふちに手を置いた。
「まだ近衛騎士としては新人だし、手練れの剣豪たちがいる中では、未熟さを痛感している日々だ。これまでずいぶんできるようになったと思っていたが、それも井の中の蛙、通用するものとは程遠かった。セーレの護衛にも満たない気がしている」
「へ? な、なんでそんな考えに?」
「それをわかっているとしても、やはり、・・・お前には、無様な姿を見せたくなかった」
無様とは。
私は首を傾げたが、ルイはそんな私を笑った。失礼だと思いつつ、なんだか怒る気にもなれなかった。ルイの持つ雰囲気が、ずいぶんと優しいからかもしれない。優しくて柔らかで、うっとりとしたその微笑みをずっと眺めていたくなるくらい。本当に、調子が狂ってしまう。
「どうして? ルイはかっこいいわよ?」
無様だなんて、思ったことはない。むしろ、そんな姿も素敵だと思ってる。
私が言うと、ルイは手を伸ばし、私の頬をそっと触った。汗ばむ、分厚く鍛えられた、綺麗な手。
「セーレ・・・」
ルイの言葉に、吸い寄せられるように、私は上半身を屈めた。ルイが顔を上げる。
「はい、そこまで。ウェベール君、休憩は終わりです。速やかに訓練へ戻るように」
レイモンがルイの顔を正面から掴んでいた。グググと頭を動かそうにも、ルイは全くできず、諦めて首を振った。
「邪魔してくれますね」
「その口の利き方は許しがたいね、ウェベール。公衆の面前でそんなことをする部下を、私が見逃すわけにはいかないんだよ、残念だね」
ルイは何をするつもりで? 私は二人の顔を見たが、ルイは澄まし顔で笑って頭を下げた。
「戻ります。セーレ・・・、また」
「ええ、ルイはお仕事を頑張ってくださいませ」
「ああ、もちろん」
ルイは身を翻すと、近衛騎士の仲間たちの元へ戻っていった。




