婚約の日 2 遠い日の思い出
『君なんて絶対やだからな。婚約破棄してやるんだからな』
私はぽかんとした。もともと言われていたことだからだ。嫌ならしなくていいと。
『それなら、ルイのお父上に言ってくださいな。私に言っても仕方ないことよ。決めるのはお父様方ですもの』
私の言葉に、ルイは勢いを削いだ。こんなに早く親に勝手に決められることが嫌だったようだが、断ればいいだけの話だ。
『・・・君は嫌じゃないのか』
『私はどうでも。ルイなら幼馴染だし、知ってるから、別にいいかなぁって』
『そんなんでいいのか?』
『生理的に受け付けないというわけじゃないし、問題ないわ。ルイが嫌なら、いつだってやめてくれて構わないのよ』
『そういう問題じゃなくて。君はどう思うんだ』
『それより、ねぇ、今日のドレス素敵じゃない? お姉さまが仕立ててるお店をようやく紹介してもらったの。ほら、すっごくかわいいでしょ?』
私がくるりとまわって見せると、ルイは憮然とした顔で視線を逸らした。
『可愛くない』
『私の話じゃないわ。ドレスの話よ』
間髪入れずに私が言うと、ルイはさらに言い募った。
『似合わない』
『どこらへんかしら? 色? 形? あ、顔の美醜がどうってのは、なしでお願いね』
『お前は何着ても似合わない。似合うドレスなんてない』
『まぁ』
悔しい。こんなに素敵なドレスを。私が着ているというだけで評価しないつもりなのか。この男は。
『いくら何でも、女性にそんなこと言ってはならないことよ!』
『他の女性に言うわけがないだろう』
『まぁぁぁ』
頭に血が上った。私は指をルイの胸に突きつけて、啖呵を切った。
『いいこと、絶対に似合うって言わせるんだからね。綺麗って言わせるんだから!』
『おお、やってみるがいいさ! そんな恥ずかしいセリフ、ぜったいに言わないからな!』
☆
「それは恥ずかしくて言えないんですわ」
事情を知らないアガットはまだウキウキするように返事をした。まぁ、あるいは。確かに、恥だと言ったが。多分、アガットが言っているのとは違う意味だ。
「うーん。絶対言わないと宣言されてるのよね・・・だから、それはないと思うの。でもうっかり言っちゃう時ってあるでしょ。不意打ちとか。寝起きとか。そういうのを狙ってるんだけど、なかなか・・・」
「寝起き、ですか?」
目を見開いたアガットに、私は声を潜めて指を立てた。
「ないしょね。一度、睡眠薬で寝かせたことあるの。ソファで起きがけに言うかなと思ったんだけど、睡眠薬の量が多かったみたいで、逆に気持ち悪くなって吐かせてしまったわ。おかげでドレスが台無し。それからは、もちろん、やってないわ」
「まぁ、ドレスに。よほど派手になされたんですのね。おかわいそうに、随分と気持ち悪かったでしょう・・・」
「違うのよ、絨毯についたら私が怒られると思ってね、ドレスで全部受け止めたの」
「ドレスで」
信じられない、といった瞳でアガットは私を見た。
どんなに幼い頃でも私の衣装は贅沢に作られている。この布一枚がどれだけ高いものなのか、アガットはよく知っている。私はしょんぼりしながら頷いた。
「そうなのよ。でも仕方なかったの。ドレスだったらこっそり着替えて、最悪捨てればいいけど、絨毯は洗ってもらわないとならないし、お父様にばれちゃうし、絶対にダメって思ったの。だからとっさに、スカートを差し出していたわ・・・」
遠い目をする私に、アガットはさらに遠い目をした。
「吐いた量は少なかったんですか?」
「ええ。それほどじゃないわ。お腹が空いた状態の時に飲ませたから。どうやら、それもいけなかったみたい。後からお医者さんにこっそり聞いたの。怒られたわ。だからひどくなったんだと思うの。ルイったら青い顔して逃げようとして、敵に醜態を見せてショックだったのね。本当に申し訳なかったわ」
アガットは心底気の毒そうな顔をした。
「それからはそんないたずら、してないのですよね?」
「ええ。そういう小細工はいけないと肝に銘じたわ。だから、真っ向勝負よ。やっぱり、正々堂々と申し込まなくてはね」
私が言っていると、居間のドアが開いた。見ると、青い顔でルイが立っていた。