08 ちょっとした迷子
気がつくと、みんなとはぐれていた。
入り組んだ廊下とそれに面する中庭だけが見え、三人の姿はどこにもない。しかも、どこに向かっていいのかわからない。せめて人に、人に会わねば・・・! 道に迷うなんて。
ウロウロしていると、誰かにぶつかった。
「あら、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。見学の方ですか? ご家族でも?」
「ええ、近衛騎士に・・・」
若草色のダブルのロングコート。騎士団の紋章が入った胸のエンブレムからするに、近衛騎士ではない騎士団の人だろう。そばかすに金髪、人懐っこい笑顔が優しげだ。
「セレスティーヌ!」
バタバタと軽快な足音がした。振り返って、私はホッと息を吐いた。
「アル兄様」
「どこ行ったかと・・・おや、スティーブ・ティボーじゃないか」
そばかすの青年がパッと顔を上げ、衝撃を受けた顔をした。
「こ、これはパストゥール様。妹御でございましたか」
「いや。従姉妹だ。セレスティーヌ嬢と言う。ああ、来たね。こちらはその姉のジネット嬢だ」
アルフォンスの後ろから、ジネットがかけてくる。おそらく、団長は別のところを探しているか、仕事に戻ったのだろう。
「申し訳ない、セレスティーヌ。話が弾んでしまって、練習場へ着くまで先に行ってしまったのだ。練習場では団長がいなくて少しだらけていたらしくて、団長がすっ飛んで行ってしまった」
笑うアルフォンスに同じように笑いかけ、私はスティーブに向き直った。ジネットがすっと息を整えたのが見えた。
「お助けいただき、ありがとうございます。セレスティーヌ・トレ=ビュルガーと申します」
「セレスティーヌの姉、ジネット・トレ=ビュルガーですわ」
「ご、ご挨拶ありがとうございます。スティーブ・ティボーと申します・・・」
少しオドオドとしているが、立ち姿もしっかりしており、騎士らしさがよく表れていた。きっと真面目なんだろうなぁと私はちょっと考えた。
「スティーブ殿は騎士団でも昇進したばかりなんだ」
「そうなんですか。おめでとうございます」
「いえ、僕なんて、全然・・・あの、今日はご見学ですか。近衛騎士と仰っておりましたが」
「ああ。ルイ・ウェベール殿を見に来たんだ。からかってやろうと思ってね」
「ウェベール殿って・・・あの大抜擢を受けた"七光りのルイ"ですか?」
スティーブの言葉に、アルフォンスは苦笑いをした。なるほど。きっとこれは身内でのネタなのだろうが、私にとってはあまり面白くないあだ名だ。
「そう。この子がその”七光り”だ」
アルフォンスが私の肩を優しく叩いた。面倒なことを。スティーブは目を丸くした。
「・・・では公爵家の、あぁ、お名前が・・・婚約者の、こんなに可愛らしい方だとは・・・あ、いえ、失礼いたしました! 僕たちの身分では、公爵様についてはあまりに知らないものですから、もっと、恐ろしい方か、妖艶な方かと・・・思っておりまして・・・」
「まだお前たちはそんなことを言っているのか」
アルフォンスが呆れた声を出す。
「で、ですが、あんなに誰よりも優秀な方が、自分で相手を選べないなんて、可哀想です。あの冷静で落ち着いたウェベール殿が、身分を超えても婚約しているのですから、逃げられないように外堀を埋められてしまったのかと。ただの公爵令嬢にウェベール殿のお相手はもったいない。もっとふさわしい方がいるはずだ、と・・・」
冷静? 落ち着いてる? 私がジネットを見ると、素知らぬ顔で話を聞いてたジネットは軽く眉をひそめ、口を開いた。
「あら、・・・ルイ様は自分でそんなことを言っていたの?」
「まさか。そうではありません。ウェベール殿は他人のことを悪く言う人ではありません。ご自身の婚約者様のことは大事になさっていると聞いております」
「だったら、その通りなんじゃなくて?」
ジネットは苛立ちを募らせるように腕を組んだ。
「ですが、」
「子爵と公爵では、確かに身分は違うわ。でも、トゥールムーシュ子爵は由緒ある貴族よ。みんなからの信頼も厚く、身分差というだけでは測れない信頼が存在しているわ。そのような家を、仕事上の後ろ盾から無理やり従わせて婚約させるなんて、こちらにいいことがあるとは思えない。そうやって反感を抱かれるだけでしょう。無理強いなんてしていないわ、でしょう? セーレ」
「ええ。ルイ様はその気になればいつだって婚約破棄が可能ですわ。正式に婚約してしまったので、手続きとかがちょっと大変になるでしょうけど、でも、」
「やめなさい」
アルフォンスがため息をついた。
「そんなこと言ってると、本当にルイ殿が泣くぞ」
私が顔を上げると、心配そうな顔でアルフォンスとジネットが私を見ていた。スティーブはオロオロして私たちを見ている。おそらく、私たちの反応が思っていたのと違っていたのだろう。
「言っておきますけどね、スティーブさん」
ジネットが言った。
「逃げられないように外堀を埋めに埋めてきたのはルイ様の方よ。この様子のセーレを見ればわかるでしょ。何しろ、あの兄様を懐柔して、そして、このアル兄様ですら、陥落しそうになっている・・・!」
うふふふふ、とジネットが笑った。
「まさか、セーレがルイ様にふさわしくないって言われる日が来るなんて、思いもよらなかったんでしょうけどね! 不愉快だけどいい気味だわ! 後悔で全身の血が抜けきってしまえばいいのよ!」
血など私が抜いてやる! と、ジネットは最終的に息巻いた。スティーブは青くなり、私は慌ててジネットの手を取った。これは大変だ。
「お姉様、大丈夫よ! お気になさらないで」
「でも、ルイ様は”文句を言わせないためにここまでやってきた”はずでしょう? なのに文句言われてるじゃないの!」
「文句を言われてるのは私であって、ルイではないですわ、お姉様」
「同じことよ・・・よし、今から婚約破棄をお願いしてくる。お父様に言ってくる」
「私も賛成だ。セレスを傷つけるのは許さない」
うわぁ、どうしよう。なんとかこの場を収めなければ・・・
なんと言えば・・・
「もう、ダメよ、お姉様も、アル兄様も! 私は大丈夫です!」
「・・・本当?」
「ええ」
心配そうな二人の視線に、私はしっかりと頷いた。
「今まで、私が言われたことはありませんでしたから、確かに驚きました。でも、ルイは今まで言われていましたから、珍しいことではありませんわ。それよりも、ルイが世間にも認められたということですよね。そんなルイに私がふさわしくないというのなら、劣ってるところがあるということですよね? 私、ルイにふさわしくなれるように頑張ります」
よし、決まった。ルイ好みのドレスのリサーチ、もっと頑張ろう。やっぱりそこは、褒めてもらおう。
三人の顔が毒気が抜かれたようにぽかんとしている。私は言い忘れたことに気づいて、ジネットを見て照れ隠しに笑いながら言った。
「あ、でも、お姉様が私のために怒ってくださったの、とても嬉しかったです」
「せ、セーレェェェェ! 私の天使ぃぃぃぃ!」
ジネットが私に抱きついてきた。
ぐええ・・・
「も、申し訳ありません! 僕、とんでもないことを・・・」
スティーブが青い顔をすると、アルフォンスがため息をついた。
「そうだな。騎士になるものなら、口のきき方や内容に気をつけたほうがいい。せっかく昇進したのに無駄になるぞ。仮にも宰相の娘だ。本来ならお前の首が飛んでもおかしくない事案だからな。セレスティーヌ嬢がお優しくてよかったと心に刻むんだ」
そんなアルフォンスの言葉に同意するように、ジネットはスティーブの肩をそっと叩くと、私の手を引っ張った。
「行きましょ。せっかくのお楽しみが終わっちゃう」
「あぁ、そうだった。何のために早く来たんだ、私たちは。申し訳ないが、先を急がせてもらう。スティーブ殿、次から失言に気をつければいい。私たちに禍根はない、気にやむな。ではな」
「は、はい!」
私は慌ててスティーブに向き直った。
「あの、えっと、申し訳ありませんわ、スティーブさん。私の至らぬところ、身分差を埋めるものとして、私は何をしたらいいのか・・・」
「ほら、セーレ! いくわよ! スティーブさん、セーレが元気になったから、もういいわ! またね!」
「は、・・・はい・・・」
「お姉様! ああ、話を」
私たちが去ったあと、スティーブが一人、ぽかんとしていた。




