07 いざ見学へ
アルフォンスとジネットが動くと、それはもう早く予定が決まった。
あれよあれよと言う間に、私は仕事場のルイを見学することに決まった。
見学にあたり、私はアガットが張り切って選んだ、お出かけ用の上品な、それでいて真面目で落ち着いた雰囲気の装いをしている。絹の花びらをあしらった小さな麦わら帽子を被り、ドレスは落ち着いた色合いのピンクグレーで、繊細なレースはないがその分、共布のプリーツで襟ぐりと裾を飾っている。胸元は丁寧にプリーツさせ、スモッキング刺繍でひだを工夫して手の込んだ仕上がりになっていた。手袋は小さな花の刺繍が小指の端についているもので、私のお気に入りだ。
派手な装飾は、騎士たちの職場となる厳正なる場所にはふさわしくないからと、アガットたちはとても吟味していた。私にはピンとこなかったけれど、来てみればよくわかる。使命感と職務への忠義で満たされたこの建物は、浮ついた服装で入っていけるものではない気がする。あぁ、私の侍女たちは本当に優秀だ。
ふっふっふ。ドレスに目がないルイは、TPOにもうるさいはず。きっと目を輝かせるだろう。こんなに素敵なドレスがあるんだ、って。
近衛騎士の勤務先は王宮の片隅にある剣闘場の一角にあった。詰め所と執務室が、丸い剣闘場の半円にぐるりとあり、その他、鍛錬室など、一通り整備されている。騎士団の詰め所自体は、王宮のはずれにあり、新人のための寮もあって、見習いなどはそこから勤務していた。
剣闘場は、建物は古いがしっかりと作れており、国ができた頃に綿密に計画されてできあがっただけあって、圧倒されるような荘厳さがあった。廊下も中庭も静かで、騎士たちが無駄話もせずにキビキビと職務をこなし、鍛錬に励んでいる。これなら何があっても大丈夫、そう思えるような、国を守ってもらっている安心を感じられる。
執務室が並ぶ、ゆるく円を描く廊下を、アルフォンス兄様の後をついて、ジネット姉様、そして私と歩いていく。その後ろに、案内と称して私たちを迎えてくれた見習い騎士が焦ったようについてくる。角を曲がるたびに見える、鮮やかな空色のロングコートが目に眩しい。
前を行くアルフォンスは、よくある外出着だったが、シルクハットに茶色のコート、パリッとした白シャツにボウタイ、と、貴族の紳士の保護者らしさがよく出ている。そして、ジネットの装いはというと、全体を明るいグレーでまとめ、ワインレッドをアクセントにして、とても素敵だった。ともすれば家庭教師のように見えるその色も、デザインと、ジネットの持ち前の貴族らしさと美しさで、公爵令嬢らしい、高貴な印象を生み出していた。
ルイは気にいるかしら? 私が着ているドレスと、どっちが好みかしら?
私は思いながら、ジネットの服をじっくり観察した。これもきっと、ジネットの商会で作ったものだろう。
つばが上向きに折れた小さなボンネットはレースのフリルと絹の花飾り付きで、あご下にリボンで留めている。レースは白、花飾りとリボンはワインレッドだ。メリハリの効いた印象をつけられ、ジネットによく似合っているが、私に似合うだろうか。これは保留。ハイウェストのシルクタフタのドレスは優雅だが、ルイ好みにするならこれはもっと研究の余地がありそうだ。ルイは意外と可愛いのが好きだから。でもハイネックで同じグレーのレース、前には共布のくるみボタンが並ぶところは、私がとても好き。特に、長めのペプラムに柔らかいドレープのスカートは、私好みだ。極め付け、ワインレッドの小さな花がついたヒールの靴が歩くたびにちらりと見えて目を引く様子なんて、ワクワクしてしまう。
「兄様、案内の方が先ではないのですか?」
私が言うと、アルフォンスは鼻で笑った。
「私はスケジュールを知ってるんだ、セレスティーヌ。大方、ルイや上司に、”ゆっくり”来いと言われてたろ? でもな、私はルイの稽古を見たいんだよ。先輩方にボロボロにされているところをなぁ・・・!」
「・・・趣味が悪いわ・・・」
ジネットがため息をつき、私の腕を取る。
「大丈夫? セーレ。アル兄様にはついていかないで、私たちはゆっくり行ってもいいのよ」
気遣うようなジネットの言葉に感謝したものの、私はとても興味深かった。
だってルイがボロボロになる、ということは練習着に傷が付いている、すなわち、繕いが必要なのでは? ルイはそれをするのでは? 練習の後、繕うのを見れるかもしれないじゃない?
「いいえ、大丈夫よ、お姉様。それに、いっつも余裕そうなんですもの、余裕のないルイもみてみたいわ。きっとおもしろ・・・いえ、カッコいいのでしょうね」
「・・・セーレったら、・・・意外と・・・」
「ルイは何をしてても大丈夫、そう、かっこいいはず・・・」
私は自分に言い聞かせた。
繕い物をしていても、ドレスを着ていても、女性パートのダンスを踊っても・・・多分・・・化粧しても・・・綺麗だと思う、うん、きっと私はルイにがっかりなんてしない。だって私ががっかりしてしまったら、誰がルイのドレスを作ってあげるの? あ、私は作らないわよ、例えよ、例え。
ジネットがホッとしたように、にっこりと微笑んだ。
「そうよね。そう、そういうつもりじゃなくて、うん、本心なのよ。私、安心したわ。セーレは本当に天使だわ」
「え? 何かあった?」
「ううん。こっちの話。ほら、着いたみたいよ」
ジネットが促した方向を見れば、アルフォンスが大きな扉の前に立ち、案内の騎士が慌てて扉とアルフォンスの間に入っていった。
「さすがにここは!」
「そう?」
アルフォンスは素直に引き下がり、見習い騎士に従った。
見習い騎士は喉を空咳で落ち着かせると、扉を大きくノックをし、叫んだ。
「レイモン・ヴィルドラック近衛騎士団長殿! 見習い騎士のジョージ・ビアンキと申します! お約束のアルフォンス・パストゥール大臣補佐とその従姉妹二名様がご到着です!」
『入れ』
くぐもった声が扉の向こうから聞こえ、内側から扉がゆっくり押された。私はドキドキして目を瞑りたくなるのをこらえてその扉が開くのを待った。ジネットがそっと私の手を握る。
同じく空色の制服の袖口が見え、ギギギ、と開いた先に、目も覚めるような美しいロイヤルブルーがあった。ロイヤルブルーの制服、近衛騎士団長の証。なるほどこれは、・・・感動的だ。
明るいロイヤルブルーに銀モールで飾りが付いたダブルのロングコートは、膝丈の裾ひろがりで上質なベルベットだ。キルトの襟とカフス、肩章には金ボタンが付いていてとても上品で、胸のエンブレムには騎士団の紋章が入っている。膝丈のブリーチズはブルーグレーで、ロングブーツはしっかりと磨き込まれている。見習いの空色のロングコートも素敵だったけれど、さすが、王族のそばに詰める必要がある近衛騎士、本職は随分と華やかで美麗だった。
私たちが息を飲んでいる間に、アルフォンスは颯爽と部屋へ入っていった。私とジネット、そして見習い騎士が慌てて後を追う。アルフォンスは朗らかに、緊張した様子もなく近衛騎士団長に声をかけた。
「ヴィルドラック殿、ご機嫌はいかがですか」
「来たね、生意気文官が。あいつが困っておったぞ。頭もいいのに腕っ節も強いとは、お前さんは本当に嫌味な奴だ。近衛騎士に入らんか? 今ならまだ間に合うぞ」
固い握手をしながら、アルフォンスは肩をすくめた。
「残念ながら、それはできませんよ。私は体が強くないので」
嘘ぉ、という顔をジネットはしていたが、おそらく私もしていたと思う。そんなの聞いたことない。でもまぁ、多少そういう言い訳が必要なのかもしれない。
「そうか、いつか元気になる日がくるとも限らんがな? さて、今日はなんだってきたんだったかな。新しく入った新入りの様子を見たいとのことだったが、・・・トゥールムーシュ子爵令息だったな、面会をしたいのは?」
「はい。トゥールムーシュ子爵令息、ルイ=アントワーヌ=レオン・ウェベール殿で間違いありません」
「それで、会いたいのはこちらのお嬢さん方、というわけですか?」
「はい、そうですね。ヴァレリー公爵令嬢、次女のジネット嬢と、三女のセレスティーヌ嬢でございます」
アルフォンスが私とジネットを紹介した。私たちはすぐに体制を整えて、手早くお辞儀をした。ジネットが先に一歩前に踏み出す。
「お初にお目にかかります、ジネット・トレ=ビュルガーと申します。本日は、ご見学の許可を頂き、ありがとう存じます。楽しんで帰りたいと思っております」
「・・・同じく、セレスティーヌ・トレ=ビュルガーと申します。こちらで働いておりますルイ=アントワーヌ=レオン・ウェベール様と婚約しております」
「私はルイ・ウェベールの上司、騎士団長のレイモン・ヴィルドラック伯です。お噂はかねがね。いや、お二人とも、これは本当にお可愛らしい。そしてセレスティーヌ嬢は可憐な方ですな。ウェベールが何としても手放したくないと思うのは当然に見受けられる」
レイモンの笑顔の中の黄色がかった緑の目は、私を観察し、本当の意味では笑っていなかった。
無骨ではあるが均整のとれた体躯に、明るく華やかな気質。レイモン・ヴィルドラック伯爵は栗色の髪と同じ色の、豊かなヒゲを持つ壮年の騎士だった。 それにこの、鮮やかなロイヤルブルーに負けない存在感。形も素敵だし、フサも勲章もしっかりよく見えて、とても立派だ。
こういうドレスがあったら斬新だろうか・・・ルイが着るならあるいは・・・いやいや。
私は考えが飛びそうになるのを堪えて、現実に戻った。
私が見るに、レイモン・ヴィルドラック伯はルイを気に入っている。だから私のことが気に入らない。ルイは、私がいなければこんなに若くから近衛騎士なんてやらなくてよくて、もっと下積みからの経験を積んで、相応の形で入れるだけの力があるからだ。
でも私が頼んだわけではないし、近衛騎士になって欲しかったわけじゃないし、そもそも私が頼んだところで抜擢なんてできるわけじゃない。私の与り知らないところで勝手にされた政治的配慮への不満を、私にぶつけてもらっても困る。・・・まぁ、そんなことはしないだろうけれど。
「お褒めにあずかり恐縮です、ヴィルドラック様。本日は、ご見学の許可を頂き、ありがとう存じます。実を言いますと、ルイ様の職場を見るのは初めてですの。楽しみにしておりますわ」
私が笑顔で言うと、レイモンは少しだけ意外そうな顔をした。なんでかしら。
「ウェベール殿の今までの職場をご存じない・・・?」
「え? ええ、はい。全く。ルイ様は・・・その、何も教えてくれませんので」
というか、ここ最近は、正式に婚約するまでまともに話したこともほとんどないのだ。騎士学校に入ったばかりの頃は、まだルイは私を可愛がってくれていて、それなりに仲良しだった。だからルイだって手紙をくれたし、私も楽しみにしていた。あの時、いろいろ思い描いていた騎士という仕事を、こうしてみることができるなんて、感激だ。ついでに、ルイに会えた時に、ドレスを褒めてくれたら最高なんだけど。
「そう・・・ですか」
「何かおかしいでしょうか?」
「いいえ。ただ、宰相であるヴァレリー公爵のお嬢様ですから、ウェベールの職場のことを知るなど、簡単なことだと思いましてね」
「・・・? どうやって知ることができるというのです?」
ルイから聞く以外に。私が首を傾げると、レイモンは微かに笑った。
「なるほど。噂とはずいぶん違うようだ」
噂とは?!
私はパッと顔を見上げたが、レイモンはそれを払拭するように大きく頷いた。
「さぁ、こちらへどうぞ、お嬢様方、文官どの。途中までは私が案内をいたしましょう」




