05 ルイの新しい仕事
思いがけない肩書きに、私は思わず声を上げた。
「近衛騎士? ルイが?」
すると、ジネットが、あら、と言った。
「セーレは知らなかったの?」
「ええ、何も・・・」
ジネットが紅茶を所望してようやく、全員ソファに着席していた。そして、温かい紅茶を飲みながら、ジネットが言ったのだった。
『ところで、ルイは、近衛騎士に昇進したのですって?』
私とジネットのやり取りに、ルイは居心地が悪そうに座り直した。ソファがゆるりと動く。ああ、やっぱり大きなソファは好きじゃない。
近衛騎士といえば、男女問わず、憧れの的だ。王族を守る特別な騎士で、頭の良さから機敏さも含め、家柄まで、全て高いものを求められる。子爵令息のルイがなるなんて、相当な出来事だ。
「それじゃ、ルイはこのまま騎士になるの? 家は継がないの? 仕事はどうするの?」
驚きだ。私は子爵夫人ではなく、騎士夫人になるのか。だって、騎士となったら、両立はなかなか難しい。うちのような公爵家なら、人を雇って家業をできるけれど、子爵家などは特に人を雇わないで自分で家業を切り盛りすることが多い。王族の警備につくことが多い都合上、フル兼業は難しい。つまり、家のことは弟に譲るということでは?
「え?」
ルイが驚いて私を見た。
「近衛騎士になりたかったのなら、最初から言ってくれればよかったのに」
正式に婚約したのは、もしかして反対できなくするため?
でも私が話が違うと言って断ることもできるんだから、そこは気にしなくてもいいのかしら。
「いや、将来的になるつもりはないよ。今は騎士団に入っているけど、まだ家を継がなくていいからで、自分のできることの幅を広げたいからだ。うちは父もそうやってきているから」
「えぇ? そんなこと、許されるの?」
「それは確認してある。家の事情で辞めざるをえないなど、よくあることだしな。それに、俺が若いから、こういうことが起きるんだ」
「”こういうこと”って?」
ルイが目を細め、やれやれと肩をすくめた。そして、私の頬に手を伸ばし、頬にかかる髪を、私の耳にかけながら言った。なにそのうっとりする仕草は。
「俺が近衛騎士になったのは、セーレと婚約してるからだよ」
え、なんでしょう、それは?
「私? ・・・どういうこと?」
すると、ルイは膝の上にある私の手を、上からそっと握った。うわ、びっくりした。心臓が飛び跳ねそう。さっきからいちいち、今までやったことのない事をしないでくれないかしら。
「セーレ・・・言えなくてすまなかった。突然だったものだから。まさか、こんな影響があるなんて思っていなくてだな・・・でも考えてみれば、ありそうなことだった。公爵家の娘を妻にするということは、政治的に地位が高まる可能性があるってことだ。特に、ヴァレリー公爵のような伝統も権威もある家ではね」
確かに、私は”使える公爵令嬢”で、一番使い勝手の良い三番目だ。厳しい淑女教育も受けていて、どこへ差し出してもおかしくない。でも、なぜか父は私を”使う”ことをよしとせず、早々に婚約者を決めた。私はそれ以来、数多あるお伺いを断ることができた。そして、私は身分が下ることで、様々な外交手段から外される対象になったはずだ。
「でも、私は子爵夫人になるのでしょ? そうしたら、公爵令嬢も何もないんじゃなくて?」
やっぱりわからない。すると、ルイは頬を赤らめ目を輝かせながら、私の手を握る力を強めた。
「いいや。セーレの母上は元王族として、今でも、社交界でとても尊敬され愛されている。ヴァレリー公爵だって、その恩恵を受けていないわけではないだろう。好むと好まざるとにかかわらず。まぁ、さほど身分としては問題がないからね、誤差の範囲だろうけれど、俺の場合はちょっと違う。俺は身分がかなり違うから。下の方にね」
ルイはここまで言うと、私が話を飲み込んだのを確認して、次を続けた。
「セーレは元公爵令嬢として、社交界でこれまでと同じく扱われるだろうが、俺だって今までと同じ扱いのままになるだろう? 俺は全く気にしないが、時には、俺がそれを気にすると考える人もいるだろうし、俺とセーレを同時に相手にするとき、困る人もいるだろう。そのためには、見かけ上、俺とセーレの扱いが同じくらいになるようにすべきだと、考える人がいらっしゃるんだ。それに、将来、俺が冷遇されたと文句を言って、公爵家の後ろ盾を利用して・・・自分の権利を主張して、政治的混乱を招く危険性がなくはない。それを排除するためには、できるだけ優遇をするってことだ」
言い切ったルイに、ジネットが頷いた。
「そう。今や、有名ですものね。公爵家から絶大な信頼を置かれてセーレと婚約してる、ご立派な子爵嫡男、ルイ=アントワーヌ=レオン・ウェベール様。老若男女から期待されてるわよ。そして、恐れられてる。近衛騎士で一緒に仕事している方々なんて、どういう気持ちでいるんだか」
「俺の機嫌を損ねる、イコール、ヴァレリー公爵の機嫌を損ねるって?」
肯定の笑みを浮かべるジネットに、ルイは肩をすくめた。
「買いかぶりすぎだろう。元々うちは、ヴァレリー公爵の家の後ろ盾があって仕事をしてきたんだぞ。今更どうこうってことでもないだろうに」
「いいえ、違うわ。ビジネスとして後ろ盾になるのと、身内として後ろ盾になるのとでは、意味が全然違うわよ。あのセーレを溺愛してるお父様が、早くから許しているんだもの、ルイだって同じくらい愛されてるってことでしょう? もうすでに家族として愛されてるってことよ。全然違うわ」
「・・・疑わしいな」
「あなたのことライバルと思ってる私が証言してるのに?」
「なんのライバルだよ」
「セーレを巡る・・・」
「君の異常な家族愛と混同しないでくれ」
呆れた声のルイを、私はじっと見つめた。ルイやジネットの説明はもっともだが、そんな事態を引き起こすとはさっぱり思えなかった。
「・・・権利を主張? ・・・そんなことするの?」
想像がつくような、つかないような。
だって、例えばルイが、周囲からブリュノほどの敬意や優遇を得る権利を欲しがる姿が想像つかない。どうにも、社会的地位にそこまで興味があるようには思えない。でも、そういう人はいるだろうことはわかる。だから父は、私たち兄妹のお相手を慎重に選んでいる、はず。
ルイは私の手を両手で包み込むように優しく持って私の目を見た。う。誠実そうな目で見ないでよ。うっかりドレスのことを忘れてしまいそうじゃない。
「するわけないだろう。そのためにセーレと結婚したいわけじゃない」
しかし、ジネットは冷静に言い放った。
「でも他の人はそう見ないわ。わかるでしょ?」
「わかっているさ。それでも婚約を取りやめるつもりはないし、文句を言わせないためにここまでやってきたんだ。この先だって変わらずやってくだけだ」
ルイが淡々と続けた。
「別に欲しいわけではないけれど、お偉方が俺の地位的評価を上げて肩書きをつけたいというのだから、そういう必要があるのだろう。それならそれで、俺も腹をくくるまでだよ」
アルフォンスがふむ、と唸った。
「なるほど? 気概はあるね。つまり、ルイは家業をまだ手伝う必要がない。セレスティーヌと婚約をした。お偉方はルイの地位的評価を少しでも上げておきたい。なら、今のうちに近衛騎士に入れてしまうのが得策だな。いずれ、近衛騎士をやめることになっても、肩書きは残る。”王族、王宮を守る仕事をしてきたトゥールムーシュ子爵令息”の出来上がりだ。それだけで立派に敬うに値する。国王陛下や王太子殿下とも会う機会が増えるだろうからな。セレスティーヌほどじゃないとしても」
私は少し無理に笑顔を作り、ルイに向き直った。
「ともかく、それなら、安心したわ。子爵家を継がないとか、家業を廃業するとか、そういうわけじゃないのよね? その時は教えてね。心構えが狂っちゃうから」
「心構え」
「ええ、お母様から教えていただいたの。結婚するからには、嫁ぎ先のことを知っておいて、それに見合うように心構えをしておきなさいって。だから勉強したり習ったりしてるんだもの、ルイの仕事や爵位が変わってしまったら、やり直しをしないとならないでしょう?」
ルイは目を丸くして私を見た。
「・・・そうなのか?」
「そうよ。私だって、暇つぶしにドレスを作ったり、お茶会に行ったりしてるわけじゃないのよ」
ドレスは戦い、お茶会は試験勉強だ。とはいえ、本格的に意識して勉強を始めたのは正式に婚約してからだけど、三年くらい前から、母には言われてきた。
・・・何で? 私、断られると思ってたのに、矛盾ありすぎない? でもあの時は、断られるその日まではそれらしく、と真面目に考えていたのだ。
「で、でも、お茶会はいつも俺と一緒じゃないか。勉強になるのか?」
「ええ、ルイが誰と何をしてるのか、ちゃんと見てるわよ。ずっと一緒なわけじゃないでしょう? むしろバラバラだったし。だから、ちゃんと勉強になってるわ」
「そう・・・そう、だな・・・?」
ルイは不思議そうに私を見た。
「どのくらい?」
「なにが?」
「どのくらい、勉強を?」
「さぁ? 三年くらいかしら。ルイの家は骨董を扱ってるでしょう? だから、そういうものをよく見るようにしてきたわ」
私の言葉に、ルイはぽかんとした。
「俺は飛んだ間抜けだな・・・」
そして、力が抜けたように、ルイはくたりとした。
主にルイのお仕事の話。




