01 愛するチョコレート
居間のドアの前で少しだけ立ち止まり、息を整えて侍女のアガットを見る。
”大丈夫かしら?”
”大丈夫ですとも”
視線で会話をし、決心してドアをノックした。でも誰がいるかはわかっている。執事のシドニーがドアを開けてくれる前に、自分でドアを開けて満面の笑みを浮かべた。
いざ、勝負!
「ルイ、御機嫌よう」
ソファでくつろいでいたルイが顔を上げた。相変わらずの美青年っぷり。さらりと揺れた金髪の間から覗く紺碧の瞳が私を認め、輝いた・・・多分。口角が少し上がり、手に持っていたティーカップをテーブルに置いた。息が止まりそうに胸が高鳴った。相変わらず絵になる姿だ。
「・・・やぁ、セーレ」
でも、言ったのはそれだけ。
私は小さく頬を膨らませた。するとルイは呆れたように笑った。
彼はトゥールムーシュ子爵家のルイ=アントワーヌ=レオン・ウェベールといって、私の婚約者だ。先日まで親の口約束だったものが、正式な婚約となったばかり。それなのに、相変わらず一度も私を褒めることのないルイに、ドレスが似合うと言わせるために、私は日夜頑張っている。
「諦めないんだな」
「当たり前よ」
頬を膨らませ、ルイの向かいのソファに座ると、シドニーがお茶を持ってきた。
褒めるじゃない? 普通、相手のいいところを見つけてなんだかんだ褒めるじゃない? ルイはなんでもできるけど、やっぱり社交も上手くて、どんな相手でも褒めることができる。なのに私のことは物心ついてから褒めてくれたことがない。きっと意地を張ってるんだと思う。そう思いたい。
「本日は、ルイ様からお土産にいただきました、チョコレート菓子をお茶請けにしております。それにあわせまして、味のしっかりした紅茶を選ばせていただきました」
シドニーの言葉の示すままに、私は目を滑らせた。
「そう。ありがとう・・・まぁ、ショコラティエ・アコントゥのチョコレート!」
ショコラティエ・アコントゥは最近できたばかりのお店で、今、とても流行っているチョコレートショップだ。ケーキや焼き菓子も売っており、味は言わずもがな、人気がありすぎて毎日売り切れてしまうのだ。私も数回しかお茶会で出会ったことはないけれど、お茶会に合わせて買うのも難しい、本当に珍しいお菓子だ。それが私の目の前にある。・・・山盛りに。
「お気に召しましたか? セーレ姫」
おや、珍しい。私が目を輝かしているのに満足したのか、ルイが軽口を叩いた。私のご機嫌をとるようなお世辞を言う人じゃないんだけど。私は顔をツンと逸らした。
「そんな風にご機嫌を取らなくても、チョコレートを突っ返したりしないわよ」
「セーレがそんなことするなんて思ってないよ」
ニコニコ。よし、話題を変えよう。
「買うの、大変だったでしょう?」
「こうして訪ねて来られるのだから、手を尽くすのは当然だ、婚約者殿」
ニコニコニコニコ。ルイの笑顔はより輝いている。
・・・怪しい。
私は訝しく思いながらルイを見た。ちょっとむくれたままの私を、なにやら私の知らない表情で見ていた。なんて表現すればいいのだろう? 恍惚? 夢心地? 陶然?
「ちょっとは喜んでくれたなら、本望だ」
「私がここのチョコレートを好きでたくさん食べたかったって、知っていたの?」
「もともとチョコレートは好きだろう? 浴びるほど食べたいだなんて、知らなかったけど」
「そんなこと言ってない! ただ、えーっと、・・・おなかいっぱい食べたいとは・・・思ったことがあるわ」
ムキになって言い返した私に、ルイはうっとりと笑った。
ええ・・・一体どうしたのかしら・・・
「ならよかった。浴びるほどはないけど、おなかいっぱいになるくらいはあるんじゃないか?」
「そうねぇ・・・」
長い方の直径が三十センチくらいあるオーバルプレートに、数えきらないくらいのチョコレート・ボンボンが乗っている。お店の全てのチョコを買い占めたんじゃないかしら。小さい中にも様々な大きさに趣向を凝らした形、見ているだけでうっとりしてくる。ずっと見ていたい。香りを嗅いでいたい。むしろ囲まれたい。この中で眠れたらいいのに。
「・・・これに埋もれて眠れたらいいのに」
「は?」
「ボンボンを敷き詰めたベッドで眠れたら幸せだなぁって」
私がうっとりと言うと、ルイは呆れたように私を見た。
「さすがに溶けてベタベタになるぞ」
「いいわよ、全部食べるもん」
「全部って、溶けた分はどうするんだ」
「舐める!」
私が拳をあげると、ルイは目を見張り、それからカーッと耳まで一気に赤くなった。そして顔を覆うと、そのままうつむいてしまった。
「え、ど・・・どうしたの・・・」
私は驚いて様子を伺ったけれど、ルイはそのまま動かない。
「・・・ルイ?」
「いや」
「何?」
「いやいやいやいや」
「何よ」
「なんだこれ」
「何って」
「身がもたない」
「意味がわからないわ」
「わからなくて結構!」
「またそんなこと」
「いや、よそう」
そう言って、黙ってしばらく顔を下げていたかと思うと急に顔を上げた。そして深く息をついた後、私を見たルイは、ニヤリと笑った。もう、いつもの調子を取り戻してる。
そして、言ったのだった。
「・・・さぁ、今日はドレスの解説はないのか?」




