婚約の日 1 衝撃の日
「・・・え?」
うそ。
私は驚いて言葉を失ってしまった。
「そ・・・それは本当ですの?」
「ああ、そうだよ。なんでそんなに驚いている?」
父が不思議そうに私を見た。
私はこの王国の公爵令嬢、セレスティーヌ・トレ=ビュルガー。ヴァレリー公爵トレ=ビュルガー家の五人兄妹の四番目で、娘としては最後の三番目として大切にされてきた。正式な社交界デビューを来年に控え、お茶会も音楽会も顔を出す機会が増えてきたところで、忙しい。今日もまた、そのためのドレス選びをしていた。集中していたのに、急にそんな話、気が散って仕方ないじゃないの。
「でも・・・、私、」
嫌われているとばかり。言いかけてハッとした。向こうに、何か続けたい理由があるのかしら。ここは私が知恵を働かすところだ。相変わらず、意味のわからない人だ。
「お前はどうだい? このまま、正式に婚約でいいのかね?」
「え・・・ええ、・・・構いませんわ」
私は首を傾げ、考えながら頷いた。
特に問題はない。物心つく前から婚約者だと言われてきたのだ。向こうから破棄されることがなければ、そのつもりで心構えはできている。別に嫌いではないから、このまま結婚しても問題はないと思う。まぁ、ただ、ちょっとびっくりした。
私と相手には私の方が上、と言う身分の差があるけれど、仲の良い親同士の軽い話から成った仮婚約だったから、お互いに、身分関係なく嫌なら正式に婚約する前に破棄して良いと言われているし、相手はそのつもりでいると思ったからだ。
だって、ちっとも私を好きとは思えないけれど? むしろ嫌いなんだと思っていた。なので、どうせ仮婚約のままで終わるんだろうなと漠然と思っていた。
だからと言って、どうということもない。私は王家に所縁のある公爵令嬢で、悪い素材ではないから、引く手数多なのだ。これが無くなれば、すぐに次の縁談が見つかるだろう。
相手が生理的に受け付けないというのでなければ、どんな縁談だって同じだから、私は多分、すぐに承諾することになるだろう・・・それを知っている父も鷹揚だった。むしろ逆に、私の性格を知っているから心配しているくらいだ。好みの相手くらい言いなさい、と。用意してあげるからと。
「本当に? ルイで大丈夫かね?」
「お父様こそ、大丈夫ですの? うちは公爵家ですが、ルイは子爵家です。娘を随分と格下に輿入れさせたとなれば、何か言われるんじゃありません?」
私が言うと、父は快活に笑った。
「まさか。大丈夫だよ。息子が二人、娘が三人いるんだ。相手を探してその縁談をまとめるだけでも大変なんだ。先々にいき遅れにならないなら何か言われる方がマシだね。それに、ウェベール子爵とは懇意にしてるし、ルイもいい子だし、親族関係も良好だ。資産も仕事もきっちり管理されて、主従関係も問題ない。そんな家に娘が嫁いで幸せにならないわけがないだろう?」
「まぁ・・・」
ルイがいい子だって?
私は疑問に思ったが、それは口にしなかった。せっかくいい子だと思っているんだから、壊さないでいてあげよう。私には意地悪か無関心か慇懃無礼か、それしかなかったけれど、もっと小さい頃は、確かに優しくていい子だったのだ。
「でも、まだ早いんじゃありませんか?」
「そうでもないよ。社交界へは来年デビューだから、今発表してしまえば、悪い虫もつかないってもんだ」
言いながら、父は微かに笑った。
「そう、そういうことだ。お前、随分と大事にされてるね」
「はぁ・・・」
それでもまだ状況がつかめていない私に、父が優しく声をかけてくれた。
「今日はおめかししているね。ルイが来るからかい?」
「え? ・・・えーっと、・・・うーん、そういうことにしておいてくださって構いませんわ」
「随分と遠まわしだね? さては照れているんだな?」
からかう口調で言う父に、私は困惑して眉を下げた。
「そういうわけでは」
確かに私はルイのためにおめかしをしている。でもそれは、父が言うような意味合いではない。これは戦いなのだ。静かなるお互いの。
「・・・お父様。それで、お話はそれだけですか?」
「ああ。それだけだ。では行っておいで」
言うと、父は席を立った。私も席を立ち、一礼して父の書斎を出る。
ルイ=アントワーヌ=レオン・ウェベール。トゥールムーシュ子爵ウェベール家の長男で、私の幼馴染。眉目秀麗、品行方正、智勇兼備と言われ、子爵家出身ながら誰もがその実力を認め手放しで褒めるお行儀の良い完璧な好青年。呆れて目が回る。それまで、親同士の口約束の、かりそめの婚約者だった彼は、本日、正式に私の婚約者になった。
☆
父の書斎を出ると、待機していた侍女のアガットが駆け寄ってきた。
「お疲れ様でございました」
何も言わないが、顔が期待で輝いている。父が私を書斎に呼ぶなんて、滅多なことではないのだ。そしてお叱りではないことを考えると、アガットの思う通り、ルイのことだったわけだ。
「・・・この後ルイと会うのに、なんで今言ったのかしら?」
「それは、お嬢様がお断りにならないとわかっていたからですわ」
目をキラキラさせながらアガットは言う。最近、その手のロマンス小説を読みすぎて、ちょっと思考がアレになっている気がする。
「それより、ルイよね・・・」
このタイミングとなれば、もしかしたら、ルイがそうするように頼んだのかもしれない。もともと父とは仲が良かったし、その手のお願いもできなくはない間柄だ。
「なんで今なのかしら?」
「それはもちろん、デビュー前にがっちり離さないでおきたかったのですわ」
「でも自分はさっさとデビューしたじゃない?」
すると、アガットはしたり顔で指を振った。
「殿方とは事情が違いますよ。それに、なんと言いましても、お嬢様はお綺麗ですもの。社交界に出たらそはもう引く手数多です。ルイ様は自分の身分の違いから、かりそめでは繋ぎとめられないと思ったのですわ。だからきっと、ルイ様のお父上に頼んで、うちの旦那様にお願いして、ああー、ロマンですわぁ」
「でもルイは、私を綺麗だなんて一言も言ったことないわよ?」
そう。それが私とルイの戦いである。
昔は可愛かった。ことあるごとにニコニコと微笑み、かわいいかわいいと言ってくれたし、私も嬉しくておめかしした。それがある時からさっぱり言わなくなった。そればかりか、私に言ってくれたのだ。
『お前に似合うドレスなんてない』
と。
誤字報告ありがとうございます。