第一話 陸橋 歩 内定もらっちゃいました
「さて、波乱が波乱を呼び、勝負の行方は分からなくなってきました。現在トップは紅の常勝戦姫プロミネンスブラッド。その後ろをピッタリマークしているのは誰も予想だにしていなかったダークホース。シャドウチェイサー。一機分空けてその背を追うのは新機種のサイバー攻撃を得意とするティアドロップ。残り一周どの機体が一位になるのかまだまだ予想がつきませーん。トップ集団以外に走っているのは残り1機。周回遅れのレース初登場の新規機体、ランドウィッシュ。追いつくことは不可能と考えたかゴールラインから動かない。ここでトップ集団が最後の直線へと入ったー。各機体最後に温存している武器はあるのか?最後の駆け引きが始まるー。」
私は静かに銃を構える。向かってくる3機の機体に向けて標準を合わせる。重くて使い物にならない、この絶望的な状態になった原因となった武器を持って目の前を見据える。チャンスは一瞬、最後の駆け引きで動いた瞬間を狙う。引き金にかけた指が震える。負けられない。ここで負けるわけにはいかない。ゴールラインまであと300メートル。もつれあう3機が射程距離の中へ入る。引き金を引くと共に轟音だけが辺りを支配する。そして耳鳴りが終わって聞こえたのは観客の歓声と実況者の興奮した声だけだった。
『ジリリリリリッ!』
けたたましい音をあげて、私は眠りから覚める。
「う、うう~ん。」
私は机に突っ伏した状態から体を起こす。目の前のモニタには勝利をでかでかと表わすリザルト画面表示されたままのゲーム画面が写っている。それを見て私は何をしていたのかを思い出す。
「あっちゃー。またやっちゃった。またギロロンさんに怒られちゃうな。個人チャットで謝っとこうかな。いや、どうせ今日も一緒にこのゲームやるだろうし、そのときでいいかな。一応勝ってるんだし…。」
対戦成績やログインの有無を確認する。自分以外だれもやっていない。
ゲーム内のチームメンバーと一緒に試合をやっているのに寝落ちする。私にはよくあることだ。その時のプレイ内容を全く覚えていないのが私の特徴でもある。私は試合途中で寝たのか、終わってから寝たのか全く定かではない。
椅子から座っていた椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。いつもなら昼まで寝ているのだが今日は大学へ行かねばならない。今日は大学の講義はないけど大学主催の企業説明会が開催される。喋り下手な私はどの会社を受けても1次面接でお祈りを捧げられ、20も用意した手持ちのコマを全て使い切ってしまっていた。これでは去年の二の舞だ。今年こそは内定をもらうのだ。もらってこのアウェイとなってしまったこの我が家を再びホームグラウンドへ戻さなくてはならない。
階段を降りて1階のリビングへ入る。そこにはトーストを食べながらテレビを見るお父さんと洗い物をしているお母さんがいた。
「あゆみ。おはよう。なんだか久々に顔を見た気がするな。今日は大学か?」
リビングに入った私に気が付いてお父さんが声をかける。
「うん。企業説明会。いいところあるといいんだけど。」
「お父さんはあゆみがどんな所でもどんな職業で働くことになってもなにも言わない。自分が思うがままの道へ進んでくれればいいと思っている。だから取り合えず卒業はしてくれ。」
「もうその話はいいよ。聞き飽きた。お母さん。食パンはどこ?」
「電子レンジの上のカゴの中。」
「ありがと。」
私は、背伸びをしてカゴをレンジの上から降ろして、トースターに食パンを突っ込む。
リビングには朝のニュースを伝えるテレビの音だけが流れる。
私は牛乳をコップに注ぎ、パンの焼きあがりをトースターの前で待つ。
ニュースが終わり、一旦コマーシャルが流れ始めたとき、お父さんは口を開ける。
「あゆみ。去年言ったことは覚えているな。去年お前が卒論発表を逃げ出したとき、約束したよな。今年までに就職しなかったらお父さんはお前を…」
「わかってるっていってるでしょ。会うたび会うたびその話ばかり。どんな道でもいいっていうならほっておいてよ!。」
私は大きな声で言葉を制する。
「ちょっと、あゆみ…。」
お母さんの言葉はそれ以上入ってこなかった。
私はまだ焼けていない食パンを皿に取り出し、コップを持って足早にリビングから立ち去る。
こんなところで食事なんて息が詰まる。
お父さんは本当に朝から不愉快な気持ちにさせてくれる。
2年前はこんなんじゃなかったのに。
階段をワザと力いっぱい踏みしめて、怒りの大きさを音で表現しながら登る。
牛乳を持つ手右手のひとさし指を上手く使い自分の部屋のドアを開ける。
ここは誰にも干渉させられない安全地帯。
口にした食パンは水分が飛びきらず、しんなりしてボソボソする。
「ジャムくらい塗ればよかった。」
そう悔やみながらも私は牛乳で食パンを流し込み。
大学へ向かうために服を着替える。
しばらく用意を済ませていると玄関のドアが開く音が聞こえる。
お父さんが出勤で出て行ったと確信して一階の洗面所へ向かい身支度を済ませる。
「行ってきます。」
鞄を持って玄関で呟くような声で言う。
お母さんはきっとドアを開ける音で私が家を出たと分かるだろう。
風が冷たく刺さるように痛い2月の空。
きっとこれが最後の企業説明会になるだろう。
駅まで徒歩で5分。いくつか電車を乗り継いで大学へ向かう。
駅は通勤会社員と学生でごった返している。
その中をかき分け目的の電車に乗り込む。
電車に吊られた目の前にあった広告には走行戦姫が戦う写真が掲載されていた。
「勝ち残るのは力か知力か速さか。」
私は広告を見てボソッと呟いた。
走行戦姫。
人型機械に乗った女性が自分の何倍もの大きさの機械を操縦し、レースで早さを競う競技。
生物に対しての遺伝子改良が進みすぎて、馬同士が走り合う競馬と呼ばれたスポーツは下火となり、この走行戦姫が注目を浴びるようになった。
ひとえに速さだけを追求される馬たちはもはや怪物になり果て、そこには美しさも技術といったものが介在しなくなっていた。
競馬と入れ替わり話題となった走行戦姫は武器の使用、衝突、妨害なんでもありのロボットレース。
様々な見た目と戦いの派手さ、パイロットのアイドル性。見るものを興奮の渦に巻き込み、遂には専用のレース場が作られるほどまでになった。
昔は砂漠の一画で実際に本物の弾と爆薬を使って行われていたが、今では命の危険がないように全て機械プログラムでの仮想シミュレーションによって行われている。
武器による爆発や衝撃は機械側で計算されたものが伝わるようになっている。
使用武器による弾丸や爆発などの映像も瞬時に投影され、実際に機械が放ったようにみせるようになっている。
各機の耐久値や走行速度もデータ化されており、衝突や妨害による加減速、故障や破壊まで再現され、それすらも観客に可視化データとして提供されている。
今では世界各国を回りツアーを行っているらしい。
大学でロボット工学を専攻している私は割とこのスポーツについて情報を集めている。
なぜなら私が考える中でもっとも最先端の技術が使われていると思うからだ。
「これが一般家庭で体験できたら楽しいだろうな。」
技術というのは生み出されてから形になるまで時間が掛かる。
きっと私が生きている時代には家庭用ゲームこの技術が普及することはない。
スタジアムくらいの大きさでようやく再現できる技術。
規模が小さくなったとしても、そんなゲームをやろうと思えばゲーム機械は家のような大きさになるかもしれない。
もしそんなものがあればそこから一歩も外に出られなくなりそうだ。
格ゲーにレースゲー、乙女ゲーに戦争ゲー妄想に夢が膨らんで止まらない。
「トキワダイ工業大学前。トキワダイ工業大学前。お出口は左側です。」
広告からふと窓の景色を見ると、そこは見慣れた大学のキャンパス。
いつの間にか目的の駅についていた。
「ちょっと、すいません。降ります。降ります。通してください。」
焦りから思ったより大きな声が出たことに自分でも驚きつつも満員の人をかき分けて出口へ向かう。
しかし、その扉にたどり着いたときには、扉は固く閉ざされていた。
自分の周りから感じる可哀想な人を見る目。
降りると高々に断って出ようとしたのに降りられなかった恥ずかしさから自分が本当に嫌になる。
私はいつもそうだ。他の人が楽々と出来てしまうことばかり躓いてしまう。
恥ずかしくて死にそうな気持ちを抱えながら次の停車駅を待つ。
その3分間は今まで味わったどの3分間よりも長く感じた。
大学の企業説明会の会場は割と立派な棟を丸々使ったしっかりとしたものだった。
机や椅子を始め、ホワイトボードにプロジェクターなどの備品の貸し出しもしっかり行われていて心配していた会場設営は自分の想像以上のものが出来上がっていた。
さすが名門機械専門大学校と言われるトキワダイ工業大学だ。
うちの備品よりもひとまわりもふたまわりもお高い機械を無料で貸し出してくれる懐の深さ。
準備は整った。
開催時刻まで残り10分。
プレゼンテーション用の資料を再度見返し最終確認を行う。
後はいつものプレゼンを発表するだけ。
何百回も練習に練習を重ねたプレゼンの内容は一言一句、順番通りに思い出せる。
緊張しやすい性格だが、お経のように諳んじられるまで読み込み覚えたならばきっと大丈夫。
怖いのはプレゼン終わりの質問だけ。そこだけがアドリブになってしまう。
でもきっと頭のいい人が通う大学だし、質問なんてしなくてもきちんと理解してくれるだろうに違いない。
そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
「ううん、私はやればできる。きっとできる。これまでもなんとかなってきた。大丈夫。」
暗示のように私は呟いて開場の時を待つ。
そして開場から2時間。
期待を粉々にする現実が現在進行形で私に襲いかかっていた。
そう、現実は人の思うよりも残酷なものなのだ。
「ちーちゃん。今お昼の時間帯だし、いい加減諦めて昼ごはん食べようよ。さすがにお昼時に来る人はいないって。」
「でも、万が一でも来てしまったらなんとお詫びを申し上げればいいか…。自分のお昼の時間を削ってまで来てくださった方に失礼なことはできません。」
「それくらい興味あるやつだったら一回くらい追い返してもまた後で見に来てくれるって。ちょっとは気を抜きなよ。午後から持たないよ。」
「副社長は気楽すぎなんですよ。折角オーナーがどうにか頼み込んでこの企業説明会の参加できるよう手配してくださったのですよ。これが最後のチャンスに近いことは副社長もよく分かっているでしょう。まあ副社長はここじゃなくてもやっていけるから困らないかもしれませんが、私は違います。採用経験0人の人事なんて潰しも何もききませんよー」
「全く、ちーちゃんは真面目だなぁ。そこがいいところなんだけどね。よしよし。」
「副社長!どこ撫でているんですか!」
「だって私小さいからちーちゃんの頭撫でるの大変なんだもん。その点お尻は撫でやすい。理に適っているでしょ?」
「もう…。ふざけないでくださいよ。」
私は魔の手から逃げるため、ドア前に置かれた机に並べられたプレゼン資料をもう一度綺麗にそろえ直しに向かう。
配布用の資料はしっかり綺麗に盛られているがもう一度初めから揃え直し始める。
直しているとその背から少し退屈そうな声でセクハラ魔人が語りかける。
「でもね。ちーちゃん。オーナーがねじ込んでくれたこの企業説明会だけどね。当然ながら配られたパンフレットには載ってないし、このブースに入るまでにでかでかと書かれた女子限定の文字。来るわけないよ。この大学の男女比率150対1だよ?正直直接電話でアタックした方が早いよ。絶対。ていうか私ならそうしてる。面倒だからしないけど。」
私はその言葉を聞いて固まった。
ここの在学生は各部門合わせておよそ500人。
つまりこの大学に通っている女子は3人か4人しかいないのだ。
「なんでそんな重大な情報教えてくれなかったのですか!私はそんなの知りませんでしたよ!30部も資料刷っちゃいましたよ。じゃあ、この15人もかけられるように配置した椅子は一列も埋まらないじゃないですか。なんで朝に用意していた時に言わないんですか!」
「だって、ちーちゃんがすっごい一生懸命にセットしてたから…。」
「なんでそんなことばっかりに気を使うんですか、もう…。通りで誰も来ないわけですよ…。副社長!知っていたのなら、なんでこの話が出た時にその場でオーナーに言わなかったんですか!」
「だって、私一度ここに来てみたかったんだもん。受からなかったし。」
「なんですかその理由…。はぁ。分かりました。お昼にしましょう。お昼食べ終わったらちょっとここの番をお願いします。オーナーに現状の報告と学校にここの女生徒の情報を貰えるかどうか相談してみます。勝手にどっかに行っちゃ駄目ですよ。」
「はいはい。任されました。いいよ。暇つぶし用にゲーム持ってきたからそれやっとくよ。」
「ちゃんと見られても恥ずかしくないようにして下さい。」
「はいはい。分かりましたよー。」
「心配だなぁ。」
私はここへ来る前に買っておいたおにぎりを2つをさっさと平らげ、喉をお茶で潤す。
いっぱい喋ると思って買ってきたお茶はどうやら余りそうだ。
「それじゃあ、留守番頼みましたよ。」
「行ってらっしゃい。ちーちゃんはデザート買わなかったの?私は巨大なプリン買ったから分けてあげようか?」
「私はデザートにかまけていられません。早いところ人材を確保しないと手遅れになっちゃいます。」
私はブースを離れ、大学の総務の方へ交渉に行くため棟を出る。
建屋と建屋の隙間から強い風が吹く。
「うう、寒いなあ。ちょっと遠回りになるけれどぎりぎりまで建屋内を通っていきましょう。」
凍えるような寒さに負けた私はもと来た道を引き返し、回り道を行く。
そのころデザートの巨大プリンを食べ終わり満足感に浸っていた梓は重要なことを思い出した。
「あっ。ちーちゃん方向音痴だった!まあいっか、面倒だし。」
大学に着いて何とか目を付けていた企業のプレゼンテーションを第二陣に参加することが出来た。
今はお昼で学食のきつねうどんを食べて一呼吸ついた。
お昼の時間はそろそろ終わりだ。
午前中の企業説明会を振り返ると今回の企業説明会に参加しているのはほとんど大学3回生ばかりだった。当然だ。
普通は秋ごろに決まっているのだから。
この企業説明会は来年卒業する3年生に向けてのものだ。
普通の大学だったなら顔を覚えているとは思わないが、ここの大学は女子が少ない。
現にさっきのプレゼンテーションでも3年生からもプレゼンターからも視線を感じた。
こんなに目立っていてはさすがにお祈りをもらった企業ブースへは近づけない。
大体こういうところに来る人はその企業の人事部の人で大体が担当する学校を決めているものだ。
間違いなく面接で話した人がいる。
人の目を考えて、マークしていた企業の中でいくつかをさらに人が少なそうで近くに受けたことある企業のブースがないところをピックアップして回ることにする。
食堂を出て中央の池の縁に作られた歩道を歩き、企業説明会が行われている棟へ戻ろうとしていたとき、大きな声が聞こえる。
「お姉ちゃん!」
見知らぬ中高生の少女が横から私の腰を抱きかかえるようにしがみ付いた。
彼女が走ってきた方を見ると大学内を巡回する警備員さんが立っていた。
何やら警備員さんはニッコリと笑顔を浮かべて会釈をしてその場を後にする。
私は意味が分からなかった。
あまりに突然すぎて反応ができなかった。
「あっ…。」
立ち去っていく警備員さんに向かって声をかけようとしたが、私はあの男の警備員さんに声をかける勇気がでなかった。
私は諦めて私はしがみ付く女の子を引き剥がそうとするがすごい力で全く動かない。
「待って。私はあなたのお姉ちゃんじゃない。人違いなの。」
私がそう言うと、彼女は抱えていた腕を解いた。
彼女は私の予想に反して落ち込むこともなく、泣きもせずに元気そうに笑みを浮かべている。
「じゃあ、お姉さんだね!」
「う、うん。そうだね。それでどうしたの?」
「お姉さんはここ学生さんだよね?」
「うん。そうだけど…。」
「ちょっと一緒に来て欲しいところがあるの。いいかな?」
「待って、今から私は企業説明会に行かなきゃならないの。ごめんなさい。あなたのお姉さん探しには付き合えないの。」
「じゃあ、そこに行くまで一緒にいていい?ここ大人の男の人ばかりで怖いんだ。」
「うーん。それならいいけど。ほんのちょっとで着いちゃうし、そこに着いたら、総務の場所教えてあげるね。そこで放送をかけたらあなたの探しているお姉ちゃんが見つかるかも。」
「ありがとう。お姉さん。」
私は十代の少女と共に企業説明会が開催される棟へ歩く。
「あなたはどうしてはぐれたの?名前は?」
私はいつの間にか片手をしっかり握って離さない何やらとても上機嫌な少女に尋ねる。
「私、梓っていうの。お姉さんに待っててって言われたんだけどね。いつまでたっても全然帰ってこないの。私、ちゃんと待ってたんだよ?けど待ってたらさっきの警備員さんに見つかって一緒に探すことになったんだ。けど私、男の人苦手で…その時お姉さんを見つけたから一芝居うったの。驚かせてごめんなさい。」
少女は握った手は離さないまま礼をする。
「うんうん。分かるよ。私も人と話すこと得意じゃないから。私の場合はそれもあるし、話せることがないから。好きなのはゲームだけど、そんなこと面接じゃ言えないし、でも他に話せることってもう全て履歴書に書いてあるじゃない?」
「お姉さんゲームするの?何のゲーム?」
「ジャンル問わずやってるよ。最近力を入れてるのは銃撃戦のゲームかな。昨日もやってたよ。」
「へー。上手なの?」
「そうだなぁ。そこそこ強いと思うよ。」
「そういえば、あの棟がお姉さんの向かう棟だったよね。あそこで同じようなゲームみたいな体験できるところあったよ。その的を狙う系のやつ。女の子限定で。お姉さん挑戦してみてよ。私も探しているお姉さんもダメダメだったんだ。」
「そんなブースあったかな?」
「そういえばパンフレットには載ってなかったよ。えっとね。地図でいうとここら辺だったよ。私の敵討ちも兼ねて絶対挑戦してね。」
「うん。わかった。時間があったら見に行くね。」
「絶対だよ。約束だからね。じゃあ、ここでお別れ。」
彼女は繋いでいた手を離した。目的地である企業説明会の棟へ着いたからだ。
「そのパンフレットだと総務ってそこのアーチを渡った向こうの棟みたいだね。お姉さん付き合ってくれてありがとう。またねー」
彼女は元気に手を振って緩やかなスロープの橋を渡っていく。
私はその手を小さく振り返して午後の部のプレゼンテーションに参加するため棟に入る。
あの子と話して少しだけ気持ちが楽になった気がした。
これで午後の企業説明会も頑張れそうだ。
目当ての企業説明会は聞き終わった。
正直興味を持てないところもあるが、背に腹を変えられない。
まだ採用期間中であるところに履歴書を送る所から始めようそう思った矢先こんな声が聞こえてきた。
「今季はもうどこも募集終了したばかりなのに挙って他の企業のみなさんもいっぱい参加していましたね。」
「あたりまえだろ。ここは優秀な人材が多いからな。時期なんて関係なくアピール出来るときにアピールしとかなきゃよそに盗られてしまうからな。少しでも学生たちの記憶に残ればそれでいい。そういうのが会社選びのときに有利に働くからな。だから今回は効果音とかの音量の調整をワザと大きくしてこっちのミスのように見せかけてビックリもさせた。プレゼンのいい悪いで学生たちは企業の良し悪しを判断しない。もっと根幹の企業基盤を見てくるからな。今回俺たちが伝えに来たことは会社の良いところじゃない。こんな会社があるということを第一に伝えに来たんだ。」
「さすが部長。見ている所が違いますね。これは他の所では考えつかないことですよ。いよ、策士部長。」
私は戦慄した。
確かに時期的に今期卒業生対象ではないことは知っていた。
しかし私はどこかでまだ希望をもっていたのだ。
しかしその淡い希望はひょんな一言で脆くも崩れ去った。
「どこも募集終了…。」
私は放心状態になりながらもお祈りを貰ったブースの前を通らないように遠回りをして棟を出る。
そう今日来た意味は、さっきまで受けていた企業説明は何も意味がない。
後に繋がらないことだったのだ。
私は家から叩き出されて、お父さんの約束通り、お母さんの親戚の旅館で働かされることになるのだ。
コミュ障を直す修行とはいえ、こんなコミュ障な私がそんな仕事ができるわけがない。
いきなり接客の最上位に位置する旅館だなんて荷が重すぎる。
刺身にたんぽぽを乗せるお仕事くらい閉鎖的なところを希望したい。
午後一番やる気は一気にどん底まで突き落とされた。
家に帰りたくない。
私は現実から逃れるために朦朧と歩きだす。
そうだ、さっきの子が言っていたゲーム体験とやらはまだ、やっているのだろうか。
周りのブースはもう片付け始めている。
貼り付けた資料やパソコンをしまい、机を一か所に集めていたりしていて忙しない。
私はとぼとぼと教えてくれた場所へ向かう。
でかでかと女性限定と書かれたアーチをくぐるとそこには他のブース変わらない説明会用のステージが設営されていた。
しかし、そこには説明してくれる人もいなければ片付けている人もいない。
ちょうど人がいないときに来てしまったようだ。
「そうだよね、そりゃあどこも指定された時間に出られるようにスケジュール組んでいるわけだし。体験は終わっているにきまっているよね。はぁ、今日は漫喫にでも泊まろうかなぁ。」
もう呟いて後ろを振り向いたとき、私の目の前にあの時の少女が立っていた。
「お姉さん、良かった。来てくれたんだね。もしかしたら来てくれないかと思って心配したよ。」
「あなた、どうしてここに…。お姉さんには会えたの?」
「私の事はいいからさ、ゲーム挑戦してくれるんだよね。さぁ、ゲーム体験所はこっちだよ。」
「わ、わかったから引っ張らないで…」
目の前の少女はさっきと全然違う。
明るい感じだったけどここまで大人しそうだったのにいまではなぜかグイグイ迫ってくる。
「教授。連れてきたー。」
「教授!」
そう言われてそちらを見てみるとツナギに作業服の男性が一人黙々と機械をセッティングしていた。
「教授っていってもこの大学の教授じゃないよ。ただのあだ名だから。役職的には社長だよ。」
「えぇー。しゃ、社長!」
さっきよりパワーアップしているじゃない…。
もう何が何だか意味が分からない。社長が機械のセッティングをやっていたり、すごいフレンドリーに大人の男性と喋っているちょっと前にあった女の子とは別人のような女の子。
状況が全くつかめない。
なんだろう私。
ショックで思考回路までおかしくなっちゃったじゃないだろうか。
「あ、そうだ。これ、社長の名刺。渡しておくね。」
そう言って彼女は机の上に置いてあった明らかに彼女の物ではない鞄から名刺を取り出す。
「は、はぁ。いただきます。」
私はもらった名刺を確認する。
株式会社ステラ。
チームプロジェクトリーダー高里 昇 と書かれていた。
聞いたことのない名前。
この大学の協賛として入っている企業は目を通していたはずだがこんな名前は見たことがない。
もちろんパンフレットにも載っていない。
「よし、準備完了だ。よし君。いやお名前を聞かせてもらえるかな?」
社長さんがこっちを向いて話しかけてきた。
「ええっと。り、陸橋 歩。です。」
「では陸橋さん。この機械に座ってもらえるかな。」
そういって機械の座席に案内させられる。
私はその誘導に疑問を持たず、名刺入れに名刺をしまい、座席に座る。
そのゲーム機械はゲームセンターでも見たことがない筐体だった。
オリジナルの筐体なのかもしれない。
「チュートリアルから始まるから、画面の指示通りに進めていってもらえるかな。」
「わ、わかりました。」
社長さんはそれだけ言って筐体から離れる。
代わりに少女が代わりに近くにやってくる。
「これをクリアできたら副社長から豪華賞品がもらえるから。頑張ってね。」
そう言って横に立ってゲーム画面を見ている。
チュートリアルは操作方法からだった。
操作は複雑怪奇だった。
レースゲームとシューティングアクションゲームを同時にやるようなもの。
アクセルを踏みながら方向転換は足先の傾きで調整。
銃のレティクルの操作は手で操作。
同時に両手両足使うなんて人間の処理能力を超えているような気がする。
しかし、こんなゲームは初めて。
私は今やさっきの絶望もこの二人の異質な存在も頭の中にはなかった。
自分の体で動くこの画面の機体の反応速度や操作の強弱の調整や入力受付のタイミングなどを体で感じていく。
頭ではこれらの感覚とゲームの基本的なルールについてのことしか入っていなかった。
チュートリアルを終え、いよいよ本番が始まる。
ステージは平面的なただ荒野が広がっているだけ。
そこに次々に配置される敵をレーダーを頼りにして倒す。
画面の見方も他は対戦型シューティングアクションと変わらない。
リロードと回復はところどころに設置されたゲートを通ればいいのか。
ゲームとしてはスコア形式のようだが、ボスでもいるのかもしれない。
私はこれまでにないほど集中していた。
私の視界には目の前のゲーム画面しか映っていない。
頭で操作の調節はもう考えていなかった。
それは自然に思ったように勝手に動いていた。
心臓が体の変化で動きを変えるように、私の目に映ったものに向けて全身が反射的に反応する。
それは音ゲーの高速連打のノートを撃ち込むような指の感覚。
流れるように消えていく敵。
それは私の視界には入っていなかった。
私の目は落ちゲーの次のピースを見るように先を見据えている。
楽しい。
これほどまでに心躍る、私の全力を受け止めてくれるゲームがあったのか。
「すっご…。」
筐体の横に立ちながらゲーム画面を見ていた私はただそれしか言葉が出なかった。
あんな引っ込み思案で気弱な彼女がこれほどまでにも無駄なく俊敏に自機を操作し、敵を殲滅していく。私なんかまともに回復用のゲートをくぐることすらできなかったというのに。
あんな10分足らずのチュートリアルだけで何十回も挑戦した私よりも動かせている。
さらにはプレイしながらさらにどんどん上手くなっていくのが目に見える。
彼女はそこそこ上手なんて言っていたが、これはそこそこのレベルじゃない。
私が思うそこそことは次元が違う。
「この子一体何者?」
画面には最後のボスとして用意された自機のカラーを変更した敵が出てきていた。
この敵はこちらの入力に対応して瞬時にそれに対応するいわゆるゲーム側のチートキャラみたいなもの。移動速度も加速度も自由自在。
実機では再現できない動きだってしてくる。
攻撃を当てるのは不可能だろう。
私はテストプレイで一度も攻撃を当てられたことがない。
思ったとおり彼女の攻撃も私と同じように人の反応速度ではありえない挙動でかわし続けられ、逆に敵の攻撃によって彼女の機体の耐久力は少しずつだが減ってきている。
先ほどまでの圧倒的な操作能力をもってしても躱しきれないのだ。
しかし彼女はそんな相手を見て笑っていた。
こちらの上回る相手の動きを見て笑っていたのだ。
そして次の瞬間から明らかに動きが変わった。
ゲームは推進力を生み出すジェットは使い放題で最高速を常に維持できる。
制御するのは難しいが彼女はそれを巧みに操っていた。
スピードは回避のことを考えると早い方がいい。
また後ろを取り続けるには最高速を維持しないと相手に振り切られてしまう。
しかし、彼女は敵に向かってスピードを緩め始めたのだ。
さらには先手必勝として使い続けていた高速な射出武器もしまい、近接武器と全く使っていなかった設置型の爆弾に武器に持ち替え敵に向かう。
設置型の爆弾に関しては私もテストプレイ時に使ってみた。
相手はいくら数をしかけようとその場所をきっちり把握して避けるように動く。
人間と違い絶対に忘れない。
万が一にも踏むことはなかった。
相手を追う事をやめた彼女は縦横無尽にフィールドを駆け回り始めた。
敵はそれを見るや反転して、すぐに彼女の背後を取り銃撃攻撃を仕掛け始める。
こうなれば形勢逆転は難しい。
相手は彼女の急加速の入力信号を読み取り尋常じゃない速さで対応する。
一度後ろにつかれては後ろを取ることはできないだろう。
この状況に陥った彼女は初めてシールドを使った。
これまではやられる前にやるスタイルで敵を圧倒し、敵の攻撃を避けていた彼女が使わざる得ない状況になったのだ。
しかし、先ほどからの彼女の動きの変化に私は何か違和感を募らせていた。
あれだけきれいに動いていたのにどうしていきなりあのようなめちゃくちゃな動きを始めたのだろうと。彼女は急発進したかと思うと瞬時に急停止して機体を反転させて敵と向かい合う。
普通なら追走機体は減速が間に合わず剣の間合いに入ってしまうのだが、相手は的確に距離を空けて、同じように止まる。
剣を構えて一撃を当てるのを待っていた彼女の作戦は失敗した。
チート機は銃を構える。
シールドの解除と同時に発砲するつもりだ。
ここまでかと思った私はシールドを展開していた彼女の機体が爆発するのを見て諦めた。
しかし、画面に映っていたのは持っていた剣でチート機を一刀両断する彼女の機体だった。
「うそ。どうやって…。」
画面にはゲームクリアの文字とスコアランキングの名前の入力画面が表示される。ゲーム筐体に座っていた彼女は大きく息を吐いてこっちに向いた。
「いやぁ。楽しかったです。これが近所のゲームセンターにあったら毎日通っちゃいます私。」
とても満足そうに笑いながら彼女は筐体の席を立つ。
「しゃ、社長さん。これいつ頃全国で稼働する予定なのでしょうか?」
私は後ろの方で機械をいじっている社長さんに尋ねる。あまりの楽しさに私は無意識的に社長さんに話しかけていた。
「実はこれ、世界各国ですでに稼働中だよ。少し形態は違うけどね。陸橋 歩さん。」
「そうだったんですか!私知りませんでした。」
「歩ちゃんすごい。私久々にびっくりして思わず飴をかみ砕いちゃった。」
隣に立っていた中高生の少女は驚きを隠せない様子だ。
「クリアしたから副社長の豪華プレゼントがもらえるよ。」
そう言えばプレイする前にそんなことをこの子が言っていたことを思い出す。
「はい。どうぞ。」
そう言って彼女から名刺と紙を渡される。私はそれをマジマジと眺める。
渡された名刺を見ると彼女の顔写真と共に名前、肩書が書かれている。
「株式会社ステラ。副社長 日野下 梓。」
「そう。私。ひのもと あずさ副社長。よろしくね。歩ちゃん。」
「えっ、副社長。」
どう見ても中高生にしか見えない彼女が副社長。
いや確かに年齢で役職は決まらないのだけど信じられなかった。
「ちなみに私、歩ちゃんより年上だよ?」
嘘でしょ。そんなことってありえるの。
外界の男子の目を避けるように地味で化粧もしてない私だったけど、女の子ってこんなに若くみせられるものなの。
そのことの方が副社長よりも私は衝撃を受けた。
自分の見た目との違いに打ちのめされながらももう一枚の紙を見る。
こっちは何やら書類の様だ。
「内…定…通…知書?」
その瞬間ブースの方から誰かが扉を開けて勢いよく入ってくる。
「副社長。いましたよ!大学4回生に女生徒がいるそうです!早く連絡を取るなり待ち伏せるなりしましょう!」
その横からの大声を無視して梓副社長は笑顔でこう言った。
「そうよ。内定おめでとうございます。陸橋 歩さん。」
「ええええええええええええっ!」
その部屋には2人の驚愕の声が響いた。