第九十三話 追跡者の物語
「気付いた時、僕は何もかもを食い殺していた。僕を心配してくれた友人も、大石諒も、何もかも。その後魔法使いどもに炎を浴びせられ、気を失わせられて、今に至るというわけだよ」
勇也は高鳴る心臓を押さえた。
吐き気のするあまりにも酷い話だ。
だが、それ以上にイーターの話したストーリーは、自分の置かれた状況にひどく似ていた。
「君は、千佳を恨んでる?」
イーターは勇也を睨む。
だが、目を閉じてゆっくりと口を開いた。
「愛する女が他の男に犯されて、思わないことが無い奴なんていないだろ? でも、死んでなんて欲しくなかった。殺すなんて、言うべきじゃなかった」
「じゃあ、君は千佳にどうしてほしかったの?」
イーターは再び目を開けて勇也を睨む。
「そんなの決まってる。僕の傍にずっといて欲しかった。僕に何ができるかわからない。傍にいてあげるだけしかできないかもしれない。それに、僕自身だって辛い思いをするかもしれない。それでも……」
イーターはそこまで言うと、あとは言葉にならず手で顔を覆ってしまった。
だが、勇也にはそれで十分だ。それで知ることが出来たのだ。
「君の歴史で千佳が死んだのは、君のせいじゃない」
「お前に……何がわかる?」
「わかるさ。僕にだって愛する人がいる。いや、ゴブリンだけど。僕も、その、彼女以外の人間に無理やりされたんだ。君たちと違って事故ではあったけれど」
イーターは信じられないという目を勇也に向けた。
勇也は本当だというように一つ頷く。
「それで、お前はどうした?」
「死のうとしたよ」
勇也はそれが何でもない事のように言った。
事実、勇也にとって自身の死は何でもないことなのだ。何度死んでもその度に生き返る彼にとっては。
「でも、生憎僕は死ねない体でね。だから、どうしたらいいかわからなくなっていた。思い付いたのは、せめて彼女のために戦い続けようということぐらいだよ。でもね、君の話を聞いていて分かった。僕はどんなに辛くても彼女の元へ戻るべきだ。僕は逃げていただけなんだ」
「それで、そのゴブリンは救われるのか?」
「君は千佳に会えば救われるの?」
お互い口を開かず、ただ見つめ合う。
それは鏡だ。
イーターの方が背も高く成長しているし、二人の格好はまるで異なる。
イーターはボロ布を纏ったような姿だし、勇也は神父の服を着た悪魔だ。
そして、お互いの見ている姿は反転していない自分だった。他人から見たらこう見えているはずの自分である。
それでも、二人にとってお互いは鏡なのだ。
姿の代わりに、人生の反転してしまった。
「会いに行こう。お互いの最愛の人の下へ」
イーターが言い、勇也が頷く。
そこには何も言わずとも一つの連帯感が生まれていた。
勇也はアナベルに会う覚悟を決めた。
もちろんアナベルが勇也を拒めば、再び立ち去るしかない。
しかしそうでないなら、たとえアナベルが勇也を許せなくても、勇也を憎むことになったとしても、それでも傍にいて欲しいと言うなら、勇也はアナベルの傍にいるつもりだった。
勇也は覚悟を新たにする。
本能でも理性でもアナベルを愛し尽くすと。己の全てを捧げると。
同時に、イーターを何としても千佳に会わせなくてはいけないと、勇也はそう思った。
それで自分たちが救われるわけではない。
それでも、イーターと千佳の出会いが自分に一つの答えを見せてくれる。そんな気がしていたのだ。
イーターも勇也と同じことを考えていた。
勇也は反転した自分であり、勇也が愛する者と再会して何を思うのか、それを知れば何もかも終わったはずの自分の人生をやり直せるのではないかと、そんな風に思えた。
だから二人は力を合わせて下層に向かう。
この二人であれば何日もかかった道程を数日で踏破することが出来るだろう。
そう、何も起こらなければ。
「感慨深いですね。自分が三人も揃うというのは」
新たな希望を胸に立ち上がった二人は、そこから一歩も進むことが出来なかった。
深い闇から現れた“勇者”に行く手を阻まれて。
彼にとってこの迷宮の一層から五層など、大した距離ではないのだ。
たとえ常人が命がけで何週間もかかってしまうほどの大冒険だとしても、彼にとってはただの散歩とさして変わらなかった。
彼に狙われたら逃げ切ることは難しい。
なぜなら彼は“追う者”なのだから
「くふふ、私の、いや、僕の人生について少し補足しておきましょう」
のっぺりとした仮面をつけた彼の表情を読み取ることは出来ない。
だが、彼の体からは嫌というほどの闘気が溢れ出しており、下手に動けばすぐさま襲い掛かって来ることがわかった。
勇也とイーターは緊張した表情で、自分より背の高い、仮面の勇者にして未来の自分を睨む。
『おい、聞こえるか?』
勇也の脳内に突然声が響いた。
それはイーターのスキル『念話』だ。
『もし戦いになったら少し時間を稼いでくれ』
『難しいとは思うけどやってみるよ。どうするの?』
『ちょっと補給したい』
どういう意味かは分からないが、勇也は頷いておく。
とりあえずのところ、チェイサーがすぐさま襲ってくる様子はなかった。
「まぁ、簡単に説明しましょう。任務もまだ残っていますし。
僕はあの教室では彼を殺すことは出来ませんでした。彼、つまり大石諒をね。それに犯人はまだ五人います。僕はもちろんその全員を殺さなくてはいけなかった」
イーターの目が昏く輝く。当然だと言うように。
「そのうち二人を殺したのは僕ではありません。士郎さんです。僕が何もできずにいる間に彼は二人を殺害し、しかしそこで捕まってしまいました。事件もそこで明るみに出て、生き残った三人、大石諒を含めて四人ですが、彼らも捕まりました。士郎さんよりはるかに軽い罪で。彼らは少年法が適用される年齢で、すぐに出て来ます。では、その下種共が再び社会に出てきた時、誰が裁きを下すのか。もちろん僕しかいません。
僕は確実に四人を始末するため、更なる力を求めました。自衛隊に入り、外人部隊に入り、フリーの傭兵にまでなりました。そして十分に準備をしてから僕は日本に戻ったんです。追う者として」
それがどれだけ凄まじいことか、勇也にもイーターにも想像がつかない。
チェイサーは常に戦場に身を置いて、己を研ぎ澄まし続けていたのだ。要らないものを何もかもこそぎ落とすことによって。
だが、チェイサーはそれを何でもない事のように言う。
事実、彼にとっては大したことではなかった。
なぜなら彼にとっての本当の地獄とは、愛する者を奪われたことなのだから。
「僕は一人ずつ順番に、たっぷり時間を掛けて殺していきました。僕の気が済むまで拷問してから。いや、それは少し違いますね。僕の気が済むことなんてなかった。拷問のし過ぎで気付いたら死んでたんですね。仕事で拷問するのとは勝手が違ったから、つい加減が利かなくなっちゃったんです」
チェイサーは少し苦笑いして見せるが、すぐにかぶりを振る。ここからが本番だと言うように。
「で、最後の一人に追い詰めたのが大石諒でした。その頃には日本中で騒ぎになっていましたから、彼もさぞ震え上がっているだろうと期待したんですが、残念ながら彼は僕が日本に戻って来ていた事すら知りませんでした。
彼は何もかも失って道端に転がっていました。いや、生きてはいましたが、生きる屍に過ぎなかったんです。そしてあろうことか、ずっと事件を悔やみ続けていました。一日も後悔しなかった日は無い、一瞬でも忘れたことは無い、というようにね。
僕の拷問は、彼にとって救いでしかなかった。最期に銃口を口の中に押し込んだ時、彼は安心しきった顔をしていて、そのまま死にました。
僕に残ったのは無力感だけです。何もできなかった、何がしたかったんだという、ね。僕はその時に分かったんです。僕がすべきは復讐じゃなかった。彼女を、千佳を心から愛していたなら、彼女の後をすぐに追うべきだった、と。
そして銃を自分のこめかみに向けて引き金を引いたんですが、まぁ、気付いたらこの世界にいたというわけです」
勇也はチェイサーの話を聞きながら隙を窺っていたが、当然そんなものはどこにもなかった。
力量差があるにも拘らず、チェイサーは油断していない。そんな状況に勇也は歯噛みしていたのだが、彼は違った。
「何が言いたい!? アイツを、大石諒を許せとでも言うのか!?」
イーターが感情任せにチェイサーに吠える。
「そこまでは言いません。でも、復讐しても彼が救われるだけで、自分が惨めになるだけです。だったら、君達のすべきことは復讐じゃない」
勇也は唾を呑み込み、口を開く。
「この場で貴方に殺されることだ、と? たとえこの世界で千佳が生きているのだとしても?」
「ええ。僕が自分の手で終わらせてあげましょう。それが僕の救いだ。それに、彼女は千佳であって千佳ではない」
勇也もイーターもチェイサーの言葉に首を傾げた。
しかし、二人が無理解を示しても、チェイサーはそれ以上説明するつもりはないらしい。黙って二人を見つめている。
答えは得られなかったが、そこで勇也はイーターもまた似たようなことを言っていたことを思い出し、彼の方を向く。
「念のために聞いておくけど、そっちの『僕』も同じような考えなの?」
「千佳が千佳じゃないっていう話は、時間軸がどうのこうのとかってことだと思うけど、僕にはわからない。僕が死ぬべきという話なら、アイツの言っていることは間違っていないかもしれない。だけど、今はただ彼女に会いたいんだ」
「わかった。それなら……」
「ああ」
二人が同時に地面を蹴る。
勇也は真っ直ぐにチェイサーに突っ込んでいき、イーターは暗闇に姿を消した。
「くふふ、僕らしい」
チェイサーは少し身構えた以外、一切の動きを見せない。
勇也を正面から受けて立つつもりなのだ。
勇也も構わず、ボクシングスタイルでチェイサーの顔面に向けてワンツーのコンビネーションを放った。
「まぁ、悪くはないですね。自分で言うのもなんですが」
チェイサーはそれを当然の如く避けてみせる。
二人の間にはスキルやステータスといった力量差以外にも、明らかな技量差があった。
勇也の拳を避けたチェイサーは、そのまま勇也の顎に向けてショートアッパー、ガラ空きになった胴に膝蹴りを入れる。
「ぅぐっ」
思わず地面に頽れる勇也を、チェイサーは何の表情もなく見つめていた。
「僕に肉弾戦で勝てると思いましたか? そんなわけないでしょう。
さて、もう一人は……」
言い終わる前にチェイサーの足が掴まれた。
それが腕であったのなら、振り解く術などいくらでもあるし容易だったのだが、それは腕ではない。
「これは……」
勇也の長い尾がチェイサーの右足にぐるぐると巻きついていた。
「つ、捕まえた」
「それは良かったですね。で、それからどうするつもりですか?」
勇也は答えない。
なぜなら答えを持ち合わせていないからだ。
しかし、その答えはまったく違う方から聞こえてきた。
「ぎゃあああああああああ!!」
若い女の断末魔として。