第八十八話 仮面の下
「【取り立て】!」
勇也が叫ぶと同時にそれは彼の手の中に握られていた。
しかも運が味方し、手の中に現れたもの、エカレスは完全に復元された状態で弾も装填されてある。
勇也はそのまま素早く安全装置を解除、撃鉄を引き起こし、引き金を引いた。
ドガァァァッン!!
打ち出された弾丸はイーターの鉄仮面に命中、そのままファイアーボールとなって炎上する。
さらに、飛び上がってきたイーターに当たった弾丸は、そのままカウンターとなってイーターの体を後方に吹き飛ばした。
「ガアアアアアッ!!」
吹き飛ばされ、顔面を焼かれたイーターであるが、それでも彼は無事だった。顔を抑え、のたうち回っているだけだ。
しかし、彼の装着していた鉄仮面は破壊されていたのだった。
「しまった! イーターの仮面が!」
「まずいっス、侯爵様! ここは撤退しましょ!」
クインズベリーは動かない。
ギリギリと歯を食いしばり、飛び出さんばかりの勢いで目を見開いている。
――これはやばいっス!
ボニーの悪い予感は当たってしまった。
「何をしているお前たち! 早くイーターを取り押さえろ!」
「「「えっ……」」」
クインズベリーの連れてきた兵士たちがどよめく。
彼らはべリリア王国の抱える兵士の中でも選りすぐりの精鋭。国王の近衛である王国近衛兵団に比べればその実力は劣るものの、一小隊でかかればバシリスクすら倒せるほどの実力を持っていた。
だが、いや、だからこそわかっているのだ。自分たちがたとえ殺す気で戦っても、イーターには敵わないということが。殺すのさえ不可能だというのに、捕まえろなど正気の沙汰の命令ではなかった。
「む、無理っスよ……」
兵士たちを代表してボニーが抗議の声を上げる。
しかし、クインズベリーは睨み殺すかのような血走った目で彼女を振り返り、ゆっくりと口を開いた。
「命令だ。捕まえろ」
その確固とした言葉に、兵士たちは覚悟を決めた。
剣を抜き、じりじりとイーターに近づいていく。
ボニーもまた後方から支援する構えを見せるのだが、彼女だけは本心が違った。
――こうなったら助からないっス。隙を見て逃げちゃうっス。
彼女は打算的だ。
もともと忠実な部下というわけではなかったし、王国に対して忠誠心があるわけでもない。
イーターと空飛ぶ少年の手にかかれば誰も助からないだろうし、自分を追う者はいない。戦争のどさくさに紛れてとんずらし、また冒険者にでもなればいい。
ボニーはそこまで計算し、あとは隙を見つけるだけ、焦るなと自分に言い聞かせ、兵たちを盾にしつつ、クインズベリーにも襲われないように戦うふりをする。
そんなボニーたちの様子を、勇也は空中から見下ろすように眺めていた。
兵士たちとイーターがぶつかるならそれも良い。貴族風の男だけは自分の手で始末したかったが、イーターとぶつかって体力を消耗させてくれるなら、そこで死んでしまっても構わなかった。
それよりも、勇也が気にかけているのはやはりイーターのことである。
仮面を狙えという邪神ユヒトの言葉は、やはりこの男のことを指していたのだ。仮面を失ったイーターは言うことを聞かなくなるらしく、仮面が破壊された今は自力で火を消し勇也の方ではなく、兵士たちの方に顔を向けている。
だが、勇也はその前にイーターの顔をしっかりと確認していた。
「あの男の顔、焼け爛れていたな」
それは勇也の放った弾丸のせいではない。
火傷の痕はかなり前のものであると推測された。
イーターと呼ばれる男は何者なのか?
鉄仮面が破壊され、そこから出てきた髪の色は黒。やはり勇也と同じく日本人だと推測できるだろう。
しかしわかるのは、彼が日本人であること、クインズベリーの手によって操られていたということ、そして何者かの手によってやけどを負わされたということ、それくらいのものだった。
勇也が最も気になったのは、召喚されたのは彼だけなのか。もし他にもいたとして、他の人間はどこに行ってしまったのか。ここにいないだけで、どこかにいるのか。それらのことだ。
勇也がそうして首を捻っている間に、イーターに向かって兵士が三人飛び掛かっていった。
屈強な兵士を何人か前に出して取り押さえ、その隙に魔法でイーターを拘束もしくは弱らせようという作戦のようだが、それは全く上手くいっていない。
飛び掛かった兵士は、イーターと一合も打ち合うことができないのだ。
イーターはただ叩き折った。
向かってくる兵士の振るう剣ごと、その胴体を、その首を。
ただの力技。
しかし両者の間にあるステータス差があまりにも大きいため、そんな一方的な戦い方ができてしまうのである。
戦いはすでに戦いではなくなっていた。
今繰り広げられているのは虐殺だ。もはや逃げ惑うだけとなった兵士たちを、イーターは捕まえてその首をへし折っていく。
泣こうが喚こうが許しを請おうが、イーターには一切の躊躇がない。
兵士たちの絶叫が飛び交う中、クインズベリーだけは断末魔の悲鳴とは異なる叫び声をあげていた。
「ええい! 何をしている!? さっさとイーターを捕らえるのだ!」
叫びつつ、自分もついに戦いに加わろうとしている。
クインズベリーが腰に下げていた杖を取り出した。一本ではない。両手に一本ずつ、計二本の杖だ。その先端を両方ともイーターに向け、短く詠唱した。
「【ファイアボール】!」
さらに、
「【エアスラッシュ】!」
下級の魔法であるが、クインズベリーはそれをいくつも生み出し、イーターに向けて放っていく。
イーターの周りにまだ息のある兵士がいようとも、お構いもなしだった。最早イーターを生かして捕らえるという目的を覚えているのかも怪しい。尤も、イーターは魔法を食らっていない。上手く躱し続けていた。
魔法の嵐は弱まるどころか強くなる一方で、その照準は勇也にも向けられた。
「どれだけ魔力があるんだっ?!」
勇也は驚きつつも危うげなくそれを避けていく。
飛び回っている分目立つのか、クインズベリーの狙いは次第に勇也一人に絞られてきた。
「くそっ!! 貴様さえいなければ! 私の計画をめちゃくちゃにしおって!」
「言い掛かり、どころじゃないですね。自業自得もいいところじゃないですか!」
勇也はエカレスを構えた。
だが、魔法の嵐は止むことがなく、勇也に照準を絞らせない。
それでも勇也は冷静だ。
確実に飛んでくる魔法を避けつつ、好機を狙い続けている。
「くそ、くそ、くそ! 何もかも滅茶苦茶だ!」
ファイアボール、エアカッター、アクアボール、飛んでいる相手には通じない土魔法以外の初級魔法全てが勇也に殺到し、勇也はそれを避けながらクインズベリーを狙う。
「地上の命は川を流れ、主の下へ」
勇也は荒れ狂う嵐の中を進む。
少しづつ、しかし確実に。
「イーターさえいれば戦争に勝利できるのだ!」
クインズベリーは宮廷魔術師だ。
彼の実力はこの国の中でもトップに入ると言えるだろう。
特にその魔力の高さは屈指。しかも彼の持つ杖は邪神ユヒトの作った杖の中でもかなりのレアもの。魔力消費を軽減し、魔法の威力を高める。そういった術式が組み込まれている。
「主よ、聖なる焔よ、憐れみ給え」
それでも、彼の魔力は底なしというわけではない。いずれは限界が来るのだ。そして勇也はずっとその時を待ち続けていた。
「がっ、はぁはぁ、ま、魔力が……」
ガチャっ。
その時は訪れた。
気付けばすぐ目と鼻の先までやってきていた勇也が、クインズベリーの額に銃口を突きつける。
「父と子と聖霊の御名において」
クインズベリーは勇也を見上げた。
その聖者の如き、悪魔の姿を。
「べリリアが世界を支配するのだ……」
「アーメン」
ドガァァァッン!!
炸裂音と共にクインズベリーの顔が吹き飛ぶ。その端正な顔、そして野心と狂気に彩られた顔が。
断末魔の叫びすらなく、顔を失った体が燃え上がりその場で仰向けに力なく横たわった。
これで勇也、そして彼のクラスの者たちを、異世界召喚という儀式の名のもとに誘拐した首魁との決着はついた。
勇也は漸く憎き男を葬ったのだ。自らの手で、初めて人を殺すことによって。
だが、当然これで終わりではない。
この場にいるもう一つの最大の脅威、イーターはまだ健在なのだから。
勇也は彼の気配を探る。
また一つ異形に近づいた勇也の研ぎ澄まされた感覚が気配を捉えた。
しかし、この場にいるのは勇也とコソコソ逃げ出そうとしているイーターでは決してない誰かだけだ。
――いつの間に逃げたんだ?
勇也は首を捻りつつも、逃げ出そうとしている者を仕留めるため、銃を構える。
「地上の命は川を流れ、主の下へ。主よ、聖なる焔よ、憐れみ給え。父と子と聖霊の御名において。アーメン」
ドガァァァッン!!
「ギャアアアアアアアアア!!」
耳をつんざくような女の金切り声が響く。
そう、撃たれた女、ボニーはまだ生きていた。
勇也にヘッドショットを狙われていたにもかかわらず、彼女が吹き飛ばされたのは右足だったのである。
勇也は狙いを外した。
なぜなら、
「グゥルゥゥゥアアアアア!!」
突如現れたイーターが勇也に襲い掛かり、勇也が弾丸を放つと共にエカレスを奪ったのである。勇也の右腕ごと。
「ぐぁあああああ!!」
勇也は絶叫を上げつつ、イーターを睨みつける。
勇也の腕を奪ったイーターもまた、勇也をギラギラと目を光らせて見つめていた。
「獲物を、狙うときは、自分も、獲物に、狙われやすい……。忘れ、たのか……?」
イーターの声は掠れていた。
顔が火傷しているのと同様、声帯もまた火傷により損傷しているようだ。
「何を言って……」
勇也が問おうとした時、イーターはちょうど勇也の手に食らい付くところだった。
勇也はそのままイーターを観察し続ける。
これでお仕舞いだ。
相手がどんなに強敵であれ、勇也の体を食らえば最後。彼に従う者となる。
だが、イーターはそうならなかった。
イーターに『食糧人間』のスキルが発動しなかったことは勇也にも分かった。
なぜなら、最早聞き慣れてしまった、あの女の声とも子供の声ともつかない人を馬鹿にしたような高い声が、勇也の脳裏で話しかけてきたのである。
いや、それは機械音声のように、一方的に話しただけだった。
勇也が思わず思考停止してしまうようなことを、単調に、スラスラと。
『ERROR。従属化のスキルは自分自身に適用されません』




