第八十七話 勇者対勇者.2
本日二話目です。
ジャンゴと正面衝突したチェイサーが巨大な穴の中に落ちていく。
大概の生物は今の一撃で死にそうなものなのだが、勇者となった勇也、チェイサーは、その大概に含まれていなかった。
「やったか?」のようなフラグを立てる必要もなく、当然まだ生きていると見越したウィズとジャンゴはそれぞれチェイサーが現れることに対して身構えている。
彼のことだ。現れると同時に攻撃を仕掛けてくることなんて、いくらでも予想できた。
だが、そんな彼らの予想を裏切り、チェイサーは断崖を何気ない様子でスイスイと駆け上ってきた。
その様子は軽快で、ダメージを負っているようには見えない。無論、ただのやせ我慢という事も考えられるが。
「くふふふ、いやー、さすがに勇者の一撃。久しぶりに効いたなー。でもおかげで、種はわかりましたけどね」
「ジャンゴ殿!」
種がわかったと嘯くチェイサーに、ウィズは警戒を露にする。
実はウィズも、ジャンゴがどうやって攻撃しているかわかっていないのだ。
種がわかったと言われて緊張するのも無理はなかった。
一方、当のジャンゴに焦る様子はない。
『なーに、気にすることはないよ。わざわざわかったなんて言ってみせてるのは、はったりかもしれないしね。それにわかったところで、どうにかなるものでもないと思うけどなー』
「承知しました。それならば、このまま私が前に出ましょう」
ジャンゴの実力を信じるウィズは躊躇うことなく前に立つ。
そしてさっきからの繰り返しのように、一気に踏み込んでその姿を消した。
だが、チェイサーが彼女の攻撃を見切れることは変わりない。
現れた彼女の斬撃を軽く躱し、反撃のモーションに入った。
ここまでは一連の流れと同じ。そのままいけばジャンゴの反撃を受けるはずだ。
しかし、チェイサーは急に攻撃の矛先をウィズから外す。
「そこだ!」
そして突如何もない空間に向かって拳を放った。
『ぐえっ!』
そこには確かに何もないはずだった。
だが、チェイサーが拳を振るうと共に、その場所に突然ジャンゴが現れたのだ。
ジャンゴはチェイサーの拳をまともに食らい、上空に向かって弾き飛ばされた。
「ジャンゴ殿! 大丈夫だと言ったじゃないですか!」
吹っ飛んで行ったジャンゴにウィズは驚いて叫んだのだが、やはりそれでもジャンゴは無事らしい。
上下に並んだ鋭い牙の間から、ペロッと舌をのぞかせた。
『ぐへぇ、今度のはさすがに効いたー。ただの人間の拳なんて痛くとも痒くともないはずなんだけどね。やっぱり勇者ってすごいね。
それにしてもよくわかったねー。匂いどころか気配だってしなかったはずなんだけど』
チェイサーは仮面の下で微笑む。
「ええ、まぁ、だからあそこを殴ったのは半分勘ですけどね」
『うへぇ、とんでもないなー、君は』
「でも、きっとそこから現れるだろうと思いましたよ。私があなたと同じ能力、つまり体を別空間に潜り込ませることができる能力が使えたなら、そこを狙いますから」
そう、ジャンゴの能力とは、自分の体を別空間に潜ませられることなのだ。
それはかつて琴音の持っていた完全擬態よりも、さらに優れた能力といえるだろう。
琴音も姿を完全に消し、気配さえも消してしまうが、触れば確実にそこにいることがわかるし、攻撃も通る。
だが、ジャンゴは異なる空間の中に潜ってしまい、また出てくるまでこの世界のどこにもいないのだ。察知ができないのはもちろん、攻撃を当てることさえできなかった。
しかし、チェイサーは見事にそれを破って見せた。
攻撃するまでどこにもいないということを察知したチェイサーは、攻撃する瞬間に現れる場所、つまり自分の死角を狙って攻撃したのである。
能力を破ったということは、勝利に近づいたともいえるはずだ。それなのにもかかわらず、チェイサーの仮面の下の顔は浮かなかった。
今の攻撃でもジャンゴにダメージを与えられない。
確かに渾身の一撃だったはずなのに、である。
今の一撃が通らないともなれば、ジャンゴを倒すのはほぼ不可能に近いだろう。
反対にジャンゴの表情は余裕が窺える。
自身の能力を見破られたとは思えないほど、落ち着き払っていた。
宙を泳ぐその姿には、変わらぬ王者の風格がある。
たとえ能力を破られても、それはまぐれの一回だと思っているのか、自身の力に絶対の自信があるのか。
『さ、ウィズ。もう一回やるよ。そろそろだと思うから』
「は、はぁ……」
ウィズには意味の分からない言葉。だがその言葉には、信頼できる力強さがある。
ウィズは戸惑いつつも、再びチェイサーにキッと目を向け、刀を構えた。
そして地面を蹴る。
同時にウィズの姿が消えた。
再び姿が現れたとき、ウィズとチェイサーの距離はゼロになっている。
「何度も懲りずに……」
チェイサーはそう言うのだが、ジャンゴの言った言葉に不気味さを感じていた。
一体何がそろそろとだというのか。
気にはなっても避けないわけにはいかない。
チェイサーはウィズの姿を捉えつつ、素早くその場から消え去ろうとするのだが、動きが鈍い。それでも何とか無理やり体を動かし、ウィズの斬撃を紙一重で避けた。
だが、彼らの攻撃はそれで終わりじゃない。
ウィズが攻撃を仕掛ければ、すかさずジャンゴの追撃があるのだ。
ウィズの斬撃を避けたチェイサーに向かって、ジャンゴの超重量の体当たりが炸裂した。
その衝撃はすさまじく、チェイサーはボールみたいに、今度は密林に向かって飛ばされていく。
すぐに起き上がりウィズに向かって反撃しようとするが、やはり体は思ったように動かない。良くなるどころかますます鈍くなっていく。
目に捉えられない速度で翻弄するつもりが、ウィズの反撃の斬撃を一太刀、二太刀と受け、致命傷にはならないが決して浅くはない刀傷を作っていった。
結果、傷だらけになったチェイサーは肩で呼吸しながらウィズ、ジャンゴと対峙する。
反対に二人は大したダメージもなく、息を切らしてはいるもののチェイサーに比べればはるかに浅い。
――何をされた?
苦痛が隠し切れていない仮面の顔を、チェイサーはウィズに並ぶようにして宙に浮くジャンゴに向けた。
「毒、ですか?」
そうではないと心のどこかではわかっている。
もし毒を撒いたのだとすれば、周りにも影響が出るはずだ。特に傍にいるウィズなどには。
仮にウィズが毒を無効化するスキルを持っていたのだとしても、後ろに隠れているヘルハウンドや人間たち、全員がそのようなスキルを持っているとは考えづらい。
と、そこで、チェイサーの動きが止まった。
チェイサーの様子が変わったことに気づきつつも、ジャンゴがチェイサーに向かって話し始めた。
『毒じゃないよ。気付かれないようにちょっとずつ音をぶつけてたのさ』
それはエコーロケーションと呼ばれるイルカやクジラなどが持つ能力だった。
尤も、それは本来攻撃に使われるものではない。
水中で獲物を探すために使われる、ソナーのような役割を持ったものだ。他にも仲間と会話するためにも使われたりするのだが、ジャンゴがやったように、獲物にぶつけて麻痺させることもできた。
こうやって種明かしをされたにもかかわらず、やはりチェイサーに動きはない。
彼の視線は森の奥に隠れたクロたちに注がれていた。
ジャンゴはまさか人質を取るつもりかと警戒するのだが、ウィズはチェイサーの様子を戦う意思を挫いたのかと思い、剣を向けつつ前へ出た。
「もうお仕舞いだ、チェイサー。あなたは我々に勝てない。ここで死ぬことはないだろう。マディと短い余生を楽しめ」
すると、チェイサーはウィズたちの存在を忘れていて、今漸く思い出したというように、顔をウィズたちに向けた。そして仮面に片手を置き、上を向く。
「くふふ、あははははは!」
それは笑い声だ。彼は何がおかしいのか、顔をのけぞらせ、哄笑しているのだった。
「私の、僕の人生なんてとっくに終わっている。勇者としてこの世界に来る以前に、日本で追う者として生きることを決める以前に、そう、彼女を失った時点で!」
突如強い風が吹き始めた。
それはチェイサーの背後、縦穴洞窟から密林を背にするウィズたちに向かって吹き付ける。
『ウィズ!』
「ええ」
ジャンゴは言外に覚悟を決めるよう促す。ウィズはそれに頷いた。チェイサーをこの場で斬るということに。
次が最後になる。
誰しもがそう思い、彼らの間に流れる空気が張り詰めたとき、突如としてチェイサーの前に立ちはだかる者が現れた。
「待って!」
それはクロの後ろに隠れていたはずの千佳だった。
「下がってください!」
ウィズが叫ぶが、千佳は動く気配を見せない。
じっとチェイサーの仮面の顔を見つめている。
やがてチェイサーはゆっくりと懐からトカレフを抜き、その銃口を千佳に向けた。
それでも千佳は動じなかった。
ただトカレフを見つめ、再びチェイサーに視線を移し、そして漸く口を開く。
「ねぇ、勇也君なんでしょ?」
チェイサーは、勇也は微かに息を呑んだ。
「……まだ生きていたんだね、千佳」
「違うって! 千佳ちゃん、そいつは勇也様じゃない」
後から追いかけてきた凛華が千佳に向かって叫ぶ。
『リンカの言うとおりだ。千佳殿、その男から離れろ!』
クロもまた、凛華と並走して追ってきていた。
「そうだね。その通りだ。僕は君の知る勇也じゃない。君の知る勇也は僕が殺した」
「勇也君、何を言っているの……?」
チェイサーは懐から巨大な拳銃を取り出した。
それは勇也の愛用していた銃、S&W M500、エカレスだ。
チェイサーは勇也を倒した時、辛うじて溶けずに残ったこの銃に魔力を通して再生させたのである。
『貴様! 主様に何をした!?』
「だから、殺したと言っているでしょう。あんな地獄を味わうくらいなら、いっそこの手で葬ってあげた方が彼のためだ」
「ふざけんな! 勇也様がアンタみたいな奴にやられるわけがない!」
「沖田さん、そうか、君も……。田中君、怒るだろうな」
「っ!!」
凛華はチェイサーの言葉に怯んだ。
目の前の男は、声では判別できないが、背格好も違うし、なにより従者としての勘が、この男は自分が従うべき相手ではないと教えている。
それにもかかわらず、もしかしたら勇也なのかもしれないと考えてしまうのである。
確かに凛華と田中騎士が付き合っているのを知っているということは、この男が勇也だという可能性があるということだ。
だがそれよりも、その口調が勇也にそっくりなのだった。
凛華は心の中でかぶりを振る。
確かに勇也に似ているところもあるが、本当に勇也であるなら、騎士がどう思おうと気になどしない。
それに、勇也が千佳に銃口を向けることなどしないはずなのだ。
「アンタが勇也様だっていうなら、何で千佳ちゃんに銃を向けてんのよ!?」
「そうだよ。ねぇ、勇也君。どうしたの?」
「君を失うぐらいなら……」
「えっ?」
チェイサーが手に持つ銃は確かに千佳に向けられていた。
しかし、その手は震えている。
それに気付いたからこそ、ウィズとジャンゴは成り行きを見守っているのだ。
「君を失うぐらいなら、誰かに奪われるくらいなら、いっそこの手で……」
『ウィズ、今のうちにやるよ』
ジャンゴがウィズにだけ聞こえるように念話を送った。
しかしウィズは首を横に振る。
この男は千佳を撃てない。
ウィズはそう判断した。
「君は何も変わらない。あの時のまま……」
「勇也君……?」
意を決した千佳がゆっくりとチェイサーに歩み寄っていく。
そして同時に、チェイサーに手を伸ばした。
「ぁ……」
ついに千佳の手が仮面に触れるというとき、突如としてエカレスが焼失した。
「まだ生きて……」
チェイサーがその場から飛び退った。
そして何も言わず、まるで逃げるようにその場を後にする。
『いいの? 逃がしちゃって。今からなら追いつけると思うよ』
ウィズはやはり首を横に振る。
殺さなくて済むならそれに越したことはない。
それがウィズの考えだ。
ウィズはただ見つめるだけだった。
チェイサーが逃げて行った方向を。呆然と佇む、千佳たちと共に。




