第八十六話 勇者VS勇者
「くふふ、銃弾を斬るとは。さすが人族最強の冒険者、といったところでしょうか」
「チェイサー……」
ウィズとチェイサーが対峙している後方では、クロが慌てた様子で千佳たちを後ろへと下がらせていた。
クロは、いや、その場にいる誰もがその男の圧倒的な力を感じ取っていた。ウィズやジャンゴに負けるとも劣らない強大な力である。
その男の放つ圧に気圧される中、真っ先に動くことができたのがクロだったというだけであり、彼女が立ち向かったところで、足止めにすらならず一撃で殺されるだろう。ここはウィズに任せるしかなかったのだ。
ウィズもそれは心得ていた。
この場で目の前に立ちはだかる仮面の男、チェイサーに対抗できるのは自分とジャンゴしかいないと。
そう、ウィズはチェイサーを知っていた。
魔王の配下であることも、もとは人族側に付いていた勇者であることも。
裏切り勇者と呼ばれるチェイサーだが、追っているのはチェイサー、追い詰められたのはウィズの方だ。
だがウィズは、真の意味で追い詰められたわけではない。
なぜなら彼女の側にも勇者がいる。ウィズを守るため、邪神によって派遣された勇者が。
『うわー、めんどいのに見つかっちゃったねー』
ジャンゴがいつもと変わらぬ口調で言った。
口調こそ変わらないが、その声には常ならぬ緊張した雰囲気がある。
「あなたがゆっくりしてるからでしょう」
ウィズの言葉も、いつものジャンゴとのやり取りと変わらぬものだ。
しかし表情は完全に緊張しており、若干だが顔色も悪かった。
『ウィズ、大丈夫?』
「大丈夫です。戦えます」
ウィズの顔色の悪さは、絶対的強者と対峙したからというだけではない。
そこには様々な思いが秘められている。
しかし今は、だからといって具合が悪いなどと言っていられる状況ではなかった。
「一応聞いておきますが、なぜ陛下を暗殺したのですか?」
ますますウィズの顔は苦し気に歪められる。
ウィズの心の葛藤を知ってか知らずか、チェイサーの質問はウィズを苛むものだった。
「全ては……ユヒト様の御心のままに」
ウィズが答えられたのはそれだけだ。
そしてそれは嘘ではない。
もしウィズがかの邪神の存在を知らなければ、絶対に魔王の暗殺など行わなかった。
対して、チェイサーは首を傾げるだけである。
彼女の言葉はチェイサーには何のことかさっぱりであった。
ユヒトと言われて思いつくのは、ダンジョンで見つけることのできるお宝の制作者のことだ。自分の持つ、トカレフを『鑑定』すると出てくる名前と同じ。
それがなぜ今出てくるのか、と訝しむのだが、それ以上ウィズから聞き出す前に、二人の間にジャンゴが割って入ってきた。
『はいはいはい、答えられるのはそこまでー。あんまりあの人の名前出しちゃダメだよ、ウィズ。あの人ってば、怒らせると何するかわかんないらしいんだから』
「ま、別にいいですよ。答えられないなら別にそれでも。黒幕がいるなら聞き出すに越したことはないですけど、あなたたちを生かしたまま捕まえるのは無理でしょう。で、あれば、私の最優先任務はウィズさんの抹殺ですので」
チェイサーが銃ではなく拳を構える。
それは勇也の使うボクシングとは異なる構えだった。
一番近いと言えるのは空手かもしれない。
そしてその構えを一目見て看破できるものがいた。
クロに連れられて下がっていた千佳が、その構えを見て声を上げたのだ。
「あれは、新格闘?」
新格闘。またの名を自衛隊格闘術ともいう。
それは千佳にとって最も身近な格闘技だ。
それゆえにわかる。
チェイサーの構えは自身が使うそれに酷似していた。彼女にそれを教えたのと、同じ人物に教えられたかのように。
『さすがに撃退する、というのは無理だね。あいつは……ここで殺すよ?』
チェイサーの構えを見ながらジャンゴがウィズに言う。
ウィズは僅かに瞑目した。
再びその目を開いた時、彼女の瞳に揺らぎはなかった。
「ええ、わかりました。殺す気で行きます」
それでも彼女は殺すとは言わない。
あわよくば、殺さずに退けたい、それが彼女の思いだったのだ。
「くふふ、あははははは! そうそう、それでいいんですよ。不殺なんてつまらないことは考えないでください。じゃないと、楽しいダンスを踊れないじゃないですか」
チェイサーが嬉しそうに笑う。
刹那、ウィズの姿が消えた。
次に彼女が姿を現したのはチェイサーのすぐ目の前だ。
さっきまでチェイサーを殺すことを躊躇っていたのがまるで嘘のように、彼女は一切の躊躇なく刀をチェイサーの胴体向けて振り切った。
しかし、いや、やはりというべきか、チェイサーはすでにその場にはいない。
瞬足のチェイサーを捉えるのは難しく、反対に彼が獲物を捕らえるのは易い。
刀を振り切って無防備になっているウィズの真後ろにチェイサーが現れた。
お返しとばかりに今度はチェイサーが拳を振るう。
渾身の右拳がウィズの背骨をへし折らんと振るわれるが、その拳がウィズに届くことは無かった。
突如チェイサーの前に現れた黒い巨大なブヨブヨとした塊が、その拳を受け止めてしまったのだ。
『痛ったーーー!!』
チェイサーの拳を受け止めた者、それは他でもないジャンゴだった。
この中でチェイサーの拳を受け止めて無傷でいられるのは彼だけだ。
「大丈夫ですか? ジャンゴ殿」
ウィズはあまり心配した様子もなく、冷静な口調で聞きながら背後を振り返った。
刀は再びチェイサーに向けて正眼に構えられている。
『もうちょっと心を込めてよねー』
ジャンゴは涙声であるが、その体に傷を負った様子はない。
そんな彼らの様子を見ていたチェイサーは、再び嬉しそうに笑い声を上げた。
「あははははは! いきなり斬りかかって来るとは随分ご挨拶じゃないですか。それにしても牙の勇者はどうやって現れたんです? 確かに殴る寸前までそこにいなかったはずですが」
『シャチの速度を舐めないでよね! 僕たちは海の王者なんだから!』
チェイサーは眉をひそめた。
確かに鯱というのは、ホオジロザメさえ餌にしてしまうその強さと獰猛さゆえに海の王者と呼ばれ、泳ぐ速さも哺乳類の中ではバンドウイルカと並んで最も速い。
だが、いくら速いと言ってもそれは海の中の話であるし、チェイサーと比べれば大したことのない速さだ。
ジャンゴが全力で動き回ったところで、その姿を捉えるのは難しくない、はずなのだが、チェイサーは完全にジャンゴの姿を見失っていた。
ウィズに殴りかかる寸前までは確かに目の端にその姿はあった。その時は、絶対にチェイサーの攻撃を防げる距離にはいなかったはずなのだ。
チェイサーが攻撃を仕掛けるために、ジャンゴを視界から外した途端、チェイサーにも捉え切れない速度で移動したとしか考えられなかった。
(何かしらのトリックがあるか……)
ジャンゴのステータスは『中級鑑定』を持つチェイサーにも、見抜くことはできない。
いくらジャンゴが速いとはいえ、それは疾風の勇者を超えるものではないはずなのだ。
であれば、ジャンゴがチェイサーを上回る速度を出したのは何かしらのスキルによるものだろう。ウィズが持つ、『縮地』のような。
チェイサーは二人から距離を取る。
そして再び構えなおすのだが、今度はその手にトカレフが握られていた。
タンッ、タンッ、タンッ。
チェイサーは、今度はジャンゴに向けて引き金を引く。
『ひゃあ!』
しかし、ジャンゴはそれをいとも簡単に避けて見せてしまった。
ついでとばかりに射線上で狙っていたウィズも、やはり容易く避ける。
実はさっきチェイサーが出合い頭にウィズを撃った時も、射線上に卓がいた。ウィズが弾を斬って見せたのは、自分が避ければ流れ弾が卓に命中すると思ったからであり、ジャンゴも状況が同じであれば似たようなことをしていただろう。
今回は背後にいるのがウィズだったため、回避という手段を取ったのである。
おかげでチェイサーは確信できた。
やはりジャンゴの敏捷が自分を上回ることはない。何かしらのスキルを使ったのだ、と。
しかしそれが何かはわからない。その能力の謎を解くには、もっと素早い攻撃を仕掛けていかなければいけないだろう。
無論、チェイサーにいつまでも好きにさせておくほど、ウィズたちは甘くなかった。
チェイサーはトカレフを持っているため、遠距離からでも少ない予備動作で攻撃してくる。
ウィズも遠距離攻撃ができないわけではないが、その間合いではトカレフを持つチェイサーに分があった。
ゆえに、ウィズは自ら飛び込んでいく。
他の者なら絶対にしないであろう勇者への突貫。しかも肉弾戦を主とする疾風の勇者への。
だがウィズにとってそれは蛮行ではない。
疾風の勇者の速度を一瞬だけなら上回れる『縮地』。他にも様々なスキルをウィズは有している。
食らい尽すことはできなくても、食らい付くことはできるのだ。
一気に距離を詰めたウィズの刀が振るわれる。
一瞬だが、チェイサーですらその姿は見えていなかった。
だが、斬撃がチェイサーに当たることはない。
一瞬でも姿が見えたなら、それを避けることなどチェイサーには造作もないことだ。
ウィズの振った刀が宙を斬る。
それはついさっきとまるで同じことの繰り返しのようだった。
一つ違うことといえば、また同じようにカウンターを入れようとしたチェイサーの動きが止まったことだろう。
「牙の勇者はどこに行った?!」
チェイサーは一瞬だけジャンゴから目を離した。
しかしその気配は捉えたままだったはずだ。
にもかかわらず、気付けばジャンゴの気配が消えている。
いや、そうじゃない。ジャンゴの気配は突如として消えたのだ。
ジャンゴを探すチェイサーに、正面から何の前触れもなく衝撃が走る。
まるで時速100キロで走る大型トラックにブレーキなしで轢かれたかのような、そんな圧倒的大質量の衝突だった。
ウィズが躊躇いなくチェイサーに斬りかかれる理由、それは間違いなく彼の存在のおかげだろう。
「ぐおおおっ!」
また突如として現れたジャンゴが、チェイサーに体当たりしたのだった。