第八十五話 チェイサーの目的
砂漠に一つの大きなクレーターができた。
それを為した者、疾風の勇者チェイサーは、手に持った仮面を再び顔に着けた。
チェイサー、またの名を赤羽勇也は三年ほど前に、この世界に疾風の勇者として召喚された。
召喚された勇者というのは、魔王と戦うために鍛えてから旅に立つ、というのがテンプレだが、召喚された勇也は鍛える必要がないほど、初めから鍛え上げられていた。
勇也はいくつかのこの世界の常識を教わると、すぐに旅立ってしまった。仮面を着け、追う者と名を変えて。
それが何のためなのか知る者はいない。
というのは、人族側の話で、魔族の中には彼の素性を聞かされた者もいた。
旅立った彼はすぐに人族を裏切った。
そして魔族側に付き、魔王の妹であるマディ・ハッターの配下となったのである。
勇也改め、チェイサーのことをよく知る者はこのマディだろう。チェイサーは常にマディに付き従い、出掛けるときも常に一緒だったのだから。
実は今回もマディは迷宮内に来ている。
チェイサーはマディの護衛を放っぽりだして単独行動していることになるが、問題はなかった。
マディの実力はチェイサーと変わりない。
チェイサーがマディを守る必要など、どこにもないのだ。
むしろ彼と行動する方が危険は及ぶかもしれない。
彼の目的、それは本来、過去の自分である永倉勇也を殺害することではなかった。
彼の本当の目的は、マディの姉である魔王を暗殺した犯人、ウィズ・セシルの抹殺だったのだ。
勇也を襲ったのはたまたまだった。
前回は殺せない理由があり、今回はその理由がなかったから、それだけに過ぎないのである。
チェイサーの姿がその場から消える。
本人としてはただ走っているだけだが、その速度を目で追える者はいない。
ウィズの位置を補足しているわけでもないし、人を見つけるようなスキルを持っているわけでもないが、彼にはその足があれば十分なのだ。すべての階層を隈なく探し続ければ、いずれは探し当てることができるだろう。
チェイサーは走る。
補足していたツヴァイを追い抜き、オアシスをいくつも通り過ぎ、ただ走り続ける。
途中、彼を襲おうとする魔物はいない。彼に追いすがることができないのはもちろん、目の前を通られたところで、通ったことにすら気づけなかった。
そうして僅か数分で、四階層と五階層を繋ぐ巨大な縦穴洞窟へと辿り着いたのである。
チェイサーが頭上を見上げれば、そこには何十体もの飛竜が飛んでいた。
かつて勇也がここを訪れたときに、ほとんどの飛竜を狩り尽したはずなのに、そんなことなどなかったかのように、もしくはゲームで画面を変えてから戻れば再ポップするように、飛竜たちは何事もなく悠々と宙を泳ぐように飛んでいる。
無論、チェイサーはそんなことは知らないし、飛竜にも興味がない。
どこかにいるウィズを見つけ出し、殺すことが最優先事項だ。
とはいえ、チェイサーは溜息を吐く。
「この中から探すのか……」
巨大な縦穴洞窟には、無数に伸びる横穴があった。
勇也たちは真っ直ぐ降りて行ったが、この横穴を通っていくことで下に降りることも可能なのである。
いくらチェイサーが俊足の持ち主だとはいえ、これだけの横穴をしらみつぶしに探すのは骨が折れることに変わりはない。
暫く上を見上げたままどうするか悩み、
「後でいいか……」
後回しにすることにしたのだった。
実はこの時、その横穴を移動している者たちがいた。
それは武市花が率いる生き残った生徒たち一行だ。
当然その中にはアナベルも含まれている。
一行の先頭を暗闇でも目の利くアナベルが先導していた。それが本人の意思かどうかは別として。
チェイサーの判断により、彼らは命拾いした。
もしチェイサーが中に入って行って花たちと遭遇したら、ツヴァイたちを見逃したように、彼らも見逃しただろうか。
いや、きっとそうはならなかっただろう。
チェイサーは一度彼らを見逃しているが、それは理由があったから。もし今会えば、彼らを生かしておく理由などないのだ。むしろ、チェイサーには彼らを殺す理由がある。たとえ勇也の愛したアナベルがその中にいても、チェイサーは躊躇わず皆殺しにしていただろう。
チェイサーは洞窟の中に花たちがいるとは露知らず、彼らを結果的に見逃して先に進んだ。
仮に洞窟内に目的であるウィズがいたとしても、四階層を探した後に戻ってきて探す方が、効率が良かったのである。
チェイサーは縦穴洞窟を今までと同じように駆け上り、飛竜たちに気付かれることすらなく先へと進んだ。
チェイサーの計算では、そろそろ出会っていてもおかしくなかった。
一人であればすでに六階層に進んでいる可能性もあったが、調べたところによれば、ウィズの母親が姿を消している。
何の力もない、しかも情報によれば目も見えない一般人だ。一緒に連れて進んでいるともなれば、かなり時間はかかるだろう。
それに一階層から五階層の間で、一番身を隠す場所が多いのは四階層である。
チェイサーは四階層を探し尽くしてそれでも見つからなければ、次に身を隠せやすそうな三階層を探そうと考えるが、その必要はなかった。
チェイサーの目的の人物は四階層、縦穴洞窟を登り切ってすぐのところにいたのだ。
チェイサーが予想だにしなかった人物と共に。
『いやぁ、ジャングルって面白いなぁ。僕みたいに空飛び魚もいるし。それに食べ物も豊富だよね。ハイオークっていうの? あれが一番美味しいかなー。ところでさ、異種族間の交尾ってどう思う? きっとクロちゃんと僕の間に子供ができたら、きっと可愛い子だと思うんだよねー。ぐへへへ』
「くぅーん……」
先頭を歩くライオンサイズの巨大なヘルハウンド、勇也の忠実な下僕であるクロに対して、そのクロより巨大な体躯を持つ、アイパッチと背びれが特徴的なシャチ、牙の勇者ジャンゴが滑らかな体を纏わりつかせていた。
千佳たちと出会った時の、体操のお兄さんのような爽やかさはどこへ行ってしまったのか、クロに対して下品な笑いを見せるその姿はセクハラ親父そのものである。
当のセクハラを受けているクロはというと、まるで叱られた飼い犬のように悲しげな表情をしていた。
相手が絶対的な強者であり、命を救ってくれたということもあり、言い返すことができないようだ。
「ちょっ、勇者だからってあんまクロにちょっかいださないでよね!」
すっかり意気消沈してしまっているクロを守るため、クロの妹分である凛華が間に割って入った。
凛華は旅している間ずっと落ち込んでいたのだが、そんな凛華を本当の妹のように心配してくれていたクロの窮地だ。凛華はいてもたってもいられず、思わず助けに入ったのである。
「そ、そうですよ。ジャンゴくん、セクハラはよくないです。ウィズさんからも言ってください」
チビ眼鏡こと、心結がウィズを振り返る。
時折訛る以外は真面目で実直な彼女のことである。同じ眼鏡仲間ということもあり、ジャンゴを窘めてくれるかと心結は考えたのだが、ウィズは思わぬ反応を見せた。
「はっはっは、それはいいですね」
凛華同様落ち込んでいたはずのウィズだが、ジャンゴのセクハラ発言が面白かったらしく、呵々と笑っているのである。
「もう! ウィズさん何笑っているんですか!? あと、何て言ったんですか!?」
心結が小さな手をパタパタと振って怒る姿に、ウィズはますます笑みを深くするだけだった。
そんなウィズの様子を、ジャンゴは横目で確認していた。
少しほっとしたように息を吐くと同時に、少し考え込む。下ネタで喜ぶとは困った子だと。
クロはクロで、凛華の様子を見て安心したようだ。
凛華が少しでも元気になればと思い、ジャンゴの思惑に乗ってやったのである。そうでなければ徹底的に無視していただろう。
そしてお互い演技とはいえ半分。残りの半分は本気で口説いているのであり、本気で嫌がっているのだった。
「ウィズたんとジャンゴくんが仲間に加わってくれてよかったでござるな」
かつて勇也にピザデブと呼ばれていた卓であるが、すでに無駄な贅肉は落ち、体は引き締まっている。
ただ萌えを愛する大和魂だけは失っていないらしく、新しく加わった美少女、ウィズをしっかりと視界に収めていた。
「ござるな、じゃないわよ。門田君の視線も十分セクハラだからね。ウィズさんも嫌だったら言ってくださいね。折りますから」
「何を?!」
辛辣に返す千佳を、ぎょっとした表情で卓が見た。
「いえいえ、私は構いませんよ。男児とは多かれ少なかれそういうものです」
「さすがウィズたん。男心をわかっているでござる」
「変なことしたら、斬りますが」
「……しないでござるよ」
喜んだのも束の間、瞬時に突き放された卓がげんなりした顔でウィズに返した。
そんな二人の様子を見て、千佳もまた安堵の溜息を吐いていた。
卓にはきつい言葉を投げた千佳であったが、彼の言うとおりウィズとジャンゴが仲間に加わったのは大きい。
二人の戦力は絶大で、魔物の群れに襲われたとしてもすぐに追い払ってしまう。正に向かうところ敵なしだ。
さらに凛華の話によれば、二人の実力はそれぞれがイーターより上だということだった。
イーターを含め、自分たちよりも遥かに強大な力を持っているため、詳しくはわからないが、間違いなくどっちがイーターと戦っても勝てるらしい。
これほどの戦力が得られたのはこれ以上ない幸運といえるだろう。
千佳が彼らを頼もしく感じるのは戦力面だけではない。
彼らの存在は精神的な面でも大きな支えとなっている。
この世界、特に冒険者として世界を飛び回っているウィズは千佳たちの知らない知識を持っていた。
帰れる方法がないと聞いた時にはショックだったが、この世界には日本人が数多く存在し、なんと、千佳たちの来た時代より後から来た者までいるらしいのだ。
戦争が終わり、ここから出られたなら、そういった人物を訪ねてみるのも良いと千佳は考えていた。
尤も、その旨をウィズに伝えると、ジャンゴと顔を見合わせ、曖昧に微笑んでいたが。
そういった知識を多く聞けるのは千佳たちにはありがたかったし、ジャンゴの陽気な振る舞いも千佳たちを救っていた。
本人(鯱)としては、沈みがちなウィズを気遣ってのことだったのだが、千佳たちもあんなことがあった後なのだ。ジャンゴの存在に千佳たちは助けられていた。
そんな心強い協力者たちを得てからの旅は、実に順調だった。
おかげであっという間に、いや、ジャンゴがあまりにもふざけ過ぎて少々時間が多めにかかっているのだが、ここ、四階層の終着点である巨大な縦穴洞窟まで来られたのだ。
ここから先、五階層には何が待ち受けているかわからない。
しかし、彼らと一緒なら何も問題などないだろうと千佳は考えていた。
問題はやはり勇也と合流することだ。
そもそも合流できるのかどうかわからない。
そこはまた必ず会えると信じるよりほかないが、再会できた後どうすればいいのか。それが問題だった。
案ずるより産むが易しとは言うが、このままであれば勇也が去っていた時の二の舞になるだろう。
どうしたものかと、千佳が頭を悩ませていると、不意にキンッという金属と金属がぶつかったような音が響いた。
「な、なに!?」
千佳が音のした方を見る。
そこにはすでに抜刀し、刀を正眼に構えるウィズ、そしてその前方には、拳銃、トカレフをウィズに向ける、のっぺりとした白い仮面を被る男がいた。
本当はあと二話くらい作っとくつもりでしたが、間に合いませんでした。
連休中、初高速チャレンジ→車ぶっ壊れてディーラー行く、とかなり忙しかったもので(こんなはずじゃ・・・)。
一応今後の予定は活動報告に乗せておこうと思います。現時点でまだ書いてませんが、今日中には更新します。




