第八十三話 何度でも
本日二話目。(日付変わってるけど)
べリリア地下迷宮三階層「暗闇地獄」。
ここはところどころに青白く光る鉱石があるが、それ以外は光源の一切ない闇に支配された洞窟だった。
その光源が淡い光で照らす岩場に、一か所だけ回りとは色合いの違う地面がある。
そこだけつい最近掘り起こされ、また埋められたような跡だ。
そこに、漆黒の体毛に覆われた大型犬のような魔物、ヘルハウンドが五体ほど集まっていた。
彼らは必死になって地面を掘り返そうとしており、何度も何度も地面に爪を立てる。
しかしよほど地面が固いらしく、一向に掘り進めない。
暫くして、自分たちにはどう足掻いてもこの岩は掘り起こせないと気付いたのだろう。ヘルハウンドたちは諦めてその場から離れ始めた。
だが、やはり未練があるのか、少し進んだところで最後尾を歩ていた一体が振り返る。
その時だった。
あれだけ固かった岩の地面が、突如として中から爆発し、何かが飛び出してきたのである。
――GURURURURURU!
それに気付いた他の四体も一斉に振り向き、唸り声を上げ始めた。
固い地面から突如現れたもの、自分たちが必死になって求めていたものに対して必死になって威嚇をする。
彼らはその匂いにつられて集まってきていた。
しかし蓋を開けてみれば、そこから現れたのは異形の怪物だったのだ。
怪物は足がなかった。腕も片方しかない。あるのは右腕と頭、上半身、そこから生えた一対の羽だけである。
そして、怪物は瀕死だった。
欠損した体もそうだが、極度の飢餓状態であり、放っておけばすぐに息絶えただろう。
ヘルハウンドたちはそれに気付き、襲い掛かる決心をする。
それが異形の怪物だろうと、旨そうであることに変わりはないのだ。
しかし、彼らは逃げるべきだった。
そうすれば、怪物に追う力は残されていなかったのだから。
一番最後尾にいた一体が駆け出し、その怪物の喉笛に噛みつく。
だが、咄嗟に出された腕に阻まれ、喉ではなく腕に噛みついていた。
それでも構わない、このまま噛み千切ってやろうとするのだが、怪物の皮膚は鋼鉄のように固く、歯を通すことすらできない。
「肉……」
怪物は呟くと、反対にヘルハウンドに対して食らいついた。
――!!
一撃だ。
ただ噛みつくという動作だけで、ヘルハウンドは頭部を失った。
そして怪物は、絶命したヘルハウンドの肉を貪り始めたのである。
後ろに続くヘルハウンドたちは、動きを硬直させていた。
一瞬にして仲間がやられた。
自分たちとあの怪物では、天と地ほども力の差があることに気づいたのだ。
たとえ目の前にいる怪物がご馳走に見えても、命と引き換えにすることはできない。
彼らは一目散に逃げだした。
だが、それは一瞬遅かった。
怪物は食らった分だけ体力を回復させており、彼らを追う力も戻ってきていたのだ。
それに怪物はまだまだ空腹だった。
それが何であれ、たとえ毒を持っていたとしても、食らいついて己の糧とするだろう。
怪物は飛翔した。
逃げるヘルハウンドたちにあっという間に迫り、次々に腕を振るい、命を刈り取っていく。そして刈り取られた命は、怪物の糧となった。
数分も経たずに、ヘルハウンドの群れはただの肉片へと化してしまった。
怪物に、勇也に咀嚼されるのを待つだけの存在だ。
勇也はその肉片を無我夢中で貪る。
生きるために。
自らの意志ではなく、生物としての本能により。
五体のヘルハウンドを丸々平らげたとき、勇也の肉体はすでに元通りに戻っていた。
いや、正確に言えば元通りではないのだが、当人はまだそれに気付かない。
自分の体を眺めまわし、とりあえずまだ自分が生きていることに安堵する。
しかし、すぐに彼はポロポロと泣き始めた。
惨めだった。
自分が生きていることに安堵するなど、彼にとっては恥ずべきことだったのだ。
多くの仲間が自分のために命を落とし、愛するアナベルには合わせる顔もない。出来ることなら、このまま消え去りたかったのである。
だが彼は死なない。
どこかに彼の体が欠片でも残っている限り、何度でも何度でも復活するのだ。
勇也は涙を拭った。
確かにあのまま消え去りたかった。しかし、生きている限り生き続けなくてはいけない。自分のために散っていた仲間たちの命が、無駄だったなんて思わせないためにも。
そこであの男、チェイサーを名乗る男のことを思い出す。
魔法が発動した直後に見たあの顔、あれは間違いなく自分の顔だった。生まれてから何度も鏡で嫌というほどに見てきたのだ。若干年を取ったからと言って間違えるはずがない。
(まぁ、よくある展開か)
これはどういうことだとか、なぜ自分が二人いるのかだとか、そういった疑問が押し寄せてはいたが、冷静に考えればよくある展開なのだ。
未来の自分が英霊になって現れる話だって、昨今では有名である。
ただ英霊が勇者になっただけの話。きっと違う時間軸から召喚された自分が勇者になったのだろう、と自分を納得させることはできた。
しかし、疑問は残る。
あの男はなぜ過去の自分を殺そうとしたのか、という疑問だった。
『無駄死にですね』
『彼女の死を受け入れる、というのですか』
思い出されるのはその二つの言葉だけである。
まるで勇也に何があったか分っているかのようなセリフ。
でも、果たしてそうだろうか。
もし仮に未来の勇也、チェイサーが勇也の考え通り違う時間軸から召喚された『勇也』だというなら、チェイサーが琴音の死を知っているとは考えづらい。いや、そもそも、琴音のことを知っているとも思えない。
日本にいた頃、勇也は琴音と話したことなどなかった。
チェイサーが、「勇也が高校生の時点で異世界に召喚されなかった未来」から来たのだとして、チェイサーの年(おそらく三十歳近く)になるまでに琴音と接点を持つことがあったのだろうか。
ゼロではないだろう。
だが、勇也にはそうだと思えなかった。
異世界に召喚などされなければ、自分は琴音と仲良くなることなどなかったのではないか、と勇也は思うのだ。
では、チェイサーの言う彼女とは誰のことなのか。
(……わかんないな)
チェイサーが何かを勘違いしているのだとしても、勇也にはそれが何かわからない。
勇也は諦めて首を振り、別のことを考えることにした。
まず、これからどうするか。
やはり一番に頭に浮かぶのはアナベルのことだ。
彼女に会いたくて仕方がない。
会ってもう一度抱き締めたい。頭を撫でたい。口づけを交わしたい。
だが同時に、彼女にはもう二度と会えないという思いもあった。
彼女を裏切ってしまった自分が、どんな顔をしてまた会えばいいというのだろう。
勇也は泣き出したい気持ちを堪え、ただ肩を落とす。
次に思い浮かんだのは、結局やはりあの未来の自分、チェイサーだ。
未来の自分とはいえ、目的が全く読めない。
勇也の命だけが狙いだったのか、それとも他に何か目的があるのか。
もし彼とアナベルが出会えばどうなるのか、勇也はそれを考えるとなぜだか焦燥感に苛まれた。
――殺そう。
出来るかどうかはわからない。
だが、出来なければアナベルがどうなるかわからないのだ。
ならやるしかない。
勇也はそう決意しつつ、改めて今置かれている自分の状況の確認を始めた。
一番初めに気づいたのは、自分の指に何かが括り付けられていることだ。
黒い布。
解いてその手の平大の布を広げてみると、それはストラの切れ端だった。
(いや、でもまさかな)
勇也は一か八か、それに魔力を通してみる。
すると、布の表面に魔方陣が形成された。
それはストラに組み込まれた永続魔法が生きている証左である。
布は見る見るうちに再生されていき、あっという間に元の薔薇の刺繍が施されたストラに戻ってしまった。
さすがは邪神ユヒト謹製の品である。
勇也は頷きつつそれを着ようとするのだが、あることに気づいた。
今勇也は全裸なのだが、寒くないのだ。
もうこの階層を後にしたのは何日も前のことであるが、その時はこのストラを手に入れるまで寒くて堪らなかった。
それがなぜか今は平気である。
とりあえず寒くないからとはいえ、このまま全裸なのは精神衛生上よろしくないため、それを着つつ、自分に何が起きたのかを考える。
だが、なぜかストラをうまく着ることができなかった。
羽はちゃんと外に出るように穴を開けているから問題ない。問題なのは尻の辺りだ。そこでどうやら何かが引っ掛かっているようなのである。
引っかかっているのは勇也の体の一部だった。
勇也はしかし、そんなところに自分の体の一部があった記憶がない。
それは尻の上にあり、服に引っかかるほど長い何かだ。
勇也は一度ストラを脱いだ。
そして、意識してその長い何かを動かしてみる。
それは当然のように自分の思い通りに動いた。
やろうと思えば自分の顔の前まで持ってくることができ、若干怯えつつもそれがなんであるか確認してみることにする。
それは黒いハート型の尻尾だった。勇也の想像通りの。
「アナ……」
勇也はすんなり自分の体に新たに増えた異物を受け入れた。
それは彼の愛するゴブリン、アナベルが体から生やしていたのと同じものなのだから。
結局尻尾の生えている当たりにも穴を空けることで、ストラは問題なく着ることができた。
今の勇也の見た目は、角こそ生えていないものの、黒い蝙蝠の被膜と尾を生やした悪魔そのもので、それが何か悪い冗談のように、当然の如く神に仕える神父の格好をしている。
勇也は自分の格好を想像し、それを見て笑っていそうな邪神のことを思い出した。
まるで初めからこうなることがわかっていたかのような組み合わせだ。
(絶対にいつか会ったらぶん殴る)
勇也はそう心に誓いながら、今度は自分の『鑑定』を始めた。
次の標的が決まったとはいえ、まずは自分の力の確認だ。
自分に何ができるのか、それを知っておかなければいけない。
≪名前≫永倉勇也
≪種族≫人族(変異種)
≪称号≫ゴブリンの友
≪年齢≫16
≪身長≫172cm
≪体重≫59kg
≪体力≫47
≪攻撃力≫43
≪耐久力≫45
≪敏捷≫44
≪知力≫12
≪魔力≫52
≪精神力≫19
≪愛≫320
≪忠誠≫0
≪精霊魔法≫火:94 水:6 風:85 土:15
≪スキル≫食用人間・上質肉:捕食者の旨いと感じる味になり、肉体の再生に捕食者の寿命を使用できる。
鑑定:あらゆるものの情報を読み取る。
自己犠牲:自分が死ぬ時、仲間と認識した者の能力にブーストがかかる。
自動照準:照準能力に補正がかかる。
嫉妬:嫉妬の感情に反応し、敵と認識したもののステータスを自分と同じにし、スキルを封じる。
勇也は思わず息を呑んだ。
ステータスが軒並み上がっている。
勇也のために命を落とした暴君、そしてその暴君の命を奪ったサンドバシリスクすら上回るのだ。未だかつてこれほど能力の高い魔物とは出会ったことがなかった。
もし今の勇也のステータスを上回る存在がいるのだとすれば、それはそう、やはり疾風の勇者、チェイサーくらいのものだろう。
勇也も当然わかってはいるのだ。自分が未来の自分に勝てないことなど。
これだけ強くなってもなお、勇者という存在に越えられない壁を感じた。
ただステータスが上がっただけでは駄目だった。
銃弾は簡単に避けられる。挙句の果てには指で止めてしまうような相手だ。ただでさえステータスで負けている相手と戦うには、何かが必要である。
しかし、勇也にはそれが何かわからないし、そんな簡単に身に着けることもできなかった。
(邪神に何かもらっておけばよかった……)
そこまで考えた勇也は一つ閃く。
宝箱部屋、そこで何か手に入れることはできないだろうかと。
辺りを見回す。
自分がいるところだけ明るく、周りは暗かった。
勇也はここに至って、漸く自分が三階層にいることに気づいた。
三階層では大したアイテムが手に入らない。
勇也は肩を落とすのだが、それでももしかしたら何か手に入るかもしれないと思い、一度宝箱部屋を目指してみることにした。どこかの邪神が気を利かせてくれるとも限らない。
だが、歩き始めたところで、遠くからこちらに向かってくる集団に気付く。
向こうも同時にこちらに気付いたようで、一体だけが先行し始めたようだ。
勇也もすぐに臨戦態勢を取り、エカレスを構えようとするが、それが失われてしまったことに気付いた。当然サイコファンタムもない。
勇也は舌打ちしつつ、いったい何の魔物が向かってくるのか、目を凝らす。
「グゥルゥゥゥアアアアア!!」
雄叫びを発しつつ姿を現わした者。
それは魔物ではない、人だ。
人が魔物のような雄叫びを上げ、猛然と迫ってくる。
そしてその人物は、鉄仮面をつけているのだった。




