第七十八話 仮面
本日三話目。
目の前に現れた巨大な砂色の蛇。
ツヴァイは本能で悟る。
――こいつと絶対に戦ってはいけない!
「全員下がれ!」
ツヴァイが指示を出せば、妹たちは一斉に全員姿を消してバラバラに散った。
あとはただ一人、怯えて立ち竦んでしまっていた勇也をツヴァイが咥えて全力で疾走する。
ツヴァイは姿を消していない。
ツヴァイの持つスキルでは、勇也の姿を消すことはできないのだ。
それに姿を消したところで意味はないだろう。
蛇には赤外線探知器官がある。いくら姿を消したところで、その姿は
サンドバシリスクには丸見えである。
だが、勇也たちは運が良かった。
サンドバシリスクは本来夜行性だ。
今はちょうど休んでいた時であり、突如目の前に現れた勇也たちに驚いて行動をすぐに起こせなかったのである。
しかし、運が良いのはそこまでだった。
サンドバシリスクにしてみれば、目の前に食ってくれとばかりに餌が現れたのだ。
それをこのまま逃がしてやる必要はない。
全員捕まえて丸呑みする以外の選択肢などなかった。
そう、一体だけ逃げずに残った巨大なトカゲを殺してから。
「ギャアアアアアオオオオオ!!」
暴君が吠える。
それが合図となり二体は激突した。
サンドバシリスクに遭遇したら、死を覚悟しろ。
冒険者、それも初心者、中級者ならまだしも、経験と実力を併せ持つ上級者たちにまでそう言われていた。
冒険者たちにできることは、サンドバシリスクの縄張りを把握し、そこに近づかないことである。
もし遭遇すれば、生き残れるのは『ジズの雷』くらいのものだろうし、戦って勝つとなれば、それこそ『赤熱の魔女』くらいしかいない。
サンドバシリスクがそこまで恐れられている理由はいくつかある。
夜間でも確実に獲物を察知して、砂の中を泳ぐようにして気付かれず近づいて来ること。ステータスは魔力や知力を除けば軒並み40近くあり、戦闘になればまず勝てないこと。そして中でも一番厄介なのは、バシリスク種ならどの種類でも持っている猛毒だった。
伝承では見ただけで相手を殺すといわれるほどの猛毒。
実際にはそこまでではないが、ひとたび対峙することになれば、その恐ろしさを嫌というほど味わうことになるだろう。
苦しみと、恐怖の中で。
暴君は本能で、目の前の蛇が猛毒を持っていると理解した。
それでも自分は勝てる。なぜなら自分は最強の生物、竜種。その一角である最大級の地竜なのだから。
それに暴君は遠距離からでも戦える。
相手の隙を突き、最大火力のブレスを当ててやればいいのだ。そうすればどんな相手でも倒れる。
暴君の判断はある意味では間違っていない。
暴君のブレスは強力無比だ。直撃すればいかに勇也といえど、跡形もなく吹き飛ぶだろう。
だが、一方で暴君は判断を間違えていた。
暴君は知らなかったのだ。
目の前の怪物もまた、遠距離でも戦えるということを。
暴君は狙いをつけて隙を伺うのだが、上手く集中できない。
目が霞むのだ。
狙いをつけるどころか、立っていることさえ難しくなり始めていた。
やがてサンドバシリスクの体が二重にブレ始め、三つ、四つと姿は増えていき、ついに
暴君は立っていられなくなり、その場に横倒しになった。
暴君の周りにはいつの間にか紫の霧が発生している。
暴君はそれを吸い込んで倒れた。
そしてその霧を発生させた者の正体は、当然サンドバシリスクだった。
これこそサンドバシリスクが恐れられている所以、冒険者たちが「パープルミスト」と呼ぶ、サンドバシリスクが口から発生させる毒霧なのだ。
「コトネー!!」
ツヴァイに咥えられながら、勇也が絶叫した。
その勇也に向かって、サンドバシリスクは一直線に突っ込んでいく。
倒れた暴君には見向きもしない。
蛇の顎は、上下を二つの骨でつないでいることと、下顎の骨が真ん中で別れるようになっているため、明らかに自分の口より大きなものでも飲み込むことが出来る。
だが、さすがに暴君は桁違いだった。
これを捕食することはできない。サンドバシリスクはそう判断して暴君は捨て置いたのである。
「あ、ああ、コトネが、コトネが死んじゃう。僕のせいで……」
直後勇也がぐったりとし、譫言のように何かを呟き始めるが、ツヴァイはそれどころではない。
戦闘力はもちろん、素早さでもサンドバシリスクの方が上だ。このままでは二人とも捕まって丸のみにされてしまう。
勇也だけでも逃がしたいが、それも適わないだろう。
突如、サンドバシリスクの動きが止まった。
そして首を後ろに向ける。
そこには、倒れたまま首だけを動かし、サンドバシリスクの尾に噛みついた暴君がいた。
パープルミストだけでも並の冒険者や魔物なら死に至る。
だが、暴君は並の魔物ではない。
猛毒の霧を食らっても、まだ命は尽きていなかった。
しかし、暴君の力は弱々しいものだった。
何とか動きを押さえているだけに過ぎず、それだけで限界なのだ。
それでもサンドバシリスクにとってはこの上なく邪魔な行為である。
故に、サンドバシリスクは首をもたげる。そして、
「やめろー!!」
勇也が絶叫した直後、サンドバシリスクの牙が暴君に突き立てられた。
暴君が苦しげに表情を歪める。そしてそのまま、彼女の瞳から命の光が失われた。
「あああああ!! コトネーーーーー!!」
ツヴァイは冷静だった。
暴君を失っても問題はない。
少しの間一緒に戦った仲間とはいえ、妹の仇だ。それで心を乱されることはなかった。
だが、それでも、どんなに冷静に考えても、勝ち目どころか生き残る目がないのである。
後ろを振り向けば、そこには絶対的な死の気配を振り撒く恐ろしい怪物が自分たちを見ていた。
暴君のおかげで距離を稼げたといっても、たちまち追いつかれてしまうだろう。
――終わった。なら、せめて愛する主と共に……。
サンドバシリスクが再び突進の姿勢を取る。
そして進み始めようとした時、それは起こった。
爆風。
何もかもを吹き飛ばす強い風が、辺り一帯に吹き荒ぶ。
砂の嵐が視界を遮り、目を開けていることさえできない。
声を出すことすらできず、ツヴァイにできることといえば、必死に勇也を噛んで放さないようにしておくぐらいのことだ。
どれだけの時間が経っただろうか。
唐突に起こったその嵐は、また唐突に止んでしまった。
目を開けられるようになったツヴァイは必死に辺りの様子を伺うが、さっきまでいたはずのサンドバシリスクが跡形もなく消えてしまっている。
それどころか、暴君の巨大な亡骸さえもない。
「助かった、のか……?」
何が何だかわからない。
しかし、死を振り撒く厄災の如き化け物の姿は、最早どこにもなかった。
となれば、心配なのは勇也だ。
勇也は未だに暴君の死にショックを受けていた。
しきりに、「コトネが死んだ。僕のせいで死んだ。僕が守れなかった。僕が殺した」と呟いている。
ツヴァイが「さて、どうしたものか」と思った瞬間、彼女の全身に悪寒が走った。
ここで再び邪神の言葉が蘇る。
――ちょっとヤバい奴。
果たして、それは本当にサンドバシリスクのことを言っていたのだろうか。
答えは否だ。
死の気配は消えてなどいなかった。
ずっとそこにあったのだ。
形を変え、姿を変え、より濃密な存在となって。
ツヴァイは振り返る。
そこには、確かにもうサンドバシリスクはいない。
だが、一人の人族の男が立っていた。
驚くほど場違いな格好だ。
ツヴァイは知らないが、それは黒のスーツだった。全身を黒のスーツで包み、白いシャツ、黒いネクタイを締めている。
男がゆっくりと歩いて近づいてきた。
まるで散歩でもしているかのようであって、警戒しているような素振りも、これから何か仕掛けようとしているような素振りもない。
男はただ歩いているだけだった。
ただそれだけだというのに、ツヴァイは震えた。
恐怖のあまり気を失いそうだった。
そう出来たらどんなに楽だったろう。
だが、ツヴァイには勇也がいる。
勇也を守らなくてはいけないのだ。
「コトネが死んだ。僕のせいで、僕がいなければ」
勇也の独り言、それに対してスーツの男が声をかける。
「そうですね。君は生きていない方が良い」
そして、
タンっ。タンっ。
乾いた音が二発響く。
ツヴァイには何が起きたのかわからなかった。
気付けば、口に咥えていたはずの勇也が、眉間と左胸に穴を空け、ぐったりとしている。
「ぼ、坊や!!」
何が起きたのかわからず、それを為したであろう男をツヴァイが睨んだ。
男の手には勇也の持つエカレスとよく似たものが握られている。
そう、それは拳銃だ。
その銃の名はトカレフTT-33。
この世界に存在するはずのない武器だった。
「てめぇは、一体……?」
果たして男は答えた。
「私は魔王軍近衛兵団団長兼魔王様の執事、もしくはこう名乗ってもいいですね。疾風の勇者、チェイサーと」
全身黒のスーツ、そして仮面を被った男が優雅に礼をした。
それではまた明日。