第七話 アナベルさんが聞いてもいない夢を語りだしました。
今話から騒がしくなってまいります。
「死体を燃やしておかないと、血の臭いにつられて魔物が集まってしまうのです。この階にいる肉食の魔物はゴブリンぐらいのものですが、ゴブリンは共食いするのでやはり寄ってきてしまうのです」
アナベルはさっきの突然の暴挙についてそう説明してくれた。
僕たちは今、オークを取り囲んで絶賛食事中である。
きっと客観的に見たら、ゾンビ映画のように見えるだろう。オークがゾンビに襲われる人間で、僕とアナベルがゾンビだ。まぁ、こんな風に談笑してたら、カットされるだろうけど。
「じゃあ、心臓を食べてたのは?」
「あれはですね、アナが進化するのに必要な行為なのです。
アナは今、メイジゴブリーナですが、同族の心臓を百個食べればメイジホブゴブリーナに進化できるのです」
ほう、まさかゴブリンにそんな秘密があったとは。
いや、しかしそうすると、ゴブリンは進化するためにお互い殺し合うようになってしまうのではないだろうか。
そのことをアナベルに聞いてみると、
「大丈夫なのです。普通のゴブリンは同族の心臓を百個食べたからと言って、進化したりしません。ホブゴブリンは通常ホブゴブリンとして生まれてくるものなのです。アナが普通でないのは変異種だからなのです」
そういえば、アナベルのステータスにそんなことが載っていたような気がする。
「アナは夢があるのです」
お、何も聞いてないのに語りだしたぞ。
「アナはいつか人間になりたいのです」
貴女はどこの操り人形、もしくは妖怪人間ですか。
「人間なんかになって、何がしたいんですか?」
なんとなく、反射的にそんなことを僕は聞いてしまっていた。
でも、そうじゃないか。
人間は何よりも自分たちが優れていると思っている傲慢な生き物で、同族であっても何かが劣っていたり、自分と違いがあれば、蔑み、侮り、迫害し、妬む、そんな汚い生き物なんだ。
別に今のゴブリン、の雌のゴブリーナのままで十分じゃないか。
アナベルは僕を不思議そうに見つめていたが、すぐに口を開いた。
「アナは生殖器があります」
ごほっ。
むせた。何を突然この子は言い出すのだ。
「ですが、生殖機能はありません。
そもそもゴブリンの群れには、雌は一体だけ、クイーンがいるだけなのです。クイーンはハーレムの中にいて、一度に大量のゴブリンを産みます。そのため、通常ゴブリンに雌は存在しないのです」
僕の頭の中に映画の某地球外生命体のクイーンの姿が思い描かれる。あんな感じだろうか。
「アナは人族になって恋がしたいのです。アナはゴブリンにとって異物ですし、相手にしてもらえません。そもそもあんな野蛮で臭い連中、こっちから願い下げなのです」
アナはそう言って、ふんすっと鼻息を荒くする。
なるほど、アナベルの目的はだいたいわかった。ホブゴブリンに進化した後、どうやって人間になるのか、という疑問は残るが。
だが、僕はそれよりも気になることがある。いや、気になって気になって仕方が無く、というよりも、心にぐっさりとツルハシでも突き立てられた気分だった。
僕はアナベルからスススと離れて行く。
「に、臭いで人を判断するのはどうかと思うな」
アナベルが小首を傾げる。
そして、得心したらしく、慌てた様子で手を振って否定し始めた。
「ナ、ナガクラユーヤ様は確かに今、ゴブリンと同じ鼻がもげるような臭さですが、決して野蛮な方ではないと思うのです。それにゴブリンの臭いを体に沁み込ませた結果、そんな臭いになっているのです。服を脱げばきっと大丈夫なのです」
ちくしょう、まさかゴブリンに全力でフォローされる日が来ようとは。あと鼻がもげるとか言わないでほしい。
「ささっ、服を脱いで洗ってしまいましょう。もう称号もお持ちなようなので、匂いが無くてもゴブリンは騙されるのです。あ、でも、ホブゴブリンには通じないと思うので気を付けてくださいね」
アナベルに言われるまま、シャツを脱いだところで気が付いた。
僕は水の魔法が苦手なのだ。
アナベルにそれを伝えようとすると、なぜかアナベルがすぐ近くまで寄ってきていて、僕の体をぺたぺたと触り始めた。
「わー、よく体を鍛えていらっしゃるのですね。それに、くんくん、やっぱりゴブリンと比べたら全然臭くないのです。むしろなんだか、とってもうっとりする香りなのです」
何だ、この羞恥プレイは。
ゴブリーナにそんなことされたって全然恥ずかしくない、と言いたいのだが、アナベルの知性を感じさせる瞳と、可愛らしい声のせいで、とてもそんなことは言えなかった。
あの、ほんと許してください。
思わず泣いて謝りたくなる。
「そ、そういうアナベルさんはどうなんですか?」
僕はアナベルの体に顔を寄せ、匂いを嗅いだ。
あれ? 臭くない。
普段の僕よりも全然良い匂いがする。
モンスターに負けた、だと……。
「キャア! ア、アナは女の子なのです! 魔物だけど乙女なのです! 乙女にそういう事するのは良くないと思うのです!」
アナベルはそう言って体を離し、僕に背を向けて蹲ってしまった。
何だろう、この可愛い生物は。
本当にモンスターなのだろうか。
しかし、やめて欲しいことはやめて欲しいと伝えなくてはなるまい。
「じ、自分だってしたじゃないですか。自分がやられて嫌なことは、人にもしない方が良いと思います。あ、それより、僕は水魔法が苦手で、服を洗えるほどは水が出せないんですよね」
「うぅ、善処します。水魔法でしたら、アナにお任せください。お肉を分けていただいたお礼なのです。あ、ですが、ナガクラユーヤ様は一つ勘違いをしているのです。それについては洗濯が終わったらお教えします」
「じゃあ、お願いします」
僕はこのゴブリーナを信用して任せることにした。
何だか同じ人間より、よっぽど信頼できるような気がするのだ。洗濯してくれるだけではなく、魔法についても何か教えてくれるようだし。
僕は早速ズボンも脱ぎ、パンツに手を掛けたところで、
「キャッ……、な、何でもないのです。さ、どうぞ」
何でもあるな、これは。
アナベルは両手で顔を覆っているのだが、指の隙間からバッチリこちらを見ている。
「あの、後ろ向いててもらえますか」
「な、何を言っているのです? アナは魔物、いてもいなくても大した違いはないのです。アナのことなどお気になさらずに、さぁどうぞ!」
気にするわ!
僕は辺りを見回し、大きな岩を見つけるとその陰に入って行って体を隠した。そしてアナベルの方に向かってパンツを放り投げた。
「じゃあ、お願いしますね」
「くっ、にっくき岩なのです。あんなもの、アナの炎で溶かしてやればよかったのです」
何か恐ろしいことを言っているようだが、気にしたら負けな気がする。
しかし、着替えを持って来られなかったのは痛い。
鞄の中に入っていたジャージさえあれば、こうやって全裸で岩の陰に隠れるという間抜けな目に遭わなくて済んだだろう。そもそもジャージの方が動きやすかっただろうし。
いや、待てよ。あの魔方陣が現れた時、僕は手に鞄を持っていなかっただろうか。少なくとも異世界召喚された時点では手に持っていなかったし、そこら辺に落ちていたという事もなかったと思う。あの「死ね」というコールのせいで頭に血が上っていて、いまいち記憶にはないのだが。やっぱり気のせいだったかなぁ……。
試しに『取立て』を使ってみても、僕の鞄が現れるという事はなかった。
「洗い終わりました。乾かすのはお任せしてよろしいでしょうか? ナガクラユーヤ様は火魔法の消費魔力が低いようですので」
「ありがとうございます。では、火よ、明りを灯せ」
「あ、ではついでに先程のラビコーンをお貸しいただけますか。アナが捌いて干し肉に致しましょう」
アナベルが岩の上に広げてくれた制服の近くに人玉を浮かべる。
さらにその近くに、アナベルは捌いたラビコーンの肉を広げた。さよならラビぞう。
しかしアナベルは女子力が高いな。
「ところで、ナガクラユーヤ様はオキゾク様なのでしょうか? オキゾク様の冒険者様なのですか?」
オキゾク? ……ああ、貴族のことか。
「いえ、僕は貴族でも冒険者でもありません」
「では兵士様でしょうか?」
「いえ、それも違いますね」
「?? 冒険者様でも、兵士様でもないのに、ダンジョンにいらっしゃったのですか?」
僕はアナベルにここに連れて来られた経緯を説明した。
まぁ、異世界だと言っても理解はできないだろう。
「なんと、こことは異なる世界から召喚されたのですか。なるほど、空間によって隔絶された世界ですか、興味深いのです」
忘れていた。彼女は僕より知力が高いんだった。
「それにしても、そのオキゾク様と兵士様は酷い奴らなのです。これは誘拐なのです! 監禁なのです! 拷問なのです!」
「はは、そうだね。はぁ、僕は日本に帰れるのかなぁ」
僕がそう呟いた途端、アナベルが急に身を乗り出してこちらを覗き込んできた。慌てて顔を鷲掴みにし、岩の反対側に押し返す。
「あわわわ、違うのです。覗こうと思ったのではないのです。眼福なのです」
おい、最後に本音が漏れたぞ。
「で、何なんですか?」
「今、日本と仰いましたか? ああ、そうですか。そういうことですか。わかりました。むしろなぜアナはすぐに気付かなかったのでしょう。自分の愚かさが恨めしいのです」
「ちょっと、アナベルさん? 一人で納得してないで教えてくださいよ」
「も、申し訳ないのです。ナガクラユーヤ様もすでにお気づきでしょうが、アナの使っている言葉は日本語です。そして、これを見てください」
そう言ってアナは、ポシェットから一冊の羊皮紙でできた本を取り出した。
まず、題名が日本語である。
そういえば、あの貴族風の男が用意した本も日本語で書かれていた。
「アナはこのダンジョンから出たことが無いのであまり詳しくありませんが、外の世界の方々はご覧の通り、日本語を使っているのです。日本語は、勇者召喚によって導かれた日本人の勇者様たちの伝えた言葉なのです」
まさかの展開だ。という事は、僕や他のクラスメートも勇者だというのだろうか。
僕が疑問に思っていると、アナベルがその疑問について教えてくれた。
「ですが、ナガクラユーヤ様は『勇者』のスキルをお持ちではありません。きっと勇者召喚とは異なる方法で召喚されたに違いないのです。
そして、それは何かの実験なのでしょう。その実験に選ばれたのがこのダンジョンというわけなのです。
だから、お師匠様は……」
最後の言葉は尻すぼみになって消えていき、何を言っているのかわからなかった。
だが、アナベルの言葉で分かったことがある。いや、初めからわかっていたことでもあるのだが。
それは、僕たちを召喚した奴らが極悪非道で、力を持った危険な集団であるという事である。それがまだ邪神教徒だとかなら良かったのに、確かに奴はこう言っていた。「我らベリリア王国の兵士として迎え入れましょう」と。つまり、僕の敵は国家そのものである可能性が高いのだ。
はぁ。
溜息を吐きつつ考える。果たしてここから出られたとして、僕は助かるのだろうか。ダメそうだなぁ。
一時間ほどすると服が乾いた。
その間ゴブリンが度々この広間を通過して行ったのだが、「ギガガ!」と、例のごとく挨拶を交わすだけで去って行ってしまった。
焼きオークはちらりと見るだけで、食いつこうとはしない。アナベルによると、ゴブリンは生肉にしか興味が無いらしい。
だが、オークは何でも食べるそうで、二階層に近いこの場所は目の前の焼きオークのように、オークが通ることもたまにあるらしいので、気を付けた方がいいそうだ。運良くあれからオークには出くわさなかったが。
僕は制服を着て、バックパックを背負った。
ともかく先に進むしかないのだ。
アナベルのおかげでここが二階層に近いという事もわかった。
正直一階層より魔物が強くなるという二階層に恐怖もあるが、『未知』に対する冒険への期待や高揚もある。
僕は覚悟を決めた。
「それじゃあ、アナベルさん、お世話になりました。お元気で。
あ、僕以外の日本人もいますが、いきなり襲い掛かってくるという事も考えられるので、油断しないでくださいね。それに油断させて何か奪い取ろうしたりもするかもしれません。くれぐれも気を付けてください」
「えっ、もう行ってしまわれるのですか?」
「ええ」
「ちょ、ちょっと待ってください。もう少し、……そう、二階層までご案内いたしましょう。そ、それに、ナガクラユーヤ様の魔法の使い方について、お伝えしたいことがあったのです」
ん、何だろう? 魔法の使い方か。ああ、そういえばさっきもそんなこと言ってたな。すっかり忘れてた。
結局僕とアナベルは連れ立って歩き始めた。
「どうやら、ナガクラユーヤ様は精霊魔法について勘違いされているようなのです。確かにナガクラユーヤ様は偏った親和性をお持ちのようですが、親和性と魔法の威力は関係ないのです。親和性と関係があるのは消費魔力なのです」
「え? でも実際に水の魔法を唱えても、大して水の量は出ませんでしたよ」
「それは先入観のせいなのです。苦手だと思って、上手くイメージが掴めていなかったせいではないかと、アナは愚考するのです」
なるほど、言われてみれば確かにそうかもしれない。
自分のステータスを確認した時に、あまりの偏りに愕然としてしまっていたのは事実である。
試しに、空に近くなってきた水の入っている皮袋を取り出し、そこに向かって意識を集中させる。
「水よ、潤いをもたらせ」
魔力は一気に持って行かれた感じがするが、効果の方はどうだろうか。
皮袋が徐々に重くなり、口から水が溢れ出てきた。
明らかに、初めに試したときは効果が違う。
「おお、上手くいきました。アナベルさんの言ったとおりでした。ありがとうございます」
「い、いえいえ、アナは大したことはしていないのです」
さらに土魔法も試してみたが、今度はちゃんとお皿の形になった。
だが、これ以上むやみに魔法を使うのはやめておこう。魔力が枯渇してしまいそうだ。
「よろしければ中級魔法もお教えいたしましょうか? ナガクラユーヤ様なら、きっと使いこなせると思うのです」
「え、いいんですか? う~ん、でもなぁ……」
アナベルの親切が止まらない。
初めはちんちくりんの変なゴブリン程度にしか思っていなかったのだが、まさかこんなに良い子だったとは。
しかし、このままアナベルの親切に甘えているわけにもいかない。
それにアナベルの考えていることは、なんとなくだがわかった。だが、それがどうして僕なのか、が分からない。
悩んでいる内にまた広間へと到達してしまった。
だが、今度は今までの広間とは大きく違う。
広間の半ば程から、広い下り坂が広がっているのだ。下の方は松明が灯っていないようで、暗くて見えなかった。
「では、二階層へ下りられますか? 中級魔法については、そうですね、また歩きながらでも説明いたしましょう」
「アナベルさん」
「はい、何でしょう?」
「僕はこれから五階層まで、いや、もしかしたら六階層まで下りようと思います」
アナベルがごくりとつばを飲み込んだ。
「じ、『地獄』に行かれるのですね」
えっ!? 何それ、聞いてない!
いや、今はアナベルに伝えなくてはいけないことがある。心を落ち着けて、
「すいません、『地獄』って何ですか?」
ちょっと無理でした。
「ダンジョンの三階層から下は、魔物の強さもかなりのものなのですが、その階層自体の環境の厳しさから、それぞれ『地獄』と呼ばれているのです」
今度は僕が生唾を飲み込んだ。
「けほっ、な、なるほど。と、ともかく僕は下の階層を目指さなくてはならないのです。そうすれば、きっと一緒にいる者にも危険が及ぶでしょう。それは、わかりますよね?」
「はい、かと言って例えば二階層に留まり、生活を続けていけたとしても、きっと近い内に王国から刺客が送られると思うのです。そうなれば、浅い階層に留まっていた者がどうなるかはわからないのです」
すいません、さすがに僕はそこまでわかっていませんでした。
「実はアナも、どうしても確認しなくてはいけないことができたので、五階層を目指そうと思っていたのです。あ、あの、そ、そそそれで、ももももももし、よろしければなのですが、い、一緒に連れて行ってはもらえないでしょうか?」
僕が考えていたのは反対のことだった。
これ以上僕と一緒に行動すると危険である、だからこれ以上ついて来ないでくれ、そう言おうと思っていたのだ。
「なぜ、僕なのでしょう? なぜ僕を選んだのでしょう?」
アナベルがキョトンとする。
「そう……ですね。アナはナガクラユーヤ様を選んだのですね。あとを追おうと、声を掛けてみようという選択肢を、アナは選んだのです。
正直に言うと、よくわからないのです。初めはゴブリンの死体に話し掛ける変な人だと思いました。あ、すいません」
「いえ、いいんです。あの時は確かに僕もどうかしていたと思うので。続けてください」
「あ、はい。
その、変わっているお方だとは思ったのですが、アナを待ち伏せしていた時も突然襲い掛かったりしてきませんでしたし、次に話し掛けた時も普通に対応してくださいました。その後も、こうして丁寧に話してくださいますし。
普通のゴブリンはそもそも誰かと話したいなんて思わないのでしょうが、アナは変異種で、誰かとお話ししたいのです。ですが、ゴブリンは話し相手にならないですし、人族も魔物なんか相手にしてくれません。こうしてアナに話して、優しくしてくれたのは、今までお師匠様と、ナガクラユーヤ様だけなのです。だから、アナはナガクラユーヤ様と一緒に行きたいと思うのです。
やはりダメでしょうか? アナみたいな半端者の異物は……」
ああ、何だろう、この胸を締め付けられるような感情は。
僕はこの感情を知らない。何と呼べばいいのかわからない。
「僕も……異物なんだ。誰も僕のことなんて必要としない。誰も僕を顧みない。むしろいなくなることを望まれていた。それでも良いと思った。世界に僕を受け入れて欲しくなんかない。たとえ世界全てが敵だったとしても、僕は一人で生きていく。そう思っていた。でも、……一人は寂しいね」
僕は鋼鉄に包まれた手をアナベルに差しだした。
「アナベルさん、僕の仲間になってくれますか?」
アナベルは躊躇うことなく、僕の手を掴んだ。
「はい、不束者ですが宜しくお願い致します」
胸の内に温かな感情が流れ込んで来る。こんな感情は今まで知らなかった。それを人が「幸福」と呼ぶということも。
僕の口が自然に笑みの形を作る。
誰も信じていなかったはずの僕が、初めて誰かを信じた瞬間だった。
明日も同じ時間(21時)に予約掲載する予定です。