第七十話 再び迷宮へ
5/3に六十八話を六十九話に変更し、新たに六十八話を投稿しています。紛らわしいことしてすいません(汗)
ベリリア王国の王城内の一室。皮張りの高級な椅子に、同じく高級そうな机、他にもいくつか金のかかった調度品がその部屋には並べられているのだが、それらは決して下品ではなく、質がよく洗練されたものであった。
その部屋の主であるバーソロミュー・ド・クインズベリー侯爵、彼はこの部屋の主に相応しい美丈夫であり、家柄はもちろん、実力から所作に至るまですべてが洗練されている。一見すれば。
実際には部下を駒のように扱い、人を消耗品のように使い捨てる極悪非道の人物なのだが。
クインズベリーの裏の悍ましい顔は一般的には知られていないが、この部屋にいるクインズベリーの部下である彼女、ボニーは当然の如く彼の本当の顔を知っていた。
そしてそのよく知る彼の顔が、心から嬉しそうに微笑んでいる。
上司の機嫌が良いのは、普通なら安堵できることなのだろうが、クインズベリーの場合は違う。少なくともボニーにとっては歓迎すべきことではない。
しかも今は戦争の真っ最中だ。
まだ敵の魔族たちはベリリア王国まで攻め込んで来てはいないが、この国が戦場になるのも時間の問題である。
それなのにもかかわらずこの上機嫌、ボニーが寒気に襲われるのも無理はなかった。
「ああ、何ということでしょう。嘆かわしいことについに戦争が始まってしまいましたよ!」
「……全然嘆かわしそうに聞こえないっス」
しかしクインズベリーは、ボニーの言葉など聞こえないというように勝手に話を続ける。
「敵は我々人族より強大な力と魔力を誇る魔族。人族が苦戦を強いられることは必至です。で・す・が、私はこの日のためにちゃんと準備を進めてきました。犠牲は多々ありましたが、そんなのは些末なことです。すべてはそう、悪しき魔族どもを撃ち滅ぼす勇者を我々の手で作り出すため!」
普段は冷徹で貼り付けたような笑顔のクインズベリーが喜色満面、立て板に水だ。
クインズベリーの機嫌に比例して、ボニーの不吉な予感も上昇していく。ボニーは今すぐこの部屋から逃げ出したいのだが、無論そういうわけにはいかない。
「そして人造勇者計画は見事に成功しました。本物の勇者を打ち倒すまではいきませんでしたが、撃退することができたのですから!」
事実は違うのだが、そのことを知る者はこの部屋の中にいない。
無論、その事実を知るイーターがここにいたとしても、それを話すことは無いのだが。
「しかもなんと運の良いことでしょう。今この国には人造の勇者、イーターのほかにも、その素質を秘めたものが数多くいるのです。しかも彼らが勇者になれなかったとしても、彼らはイーターの糧となり、彼の新たな力となります」
「は、はぁ、それは良かったッス」
ボニーは知らずに後退りを始める。
だが、当然彼女に逃げ場などなく、クインズベリーが逃がすということもあり得ないのだった。
「さ、ということで、迷宮に行って来てください」
クインズベリーはあっさりと言ってみせるが、それは命を掛けて来いと言っているのと同義だ。
それも、今度の危険度は前に一階層に潜った時の比ではない。
今回向かうのは一階層ではなく、五階層である。
この国でそこまで到達できる者はほんの僅か。そして五階層にある出入り口から迷宮に潜ることもできるが、わざわざそんなところから迷宮に潜ろうという者は、この国では赤熱の魔女かジズの雷くらいのものだ。
当然ボニーにそこまでの実力はないのだが、それを可能にしてしまうのがイーターの存在であり、その頼れる仲間のはずのイーターがボニーの命を脅かすことの一因でもある。
「うぐぅ、死ぬッス。今度の今度こそ死ぬッス」
「はは、大丈夫ですよ」
クインズベリーの言う「大丈夫」とは、ボニーの命を保証しているのか、それともボニーの死後の自分についてを保証しているのか、それは言うまでもない。
かくしてボニーが再び地獄へお使いに行くことが決まったわけだが、運が良いのか悪いのか、いや、ボニーの運のなさは筋金入りなのだが、その前に執務室のドアがノックされた。
トントントンっ!
その音はこの優美な執務室には似つかわしくない忙しなく喧しいものだった。
クインズベリーの部下は、普段このような品のないノックは絶対にしないため、ノックの音で要件が火急のものだということがわかる。
「何かね?」
クインズベリーが機嫌をやや下降させながら応えた。
「はっ、失礼いたします」
中に慌てた様子で、それでも最低限の儀礼は忘れずに兵士が入ってくる。
ボニーはその兵士を、僅かばかりに期待を込めて見つめた。もしかしたら自分の地獄行きが中止になるかもしれない、込められていたのはそんな願いだ。尤も、半ば諦めてはいるのだが。
「報告いたします。王都内にあるベリリア地下迷宮五階層に通じる転移魔方陣がその機能を失い、迷宮内部の転移魔方陣付近に配備していた兵と連絡を取ることができません」
「なにっ!?」
クインズベリーのさっきまでの機嫌の良さは一瞬にして霧散した。
無理もないことだ。
そろそろ召喚した日本人たちは五階層付近まで到達しているはず。五階層にイーターを転移させて一気に狩り尽すという計画だった。
クインズベリーの計画は頓挫してしまったのである。
一方、ボニーは今にも天に向かって祈りを捧げそうな勢いである。というより、心の中ですでに捧げている。無論、感謝の祈りを。
これでボニーの地獄行きは無くなった。クインズベリーの機嫌は過去最高に悪くなるだろうが、自分の命とは当然代えられない。と、ボニーは安堵しかけるのだが、
「仕方がない。兵を集めてください。私も向かいましょう。準備出来次第すぐに出発です」
「へっ!?」
ボニーが間の抜けた声で返事する。
それに対してクインズベリーは冷たく見返すだけだ。
「ちょちょ、ちょっと待ってください。どうやって行くんスか? 転移魔方陣は壊れちゃったんスよね?」
クインズベリーの眼が「何を言っているんだ」というように細められた。
「だったら一階の入り口から入ればいいでしょう」
「な、何十日もかかるっスよ?」
「だから急げと言っているんです」
「何十日間もイーターと過ごすなんてあーし一人には到底不可能ッス」
イーターの鉄仮面は一人しか主として登録することができない。
もちろんクインズベリーが登録者なのだが、今までは「ボニーの言うことを聞くように」というように、裏技のような命令を使っていたのである。
しかし、直接命令するのが登録者のクインズベリーではないため、それでは命令の効果が薄れるのだ。
だがそれも、クインズベリーの出した命令の中に解決策が含まれていた。
「だから、私も行くと言っているでしょう」
「でも、もしも侯爵様の身に何かあったら……」
「何もないように必死に守ってください。私が死ねば、当然あなたたちも死にますので」
「……うぅ、承知しましたっス」
ボニーは肩を落としつつ、漸く観念したのだった。