第六十七話 空中格闘
地球上では翼竜と呼ばれるものによく似た異世界の魔物たち、飛竜が自在に宙を飛び回る。
その動きは縦横無尽。フィクションの中では自由に飛び上がり、羽ばたいて方向転換することも可能なのかもしれないが、専門家が見れば有り得ないと思うような自由な動きだ。
だが、そんな彼らが次々と自由を失って墜落していく。
ほとんどの者が体の一部、ある者は心臓を、ある者は首から上を、飛ぶことに必要な翼ではなく、その生命を保つのに必要な機関を失いながら。
彼らを撃墜する者、勇也は飛竜よりも速く飛び回り、彼らよりも自在に羽ばたいていた。
勇也を上から抑えようとする飛竜が束になって襲い掛かる。
勇也はそれを回転して背面飛行で迎え撃ち、エカレスで次々に撃ち抜き、破壊していく。
飛竜たちは上からだけでなく、後方からも勇也に襲い掛かろうとする。
しかし勇也はそれを宙返りして躱し、今度は自分が飛竜たちの上を押さえた。
そしてまた同じようにエカレスの引き金を引き、何体もの敵を撃ち落としていく。
さらには、自らの翼を折りたたみ、まるで飛び込むように飛竜に向かって降下、直接殴りかかって行き、常人を超えた膂力で以って、飛竜の首をへし折っていった。
正しく空中格闘と呼ぶべき戦いなのだが、空中格闘とは呼べないだろう。
勇也は後方から追ってくる相手であっても迎え撃てるし、縦横無尽に戦うことが出来るのだ。
それは飛竜も同じはずなのだが、勇也相手にはまるで歯が立たないようだった。
負けじとブレスを放っても、勇也はいとも簡単にそれを避けてしまう。
飛竜たちは次々とその数を減らしていき、彼らの攻撃は勇也に通用しない。
ここに来て漸く飛竜も自分たちが格上を相手にしているという事に気付いたようだった。
勇也は魅力的な餌であるが、到底敵うことは無く、このままでは自分たちが丸々狩り尽くされてしまう。飛竜たちはそう判断し、続々と戦線を離脱し始めた。
「やっと退いて行きやがったか」
ツヴァイが四方に散って行く飛竜を見上げながら呟く。その表情には安堵の色が窺えた。
尤も、その色はすぐに霧散することになる。
「上に逃げる魔物を撃ち落としてください!」
「っ!!」
飛竜、プテラゴンはツヴァイたちドラゴニクスと比べれば、いくらかステータスでは劣る種である。しかしそのステータス差はさほど変わらず、飛行できるというアドバンテージがある分、ツヴァイたちから見れば十分脅威に値する相手なのだ。
それと戦えという勇也の命令にツヴァイは目を見開き驚くが、一つ溜息を吐くと諦めて中空を睨んだ。
自分の主たる勇也はそういう奴なのだと、ツヴァイもこの数日の旅でとっくに理解している。
だが、勇也の命令はそんなに簡単なものではない。
彼我の距離はかなり離れており、ジャンプして食いつくわけにもいかない。そのまま真っ逆さまに落ちて行くのが関の山だ。
勇也も当然それがわかっていて「撃ち落とせ」という命令を下している。つまりブレスを使えという事だが、問題があるのはそこだった。
ツヴァイたちが使えるブレスは一度の戦闘で三発が限界。ということは、四体合計で十二発撃てるわけだが、プテラゴンはまだ三十体近く残っている。
自分たちで到底狩り尽せる数ではない。
ツヴァイは幾分呆れた気持ちで、しかし命令には従って攻撃を開始した。
キンッ!!
耳をつんざくような音がいくつも断崖絶壁の岩場に響き、その音が聞こえるたびに飛竜が一匹、また一匹と体から血を吹き出しながら墜落していく。
残った飛竜たちは下から飛んでくるブレスを避けつつ、さらに黒い翼を持った自分たちよりも何回りも小さい悪鬼から逃げ惑った。
そう、彼ら飛竜にとって勇也の存在は災いを撒き散らす悪鬼そのものだ。
普通は、襲い掛かられれば反撃し、撃退できればそれで終わりである。撃退した敵を食料とするわけでもなく必要以上に追い回すような魔物なんてあまりいない。それが彼らにとっての常識だった。
それにもかかわらず勇也は、逃げ惑う彼らを容赦なく追い回し、次々と屠っていく。
いや、食事中でも獲物を見つければ、食事を中断してでも襲い掛かっていく生物は存在する。
しかし飛竜たちはそんなものの存在を知らず、今初めてそんな獰猛な敵に遭遇したのだ。
突如現れたその災いに、彼らが恐慌状態をきたすのも無理はなかった。
勇也はすでに笑っていない。
何の感情も籠らない瞳で飛竜を見つめ、恐慌状態に陥った彼らを確実に仕留めていくだけだ。
離れたところにいる敵はエカレスで撃ち殺し、近くにいる敵は飛びついてその首をへし折る。
敵を殺す。敵を殺す。敵を殺す。敵を殺す。敵を殺す。敵を殺す。敵を殺す。敵を殺す。
飛竜たちはすでに勇也の敵ではなく、そしてそれは最早戦いではなく、虐殺だった。
勇也とてそんな残虐なことは望むところではない。
しかし、彼らプテラゴンはなかなかに戦闘力が高く、もしかしたらアナベルの障害となりえるかもしれない。勇也はそう判断したのだ。
そしてそう判断したのなら、勇也のすることは決まっている。
アナベルの障害は取り除かなくてはいけない。一匹も残すことなく。
「アナ、アナ、アナ……」
勇也はただアナベルのことを考え、徹底的に飛竜たちを屠っていったのだった。
飛竜の群れが全滅するのにさほど時間はかからなかった。
それでも勇也はさすがに体力を消耗し、肩で息をしながら巨大な穴を降下している。
ツヴァイはそんな勇也に休憩を進言したのだが、勇也は聞き入れなかった。
下には暴君がいる。かなりの高さから落としてしまったが、彼女の生命力ならおそらく生きていると勇也は考えた。
だが、無事でいるとは限らない。怪我ぐらいはしているのかもしれないのだ。もしそうなら、勇也は自分の体を彼女に分け与える必要がある。
「そんなに疲れてるってのに、なんだって皆殺しにしなきゃいけなかったのか……」
ツヴァイのその言葉は、半分愚痴の独り言のようなものだったのだが、少し離れた場所を飛んでいる勇也の耳に偶然届いたようだ。
「くふふ、あははははは!」
ツヴァイの疑問は、勇也にしてみればなぜそんなことを疑問に思うのかわからないほどの当然のことだった。
「すべては愛するアナのため。決まっているじゃないですか。あははははは」
ツヴァイは勇也を訝しむような表情で見つめる。
アナという、恐らくは人物だと思われる名前はたびたび勇也の口から発せられていた。だが、その人物について詳しいことは一度も聞いたことがないのだ。
勇也が話さなかったということもあるが、ツヴァイ自身、その人物について問うことを恐れたのである。
控えめに言っても勇也は正気を保っているとは見えなかった。
その彼が時折口にする人物だ。
妄想の中の人物、とまでは考えなかったが、すでにこの世にいないという可能性は十分に考えられる。
なぜならツヴァイは、アナという人物を一度も見たことがないのだから。
「そう、アナは僕のすべて。僕の彼女のために生き、そして……おや? 空気が変わりましたね」
勇也の言う通り辺りの空気が変わり始めていた。
今までじめじめとした暑さだったのだが、周りの空気から体にまとわりつくような不快さが消えていたのだ。
だが、温度自体はむしろ上がっていた。身を焦がすような暑さだ。
「ああ、どうやら五階層に到着したらしい」
そう、勇也たちはついに五階層、風針地獄に到達したのである。
それと同時に勇也たちの耳に聞いたことのあるような叫び声が届いてきた。
「ギャオー!!」
「無事だったみたいですね」
だが、なにやら様子がおかしい。
その声は勇也に気付いて落としたことへの抗議を表すものでもなく、主への甘えを表すものでもなかった。
それは明らかに、何かに対して威嚇しているような声だったのだ。
「何かと戦っている……?」
下降するにつれて徐々に暴君の様子が見えてくる。
暴君は勇也にかなりの高度から落とされたにもかかわらず、無傷のようだった。
さすがは四階層最強の魔物というところなのだが、今の問題はそれよりも暴君の戦っている相手だ。
下降する勇也は暴君の姿をしっかりと捉えられているのだが、戦っている相手が見えない。勇也に見えているのは、暴君が勇也には見えない何かと対峙し、威嚇している姿だけだ。
いったい暴君は何と戦っているのか?
可能性はいろいろと考えられる。
姿を隠すことのできる敵であったり、地中に身を潜めている敵、もしかすれば、勇也の目に留まらないほどの速度で動きまっているのかもしれない。
しかし答えはどれでもなく、もっと単純なことだった。
勇也がさらに高度を下げる。
そこで漸く暴君が対峙している者の姿を捉えることに成功した。
単純に姿が小さすぎて見えていないだけだったのである。
そして相手は三体、いや、二体の魔物と一人の人間だ。
「人間? 誰だ?」
勇也がさらに高度を下げる。
敵に気付いたツヴァイたちはすでに姿を消しており、勇也の指示を待ちながら彼の後に続いた。
だが、暴君と対峙している相手はかなり鼻が利くらしく、敏感に近づいてくる者の存在を察知したようだ。
「あ? 別な臭いが混じりやがっタ。暴君の食い残しでも狙ってやがるのカ?」
勇也が首を傾げる。
しゃべり方に違和感があるものの、その声にどこかで聞き覚えがあったのだ。
暴君と対峙しつつも、勇也たちに気付いたその魔物が上を見上げた。
そして勇也としばし見つめ合う。
「お、お前はゴブリンの嬢ちゃんと一緒にいた餓鬼カ? 落ちて死んだと思っていたが、化け物になって生き返ったのカ?」
暴君と対峙していた相手、それは二階層で勇也とアナベルを襲ったウェアウルフ、銀の牙だったのだ。
「永倉か?」
さらにウェアウルフ二体と一緒にいた人間が勇也に声をかける。
すでに制服姿ではなく、茶色の外套を羽織っているのだが、それは間違いなく勇也と同じクラスの男子生徒、原田陸だった。
それまで彼らを睨んでいた暴君も勇也を見上げる。
勇也の味方であるならば攻撃するわけにはいかない。
その場にいる全員の視線が勇也に集中した。
しかし勇也は、
「……誰?」
やはり覚えていないのであった。
アシダカグモはお食事中でもGが目の前を通ると襲い掛かるらしいです。あと、アナコンダが映画でそんな設定でしたけど、事実かどうかは知りませぬ(汗