第六十四話 対暴君.02
「フュンフー!!」
ツヴァイの叫び声が密林に木霊した。
「くいー!」
「くー!」
「くえー!」
ツヴァイに続くように、他の姉妹たちも次々に鳴き声を上げていく。しかし彼女たちの呼びかけに返ってくる鳴き声はない。
フュンフのいた場所は木々が薙ぎ倒され、土が大きく抉れていた。
その様子を見れば、彼女の姿がもうすでにそこにないことは一目瞭然だ。
果たしてそれが何を意味するのか。ツヴァイたちは嫌でも悟らざるを得なかった。
「く、くそ、よくも妹を……」
ツヴァイは悲痛な声を漏らす。
しかしそうしたところでフュンフは戻ってこない。
ツヴァイはそう自分に言い聞かせ、怒りと憎しみを込めて暴君を睨みつけた。
暴君はツヴァイの憎悪の籠った視線などまるで意に介していない。というよりも、気付いてさえいなかった。
頭にあるのは、漸く五月蠅い虫が一匹消えたという事だ。いや、暴君はすでに勇也も倒したと思っている。つまりこれで二匹目。勇也に最後放とうとしたブレスは、その目障りな姿までも完全に消し去ってやろうと考えただけなのである。
あとは残りのドラゴニクスを始末するだけだと考えていた。
目障りな虫どもを蹴散らし、この階層の王者である誇りと心の安定を取り戻したかったのだ。
だが、勇也は当然死んでなどいなかった。
いや、勇也は何度死んでも蘇る。それが彼の力なのだ。
ドガァァァンッッッ!!
密林に強烈な炸裂音が響いた。
次いで、
ドォォォンッ!!
――GYI!!??
突如起きた爆音、そして自らに起こった今まで味わったことのない凄まじい衝撃、暴君は訳も分からず、ただ地面に倒れることしかできなかった。
それを起こしたのは、すでにすべての傷を回復しきり、空中に浮遊したまま両手でハンニバル・モデル・ライフル、サイコファンタムを構えた勇也だ。
サイコファンタムの長い筒の先端からは煙が上がっている。そこからT-REXライフルが放たれていた。そして勇也の撃った弾は、勇也の撃てる魔法で最高の威力を誇る、プラネットフレアだった。
それが命中した暴君は、左腕を胸の辺りから丸ごと消し飛ばされ、そのあまりの衝撃に倒れたのだ。
勇也は倒れた暴君を見る。
そしてすぐに視線は移り、フュンフのいた辺り、暴君の放ったブレスにより木々が薙ぎ倒され抉れた地面を見た。さらに四体に数の減ってしまった項垂れるツヴァイたちと妹たちの姿を捉える。
それらを見れば、何が起きたかはすぐに分かった。
「僕の眷属を殺したのか……?」
フュンフに対して、勇也は特別大きな感情を持っていたわけではない。正直なところ、誰が殺されたのかわかってすらいないくらいだ。
それでも勇也の瞳には怒りと憎悪が宿っていた。
その視線が再び暴君に移る。
勇也はサイコファンタムを構えたままゆっくりと降下していき、銃口を暴君の眉間へと定めた。
四体になってしまったツヴァイたち姉妹も、勇也たちのもとに寄って行く。
彼女たちは、漆黒の翼を広げ徐々に降下してくる勇也を見つめていた。彼女たちが今望むことはただ一つ、妹の敵討ちだ。
暴君もまた、勇也を見上げていた。
体の一部を吹き飛ばされてなお、彼女には意識がまだあったのだ。
だが、それももうほとんど虫の息である。勇也が止めを刺さなくとも、このまま放っておけば一日と経たず命を失うことになるだろう。
そんな彼女にとって、勇也の存在は正しく死神だった。天から現れ、彼女の命を刈り取らんとする死神、いや、漆黒の翼を持った勇也は悪魔にも見えるだろうか。
ボルトハンドルを操作しつつ、暴君に勇也が近付いて行く。
暴君はその様子をただ見つめていた。
彼女は、自分の死が近づいていることは当然理解している。そして絶対に助からないことも。
ならば無様に死から逃れるようとするよりも、こうして自らに死を運ぶ者を睨みつつその瞬間を見つめているのだ。それが王者たる彼女が最後に持ちえた矜持とも言えた。
勇也と暴君との距離はもうほとんどない。
この距離から外すことは有り得なかった。特に自動照準のスキルを持つ勇也ならなおのことだ。
それでも外すことが無いよう勇也はしっかりと狙いを定める。
「よくも僕の眷属を、よくも凜華を……」
勇也は暴君を睨むが、暴君も負けじと勇也を睨み返していた。
この状況でも未だにそんな力が残っているのかと、勇也は少し怯む。
それと同時に勇也の中に疑問が生まれた。このまま暴君に止めを刺していいのかという疑問だ。
勇也の目的はアナベルの障害になりそうな敵を取り除くことである。その過程で戦力を補強できるなら、それに越したことは無い。
つまり、暴君は殺すのではなく、仲間にすべきなのだ。
しかし勇也に暴君を生かしておくことは出来なかった。
勇也は凜華が暴君に殺されたかもしれないと考えているし、少なくとも眷属の一体、フュンフを殺されているのである。
――こいつは殺す……!
勇也は引き金に掛けた人差し指に力を込めた。
『やっぱりユーヤはアナを裏切ったのですね』
しかしそれを引こうとしたところで、勇也の耳にアナベルの幻聴が聞こえてきた。
「ち、違う。僕は……」
『アナよりもリンカの方が良かったのですか?』
「――!!」
勇也は息を呑み、小刻みに震え始めた。
暴君の大きさと勇也の自動照準のスキルもあり、引き金を引けば外すことは無い。
しかしすでに勇也はそれどころではなかった。動悸が激しく、呼吸が上がっている。
そんな勇也の様子を、暴君の死を待つ姉妹たちも死の淵に立つ暴君も、訝しんで見つめることしかできない。
「またどうしちまったんだ、旦那は?」
ツヴァイの問い掛けに答える者はいなかった。
ツヴァイとて返事を期待していたわけではないが、思わず疑問を口にしてしまったのだ。
目の前に妹の敵がいる。それも今であればツヴァイでも敵が取れそうなほど死の瀬戸際に立っているのである。
それなのにその役目を担っているはずの勇也はその場で動きを止めてしまっていた。
「僕は違う。裏切ってなんて……。アナだけなんだ……」
勇也のうわ言を聞いてツヴァイは悩んだ。
このまま自分で暴君に止めを刺してしまおうかと。
勇也に手を出すなと命令はされていない。今であればツヴァイは自分で妹の敵を取ることができた。
無論、できれば自分の手で敵を取りたかったというのもある。だが、そうしなければその機会は永遠に訪れないのではないかという予感があったのだ。
ツヴァイは目を細め暴君を睨み付けた。
――殺ろう。
ツヴァイがそう思った瞬間だった。
「くふふふ、あはははははははは!!」
今まで動きを止めていた勇也が突如として笑い始めたのである。
「そうだ。それだけ頑丈で強いなら十分戦力になる」
「なっ!? 旦那!?」
勇也の言葉を理解してしまったツヴァイが慌てて主の名を呼ぶが、勇也はそれには取り合わなかった。
そして決定的な言葉を口にする。
「君は僕の仲間になるのに相応しい。そう、すべては愛するアナのために」
ツヴァイ、そして妹たちが絶望的な表情を勇也に向ける。妹の敵を仲間にするのかと。
だが、勇也はそれには気付かず、いや、気付いたところで決断は変えなかったのだろうが、自分の左腕、肘の内側に手を当てた。
何をするつもりなのかとツヴァイたち姉妹、そして暴君も見つめる中、勇也は呪文を唱えた。
「【エアスラッシュ】」
風の魔法が刃となって放たれる。
勇也は自分の腕に向けてその刃を放ったのだ。
当然の結果として、勇也の左腕は肘から先が切断されてしまった。
「がぁあああああっ!! あ、ぐ、あ、あは、あははははは……」
そして勇也の切断した彼の左腕は、重力に従って落下していき、すぐ真下にいた暴君の口の中へと入り込んだ。
暴君はそれを吐き出そうとした。
しかし彼女の口の中に入ったその肉片は、あまりにも甘美で自らの食欲に抗うことができないほどの芳醇な香りがしたのだ。
暴君がたとえ何かの違和感を感じていたとしても、すでに口の中に入り込んでしまったご馳走を吐き出すことはできなかった。正しくそれは禁断の果実の誘惑である。
そして暴君が勇也の腕を咀嚼した。
ツヴァイたち姉妹はそれを暗澹たる表情で見つめていた。
もうフュンフの敵を取ることはできない。それどころか、その敵と仲間にならなくてはいけないのだ。
だが、すべては彼女たちの主である勇也の決めたこと。ツヴァイたちが逆らうことはできなかった。
やがて勇也の腕を食べた暴君に変化が起き始める。
体中からビキビキという異音が鳴り始め、次いで暴君に耐えがたいほどの苦痛が訪れたのだ。
――GYIIIII……!
同時に勇也が自分で切断した左腕にも変化が起きた。
肘から先に、また新たな腕が生えてきているのである。
勇也はすでに慣れてしまったその光景を、脂汗をかきつつ、しかし薄ら笑いを浮かべながら見ていた。
新たな眷属が生まれる。
それはフュンフを殺した、ツヴァイたち姉妹から見れば愛する家族の敵だ。
勇也もそれはわかっている。勇也にしたところで、暴君は眷属を奪った殺すべき相手であり、もしかしたら凜華を殺しているかもしれないのだ。
だが、それでも勇也が暴君を殺すことはできなかった。
暴君は戦力になる。この先の階層でも、強い魔物を狩るにはきっと必要になるだろう。強い魔物を狩り、アナベルを脅かす敵を排除する。そう、すべては愛しい彼女のために。
「くふふ、あははははは!」
暴君の変化は終わらない。
体が少し大きくなっただけではなく、勇也によって奪われた肉体も徐々に再生してきているのだ。しかもそれだけではない。勇也たちに出会う前、魔王殺しのウィズによってつけられた傷までも、まるで傷などつけられなかったかのように何の痕もなく消えていた。
大地が揺れる。
勇也の腕が完全に回復してしばらくした後、すべての傷が回復し、失った肉体も元通りになった暴君が再び立ち上がった。
「ギャオ!」
暴君の短い吠え声には親愛の感情が籠っていた。
ここに勇也の新たな旅の仲間が生まれたのである。