第五十九話 暴君一閃
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暴君は立ち上がり、自分を吹き飛ばした者、漆黒の体に白い模様を持つジャンゴを、目を細めて睨みつけた。
その目には未だ闘志が宿っており、相手が何者であっても退かないという王者としての気概が感じられる。
それもそのはず、暴君はまだ本気を出していない。虎の子である竜の息吹も未だ一度も使っていないのだ。
もし、これが変異種と呼ばれる魔物だったなら、相手と自分の格の違いに気付けたかもしれない。
事実クロは、この空中を漂うジャンゴと呼ばれる魔物が、自分とは桁違いの強さを有していることに気付いていた。
それこそ、クロと暴君の力量の差がほんの僅かに見える程だ。
彼がその気になれば、ここにいる全員を一瞬で始末することが可能なのである。
だが、暴君は変異種という特別知性の優れた個体ではなかった。
他の魔物が並び立ちえない強大な肉体と、最強の威力を誇る竜の息吹を持つドラゴレックスという種が、この密林において最強なのであり、それゆえに授かった称号が暴君なのである。
無論、この場にいる誰もが、牙の勇者と呼ばれたジャンゴの実力について、まるでわかっていなかった。
クロが僅かに気付いていると言えるだけで、真に理解していると言えるのは、ここまで一緒に旅をしてきたウィズだけであろう。
よって、千佳たちにとっては、この状況は未だに危機が続いている状態だったのだ。
「ねぇ、あなた達が誰かはよくわからないんだけど、一緒に戦ってくれない? じゃないとあなた達だって死んじゃうわよ?」
千佳たちにしてみれば、この絶望的状況で突如現れた一人と一頭に少しでも戦力を期待したいところだった。それでも助かる見込みは少ないと考えている。
しかしウィズとジャンゴは、そんな千佳たちの危機感など気にならないほど、この一行を驚いた面持ちで見やっていた。
――勇者を知らないのか?
ウィズのことを知らないのはまだ仕方ない。
彼女はこの国の者ではなく、自国では有名な冒険者ではあるが、他国にまで知れ渡っているほど有名ではない、と彼女自身は思っていた。
実は、彼女は最近、世界を揺るがすほどの大事件を起こしているのだが、それは本当に最近のことで、ベリリアの人間が知らなくても無理はなかった。
だが、やはりどう考えても、「牙の勇者」を知らないというのは、おかしい事である。
確かにウィズは、ジャンゴのことを「牙の勇者」と紹介した。
この世界で勇者を知らない者はいない。
最強の戦力を誇り、一騎当千、いや、それ以上の力を有しているとして知られているのだ。
(信じとらんのやろうか? まぁ、ジャンゴ殿は見た目サカマタやきなぁ……)
ウィズは初め、彼らがジャンゴを勇者だと信じておらず、その見た目のせいで誤解しているのかもしれないと考えた。
だが、彼らの姿をよく見て、それが非常に変わった姿であること、そして黒髪黒目であることに気付く。
(ああ、そういうことじゃか。この世界に来たばかりの日本人なら、知らのうても仕方ないにゃあ)
彼らが日本人であることに気付いたのはジャンゴも同じで、むしろウィズより早く気付いていた。
彼がまだ日本にいた頃、この姿をした者がよく彼を見に来たのだ。彼はその“制服”というものを覚えていたのである。
いや、それどころか、この中にいる人間に見覚えすらあった。
『あれ? 僕、そっちの二人見たことある気がするよ。わー、嬉しいなぁ。僕のこと見に来てくれた人に出会えるなんて』
「「えっ?」」
ジャンゴが示したのは千佳と凜華だった。
言われた二人はキョトンとした顔で首を傾げていたが、やがて凜華がはっとした様子でジャンゴを見つめた。
「え? もしかして、ジャンゴ君ってシーワールドのジャンゴ君?」
『うん、そうだよー』
「嘘でしょ!?」
『ほんとほんとー』
千佳も凜華に言われて、何年も前に行った某水族館テーマパークのことを思い出す。
二人ともそこに行った時に、シャチのショーを見ていたのだ。
そしてその時に、そのショーに出ていたシャチこそがジャンゴだった。
ジャンゴたちがそんな会話をしていると、
――GYAAAOOOOO!
暴君が吠えた。
あまり知能が高くないとはいえ、どうやら自分が放置されていることには気付いていたらしい。その顔は気のせいか、怒りに燃えているようにも見える。
「旧交を温めるのは後にしてください。あのトカゲ、まだやるつもりみたいですから」
ウィズが注意を促すと、千佳たちは再び気を引き締めた。
水族館のシャチが空を飛んでいるというのには、驚くより他ないが、今はそんな事よりも命の危機が差し迫っているのである。
しかしジャンゴは、つまらなそうな様子でウィズを見やる。
折角自分を知っている人間に出会えたのだ。もっと色々話したかったのである。
『トカゲなんてウィズがやっつけちゃえばいいじゃん。僕、あんまり弱い者イジメしたくなーい』
「私だって無益な殺生は望みません。はぁ、そうですね。ジャンゴ殿より私の方が手加減は上手そうです」
そう言ってウィズは、眼鏡を外し何となく同じく眼鏡を掛けている心結に預けた。
「え? あの、どうするおつもりですか?」
眼鏡を預けてそのまま一人で暴君に向かって行こうとするウィズの背に、心結が心配そうに声を掛ける。
ウィズは心結の心配など余所に、何気ない様子で刀を抜き、振り返って心結を見た。
「ちょっと追っ払ってきます」
ちょっと近所を散歩してくるような、そんな気安さでウィズは軽く微笑む。
そして前を向いた瞬間には、彼女の姿はその場から掻き消えていた。
その場でウィズの姿を捉える事が出来ているのは、ただ一頭、牙の勇者ジャンゴだけであった。
他の誰も彼もが、さっきまでそこにいたはずの彼女の姿を見失っていたのだ。
それを可能にしたのは、スキル『縮地』、『韋駄天』であるが、他にも彼女は様々なスキルを持っている。
しかし彼女を『鑑定』することは不可能だろう。『中級鑑定』、さらにはその上の『上級鑑定』すら彼女には弾かれる。
無論、彼女のステータスの高さがそれを可能にしているともいえる。
彼女は冒険者の最高峰であるドラゴンスレイヤーなのだ。
だが、それが理由ではない。
それだけだったなら、少なくとも『上級鑑定』を弾くことは不可能だ。
では何が原因かというと、それは彼女が持っているたった一つのスキルだった。
『神の使徒』
彼女はそのスキルを持っていた。
それは『ザ・プレイヤー』の眷属であることを表すスキルだ。
そしてそれが彼女の正体であり、彼女がここにいる理由でもある。
ウィズが地面に降り立った。
いや、そこは地面ではなく、硬い皮膚の上、つまり暴君の頭の上だ。
暴君の目と目の間に、彼女は現れたのである。
「可哀想だとは思いますが、片目を奪います。それぐらいしないと退いてくれないでしょうし」
ジャンゴを除く全員が呆気に取られていた。
それは暴君も例外ではなく、自分の視界の内で呟く突然現れたウィズを、ただ凝視することしかできない。
ウィズは平静そのものだった。
敵を斬ることへの感慨もなく、真っ直ぐにその赤い目で暴君の大きな爬虫類の瞳を覗いている。
そして唐突に、右手に持った刀を一閃。宣言通りに暴君の左目を縦に真っ直ぐ斬り裂く。
――GUUUGYAAAAA!!!
暴君の悲鳴が木霊した。
暴君が左目を斬られた痛みのあまり、よろめきながら後退していく頃には、すでにその頭の上にウィズの姿はなかった。
「眼鏡、ありがとうございます」
いつ現れたのか。
気がついた時にはすでに自分の目の前にいたウィズに、心結は驚愕の面持ちを向けた。
ウィズはというと、驚く心結にただ右手を伸ばしていた。
その手にすでに刀は無く、ただ眼鏡を受け取ろうとしているだけだ。
息の乱れもなく、返り血すら浴びていないその姿は、本当につい今しがた生き物を斬って来たとは思えなかった。
無言で眼鏡を要求する姿が、空恐ろしくも感じられる。
心結は慌てて眼鏡を返し、気持ちウィズから距離を空けた。
距離を空けられたウィズは、意外とショックだったらしく、無言ではあるが肩を落としている。
彼女たちがそんなやり取りをしている間に、左目を斬られた暴君は、そのまま逃げて行っていた。
王者としてのプライドをズタズタにされて。
そんな暴君の背を、一同はほっとして眺めていた。
これで一番の脅威は去った。
それどころか、これ以上ないほどに強い戦力が加わるかもしれない。
『じゃあ、皆で先に進もっかー』
千佳たちが、これからどう声を掛けようか迷っていると、願ってもないことにジャンゴの方から声を掛けてきた。
ジャンゴは初めから彼らと一緒に進むつもりだったのである。
「え、えっと、いいんですか?」
千佳が全員を代表して訊く。
『いいよいいよー。皆で進んだ方が楽しいでしょー。ねぇ、ウィズ?』
「はぁ、そうですね」
ウィズは微妙そうな表情をしていたが、断る気はないようだった。
立場も実力もジャンゴの方が上だ。そもそもウィズに、ジャンゴの意見に反対するという選択肢はないのである。
「良かったぁ。私たち五階層を目指してて。そこまでで良いんで宜しくお願いします」
千佳の言葉に、ジャンゴとウィズが顔を見合わせた。
『五階層まで行ってどうするの?』
「えっと、知り合いがいて、その人と合流するつもりです」
『えーっとね、もしその後脱出するつもりなら、やめておいた方が良いと思うよ』
今度は千佳たちが顔を見合わせる番だった。
一体外に何があるというのか。
『今外は、もしかしたら、っていうか、絶対ここより酷い事になってるから。ねぇ、ウィズ?』
「ええ、今はやめておいた方が良いでしょう」
ウィズは些か神妙な面持ちで頷いた。
「外って、どうなってるんですか?」
「戦争になってます」
即答だった。
ウィズが躊躇うことなく言ったのには訳がある。本当は言い淀み、言うか言うまいか悩みそうになるのにも拘らず。
「人間同士の戦争ではありません。人間、人族と魔族の戦争です」
千佳たちが呆気に取られる中、ウィズは立て板に水を流すようにスラスラと説明した。
そうしないと、心が押し潰されそうになるのだ。
それをわかっているジャンゴは、彼女を心配そうに見つめ、彼女の体に寄り添う。
「魔族の長、つまり魔王が暗殺されたので、それを恨んだ魔族が戦争を起こしました」
千佳たちは、ウィズが何を言っているのか既に分かっていない。
それでもウィズは、最後まで言ってしまわないといけなかった。
自分自身の罪を明かすために。
魔王殺し。
それは、人族からしてみれば正しく勇者の所業である。
悪しき魔族の王を討ち滅ぼしたのだから。
だが、ウィズにとっては違った。
魔王殺しなんてしまえば、人族と魔族の戦争が避けられなくなる。
魔王殺しとは、血で血を洗う争いの戦端を開くことなのだ。
そして、
「魔王は……私が殺しました」
その大罪を犯したのは、他でもない彼女だった。
※サカマタ=シャチの古い呼び方です。