第五十八話 勇者の背に乗る少女
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時間は一日前に遡る。
勇也たちが暴君の塒へと、飛んで向かっていた時のことだ。
その頃、勇也たち以外のある者たちもまた、この密林の上空を飛んで進んでいた。
二人(と言うと、その表現は正しくないのだが)は、空中遊泳を楽しむようにのんびりと景色を楽しみつつ空を進んでいた。
「あの、牙の勇者殿」
赤髪をポニーテールにし、腰に刀を下げた一人の美しい少女が、眼鏡の下から赤眼を彼に向けて話し掛けた。
しかし答えは返って来ない。
彼女は思い出す。
いや、忘れたわけではなく、単に意識していなかっただけとも言える。
彼はそう呼ばれるのが嫌だと言っていた。だから名前で呼べと。
彼女は内心で溜息を吐きつつ、再度彼に向かって呼びかけた。
「……ジャンゴ殿」
『なーにー? ウィズ』
今度はちゃんと彼、ジャンゴの答えが返ってくるのだが、彼の言葉は直接脳に響くように聞こえてきた。
スキル『念話』である。
彼はこの方法でしか返事をすることができない。
その理由は単純、彼が人ではないからだ。
赤髪の美少女、ウィズは、今彼の黒光りする背に乗っていた。
彼の肌は全体的に黒く、背びれ、尾びれ、胸びれがあり、そこまで聞くとイルカかクジラ辺りを想像するかもしれないが、もう一つの特徴が、彼がどちらでもないことを示している。
彼の目の上には、アイパッチと呼ばれる白い模様があった。そして、腹も白い。学名オルキヌス・オルカ、世界的にはオルカの名で知られる彼は、日本で言うところのシャチだったのだ。
もちろんシャチは言葉を話したり、飛んだりもしないのだが、彼は勇者としてこの世界に召喚され特殊なスキルを得て、人語を解するようになり空中にも適応したのであった。
ちなみに彼は、今回の勇者召喚の儀式で二番目に召喚された勇者である。公には失敗し何も召喚されなかったことにされているのだが、実は人ですらなく、魔物だと思われたため、存在をなかったことにされたのだった。
そんな彼を、ウィズが眼鏡越しにジト目で見ていた。
「その、もう少し急ぎませんか?」
『大丈夫だよー。ザ・プレーヤー様が失敗したりするわけないじゃないか。ウィズは心配性だなー。……禿げるよ?』
「どいてやか!?(なんでだよ!?)」
禿げると言われ、ウィズは思わず声を荒げるのだが、その言葉は訛っている。
彼女は興奮するとつい訛ってしまう癖があった。
『あはははー。ま、いいでしょ。こんな洞窟の中に森が広がってるなんて面白いし、もうちょっと見て行こうよー』
「はぁ、わかりました。そうですね、もう一度見れるか、わからない景色ではありますし」
諦めて彼女はそう言ったが、景色を見ている余裕など彼女にはなく、目を瞑り、物思いに耽り始めてしまった。
ジャンゴはそんな彼女の様子を、アイパッチの下にある円らな瞳で見上げるが、彼は暫くするとウィズに提案した通り密林を眺め始めた。
密林はどこまでも広がっており、その中を一本の巨大な川が流れている。
彼はちょっとその川を泳いでみたいと思うのだが、よく見ればあまり綺麗ではなさそうだった。それに魔物も多くひしめいているだろう。
で、あれば、まだ空の方が良いのかもしれない。空にいても魔物に襲われることはあるが、牙の勇者であるジャンゴ、そして「紅の瞬殺剣」の異名を持つ冒険者であるウィズがいれば、大抵の魔物はどうとでもなる。
ジャンゴが川から目を離し、密林に移す。するとそこには、密林の中にいても一際目を引くものがあった。
『ねぇねぇ、ウィズ。下を見てごらん』
ウィズは片目をぱちりと開ける。
「はぁ、何かありましたか?」
『いいから見てごらんって』
ウィズは言われたとおり下を見てみた。
――GYAAAOOOOO!!
「デカいトカゲがいますね」
彼らの眼下ではウィズの言う通り、デカいトカゲ、暴君が木々を薙ぎ倒しながら突き進んでいるところだった。
ウィズはスキル『遠目』を使ってその様子をよく観察する。
暴君は前傾姿勢で走っており、どうやら何かを追っているようだ。
恐らく獲物でも追っているのだろう、とウィズは考えた。
その考えは間違っていない。
だが、暴君の追っている獲物、それはウィズの予想しているようなものではなかった。
「お助けですぞー!!」
聞こえてきた悲鳴に、思わずウィズは目を瞬かせる。
「今、人の声のような物が……」
『うん、助けに行こう!』
即断だった。
ジャンゴは言うが早いか、すでに降下を始めている。
「ちょっと待ってください、我々は……待てと言うつろーが!! ぎゃあああああ!!」
密林上空に、あまり女子力の高くない悲鳴が響き渡った。
その頃、密林の中を四人の男女と一匹の大型犬、いや、超巨大なヘルハウンドが走っていた。
その四人と一匹とは無論、千佳、凜華、卓、心結、そしてクロのことである。
彼らは必死に走っていた。
走っている理由、それは後ろから追って来る絶対的な捕食者、暴君から逃げるためである。
そのまま走っているだけではすぐに追いつかれるのだが、暴君が木々を薙ぎ倒しながら進んでいること、時折クロがスキル『グラスシャッター』を使って足止めしていること、この二つのおかげで未だに一行は逃げ続けることが出来ていた。
だが、暴君がその気になれば、一行を一瞬の内に消し去ることなど容易いだろう。ブレスで一気に木々ごと吹き飛ばしてしまえばいいだけなのだ。
そうしないのは、暴君にとって彼らが獲物であり、糧とし自らの胃袋に納めたいからである。
もしも相手がクロだけなら、疲れるだけの相手に暴君はそこまで固執しなかったのだが、今は旨そうな獲物が四つもついているのだ。暴君はどこまでも彼らを追いかけていた。
「い、いい加減にしつこいでござる!」
卓が半泣きで訴えるが、暴君は嬉々として追いかけて来るだけである。
『卓殿、一緒に足止めをしてくれぬか?』
「嫌でござる! 拙者を餌にするつもりでござろう!」
『ちっ』
クロから見ても、この中で一番肥えていて旨そうな卓を餌にすれば、当分は時間稼ぎになるだろうと考えていたのだ。
と言ってもクロは、もちろん本気ではなく、『威圧』で強制的に動けなくするだとか、足に噛み付くだとか、そういった手段には及ぶつもりは無いようではある。
クロの『念話』は個人に対して発動させることもできるのだが、スピーカーのように拡声して話すこともできた。
今の卓との会話は広域で話していたものであり、他の三人にも会話は聞こえている。
そこで、クロが半分冗談で言った作戦に、反応を示す者がいた。
「ウチが『狂化』を使えば、少しは時間稼ぎ出来るかも……」
『駄目だ。お前を死なせてしまったら、主様に合わせる顔が無い。主様はリンカを心配しておられた』
凜華が顔を苦しそうに歪ませる。
それは、勇也の心に少しでも自分の存在があることへの喜びであり、同時に自分が勇也にしてしまったことへの後悔だった。
「沖田殿に対するクロ殿の慈愛の心を、少しでいいから拙者にも分けて欲しいでござる……」
卓が走りながら振り返り、クロにジト目を向ける。
クロは、そんなものはない、と言うようにそっぽを向いてしまった。
「ねぇ、クロ、私には? 勇也君、私には何か言ってなかった?」
期待に声を弾ませて千佳もクロを振り返るのだが、やはりクロとは目が合わない。
卓と千佳の行動で、場の空気は和むのだが、彼らはそんなことをしている場合ではないのだ。
「もう! 皆遊んでる場合じゃないでしょ! 何とかする方法を考えないと! じゃないと本当にすぐそこまで……」
この面子に慣れて来てから、いつの間にかまとめ役へと納まりつつある心結が焦った声で途中まで言い掛けるのだが、その言葉は続かなかった。
――GYAAAOOOOO!!
ついに暴君が彼らの隣に並んできたのである。
「やるしかないみたいね」
覚悟を決めた険しい表情で千佳が言った。
凜華も刀を抜いて構え、クロも体勢を低くし戦闘態勢に入る。
卓と心結も一応戦う準備をしているが、その表情は悲壮だった。
誰もが勝てないことは理解していた。
それでも生きるためには足掻くしかないのだ。
彼らの元を離れて行ってしまった勇也と再会するためにも。
暴君の巨体が彼らに迫った。
大口を開け鮫のようにびっしり生えた鋭い牙を剥き出しにし、一気に数人は噛み砕く勢いである。
彼らに絶体絶命の窮地が訪れた。
だが、その時、
ドンっっっ!!
何か黒いものが空より飛来し、暴君の体に横から衝突した。
暴君はそのぶつかって来た何かに弾かれ、横倒しになる。
十四メートル以上、八トン近い巨体を誇る、この密林の王者である暴君が、である。
「えずい目に遭うたぜよ」
理知的で美しい声、ではあるのだが、どこかで聞いたような訛で女らしさのあまり感じられない口調の言葉が、千佳たちのすぐ真後ろから発せられた。
千佳たちが振り返ると、そこには赤髪をポニーテールにし赤眼の上に眼鏡を掛けた少女がいた。
さすがにクロは、いつ彼女がそこに現れたのかに気付いている。
『この女、空から飛んできた』
クロの言葉に、思わず千佳たちは彼女の背に翼を探してしまった。
彼女たちの知る空を飛ぶ少女は、背中に翼が生えているのである。
「えっと、私は魔族ではないので、羽は生えておりません」
突如現れた少女、ウィズは、彼らの視線に気付き、また落ち着いた口調に戻ってそう言った。
「彼が空を飛べるので、背中に乗せてもらっていたのですが、ご覧の通り落とされてしまいました」
ウィズが上空に向けて指を向ける。
千佳たちがその指の先を追うと、そこには空飛ぶシャチ、ジャンゴが空中を漂っていた。
『みなさーん、こんにちはー!』
「「「え?」」」
あまりにも唐突に起きた出来事、そしてあまりにも理解し難い光景に、千佳たちはぽかんと口を開けたままジャンゴを眺めることしかできなかった。
『あれあれあれ? 全然声が聞こえないよー。さぁ、もう一度、こんにちはー!』
「「「……」」」
辺りを沈黙が支配した。
堪りかねたウィズが慌てて口を挟む。
牙の勇者はとても子供っぽく、放っておくと拗ねてしまうのだ。
「あー、えーと、私はウィズ。ウィズ・セシルと申します。それであちらにいるのは、牙の勇者のジャンゴ殿です。気軽にジャンゴ君と呼んであげてください」
彼女は、最後に「私は無理ですが」とつけ加え、挨拶を返してあげるように促した。ちゃんと声を揃えて。
「ジャンゴ殿、今度は大丈夫です」
すでに拗ね始めていたジャンゴが、ちらりと地上にいる者たちを見やり、一つ咳払いをすると(念話でそう演出しただけだが)、再び彼らの方に体ごと向けた。
『良い子の皆、ちゃんと挨拶するんだよ。じゃあ、行くよ。こんにちはー!』
「「「……こんにちは」」」
『うーん、まだまだ声が小さいぞ。もう一度行くよ……』
ジャンゴのしつこい挨拶に若干一同がうんざりし始めた時、
――GYAAAOOOOO!!
すっかり存在の忘れ去られていたこの密林の支配者が、再び立ち上がったのだった。




