第五十一話 罪を贖うために
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勇也は一通り荷物をまとめると、その場から立ち上がった。
『行かれるのですか?』
勇也の脳内に、唐突に女の声が響く。
驚いた勇也は咄嗟にエカレスに手を掛けるが、その声には敵意が無く、むしろ親愛の感情が籠っていることに気付いた。
そんな風に声を掛けてくる人間に、勇也は何人も心当たりがあるが、ここには一人もいない。もしも誰かが勇也に気付かれずに近づいて来ていても、クロに見つからないのは不可能だろう。
そこまで考えた勇也は、その声の主にはたと気づいた。
「まさか、クロ?」
『はい、先程「念話」というスキルを取得いたしました。主様と声を交わしたいという願いが叶ったようです』
クロの声には落ち着いた響きと、実直そうな響きがあり、勇也に対する忠誠心が現れているかのようだった。
勇也はその安心感を覚えさせるような声を聴きつつ、廃屋から出てクロの横に立つ。
「何で僕と話したかったの? 止めたかったから?」
クロはかぶりを振った。
『私は……止めるつもりはございません。もちろん出来ることなら、お傍に置いてほしいのですが。私はただ主様にお伝えしたかったのです。
私は主様のためなら、喜んでこの命を捧げましょう。もし主様の前で命を散らせることになったとしても、その時は悲しまず、出来ればよくやったとお褒め頂きたい』
勇也は苦笑いする。
クロはクロなりに勇也のことを気遣っていたのだ。
もちろん勇也もそれは理解しているが、クロの言う「悲しまずに」というのは出来ない話だった。クロが死ねば、勇也は琴音の時と同じように深く悲しむだろう。
それでもいつかは皆死んでしまう。せめて自分のために死んでほしくないから、勇也はこの道を選んだのだ。
「僕のためを思うなら、悪いけどちゃんと生きてね。心配しなくても、何かしら答えを見つけられたら、クロの前にもちゃんと姿を現すよ」
勇也はそう言って微笑む。たとえそんな気が微塵もなくとも。
『はい、必ず。ところで、私はこのままあのゴブ……アナベル様の護衛をしていればよろしいでしょうか? はっきり言って全く必要ないとは思いますが』
クロは嫌そうな様子を隠すこともなくそう言った。
だが事実クロの言う通りである。
勇也の同級生たちはどれも強力なスキルの持ち主たちで、クロの護衛など無かったとしても、余裕で五階層まで辿り着くことができるだろう。
「そうだね。どちらかといえば凜華達の方が心配かな。クロに任せるよ」
クロが頷く。
『そうですね。私もリンカは心配です。それと、あの愚かな妹分には、私の方からよく言い聞かせておきますので、どうかご容赦いただけないでしょうか?』
「だから怒ってないって」
勇也はまた苦笑いした。
凜華の肢体を思い出し、劣情を抱いてしまう自分に憎悪を燃やしながら。
「じゃあ、もう僕は行くよ。凜華達を頼んだよ、クロ」
『はい、必ずや。主様もどうかご武運を』
勇也は手を上げて、その場を後にした。
こうして勇也の一人旅は始まった。
勇也は、自分が一緒にいればまたいつか自分のせいで、仲間の誰かを失ってしまうと思ったのだ。
そしてこうも思っている。アナベルだけを愛するためには、自分のことを思う凜華や千佳の傍にいるべきではないと。
アナベルだけを愛するという想いと、仲間を大切にしたいという想い。二つの相反する想いに心を壊されながら、勇也は一人で行くことを決めた。そうすれば、少なくともアナベルの事だけを考えていられるし、自分のために仲間たちが命を捨てることも無い。たとえ自分自身が破綻しようとも。
勇也のこれからの旅は、アナベルに自分の愛を捧げるための旅であり、贖罪の旅であった。
アナベルと別れる前に言った言葉、「露払い」。勇也はそれを実行することにしたのだ。ただアナベルの無事と幸せを願って。そして覚悟が足りなかったという罪を贖うため、勇也は覚悟を決めた。
特殊スキル『食用人間』、これを使って配下を増やす。
それはつまり喰われるための旅。
勇也は一人で密林の中を進んで行く。
アナベルのことを想いながら、自分を破壊するために。
「ハンプティ・ダンプティ塀の上、
ハンプティ・ダンプティ落下した。
兵隊治しにやってきた。
だけど元には戻らない」
************
一夜明けて、アナたちは小さな小屋の中で、誰も彼もが沈黙したまま床に腰を下ろしています。
アナはもちろんユーヤのことを考えていました。
昨日のユーヤは、どう考えても普通ではなかったのです。
心に大きな傷を負っていたのは間違いありません。
ですが、アナにはどうすればユーヤの心の傷を癒してあげられるか、見当もつかないのです。
それに正直なところ、アナだって苦しんでいるのです。
愛しいユーヤを寝取られたのだから、それも当然なのです。
一番許せないのはリンカなのですが、アナにはユーヤのことを許せない気持ちもあります。
ユーヤに何の罪もないことはわかっています。アナがユーヤを癒してあげなくてはいけないのもわかっています。それでも、どうしてもユーヤが他の女と肌を重ねたという事実が、アナを苛むのです。
それでも、結局それは自業自得なのです。
あの時、アナがユーヤを見捨てるようなことをしなければ、済んだ話なのです。いえ、もっと前から、先生たちと出会った時にユーヤが先生たちを殺そうとするのを、止めなければ良かったのです。
アナの愛が足らなかったから、ユーヤもアナも苦しむ羽目になってしまったのです。
「え~っと、一度勇也殿の様子を確認した方が良いのではござらんか?」
「……アナが行くのです」
「やめておきなさい。今貴女が行っても、勇也君を苦しめるだけよ。門田君お願いできる?」
「承知したでござる」
そう言ってスグルさんが立ち上がった時でした。
外から複数の足音が近づいてきたのです。
数からしておよそ六人、きっと先生たちが追い掛けてきたのでしょう。
気付かずに外に出たスグルさんが、近付いてくる人物たちを見て動きを止めました。
「先生……」
スグルさんが呟くと、それを聞いたチカさんと眼鏡の少女、トウドウミユ様が立ち上がり外に出たのです。
「そこにアナベルちゃんはいるかしら?」
アナも立ち上がって外に出ました。
外にいたのは、先生とカホさん、エミさん、サイトウユキナ様、キヨオカソウスケ様、タナカナイト様なのです。
「もう、アナベルちゃんてば、いきなりいなくなっちゃうからびっくりしたじゃない」
「申し訳ありません……」
「それで、クロちゃんは見つかったの?」
噂をすれば影が差す、というのでしょうか。
ちょうどクロがこちらに向かってゆっくり歩いてきたのです。
てっきりその様子から、ユーヤも一緒だと思ったのですが、どうやらクロ一人のようです。ユーヤはどうしたのでしょう?
「クロ、ユーヤはどうしたのですか?」
しかしクロはそっぽを向いて、何も答えてくれようとしません。
クロはそのままアナを無視して、小屋の中に視線を移しました。
すると、リンカが弾かれたように外に出てきたのです。
「そ、そんな、勇也様が……」
クロに向かって呟くリンカに、アナを含めて全員が訝しむように視線を移します。
特にタナカナイト様は心配そうなのです。
先生が首を傾げて、チカさんとリンカに声を掛けました。
「ええっと、何があったのかしら? 全員無事なの? 永倉君と井上さんの姿が見えないけれど」
チカさんが全員に事情を説明しました。
エミさんはトウドウミユ様と抱き合って悲しみを分かち合い、他の方たちも複雑そうな表情をしています。
その時は、ユーヤとリンカの事情は誰も話していなかったのですが、チカさんが話し終わった後に、リンカが自ら自分がユーヤを強姦して捕食したという話をし始めました。記憶には全く無いそうなのですが、状況からして間違いないという事を。
タナカナイト様はそれを驚愕の面持ちで見ていたのですが、続けてリンカが話し始めたことに、アナも驚愕することになりました。
「それで、勇也様は一人で先に進んじゃったみたい。多分ウチらが死ぬところを、もう見たくないからじゃないかな」
「そんな! 何でクロは止めなかったの!?」
チカさんがクロを振り返ります。
アナもクロを睨みました。なぜそんなことを許してしまったのでしょう。
クロはチカさんを見ているのですが、チカさんが唐突に目を丸くします。
「……クロ、しゃべれるようになったのね」
チカさんの言っていることが一瞬わからなくなりましたが、心当たりがあってクロを『鑑定』してみると、すぐに得心しました。
スキルに『念話』が追加されているのです。
これでクロは自分の意思をチカさんに伝えているのでしょう。
「いいわ、私から話す」
暫くクロと見つめ合っていた千佳さんが、アナの方を向きました。
「勇也君は自分のスキルを使って先に進むことを決めたみたい。クロには、勇也君が決めたことは止められないそうよ」
「そんな……自分から食べられるつもりだというのですか!?」
「本人がそう言ってたわけじゃないけど、クロが恐らくそうだろうって」
「そんなの絶対にダメなのです! クロ、アナをユーヤの元に連れて行ってください!」
クロが冷たい眼差しをアナに向けました。
その途端、寒気のするような殺意がアナに向けられます。
『ふざけるな、痴れ者が! 主様の寵愛を無下にした挙句、主様の元を離れて裏切ったくせに、今更主様を追ってどうするつもりだ? さらに傷つけることは目に見えている。二度と貴様を主様に近づけさせるものか!』
「そ、そんな……」
クロの怒りに震える声を聞き、アナはあまりのショックにそのまま腰を落としてしまいました。
ユーヤに一番近かったクロのその言葉は、アナの心を深く抉ったのです。
クロがアナをそう思っているという事は、多かれ少なかれ、ユーヤも同じようにアナを見ているかもしれません。
ですが、その通りなのです。
先生に言われてユーヤの誘いを断るようになったのは、ユーヤにとっては辛かったでしょうし、その上アナはユーヤの元を離れてしまいました。
アナが反対の立場だったらどうでしょう?
考えただけでぞっとします。
それなのにアナは、どうしてユーヤにそんな仕打ちができたのでしょうか。今になって考えてみると、本当にわからないのです。
「私は勇也君を信じて五階層で待つわ。無事な姿を見せて勇也を安心させてあげるぐらいの事しか、私には出来なさそうだから」
「それは、私たちと一緒に来てくれるという事かしら? 永倉君がいないなら、別れて行動する意味もないでしょ?」
しかしチカさんは、笑顔を浮かべてはっきりと首を横に振りました。
「お断りします。私は勇也君が戻って来られる場所を用意しておいてあげたいんです。勇也君が五階層に辿り着いた時に、皆さんが一緒だと勇也君の居場所はないでしょうから」
「わ、私も今野さんと一緒に行く」
「ありがとう、藤堂さん。勇也君もきっと喜ぶわ。勇也君、藤堂さんの事も気に入ってたみたいだから」
「ふぇっ!? そ、そんなことないよ!」
アナは思わずトウドウミユ様を見つめます。
彼女はちょうどアナと背が同じくらいで、身体的特徴もアナと似ているのです。
アナがいた場所を、彼女が取って代わるという事なのでしょうか。
クロにも拒絶された今、もうアナには絶望しかありません。
「俺も今野殿と一緒に行くでござる。チーム勇也の一員ですからな」
「ふふ、ありがとう。門田君」
チカさんは一度表情を引き締めると、リンカを見つめました。
タナカナイト様も、心配そうな表情をリンカに向けています。
「で、貴女はどうするの、沖田さん?」
「な、なぁ、もう俺の所に戻って来いよ、凜華」
「う、ウチは……」
リンカは呟くと、小屋の中に俯いたまま戻って行き、ナイフを持って戻ってきました。
一体何をするつもりなのでしょうか。
「沖田さん?」
他の方たちも心配そうにリンカを見つめています。
リンカは木に左手を当てて、ナイフを持った右手を振りかぶりました。
「ごめん、心結ちゃん、治療をお願い」
「えっ?」
それだけ言うとリンカは自分の小指に、そのままナイフを突き立てたのです。
わざわざスキルまで併用したようで、リンカが自分で突き立てたナイフは、小指を切り飛ばしてしまいました。
「キャアっ!」
「凜華!」
リンカは呻き声を上げながらその場に蹲ります。
トウドウミユ様は悲鳴を上げつつも、リンカの傍に駆け寄り、リンカの小指の切断面に『アクアヒール』を掛け始めました。しかし部位欠損まで治療することは出来ないのです。血を止めて傷口を塞ぐのが精一杯でしょう。
「沖田さん、貴女……」
「勇也様が許してくれても、ウチは自分で自分が許せなかったから。こんなんじゃ、償いにならないかもしれないけど……ウチも一緒に行く」
「凜華、お前、そんなに永倉のことが好きなのかよ……」
リンカの覚悟と想いを見せつけられて、忸怩たる思いですが、おかげでアナにもわかりました。
自分の犯した罪には、対価を支払う必要があるのです。
ユーヤに許してもらえるならば、アナは命だって払って見せましょう。
全員顔を青くしている中、一人だけ表情を変えていない先生がチカさんに声を掛けました。
「それで、あなた達四人だけで行くつもりなの? 死にに行くようなものよ」
アナはその時気付きました。
先生はチカさんたちを心配しているように見えて、実は全く心配などしていないのです。根拠はありませんが、そうだとしか思えません。
「ご心配なく。クロも私たちと一緒に来てくれるみたいですから」
「なっ!? クロ、あなたは永倉君に私たちと一緒にいるように言われたでしょ!?」
先生が驚いたように、クロを見つめます。
しかししばらくすると、クロに何かを言われたのか、先生はたじろいだ様に一歩後ろに下がりました。
「沖田さん、行ける?」
リンカは頷きました。
「では、私たちは失礼します」
チカさんがそう言うと、リンカ、スグルさん、トウドウミユ様、そしてクロも密林に向かって去って行ってしまいました。
後に残されたアナたちは、その背中を黙って見送ることしかできません。
チカさんたちが見えなくなると、アナたちは小屋の中に入って一度休憩を取ることになりました。
ですが、アナもここに留まるつもりはありません。たとえ一人になったとしても、アナはユーヤの後を追うのです。
「先生、申し訳ありませんが、アナもここまでです。アナはユーヤを追うことに決めました」
エミさんを始めとした方たちが驚いてアナを見つめる中、先生だけは表情を変えずにアナを見ていました。
「はぁ、もしかしたらそう言うかもしれないと思っていたの。あなたにとって一番大切なのは永倉君だものね。こんなことが無ければ、最後まで一緒に来てくれたのかもしれないけど……」
「はい、残念ですが……」
「だから斎藤さんを連れてきて正解だったわ」
「え……?」
先生が何を言っているのかわかりません。
どういう意味なのか問おうとした瞬間でした。
それまで黙って成り行きを見守っていたカホさんが、突然アナに向かって人差し指を向け、その指先から何かを放ってきたのです。
いきなり攻撃されるなんて思ってもみませんでした。
完全に不意を突かれたアナは防御する間もなく、右肩をその何かに撃ち抜かれてしまいました。
「し、島村さん! アナベルちゃんに何するの!?」
エミさんが驚いてカホさんに詰め寄りました。
「何って、弱らせないと『調教』できないでしょ? 斎藤さん?」
「ええ、その通りよ」
サイトウユキナ様が生気のない顔でアナを見つめます。
初めからアナを調教するつもりで、サイトウユキナ様を連れてきたのでしょう。薄く微笑んでいる先生が。
ですが、アナだってこのまま黙ってやられるつもりはありません。
先生とサイトウユキナ様は戦闘能力が低いですし、タナカナイト様は何もできずに固まっているだけなのです。
カホさんとサイトウユキナ様と同じように生気のないキヨオカソウスケ様を倒せば、この場は切り抜けられるでしょう。
アナは左手で紅蓮の杖を抜き放ち、カホさんにその先端を向けました。
「火よ、我が敵を焼け。【ファイアボール】」
炎弾がカホさんの顔に突き刺さります。
ですが、炎は広がらず、すぐに消えてしまいました。そしてそこには、当然のように無傷のカホさんがいたのです。
「アハハ、ごめんね、アナベルちゃん。私、物理攻撃だけじゃなくって、魔法攻撃も無効なんだ」
「そ、そんな……」
カホさんは笑いながら、アナの左肩、右足、左足を指先から放った攻撃で撃ち抜いてきました。
それでやっと何で攻撃されているかわかったのです。
カホさんは指先から水を弾丸のように飛ばしているのです。分かったところで、アナはすでに動くことができませんでした。
「せ、先生、いくら何でもやり過ぎじゃ……」
タナカナイト様が、冷や汗を浮かべて先生に詰め寄ると、先生はタナカナイト様の肩を掴んで、その瞳をじっと見つめました。
「田中君、これは私たちのために必要なことなのよ。仕方ないの」
「必要なこと、仕方ない……。そうか、そうだよな」
尋常ではない光景でした。
タナカナイト様はあっという間に納得させられてしまったのです。そう、かつてユーヤを見捨てたアナみたいに。
「念のためにアナベルちゃんを取り押さえてて、清岡君」
「はい、先生」
キヨオカソウスケ様がアナに近づき、背後から羽交い絞めにしました。
それと同時にエミさんが、チカさんたちが向かって行った方角に向かって走りって行きます。
「島村さん、お願い」
「はい、先生」
言われるまま、カホさんがエミさんの後を追って行きました。
そしてまったく身動きが取れなくなったアナに、先生がゆっくりと近づいてきます。
先生は身をかがめると、アナの耳元に顔を寄せてきました。
「もう気付いているみたいだから教えてあげるけどね、私の能力は『魔力消費軽減』なんかじゃないの。私の魔力がなかなか減らないのはね、そもそも魔力が33あるからなのよ」
そんなことが有り得るのでしょうか。アナは確かに先生のステータスを『鑑定』しているのです。
いえ、ですが、先生の言う通り、アナも自分が見ているステータス、特にスキルに関しては疑問を抱いていました。見えているステータスと実際のステータスが違う。そんなことを可能にできるのはきっと……。
「私の本当のスキルはね、『大嘘吐きの扇動者』よ。私は自分のステータスを改竄できるし、人の心を私に同調させたり、私を慕う人間を洗脳できたりするの。色々難しい条件はあるんだけどね」
「そうやってここにいる皆様を操っているのですね? まさか……アナにユーヤを裏切らせたのも先生なのですか?」
「ふふ、ちょっと外れね。まず、私が操っているのは全員じゃないわ。島村さん、ううん、夏帆はね、自分の意志で私の言う事を聞いてくれているのよ。私たちね、イケない関係なの」
そう言って先生が妖しく嗤います。
きっとこの光景を見れば、思わず見惚れてしまう方もいるのかもしれませんが、アナに湧き上がってくるのは怖気と強い憎悪だけでした。
「あとね、私が誘導したのはアナベルちゃんだけじゃないの。永倉君もよ。もし私が何もしなかったら、後からクロちゃんを使って私たちを暗殺するぐらいのことしてたかもしれないでしょ、彼。それにね、あんまりにも二人がラブラブだったから、引き離してみたくなっちゃったのよ」
酷いのです!
あんまりにも悔しくって、自分が惨めで、アナは思わず涙を流していました。
「ふふ、そんな顔しないで。これからも仲良くしてあげるから。ペットとしてね」
先生が立ち上がると、入れ替わりで、サイトウユキナ様が近付いてきました。
サイトウユキナ様は身をかがめ、アナの額に手を翳します。
「ごめんね、アナベルちゃん。【隷属契約】」
その瞬間、アナの額から電流が走り、全身を貫きました。
「あ、がぁぁぁっ!」
アナは痛みに呻き声を上げ、そのまま意識を失ったのでした。
************
密林の中では、笑美が夏帆に追い詰められ、その場に腰を落としていた。
追い詰められた笑美に、夏帆がじりじりと迫っていく。
「ね、ねぇ、島村さん、こんなこと間違ってるよ。アナベルちゃんを許してあげて」
「駄目よ。先生があの子を欲しがっているんだもの」
夏帆は焦りの表情を浮かべる笑美に優しく微笑む。
「先生にはね、夢があるの。私たち生徒を私兵にして、私たちをこんな所に閉じ込めたこの国の連中も、自分の手の中に収めるつもりなの」
「じ、自分が何を言っているかわかっているの!? それって、あなただって先生の物にされるってことなんだよ!?」
「ええ、だってもう私は先生のモノだから」
夏帆は微笑みつつ、笑美の左胸を鷲掴みにした。
「えっ、ちょっと、何を……?」
いきなりのことに目を剥く笑美だったが、自分の胸を掴んだはずの夏帆の右手の様子がおかしいことに気付く。
夏帆の右手は、笑美の羽織った外套を素通りしていた。
「ああ、山崎の胸、大きいね。弾力もあってすごく気持ちいいわ。それに心臓の鼓動も大きくって、私までドキドキしてきちゃう」
「ひっ……!」
途端に、エミの胸を苦痛が襲った。
「ねぇ、わかる? 私が山崎の心臓掴んでるの。ねぇ、わかる?」
「や、やめ、お、おねが」
「ダメ♡」
「ぐふっ」
笑美が口から血を吹いた。
そしてすぐに笑美の目から光が消え、その命の灯が消える。
夏帆は笑美の胸から手を引き抜き、掌と甲を見始めた。その手は白く、汚れなどは一切ない。とてもたった今人の心臓を握り潰したようには見えなかった。
「可哀想な山崎。一人で行動して魔物に食い殺されちゃうなんてね。せめて残った死体は優しい私が燃やしてあげないと」
夏帆は立ち上がり、少し離れると、笑美の死体に火を放った。
原形が無くなるまで何度も、何度も。
そして証拠が何もなくなったことを確認すると、静かにその場を後にしたのだった。
※次回は10/25(水)20:00に第五十二話「勇者VS人造勇者」を投稿します。
※他作品投稿しました。内容的にはもっと明るい感じの作品です。ある日ファンタジー化した日本で、アラサーの主人公(男)と騎士気取りのアラクネがサバイバルする的な……。この作品で鬱になったら読んでみてください。→ https://ncode.syosetu.com/n3354ei/
※感想等お待ちしております。もし良かったら評価もお願いしますm(_ _)m