第四十六話 狂戦士
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勇也の目の前に、今まで姿を隠して戦っていた仲間が現れた。
彼女の胸の中央を槍が貫き、彼女はその槍を血塗れの手で必死に掴んで止めている。
そして、口と胸から流れた血が地面を濡らし始めた。
「琴音、どうして……?」
琴音とて勇也が不死身なのは知っているのだ。
勇也が愕然とした表情で琴音の背中に問うた。
琴音の苦しげな顔が勇也を振り返る。
「勇也だって、……痛いのは嫌でしょ?」
たったそれだけの理由。
だが、琴音にはそれだけで、勇也のために命を投げ出すのには十分だったのだ。
そしてそれは、あまりにも割に合わない代償だった。
たとえ心臓が破壊されても復活できる勇也とは違い、琴音の命は一度失えばもう二度とは元に戻らないのだから。
勇也が琴音に手を伸ばす。
琴音の肩にあと数センチで手が届くというところで、琴音が勇也から離れて行った。槍を突き出したオークジェネラルが、その槍を琴音ごと引き寄せたのだ。
「ア~ア、勿体無イ」
それがしゃべった。
いや、有り得ない事ではない。
クロを除く「変異種」が話しているのを、勇也は何度も聞いてきたのだ。
「女ハ 全員捕マエテ 犯スツモリ ダッタノニ、マサカ 殺シチマウトハ」
オークジェネラルは心底残念だと言うように、しかし勇也たちを嘲るような調子を声に滲ませていた。
琴音の顔が、オークジェネラルの黒く醜い顔の数センチ先まで引き寄せられる。
わずか数日、それでも一緒に旅してきた仲間が、自分を慕ってくれていた女の子が下種な視線を向けられている。
その光景を見た勇也に生まれた感情は怒りだった。
憎しみよりも、後悔よりも、純粋な怒りが勇也を満たした。
「琴音を放せ、豚野郎」
勇也が静かに怒りを迸らせながら、オークジェネラル、いや、「黒い残虐」を睨みつける。
黒い残虐は勇也の怒りに震える顔を見て、口元を歪めて嗤った。
「イイゾ、放シテヤル」
勇也が声を上げる間もなかった。
黒い残虐は槍を大きく振るい、琴音を後方に投げ捨てたのだ。
「琴音ぇ!!」
黒い残虐の遥か後方でドサッという音が聞こえてきた。
「殺す……!」
勇也の声が怒りで震えていた。
勇也は怒りもそのままに銃を構える。
だが、黒い残虐はその銃の特性を理解していたらしい。
勇也が引き金を引くより早く、槍を突き出してくる。
そしてそれは、ハイオークの槍さばきなど比べるべくもないほどに、洗練された刺突だった。
勇也がすんでのところで後退する。
黒い残虐はそれに難なく追い縋ってきた。
勇也は避けることさえ間に合わず、それを手甲とダガーを使ってガードする。
勇也が避けて防ぎ、防戦に陥ると、黒い残虐はますます勢いづいて槍を繰り出してきた。
だが、勇也は一人ではない。
剣と槍のぶつかり合う金属音が響く。
勇也と黒い残虐の間に、凜華が刀を振るい割り込んできたのだ。
「勇也きゅん、平気?」
「僕は大丈夫。それよりも早くこいつを殺して琴音を助けなきゃ」
「う、うん」
勇也の言葉に、凜華の返事が詰まった。
――あの傷は助からない。
それが凜華の本音だったのだ。
だけど、今それを勇也に言うわけにはいかない。
下手すれば勇也はその場で止まってしまうのではないか、そんな予感さえ凜華にはあった。
ともかく今は目の前の敵を倒さなくてはいけない。
銀の牙と同じ、もしくはそれ以上の相手なのだから。
凜華は肩で息をしつつも、黒い残虐に斬りかかった。
だが、黒い残虐の方が、力も技術も上だった。
斬りかかった凜華をいなし、勇也に銃を撃たせないよう距離を詰めてくる。
二対一になったところで、全く有利にはならなかったのである。
それに加えて、今までずっとスキルを使って戦っていた凜華は体力の限界だった。
二人掛かりで挑んでさえ、押されているのは勇也たちの方だ。
ついには黒い残虐が突き出す槍を対処しきれず、凜華が肩を貫かれた。
「凜華!」
『獣化』のスキルが解け、凜華がその場に膝をつく。
これで一対一、勇也の勝てる見込みはほとんどと言っていいほどない。
もちろん勇也はそんなことで諦めたりはしなかった。
鋭い視線を黒い残虐に向ける。
「ククク、安心シナ。オ前ヲ 殺スノハ 後ダ。マズハ オ前ノ 目ノ前デ 女ドモヲ 犯シテ喰ラッテ 絶望サセテカラ 殺シテヤルヨ」
この時点で勇也に、自分が喰われて黒い残虐を支配下に置くという選択肢は消えた。
勇也が一人でこの手強い相手を倒さなくてはいけないのだ。
無論それを成し遂げられる可能性は絶望的である。
勇也にできることは敵の攻撃を凌ぎ、反撃の隙を窺うことだけだ。
だがそれは敵わない。
距離を開けようとしても、黒い残虐はすぐに距離を詰め、それどころか強烈な突きまで繰り出してくる。
勇也は次第に追い詰められていった。
そして、ついに防御も回避も追いつかなくなった。
槍の穂先が勇也の右手に振るわれる。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!!」
勇也の右腕の肘から先が宙を舞った。
さらに左足の大腿部を突かれ、腹に強烈な蹴りがお見舞いされ、勇也は後方に吹き飛んだ。
勇也がぬかるんだ地面に転がる。
腹の苦しさにもがき、すぐには立ち上がることができなかった。
いや、もう勇也が立ち上がることは出来ない。
手も足も回復する様子が無いのだ。つまり体力切れである。
顔についた泥を払うことも、泥の中を這いずり回ることすらできなかった。
勇也は腹の痛みが治まるも、動くことができず、仰向けに倒れていることしかできない。
動けと念じるも、腕も足も動く様子は一切なかった。
そしてふと、自分の右を見た。
そこにいた者と目が合う。
「琴音……?」
奇しくも勇也が倒れた場所は、琴音が放り投げられた場所と同じ場所だったのだ。
琴音も勇也同様泥だらけになっていた。
琴音の前髪は乱れて、彼女の美しい顔が露わになっている。
それなのにも拘わらず、その顔は美しいという表現が当て嵌まらなかった。
琴音の顔には泥がかかり、それを拭うことすらできずに、彼女は光の灯らない目を勇也に向けていた。
もうすでにそれは勇也の知る、勇也が「可愛い」と評した琴音ではない。そこにいるのはかつて琴音だった、グロテスクなモノでしかなかった。
「琴音……ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
勇也の謝罪が琴音に届くことはもう二度とない。
勇也は、自分が油断したから、自分が判断を間違えたから、自分のせいで琴音を失ってしまったという後悔と罪を背負って生きていくしかないのだ。
勇也は黒い残虐を睨む。
せめて琴音のために今できることは、敵討ちだけなのだ。
それなのに、勇也の体は動かなかった。
こうして睨むことしかできないのである。
黒い残虐が勇也に向かって近づいてきた。
左手には勇也同様動けなくなっている凜華がいた。
黒い残虐は凜華の頭を片手で掴み、引き摺って来ているのだ。その顔にその称号の由来するところの、残虐な笑みを湛えて。
黒い残虐は勇也のすぐ目の前に立ち、勇也を見下ろした。そして凜華を、宙に掲げる。
「良イザマダナ。今カラ モット良イ表情ヲ 見セテモラウゾ」
「やめろ……」
黒い残虐は勇也の言葉を聞き、顔を見て、より一層酷薄な笑みを深くする。
そしてそのままの表情で、黒く巨大な手で凜華のマントを剥ぎ、一気にワイシャツを引き裂いた。
さらにスカートも破り捨て、上下の下着も破り捨てていく。
「やめろ、やめてくれ、……頼む」
勇也は自分の無力さに涙した。
何もできずに自分を慕ってくれた者たちを失っていくのだ。
もうすでに戦う力は無く、泣きながら許しを請うことしか出来なかった。
だがそれは、黒い残虐の嗜虐心をますますそそらせるだけにしかならない。
「アア、良イ顔ダ。サァ、モットモット楽シマセロ」
「凜華、凜華ぁ……!」
凜華は勇也の声に反応し、顔を上げた。
そして凜華の目に映ったのは、右手を失い、涙を流しながら自分の名前を呼ぶ勇也だった。
普段では絶対に見せないような悲壮な表情を浮かべ、勇也が凜華を見つめている。
それは凜華にとって、自分の中の何かを破壊されたかのような光景だった。自分にとって一番大切な何かを、である。
そしてその光景は、その感情を呼び起こすには十分だった。琴音を殺された勇也でさえ辿り着けなかった感情、『憤怒』を呼び起こすには。
同時に凜華はこう思った。
――こいつを殺せるなら、ウチはもうどうなってもいい。
その瞬間、そのスキルが発動したのだった。
理性と引き換えに膨大な力を得ることができる、『狂戦士』が。
※次回は10/7(土)20:00に第四十七話「喪失」を投稿します。
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