第三十四話 赤熱の魔女にも知り合いはいる
ブクマ有難うございます。
この世界では何年にも亘って戦争が行われてきた。
正確にその年月を知ることは出来ない。なぜなら、どこにも資料が残っていないからだ。
遡れるのは百年前までであり、記録によればその時の人族の数は、僅か一万人にも満たないほどしかいなかったのだという。
そもそも、人族は何と戦ってきたのか?
それは、現在では百年前の人族同様数千人までに数を減らした獣人族であり、さらに、千人にも満たない数しか今は残っていない魔族であった。
人族の住むこの大陸は、上弦の月の形をしていて、広さは日本列島の倍ほどはある。
その大部分を、今は人族が支配していた。
獣人族が支配しているのは北の一部だけである。
魔族はというと、すでに大陸より外に逃れており、大陸より北、上弦の月の弦の上に位置する、北海道の半分程度の広さの島を、その数百人が支配していた。
この大陸、サンセットムーン大陸に暮らす人族の数は、現在では百万人以上にも上る。
現代日本人の感覚からいえば、日本の倍ほど広い大陸に、百万人しか住んでいないとは異常に少なく感じるかもしれないが、百年前が数千人しかいなかったことを考えれば、かなり、いや、異常なほど増えたといえるのである。
その繁栄の一端を担ったのは、いや、そもそも絶滅間近だった人族を救い、ここまで導いたのは、勇者として異世界召喚された日本人の活躍によるものであった。
だから、この世界では日本語が世界言語として使われているのだ。
そのサンセットムーン大陸の中央以南に位置するベリリア王国は、魔族の島はもちろん、獣人族領とも離れており、比較的安全な国だと言える。
だからといって、全く安全であるわけではない。
なぜなら、この世界には魔物が溢れているからだ。
魔物は人を襲う。
魔物同士でも食い合うが、争っている途中であっても近くに人間、人族がいるのを見つけると、一度争うのをやめて人族に襲いかかるのである。
かといって、人族も魔物に近づかないわけにはいかなかった。
この世界に魔力を持たない動物はいない。つまり、人族に大人しく飼われるような家畜も、簡単に仕留められるような獲物もいないのだ。人族もまた、魔物や魔獣といった生物を糧にして、生きてきたのである。
そこで発足されたのが冒険者たちである。
元々冒険者たちの生業は、魔物を狩ることであり(そこからさまざま雑用が増えたのは置いておいて)、その冒険者を纏め上げる冒険者ギルドが存在しない国はないほどであった。
当然それはベリリア王国にも存在しており、王都にも立派なギルドがある。
冒険者たちも、ここより北に位置する国の冒険者に負けず劣らず屈強な者がいる。
尤も、冒険者には二種類があり、それは国から国へ移動する者たちと、その場所に定住する者たちである。
赤熱の魔女、イザベラ・スカーレットは、元は前者であった。
しかし、この国の地下迷宮で一匹のゴブリン(本人はゴブリーナと頑なに主張しているが)と出会ってから、彼女はこの王都に定住するようになった。
それでも、魔術師の中では指折りの実力者である彼女は、ギルドの依頼により他国まで出掛けることもある。
だが、必ずこの街に戻ってきた。
自分を「お師匠様」と慕うゴブリンのために。
一つの場所に腰を据えると、人と関わり合いになることも出てくる。
あまり人と関わり合うことを嫌うイザベラも、多少なりともこの街に知人がいた。
「やぁ、お婆ちゃん、元気かい? ちょっとこの街を出ていくことになりそうでさ、帰って来れるかもわからないんだ。ほら、お婆ちゃん、そろそろぽっくり逝っちまいそうだろ?」
イザベラの目の前には老婆と呼ぶには似つかわしくない、美しく年を重ねた女性が立っていた。
彼女はイザベラの失礼な言葉を特に不愉快に思った風もなく、上品に微笑んでイザベラを見ている。
「あらあら、イザベラさんがいなくなってしまうと、寂しくなるわね」
「お店の売り上げにだいぶ貢献していただいていますもんね」
さらにイザベラの後ろから、少女が朗らかな声をイザベラ達に掛ける。
ここは王都内にある雑貨屋だ。
ただの雑貨屋であれば、何を主に扱っているかにもよるが、王都内にいくつかはあった。
しかし、頭に「魔法の」とつけると、それはこの店を指すのである。
魔法の雑貨屋というと、狭くて薄暗い店内に所狭しと怪しげなアイテムが並べられているイメージを持つかもしれないが、ここは違った。
店内は白を基調とした明るく清潔な作りになっており、さらに広い。さながら高級ブティックのようである。
イザベラが話し掛けている老齢の女性、ドーラはここ「シルフィードの雑貨屋」の店主であり、後ろにいる十七、八に見える少女、エマはこの店の店員であり、ドーラの一番弟子であった。
イザベラがこの街に住み始めて十年以上、この雑貨屋には足繁く通っている。
当時から店は今と変わらず、ドーラも変わっていない。しかしエマだけは随分成長したな、とイザベラは思うのだった。
十年以上前はイザベラの腰ほどの背しかない小娘だったのに、今はイザベラの肩まで背は伸び、胸もイザベラ程ではないものの、大きく健やかに育っている。そして、顔はその笑顔を見れば、男であればしばらく目が離せないほどに、美しくなった。
そしてこのエマ、この秋に結婚することが決まっている。あと三か月もすれば、イザベラを追い越し、人妻になるのだ。
この店の看板娘を射止めた男はというと、
「別にあたしが来なくったって、しょっちゅう店に来る奴はいるだろう。ほれ」
イザベラがどこか不愉快そうにエマの後ろを指差すと、そこにはイザベラより背の高い金髪の美丈夫が立っていた。
背には弓を装備し、一目で冒険者と分かるのだが、その表情は争いごとを好まないかのように、優しげである。最近日本人が広めたエルフという種族にいくつか特徴が当てはまるのであるが、彼は耳が尖っているわけでもない、長命というわけでもない普通の人族だった。
「やぁ」
「あら、あなた」
まだ結婚していないはずであるのだが、エマは当然のように彼をあなたと呼んだ。
イザベラの額に青筋が浮かぶ。
「なんじゃい、なんじゃい、これから幸せになろうという若いもんたちを燃やすつもりかぁ? 赤熱の。そんなに結婚したいなら、ほれ、儂なんかどうじゃ?」
エマの婚約者の陰から、エマの十年前と背の変わらない、杖を持った老人がそんな軽口を叩きながら現れた。一見して魔術師と分かる男である。
「寝言は寝て言いな。それとも今のは遺言かい?」
「かっかっかっ、儂はまだまだ死なんぞ。少なくともフレッドとエマ嬢ちゃんの子を見るまではな」
「気が早いよ、ギルバート」
金髪の優男、フレッドが恥ずかしそうに顔を赤らめる。
ギルバートと呼ばれた魔術師の老人は、一層面白そうに「かっかっかっ」と笑った。
「あんまりフレッドをからかうもんじゃないよ、ギル。で、イザベラ、アンタこの国を出てくって本気かい?」
「そうですよ、イザベラさん。この国で良い男捕まえるんだって、意気込んでたじゃないですか」
さらに、二人の人物が店内に入ってきた。
一人は筋骨隆々で、背にはハルバートを背負っている。体も大柄で、イザベラよりさらに身の丈があり、二メートルを超えていそうである。だが、女性と分かる体つきをしており、美しい容姿の持ち主であると言える。ただ、イザベラ同様、なかなか彼女に言い寄って来る男はいないのだが。
そして、もう一人は軽鎧を装備しており、腰には剣を引っ提げている。背丈はエマと大して変わらないだろうか。
まだ十五歳になったばかりの最年少の彼女は、剣士にも見えなくはないし、斥候にも見えなくはない。実際に両方をこなすのが彼女の役目であった。
「ああ、まだ決まっているわけじゃないが、場合によっては、ね。ほぼそうなると思うけど。あと、良い男はこの国にはいなかった。ああ、ジーンが男だったらねぇ」
大柄の女、ジーンがイザベラから一歩引いた。
「ちょっと、なに本気にしてんだい? あたしにそういう趣味は無いよ」
「あ、イザベラさんなら、私は全然オッケーですよ」
軽鎧の少女、ハンナがイザベラにウインクする。
「そういう趣味は無いつったろ。燃すよ?」
「ぴぃぃぃ」
ハンナがジーンの後ろに隠れた。
この騒々しく纏まりのない四人組は、イザベラ同様王都に定住している冒険者たちである。
そうは見えないかもしれないが、最年少のハンナを除く三人は、イザベラに負けずとも劣らない実力の持ち主であった。
彼らのパーティー名は「ジズの雷」といい、その名を知らぬ者は王都内にはいない。いや、国内、さらには他国にも知れ渡っている。特に国内で冒険者といえば、真っ先に浮かぶのが、この「ジズの雷」か、「赤熱の魔女」なのである。
無論そんな「ジズの雷」に数年前に加入したハンナも、それ相応の実力の持ち主だ。
そして、彼らはイザベラに対等に接せられる数少ない冒険者たちでもあった。
「やっぱり例のあの子かい?」
イザベラに「ジズの雷」のリーダーであるフレッドが、心配そうに尋ねる。
彼らはイザベラに魔物の弟子がいることを知っていた。
そしてその緑色の小さな弟子を、自分の娘のように可愛がっていることも。
「なんだい? あと三か月で結婚するっていうのに、早速浮気かい?」
「なんでそうなる! ちょっと心配しているだけじゃないか! で、目的はあの子なんだろ?」
普段は心優しいフレッドが声を荒げる。
愛する婚約者の前で、根も葉もないことを言われたのだから当然だ。
尤も、この纏まりのないメンツのリーダーをしているだけのことはあって、すぐに落ち着きを取り戻したが。
リーダーのフレッドがイザベラを心配していると、さらにジーンがイザベラに近づいた。
「なんだったら、俺らが力を貸すよ」
しかし、イザベラは落ち着いた様子で首を振る。
「やめときな。そんなことをしたら、アンタ達だってベリリアに追われる羽目になるかもしれない。それに、フレッドは結婚するんだろ。なに、あたしはもともと根無し草だったんだ。そんなに気にすることじゃないさ」
「そ、そうか、悪いな、フレッド」
「いや、いいさ。本当は僕だって力を貸したいんだ」
「かっかっかっ、赤熱の魔女に助けなんぞ要らんじゃろ」
「私、寂しいですぅ」
イザベラは四人の様子を見て微笑み、最後にドーラとエマを見る。
イザベラはもしこの国を離れることになるのだったら、この六人には挨拶をしておきたかった。
本当はギルドにも挨拶をしておきたいところだが、なんだかんだでイザベラを頼りにしているギルドマスターは、泣きついてイザベラを引き止めそうだったため、彼女は行くのをやめたのである。
「それじゃあ、そろそろあたしは行くよ。ギルマスにもよろしく言っといてくれ」
イザベラは六人に別れを告げ、店を出ようとした。
「イザベラさん、また機会があったらお会いしましょうね」
ドーラが微笑んで手を振ってきた。
イザベラは「機会があったらか」と考える。昔はイザベラよりも名を馳せ、ドラゴンスレイヤーであった彼女なら、それもあり得るかもしれないと思ったのだ。
「ああ、またな」
イザベラは六人に見送られて店を出たのであった。
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「で、話のオチは何ですのん?」
イザベラはダンジョンに行って、トーマと出会うまでの話をしていた。
「は? そんなもん特にないね」
「えぇっ!? 俺、ずっとオチのない話を延々と聞かされてたんでっか?」
イザベラは無言でスッと杖をトーマに向けた。
「わぁ! 美しき女魔術師イザベラはんと王都の住民たちの心温まる交流、俺、めっちゃ感動しましたわぁ」
イザベラは杖をしまった。
二人はすでに王都を出て、人の手の入っていない平原をひた走っていた。
もちろん自分の足で走っているわけではなく、それぞれ魔獣と呼ばれるものに騎乗している。
魔獣というのは、敵意を見せない限り、人を襲うのことのない魔物を言う。
イザベラが騎乗している魔獣は、エリケリオルという角が後ろに向かって生えた鹿のような魔獣だ。地球上でいえば、ヘラジカというトナカイのシルエットをした馬鹿でかい鹿に近いだろう。
ただ、ヘラジカが人を襲い殺すこともあるほど強暴なのに比べると、このエリケリオルは非常に大人しいと言える。しかし、他の魔物や人族に襲われると、後ろに伸びた角が前に展開され、それを風魔法を使って加速した上で、突き刺してくるという危険極まりない習性を持っている。
対して、トーマが乗っているは、鷲の上半身と翼、獅子の下半身を持つグリフォンによく似た、グリフォヴァールという珍しい魔獣だった。
この魔獣は卵しか食べたないという習性があり、非常に大人しい。
ただ、人族に懐くことは滅多になく、何かあればすぐに飛んで逃げてしまうため、捕まえることも、こうして乗れることもほとんどないのだ。
しかしこうして懐かれれば、非常に心強い。
前述したとおり飛ぶこともでき、さらに戦闘能力も高く、キマイラとも互角に戦えるのである。
「で、ずっと南に向かっているわけだけど、これはどこに向かっているんだい?」
「『迷いの森』ですねぇ」
「迷いの森」というのは人族領最南端にある村の、さらに先にある森の名前で、名称通り、一度中に入ったら戻れなくなる森として有名であった。
その先には人が住んでいないため、その森に入る者はいないのだが、その村の外れにある泉はあまりにも有名なため、その辺境の村と「迷いの森」も有名なのである。
イザベラは「迷いの森」と言われ、その近くに行くのだと思った。あそこならば、確かに龍脈が通っていてもおかしくはない。
しかし、それは勘違いだった。
「『迷いの森』の中にその転移魔法陣があるんですわ」
「ちょ、ちょっと待て、中と言ったかい? 近くじゃなくて?」
「はい、中です」
『迷いの森』に入り、出てきた者はいない。それがどんなに高名で実力のあるとされてきた冒険者であってもだ。
イザベラはそれを当然不安に思い、トーマに問い質した。
「ああ、大丈夫ですわ。俺、その先にある集落の出身なんで」
「はぁ!? いや、それが仮に事実だったとして、あたしに言っちゃ駄目だろ」
だから、嘘か冗談である。イザベラはそう考え突っ込んだのだが、トーマから帰ってきた返事はわけのわからないものであった。
「それも問題ありまへん。どうせもうすぐ『カーニバル』が始まるさかい……」
さらに追加された一言は、天才と呼ばれた赤熱の魔女をも恐怖させた。
理由はわからない。
ただトーマの笑顔は出会った時から変わっていないのに、いないはずなのに、不気味だったのだ。
「でも、良かったですねぇ。サイゴにお友達にお別れが言えて」
彼はあどけない笑顔でそう言ったのだった。
次回8/31(木)19:00に第三十五話「馬鹿な弟子は速く走りたい」を投稿します。タイトルは後々変更するかもしれません。
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