第二十二話 刺客は『喰ラウ者』
五話連続投稿の四話目です。
遭難した時はなるべく固まっていた方が良いという。
しかし、それは遭難した時であって、異世界の迷宮に閉じ込められた時では決してない。
また、野生の動物に襲われないよう、なるべく固まって行動することもあるらしいが、それもやはり、異世界の魔物には通用しない。
そもそも冒険者たちが、パーティの人数をだいたい六人までと決めているのは、魔物に襲われないようにするためなのだ。
大人数で行動すれば、それだけ魔物に目をつけられやすくなる。
だが、当然異世界に無理やり連れて来られたばかりの彼らは、そんなことは知らなかった。
そうかもしれないとは思っても、全員で集団行動をしている今、言い出せるものはいなかったのである。
それに、全員で行動している今、こんな集団心理が生まれて来ていた。
襲われるとしても自分ではない。自分だけは安全だ。
それが自然に発生したのか、誰かが意図して作ったのかは、定かではないが。
だが実際のところ、彼らは幾度もゴブリンに襲われて疲弊していた。
それでも犠牲者は未だ出ていない。いや、ゴブリン相手に魔法を使える集団が、負けることなど有り得ない。
しかし、行軍速度は上がらず、勇也たちが三階層で三日目の朝を迎えた今も、未だに彼らは一階層の後半部分にいた。
彼らの進み方はまず戦闘力の高い者で探索班を作り、他の者たちを待機させて先に様子を見に行き、安全を一度確認してからまた全員で移動するという方法であった。もちろんその間は、他の戦闘力の高い者がそうでない者たちを守っている。
その探索班であるが、メンバーは、運動神経抜群で成績優秀、さらに容姿も整った岡田秀一をリーダーとし、色白、清楚、巨乳の美少女であるクラス委員長の今野千佳、ツインテール眼鏡のオタク女子、山崎笑美、勇也から荷物を奪った糸目の男、大石諒、そして、高校生の中に混じった中学生、もとい、担任教師の花ちゃん先生の五人であった。
彼ら五人は運が良かったと言える。
なぜなら、その悲劇を全部終わってから、見ることになったのだから。
広間に全員が固まっていると、横穴の一つから足音が響いてきた。
その方向は探索班が向かった方向ではない。
つまり、その穴から来るのはゴブリンである、と誰もが思っていた。
「なぁ、今度は俺にやらせてくれよ」
一人の男子生徒がそう言って前へ出た。
彼は魔力が低く、あまり戦う機会が無かった。
これまで守られるだけで、何もしてこなかったから、その分ストレスが溜まっていたのだ。
だが、初級魔法一発ぐらいなら撃てる。
彼は、少しでも良いから鬱憤を晴らそうと、否、少しでもみんなの役に立とうとした。
そう言った事情を汲み取って、守ることを任されていた生徒の一人が頷いた。
男子生徒は嬉々として前に立ち、『ファイアボール』を唱えた。
守ることを変わった生徒は運が良かったと言える。
しかし、反対に勇んで前に出た生徒は運が悪かった。
横穴から出てきたのはゴブリンではなく、一人の少女だった。
「へっ?」
男子生徒が呆気に取られていると、少女は目を丸くして口を開いた。
「おっそ! まだこんな所にいるんスか。しかもこんなに固まってたらダメじゃないスか。魔物に狙われやすくなるっスよ」
男子生徒を始め、生徒たちは、突然現れたこの少女が敵なのか味方なのかわからなかった。
一応アドバイスみたいなものはくれているが、どうもこちらの事情を理解しているらしい。
それならば敵である可能性が高いが、敵と思うにはどこか気の抜けるような雰囲気を漂わせているのだ。
しかし、次の一言で彼女が敵であることがわかった。嫌でも。
「さ、イーター、やっちゃうっス。あ、殺してもいいのは一人だけっスよ」
女が言うと、暗がりの中から一人の男が現れた。
顔は口元しかわからない。
あとは鉄仮面に覆われているのだ。
「くそっ、こっち来んな。ファイアボールを投げるぞ」
――ぐぅるぅあああああああああああああ!!
イーターと呼ばれた男が大声で叫んだ。その声はまるで獣で、生徒たちを委縮させるには十分な効果を持っていた。
だが、効果はそれだけではなく、イーターが叫んだ直後、男子生徒の持っていたファイアボールが消えたのであった。
「くそっ、何だよこいつ」
男子生徒は慌てて剣を構えた。
しかし、出来たのは構えることだけであった。
次の瞬間には、イーターが男子生徒の目の前まで移動していた。
だが、男子生徒が目の前のイーターに気付くことは出来ないし、もう彼にできることは何もない。
せいぜいが宙に舞うことと、膝をついて前のめりに倒れることだけだった。
「キャアアアアアアアアアアアアっ!!」
「な、な、な」
「あっ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
辺りは一瞬で血の海と化し、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
だが、地獄はそれで終わりではなかった。
生徒たちが泣き叫び、茫然自失とする中、イーターは倒れた男子生徒だったものに近づき、その場に膝をついた。
次に聞こえてきたのは何かを咀嚼する音だった。
その行為の意味するところが彼の名前の由来であり、オリジナルのスキルの発動条件でもあった。
スキル「喰ラウ者」。
彼は喰らった者の力を奪うことができるのだ。
ぐちゃっ、びちゃっと言う音が辺りに聞こえてくる。
絶叫は止み、一瞬辺りが静寂に包まれた。
だが、ここでもまた、幸運な者と不運な者に別れることとなる。
幸運な生徒はその場で硬直してしまった者や、失神、失禁してしまった者たちである。
反対に不運だった者たちは、絶叫を上げ、その場から逃げて行った者たちだった。
イーターが食べるのを中断し、逃げて行った者たちが向かった横穴を見た。
「あ、ダメっスよ。それで終わりっス。これ以上は……」
彼女はそこで口を噤んだ。
多分これ以上話し掛けると、自分まで巻き込まれる。そう判断したのである。
イーターが無言で逃げて行った者の後を追っていく。
すぐに横穴からは複数の悲鳴が聞こえてきた。
「いいっスか。いつまでも一階層にいないでさっさと先に向かうっス。多分また三日か四日後には、ここにあれが来るっス。あーしは来たくないけど……。せいぜい、そう、三階層ぐらいに着いてれば大丈夫だと思うっス」
女がまだ意識のある者に向かって言った。
言われたのは女子生徒であったが、泣きながら必死に頷いている。
わかったから、もう帰ってくれ、ここに来ないでくれ、そういう意味なのだろう。
尤も、イーターが一度帰って来てくれないと、彼女は帰るに帰れないのだが。
「あれ? 帰って来ないっスね。えぇっ、まさか探しに行かなきゃいけない流れっスか、これ……?」
女は怯える生徒たちをその場に残し、盛大に溜息を吐きつつイーターの後を追ったのだった。
************
「うーし、この先は二階層っしょ」
「さっすがナイトきゅん」
「え? あんまり田中って役に立ってなかったような……」
「しっ、ほっといてあげなよぉ」
「そうだぜ、折角二階層に着いたんだからよぉ。きっと一番乗りだぜぇ」
ヤンキー茶こと、田中騎士、その恋人の沖田凜華、長身の馬鹿、原田陸、その他二名が、長い坂道の上で騒いでいた。
実際にはまだ二階層に着いていないし、一番乗りでもないのだが、それを指摘する者はその場にいない、はずだったのだが、
「ソコハマダ一階層ダゾ? ソレニオ前ラヨリモ早ク下デ坊主ニ会ッタ」
「おい、下に狼男がいるぞっ」
聞こえてきた声に反応し、田中が「遠見」のスキルを発動させた。
彼はその能力で遠くの物を見ることができるのだ。
だから、彼は逸早くこの危機的状況に気付いた。
「おいおい、向こうは俺たちの倍近くいるぞ」
「マジか。よっしゃ、魔法で先制攻撃してやろうぜ」
五人がそれぞれ魔法の準備を始めたのだが、戦闘を歩く銀色の狼の姿が見えた瞬間、凜華が呟いた。
「あ、無理かも。アイツやっばいわ。魔法投げてソッコー逃げよ」
「大丈夫だって。俺がぶっ飛ばしてやんよ」
危機を理解できるのは、凜華だけだった。
他の四人は戦う気でいるらしい。
相手が「銀の牙」と呼ばれ、冒険者たちからも恐れられている存在だとも知らずに。
だけど、その恐ろしさはすぐに理解することとなった。
五人が一斉に魔法を放った。
しかし、そのどれもが先頭の銀色の狼男どころか、他の一回り小さい狼男にすら一撃も当らずに避けられてしまう。
そして、銀色の狼男は、その姿を一瞬のうちに消してしまっていた。
「イキナリ挨拶ダナ」
五人のすぐそばで声がした。
振り向くと、五人のすぐ隣まで銀色の狼男が移動してきていたのである。
「気を付けて、こいつ瞬間移動できるみたい」
凜華が注意を促すのだが、
「キャアアアアア」
「うわぁぁぁぁぁ」
「ぎゃぁあああああ」
陸以外の三人が悲鳴を上げて逃げて行ってしまっていた。
田中が真後ろの道へ、他二名はその隣の道へと走って行ってしまう。
呆気なく田中に置いて行かれた凜華。
千年の恋も冷める瞬間であった。
「ちっ、アンタは逃げないの?」
「ああ、戦ってみる」
陸はなぜかキラキラとした眼差しを銀色の狼男に向けてそう答えた。
銀色の狼男がにやりと笑う。
「安心シロ。一人モ逃ガサン。オ前ラハ逃ゲタ奴ラヲ追エ」
その言葉に他の狼男たちが、一斉に駆け出した。
「サテ、二人同時ニ相手シテヤルカ。正直、アノ坊主ヨリ弱ソウダナ」
狼男の言う「坊主」とは、恐らく勇也のことだろうと凜華は当たりをつけていた。
問題はその「坊主」が、すでにこいつに殺されてしまったのではないか、という事である。
凜華は勇也が美味しそうなスキルの持ち主であることを覚えていた。この目の前の魔物が易々と逃がすとは思えない。
「ていうか、その坊主っていうのはアンタの腹の中?」
尤も、すでに排泄済みなら違うかもしれないが。
狼男は何も答えなかった。
ただ眉間に皺を寄せただけである。
その表情を見て凜華は得心した。こいつ、逃げられたな、と。
知り合いが食われたりしていなくて良かったと思うのだが、今は自分たちが食われる危機が迫っている。
「あんま使いたくなかったんだけどなぁ、あのスキル。腹減んだよねぇ」
「使うのか?」
凜華は初めてゴブリンに遭遇した時にスキルを使い、激しく後悔していた。
確かにあのスキルは強力なのであるが、使用後に著しい飢餓に襲われるのだ。
おかげで凜華は早々に食料を食べ切ってしまい、その後は仲間に分けてもらっていたのだ。
しかし、もう食料は全員残っていない。その前に陸以外は逃げてしまった。
「ま、最悪その狼男を食うわ。不味そうだけど」
「ガハハハハハ! 女、俺ヲ食ウト言ッタカ? ソンナコトヲ言ワレタノハ初メテダ」
狼男が心の底から楽しいというように笑った。
凜華はその笑いを見て、こいつが戦闘狂であることを確信した。戦わずして逃げることは出来そうにない。
狼男が牙を剥き出しにして構える。
凜華が前に出て前衛を務め、陸が後衛に回った。
五人で動いていた時は、田中がやたらと仕切りたがり、斥候には向いているかもしれないが、明らかに前衛には向いていないのに前に出て行った。
それを凜華が何とか田中のプライドを刺激しないよう、上手く宥めていたのだ。
もしもあのまま下の階層に行って、ゴブリンより強い敵と出くわしていたら、危なかったかもしれない。
その点、陸は馬鹿だが、素直だし、陸上部の短距離、スプリンターだったので、上手く使えば役に立ってくれるだろう。
凜華は後悔した。
ヤンキーと言う魅力と顔で田中を選んでしまったが、陸の方と付き合っておけば良かったと。
陸でなければ、勇也でも良かった。
確かに彼は根暗で、人付き合いというものを全くしなさそうではあるが、顔は悪くないし、頭も悪くない。
それに、不良でもないのに、やたらと喧嘩が強そうなのだ。
あとは、あの目だ。
普段はエロい目つきで、それを必死に誤魔化そうとしているのもの可愛いが、たまに見せる燃えるような目、あの危険な目にそそられなくもない。
どっちにしたって後の祭りだ。
この狼男を倒さなくては、凜華に未来はないのである。
そして、倒せる確率は、考えたくないぐらいには低そうであった。
凜華と陸が覚悟を決めた瞬間、突如叫び声が聞こえてきた。
「キャアアアアアアアアアアアアア!!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
田中以外の二人の声だった。
凜華と陸は、てっきり狼男の小さい奴らに二人が捕まったのかと思ったが、違うようだ。
なぜなら、
――KYAIIIIIIIIIIIINN!!
犬の悲鳴みたいなのも聞こえてきたからである。
「何ダ?」
狼男が悲鳴の聞こえた方を向く。
凜華と陸もつられてそっちの方を向いた。
すると、横穴の暗がりから、一人の男が現れた。
異様な男だった。
顔を口以外鉄仮面で覆い、いつか見かけた勇也より、全身真っ赤に染まっているのである。
「オ前ハ何ダ? 俺ノ子供タチハドウシタ?」
男は何も答えず、口を手で拭っただけだった。
「ソウカ、食イ殺シタカ……」
凜華は生唾を呑み込んだ。
ということは、あの二人はどうなったのか。
あまり想像したくはないが、恐らく……。
凜華は『鑑定』を飛ばした。
しかし、結果は、
≪鑑定:ステータス差が大きいため、不可≫
凜華の手足は震えていた。
狼男の方はまだ何とかなったかもしれない。
だけど、こいつはどうにもできない。
手も足も出ずに殺される。
一目見た時からわかっていた。
本能に直接訴えかけてくるのだ。
こいつと戦ってはならないと。
「ガハハハハハ! イイ、イイゾっ! 戦イハ弱肉強食ナンダ。ソウ来ナクッチャナ」
どうやら狼男は凜華と陸は放っておいて、こっちの新しく現れた男と戦うつもりらしい。
これは助かったかもしれない、と凜華は思った。正に千載一遇のチャンスである。
「りっくん、今の内に逃げよ」
「いや、沖田だけ逃げてくれ。俺はおっさんに用事がある」
「ハァ!? おっさんって狼男の方?」
陸は頷いた。
凜華は呆れ果てた。
こんなまたとないチャンスを、わざわざ自分から棒に振ると言うのだ、この男は。
馬鹿なのか、いや、馬鹿だった。
説得しようとするが、陸の決意は固いらしい。
どれだけ猶予があるのかもわからない。
恐らく、この狼男は長く持たないだろう。
凜華は深々と溜息を吐き、「死ぬなよ」とだけ言って、その場をあとにしたのだった。
二時間後、1時に投稿します。
二章終了です。次から三章になります。