第一話 シュプレヒコールの中、僕たちは光に包まれました。
僕の名前は永倉勇也。
偏差値が県内で平均以下の公立に通う高校生だ。
頑張ればもっと良い高校も目指せたと思うけど、レベルの高い高校で底辺の成績になるのと、レベルの低い高校で高い成績を維持するのを比べて考えた結果、レベルの低い高校で高い成績を維持することを選んだ。
それは単に僕の自尊心の問題だったと思う。
僕は小学校の頃から苛められていた。
中学の途中で一度は終わったけど、きっとどんな高校に行ったってまた苛められることに変わりはないだろう。
だったら、自分より頭の悪い奴らに囲まれている方が、まだ自分の自尊心を保てると思ったのだ。
僕が苛められているのは何でだったろうか。
よく言われていたことを思い出すと三つある。
臭い、汚い、目つきがキモい。
内二つは事実かもしれない。
自分の体臭が臭いというのは自覚があるし、目つきがキモいというのは、つい女子に性的な視線を向けてしまうからだ。
だけど、それらに関しては対策を取るようにしている。臭いというのは制汗剤で誤魔化していて、視線に関しては、学校にいるときはなるべく小説とかを読んで、誰も見ないようにしていた。
ただ、汚いというのはどうにもできない。
それは僕の過去のエピソードをずっと引っ張っている奴がいるからだ。
小学生の時、高熱を出して三日間お風呂に入れないまま学校に通っていたことがあった。親には「夏場に風邪なんて引くな」と怒られ、無理矢理学校に通わされた。
だけど、前述の通りその時は夏場だったため、僕の体は必然的に臭くなり、お風呂に入っていないことがばれて、皆に騒がれたのだ。
結局高熱もあったため、担任の先生が家まで送ってくれて、熱が下がるまでは登校しないようにと親に進言してくれた。
そして、一週間後、ようやく熱が下がって登校してみると、机にチョークで「臭倉風呂に入れ!」と書かれていたのだった。
元々地味で友達も少なかったけど、本格的な苛めが始まったのはその日辺りからだと思う。
机や黒板に悪口が書かれる、ラブレターを装った罵詈雑言が書かれた手紙が下駄箱に入っている、すれ違うたびにぶつかられる、などといった軽いものから、内容は徐々にエスカレートしていった。
ただ、僕は多対一だったとしても、必ず反撃していたおかげか、あまり酷いようなことはされなくて済んだ。
元からボクシングに興味があって、ボディブローを覚えていたことも大いに役立ってくれた。人間の弱点である鳩尾、あとはレバーブローでだいたいの相手は、肋骨や内臓さえ破壊しなければ、痕も残さず無力化できてしまう。
それでも、苛めがなくなったわけではないのだけれど。
苛めは中学生になってからも続いた。
相変わらず僕の私物に悪口が書かれていたりとか、物が壊されていたりとか、無くなっていたりする。
ただし、抵抗する僕に対して苛めは激化まではしなかった。
僕より激しく苛められて、学校に来なくなってしまった者も実はいるらしいけど、これぐらいなら僕は耐えられる。
でも、どんなに苛めを耐えられると言っても、僕はずっと一人ぼっちだった。
友達なんて一人もいないし、僕は家族も信用できなかった。
親に言われた「苛められる側にも問題がある」、「友達を作れ」、「勉強しろ」、それらの言葉は僕にとって大いに負担になったのだ。
でも、ある有名人の「友達はいらない」という言葉と、アメリカの心理学者の「社会が複雑化したことで、人類は知能が低下した可能性がある」という話を聞いて、孤独でいることは恥ずかしいことでも、悲しいことでもないんじゃないかと思えるようになってきた。
それでも、最小単位の社会である家族すら持たないのはどうかと思うけど、とりあえず一人で生きていけるようになることが、僕の目標であり、価値観となったのだ。
そう思っていれば、案外友達がいなくても楽しく生きていけるものである。
休み時間や放課後は図書館で本を読めばいいし、お小遣いはもらえていたから、格安で利用できる公共のトレーニングセンターに行って体を鍛えたり、スポーツを楽しんだりすることもできた。
だけど、問題が何もなくなったわけではない。
一つは周りの人間に負けたくないという自尊心が強くなってしまったことである。まぁ、今それはいい。
より問題なのは、思春期の男子なら誰もが悩むであろう性欲が、当然のように、いや、人一倍僕にはあったのだ。
それに、一人で生きていくとは決めても、世界で僕はたった一人きりなのだと思えば、どうしようもない寂しさと恐怖が訪れることもあった。
そんな二つの感情が混じり合って、いつしか僕は、僕を理解してくれる理想の恋人が欲しいと思うようになってしまった。
一人で生きていくと決めたのに、恋人が欲しいというジレンマに陥ってしまったのである。
高校に入ってからもそんな僕の生き方と悩みはあまり変わらなかった。
それでも、僕を知っている人間はだいぶ減って、入学してから一か月ぐらいは苛められることが無くなった。
だけど、やはり高校生活に慣れてきたからだろうか、同じクラスになった者の中には、僕がぼっちであること、中学から苛められていたことを知って、それをからかいだす者が現れたのだ。
それに今度は目つきのことや体臭のことも混じっている。
視線に関しては少し言い返せないこともあり、なるべく読書などで誤魔化し、体臭に関しては僕も気になったので、制汗剤を使って誤魔化したりした。
それでも僕の扱いは変わらない。
最近では予想していた通り、また苛めに発展してきていると思う。
中学の頃と違って、それを止めようとしてくれる者も中にはいたりもするのだけれど。
でも、このままでは確実にまた苛めになるだろう。
僕は中学の頃を思い出す。
あの頃の恐怖と怒りと憎悪を。
それらの感情は僕が最も慣れ親しんできたもので、今まで一度たりとも消えたことはなかった。
そんなある日、放課後に緊急でホームルームが開かれた。
クラス全員、先生もいる中、学級委員長だけが黒板の前に立っていた。
全員が注目する中、僕もつい委員長の可愛らしい顔と巨乳に注目してしまっている。
委員長はクラス全体を見回し、最後になぜか僕を見た。厭らしい視線を向けていたのに気付かれたのではないと思う。
そう、ホームルームの議題が、
「皆さん、大変悲しいことですが、私たちのクラスでイジメがあります!」
どうやら僕のことらしい。
クラス全体がざわめき、僕はチラチラと視線を感じる。
何人かの心当たりがある生徒が焦る中、僕は僕で嫌な汗を掻いていた。変に注目されるのは苦手なのだ。
それにできることなら放っておいて欲しかった。
そんなことをしたって苛めが無くなるとは到底思えない。むしろ激化してしまう恐れがある。
ああ、しかも汗を掻いたせいでまた自分の臭いが気になっちゃうじゃないか。
「その人の名前は出しませんし、彼をイジメている人たちの名前も出しません。私は誰かを責めたいんじゃないんです。ただ、イジメを無くしていきたいんです。みんなで助け合っていきたいんです。
私たちが同じクラスになってから三か月が経つというのに、彼だけがずっと孤立したままです。そんなのあんまりじゃないですか。私たちは同じクラスの仲間、みんな友達でしょう?」
そこで担任が拍手をし、他にも今の演説で感動したらしい数名の生徒が拍手をした。
正直、僕はどう反応したらいいのかわからなかった。
心配してくれて嬉しい、なんて当然思うはずもない。
だいたい何で僕の意見も聞かずにこんな会を設けたのだろう。正義感から発せられる自己満足だろうか。
でも、これで僕への苛めが無くなるなら、それはそれで助かるというのは事実だ。
それに、委員長は勘違いしていることがある。尤も、僕がそれを指摘するつもりはい。
だけど、僕の代わりにそれを指摘してしまう者が現れた。できれば、それには触れたくなかったのに。
「委員長さー、別に永倉って孤立しちゃってる、ってわけじゃなくない? 好きで一人でいるんじゃん? まぁ、イジメられてんのはどうかと思うけどさー。それにぃ、だいたいさー、ウチらも同じクラスだけど、みんな友達ってわけじゃなくない? 少なくとも、ウチと委員長って友達じゃなくね?」
委員長に意見したのは金髪のギャルだった。
彼女は化粧も濃く、常に香水もつけている。他にも軽く化粧している生徒はいるけれど、ここまで何というか、凄いのは彼女と彼女の友達の茶髪のギャルだけだった。
委員長はどうやら金髪ギャル子(名前を知らない)の言葉に相当ショックを受けているようで、口と目がただの点と化し、固まってしまっている。
「なぁ、永倉ー」
金髪ギャル子に呼ばれてそちらを振り向くが、瞬時に視線を逸らした。理性を総動員して。
彼女はギャル子というだけあって、普通の女子高生とは違うのだ。
やたら短いスカートに、委員長ほどではないが巨乳で、その谷間が第二ボタンまで開けたワイシャツからちょっと飛び出しているのである。まともに見れば理性が吹き飛びかねない。
「おい、コラ! てめぇ、なに人の女エロい目で見てんだよ!」
そう低い声で怒鳴ってきたのは、小麦色の肌のヤンキーである。ちなみに髪の毛が茶色いため、ヤンキー茶と僕は呼んでいた。
どうやらその彼はギャル子と付き合っているようだ。
「永倉、お前マジキモいな。イジメられんのも納得だわ」
さらにおちょくるような野次が飛んでくる。
そいつもヤンキー茶と同じく小麦色の肌で、確か彼の友人だったと思う。彼はやたら図体がデカく、ヤンキー茶と比べると圧倒的に残念な顔をしている。そのため、僕は彼をヤンキーコングと呼んでいた。
「だからー、イジメはダサいって。それに顔面偏差値で選ぶんなら、アンタより永倉選ぶわー。だいたいエロい目してんのって、男ならだいたい同じっしょ」
「ああ!?」
「おい、凜華。おめ、俺の女だろうが」
「キャハハハ、そうだったー」
なに、このカオス……。
そもそも、ギャル子は何で僕を呼んだのだろうか。すでに忘れられているような気がしてきた。
「あ、じゃなくてさ、永倉、ウチと友になんね?」
「あ、いいです。御遠慮させてください」
「キャハハハ、ヤバい、マジウケる。な?」
ギャル子は委員長の方を向いて、そう言った。
どうやら僕が友達を求めていないという事を証明したかったらしい。何がウケるのかは知らないが。
だけど、委員長は当然そんなことぐらいでは納得していないようだった。
ギャル子にムッとした表情を向け、僕に向き直り、笑顔を向けてきた。
そういえば、名前を言わないという言葉はどこに行ってしまったのだろう。
「それは住んでいる世界の違いとか、そういう事もあると思うの。ね、永倉君。まずは私とお友達になりましょう」
クラス全員が友達であるという発言はどこに行ってしまったのだろう。
ともかく、僕の答えは当然決まっていた。
「僕に友達は必要ありません。恋人は欲しいですけど……」
「なっ……」
「キャハハハ、なに、今の? 告ってんの? やっぱ永倉ウケるわ」
思わず本音を言ってしまっただけで、別に告白したつもりもないし、委員長が好きなわけでもない。
だけど、誤解されてしまったようで、委員長が顔を赤くして絶句し、ギャル子は爆笑している。
と、同時に、クラス中から野次が飛んできた。
「永倉てめぇ、ふざけんなよ!」
「調子乗んな、臭倉!」
「委員長、こんな奴に告られてかわいそー」
「キモいんだよ、死ね!」
「死ね!」
「死ーね」
「死ーね」
「死ーね」
「死ーね」
「死ーね」
その後は死ねという言葉がシュプレヒコールとなって、教室に木霊した。
どうやら僕は思っていたよりも嫌われていたらしい。
こんな奴らに。
心の中に怒りと憎しみが渦巻いていく。
お前らなんかに死ねと言われて死ぬわけがない。むしろお前らが死ねばいいとさえ思う。
僕は鞄を掴んだ。
今すぐにでもここから逃げ出したかったのだ。
そして気付いた。
自分の足が動かないという事に。
何だこれ、どうなってる?!
足が地面に縫い付けられたみたいに、いや、吸い寄せられているように全く動かない。
すぐに足元を確認してみるが、そこには思っていた以上の異常事態があった。
それを見た僕はすぐにその現象が何であるのか思い当った。
伊達に読書ばかりしてきたわけではない。
異世界転移物。
僕のよく読む小説、というか、ラノベのジャンルの一つだ。
ある日、突然教室に魔法陣が現れ、クラスごと異世界に転移してしまうというストーリーのものだ。
それと同じ現象が目の前で起きている。
そう、僕の足元に、いや、教室の床全体に見たことのないような魔法陣が描かれていたのである。
刹那、教室がまばゆい光に包まれた。
こうして僕たちは「死ね」という合唱が続く中、この教室、いや、この世界から消えたのであった。