第十六話 雄オークさんは討伐されました
五話連続投稿その三です。
「ねぇ、アナ、僕も人の心臓を百個食べると進化するのかな?」
「スルワケナイデハナイデスカァ、HAHAHAHAHA」
「……するんだね」
僕は体育座りしながら、急に片言になったアナをジト目で睨んだ。
ていうか、人間が進化するって何だ?
何になるっていうんだ?
まぁ、でも、食べなければいいだけだし、食べるつもりもない。
人間をやめられる可能性があるというだけで、やめるわけではないのだ。
いや、待てよ。
僕が進化する条件は本当にそれだけか?
「ねぇ、アナ。アナがホブゴブリンになる条件っていうのは、同族の心臓を百個食べるっていうだけ?」
「違うのですよ? 他にも一定のスキルを取得するというのもありますし、三十歳になるまで、つまり通常のゴブリンの寿命まで待ってみるという手もあります。スキルについては、アナには取得できなさそうなものでしたし、寿命まで待てばアナは確実に進化できるでしょうけど、そんなに待てないのです。ということで、アナは心臓百個を選んだのです。何と言ってもゴブリンはそこいら中で死んでいるのです。あと、何度も言っているのですが、アナが進化するのはメイジホブゴブリーナなのです」
なるほど、やっぱり僕は下手したら人間じゃなくなるかもしれないのか。
特に寿命が尽きたらっていうことは、避けて通れない道だと思うんだけど。
いずれにせよ、それはまだまだ先だから一旦置いておくとして、スキルだけでも確認できないだろうか。
「アナ、人間が進化するスキルの条件ってなんだかわかる? あと、人間って何に進化するの?」
「ちょっと待つのです」
アナはそう言ってポシェットから、何やら分厚い本を取り出した。
表紙も中身も羊皮紙で出来ているようだ。
何の皮かはわからないけど、なんだかとても高価そうではある。
どれ、『鑑定』してみるか。
≪名称≫外法・禁術大全
≪著者≫トーマ・ラムウ・ワナギースカ
≪内容≫外法や禁術が大量に記されている人皮で作られた百科事典。
ギャース!
余計なことをするんじゃなかった。
えっ、そんなもの読んでてアナは大丈夫?
SAN値削られたりしない?
「あったのです。何に進化するのかは言及されていません。スキルは、不明なスキルもあるようなのですが、大罪系のスキルは必要みたいなのです。『自己犠牲』を持っている心の綺麗なユーヤには関係ない話なのです」
アナの眼元がきらりと光った。
うん、見なかったことにしよう。
それに、どっちにしたって寿命が尽きたらそのまま進化してしまうわけだし。
はぁ、僕はいずれ人間ではなくなってしまうのか。
人間では……?
ん? 別に良くないか?
大罪系のスキルが必要と言われ、真っ先に思い付いたのが悪魔だったけど、今と大きく形が変わらないなら何も問題ない気がする。
きっとその頃には人間になったアナも寿命が近づいているだろうし。
むしろ、アナもいなくなってしまうなら、人型である必要もない。人間なんかやめてやりたいくらいだ。
尤も、問題もないわけじゃない。
もしかしたら、僕の方がはるかに先に寿命が尽きてしまうことだって考えられる。
そうなった時、人間に憧れているアナは僕のそばにいてくれるだろうか。
「あ、あ、あのさ、アナは僕が人間じゃなくなっても、そ、その、す、すす、好きでいてくれるかな?」
「す!? ゆ、ユーヤ……」
アナが顔を真っ赤にしてもじもじし出したが、やがて意を決したように僕を真っ直ぐ見つめてきた。
「何を今更言っているのですか。魔物のアナを好きになってくれたユーヤを、アナの愛しいユーヤを嫌いになったりするわけないじゃないですか」
ああ、胸の奥が熱い。
これが愛しさなのだろうか。恋なのだろうか。
「アナ、僕も君を愛している」
アナの顔が近い。
僕はそのままさらに顔を近づけていき、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
コツンっ。
歯がぶつかった。
い、意外とキスって難しい。
唇を離してアナを見る。
「アナ、泣いているの?」
「ユ、ユーヤの方こそ」
言われて目元に手をやる。
ああ、確かに濡れている。
子どもの頃はよく泣いていた。
苛められて悲しくて、一人ぼっちが寂しくて。
だけど、戦うと決めてからは泣かなくなった。
泣かなくなった代わりに、もしかしたら何かを忘れていたのかもしれない。
それを今、思い出したのだろうか。
わからない。
でも、これだけは言える。
僕は今悲しくも寂しくもなく、満たされているんだ、と。
もう一度アナに口づけた。
そして、そのまま手をワンピースにやる。
「ユ、ユーヤ? 何してるのです?」
これ、どうやって脱がすんだろう?
あ、背中にボタンがある。
それを一つ、二つと外した。
三つ目に手掛けたところで、アナが暴れ始めた。
「ちょ、ちょっと、ユーヤ! 止まるのです! さすがにちょっとそれは早いのです!」
「嫌なの?」
「い、嫌ではないのです。むしろ、その、し、したいとも思っています。だけど、待ってほしいのです」
「ダメ」
僕はアナを地面に押し倒した。
「ニギャーーー! ほ、ほら、クロも見ているのです」
顔を上げると、確かにクロがこちらを見ている。
しかし、僕がジト目を向けると、「察した」とばかりに闇に向かって下がって行った。
「無駄に頭が良いのです!?」
騒ぐアナの口に自分の口を重ねて塞ぐ。
なにやら「むぎゅー、むぎゅー」と言いつつ暴れているのだが、そんな仕草も可愛い。
僕は気にせず、ワンピースを脱がしにかかった。
ごめんね、アナ。もう自分でも止められそうにないんだ。
しかし、ワンピースを肩まで下ろしたところで、アナの抵抗が激化した。
仕舞いには魔法まで使い始める。
そして、十分後、僕は固い地面の上に全裸のまま正座されられていた。
全身水浸しの上に、頭にはたんこぶができている。
アクアボールを投げつけられ、頭の上に土魔法で作った皿を連続で落とされたのである。
僕はそれでやっと冷静になり、動きを止めた。
そして、アナに「正座!」と言われ、今こうして正座しているのだ。
それにしても寒い。風邪を引きそうだ。
「ユーヤの鬼畜! 発情期の雄オーク!」
「はい、すいませんでした」
なんだ、雄オークって? ケダモノみたいな意味か?
気になるが、今はそんなことを聞ける状況じゃない。
アナははだけたワンピースを押さえ顔を真っ赤にしつつ、涙目で怒っていた。
こう、冷静になって考えてみると、僕はとんでもないことをしたな。
嫌がる女の子を押し倒して襲うとか、アナの言う通り正しく鬼畜の所業だ。
ついアナへの愛が暴走してしまった。
僕に今できることは海より深く反省することだけだった。
「いいですか、アナだって嫌ではないのです。だけど、まだ人族になっていないのに、ユーヤと交尾するのは嫌なのです。アナには人族になって恋をするという夢があるのですから」
え? それってまだ僕には恋をしていないっていう事? だから嫌だったの?
思わずアナを見つめると、彼女は優しく微笑みかけてきた。
「そんな顔をしないでください。アナの言う恋とは気持ちだけの問題ではありません。アナが人族になって、ユーヤと一緒にお店で買い物したり、お食事したりしてみたいという事も含まれているのですよ。人族が書いた本を読んで、ずっとそういう事に憧れていたのです」
ああ、つまりデートがしたかったのか。
確かにこのダンジョンじゃできないもんなぁ。
「人族は愛する恋人同士がお店を回ったり、お食事をしたりした後で交尾をすると聞いたのです。アナもそういうのに憧れているのです」
アナがそう言って顔を赤くした。
アナはやっぱり乙女なんだな。
こういった考えや仕草も可愛らしい。
「何を笑っているのですか。ちゃんと反省してください」
「はい、申し訳ないです」
「だいたい何でユーヤは魔物に発情してしまうのですか。変態さんなのですか?」
いや、別に魔物だから発情したわけじゃないんだけど。
確かに『ゴブリンの友』だし、アナはゴブリーナだけども。
何と言うか、愛があればそんなの関係ないというやつだ。
今までだって人間の女の子(巨乳)にしか発情したことはないし、僕は決して変態ではないと思う。
「その、僕が好きなのはアナだから。相手がアナだったら多分何でも良いんだよ。人間でも、モンスターでも。もしアナが男の子でも好きになってたかもしれないし」
「やっぱりド変態さんなのですね」
あれ?! そうなっちゃうの?!
「でも、ユーヤがド変態さんでも、アナもユーヤが好きなのです。そこまでアナのことを想ってくれるのは、やはりとても嬉しいですし。……あ、あと、アナはモンスターではなく、『魔物』なのです」
僕は頷く。
一応気持ちはちゃんと伝わっているようだ。
モンスターと魔物の違いについてはわからないけど。
あ、でも、そうか、モンスターっていうのは化物って意味だし、魔物っていうのはもっと種族的な意味合いなのかもしれない。
「ですが、まだ既成事実が無いから大丈夫なのです。このまま本当に交尾してしまったら、ユーヤが本物の変態さんになってしまうのです。ですから、本当はアナが人族になるまで待って欲しかったのですが……」
それはどれくらい先の話になるのだろう?
正直、何年も我慢できる自信が僕にはない。
「ユーヤのせいなのです。ユーヤのせいでアナもそんなに待つ自信が無くなってしまったのです」
うわぁ、か、可愛い……。
あ、じゃあ、あれかな、もうやっていいのかな。
「!! なに立ち上がろうしているのですか!? まだ話は終わっていないのです。おすわり! ユ、ユーヤは大人しそうな顔をしているのに、肉食の獰猛な魔物のようなのです。眼が怖いのです」
違ったらしい。早まったか。
「ユーヤも絶対そんなに待てないのです。だから、せめて人型に近づくホブゴブリーナになるまで待ってほしいのです。アナももう死骸を見つけるまで何もしないなんて甘っちょろいことは言わないのです。アナが無力なことも痛感しましたし、これからユーヤを守るためにも進化して力を得るのです」
「……ありがとう」
女に守られる男なんて、聞けばダサいと思ってしまうかもしれないけど、僕は本当に嬉しかった。
今まで僕を守れるのは僕だけだと思っていたのだ。
守ると言ってもらえることが、こんなにも温かくて心強いことだったなんて。
「その代わりちゃんと約束してくださいね。アナが人族になってこのダンジョンから出られたら、一緒にお出かけするのです」
「うん、絶対にしようね。僕もしたことないから」
「ふふ、美少女になったアナが、ユーヤを骨抜きにしてやるのです」
今でも十分骨抜きなんだけどな。
でも、一つ気になることがある。
「えっと、美少女になるとは限らないよね?」
「……」
「うそうそうそ! アナなら絶対美少女になるって。うんうん、今だってこんなに可愛いんだから」
「えへへ、可愛いだなんて、そんな」
ちょ、チョロくて助かった。
でも、うん、本当に美少女になるとは限らないと思うんだよね。
あ、でも、そっか。初めから人間の美少女(巨乳)にしてくれ、って願えばいいのか。
「と、ともかく、僕もアナが進化するまでちゃんと待つよ。でも、その、進化した暁には、その、ね?」
アナが恥ずかしそうに、こくりと小さく頷いた。
こうして僕の童貞卒業までのカウントダウンが始まったわけである。
そして、今後の目標も決まった。
アナの進化のためにゴブリンを狩る。狩って、狩って、狩りまくる。
ついでに下の階層も目指そう。
だが、差し当たって大きな問題が一つあった。
僕のこの格好、どう思う?
凄く……寒いです……。
ネタどころではない。このままでは本当に凍え死んでしまう。
「へっくしょぉぉぉい!」
「だ、大丈夫なのですか?」
大丈夫じゃない。
そもそもびしょ濡れにしたアナのせいでもあるんだが。
いや、言うまい。
元はといえば発情して歯止めのきかなくなった僕が悪いんだ。
僕が寒さに震えていると、クロがのそりと近付いてきた。
えっ、なに!? 怖いんだけど!
そして、そのままクロは僕に巻きついてくる。
おお、これは暖かい。
それにしても賢い犬だ。
「とりあえずこれを着るのです」
アナはそう言って、僕のパンツと制服の下を渡してきた。靴下と上履きもある。
ああ、これは助かる。
とりあえずクロのおかげで暖かいけど、このままうろつくのは抵抗があった。アナの目もあるし。
……って、違う!
「アナさんや、この服ってどうしたの?」
「ユーヤの下半身から脱がせておいたのです。手甲も右手だけ回収しておきました。左手の手甲はズタボロで使い物にならなそうだったので、捨て置いておきましたが」
僕の体は上半身と左手がほとんど喰われていたらしい。
だけど、下半身と右手は無事だったのだとか。
ちなみに無事だった体の部位もまとめて置いてあるのだそうだ。
暗闇のせいで僕には見えないが。いや、見えなくて良かったけど。
ちょっと気乗りしないけど、スキル的な目的で、それも後で回収しよう。
でも、今僕が問題にしたいのはそこじゃない。
僕はアナににっこりと微笑みかけた。
「で、何ですぐに服を出してくれなかったのかな?」
「だ、だって、ユーヤは足を怪我していて、履けるような状態ではなかったのです」
確かにその通りだ。
ちなみに今履いたズボンも、右膝が破けているし全体的にズタボロではある。
でもね、じゃあ、なんでそんなに目を泳がせているのかな?
「そっかぁ、すぐには出せなかったんだねぇ」
「そ、そうなのです。仕方なかったのです」
「あっれぇ? でも、その後僕の足って治ったよねぇ。しかも、その後ずっと股間を手で押さえていたのを見ているよねぇ」
アナの目が泳ぐ。もう、それは見事にザッパンザッパンと。
「わ、忘れていただけなのです」
「本当に?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「本当に?」
「ほ、本当です」
「本当は?」
「全裸で生殖器だけを隠しているユーヤの姿がイヤらしくて、もっと眺めていたかったのです。……ハっ! ず、ずるいのですっ」
「土よ、視界を奪え【サンドヘイズ】」
「ニギャーーー! 何をするのですか! 目がー、目がー」
やっぱり便利だな、土魔法。
適性が低いのが悔やまれる。
「今後僕の裸を見ることは禁止ね。アナが進化して、その、いたすまで」
「やってやらぁなのです! ゴブリンども掛かって来いなのです!」
アナが目を押さえながら、何やらやる気になっているようだ。
まぁ、やる気を出してくれたのは別にいいけど、君もゴブリンと同族でしょ。
というのは思うだけで、口には出さないでおいた。
僕のためでもあるのだから、水を差したくはない。
でも、やる気になっているアナには悪いけど、一つ問題がある。
ゴブリンを狩る前に服を何とかしなくては。
こうやってクロが巻き付いていれば確かに寒さは凌げるけど、ずっとこのままというわけにもいかない。
ゲームの中だと宝箱からアイテムが出てきたりするんだけど、ここは現実世界だ。そう都合良くはいかないだろう。
目から砂を出したアナが僕を見つめてきた。
「ずっとそのままとはいかないのです」
「いや、そうだけどさ、服が無いと寒くて」
「では、宝箱部屋に行くのです」
アナは当然のように言った。
どうやらこの世界は僕が思っていた以上に、現実離れしているらしい。
二時間後23時に17話を投稿します。