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第百八話 最後の戦い.6

7/12~連続投稿中。

 勇也はアナベルから離れ、クロが抱く凜華の元へと駆ける。

 凜華はその表情に変化はなく、ただ眠っているようにも見えた。


「そんな、きっと大丈夫だ。僕の能力ならきっと」


 勇也は凜華の傍まで行くと、彼女の口に自らの指を突っ込んだ。

 しかし、凜華の口が動くことは無い。呼吸の止まっている彼女に、勇也の体を食べる術はなかった。


「そ、それなら……」


 勇也は手刀で自らの手首を切る。

 肉を食べさせることができないというなら、血を与えればいいのではないかと考えたのだ。


 勇也の手首から流れ出る血が凜華の口に伝っていく。

 凜華の唇が血で赤く染まり、さらに口の端から血が零れて流れていくが、一向に何も変化が起こらなかった。


「他に、何か方法は……。そうだ。クロ、僕の体を食べてそれを咀嚼して凜華に口移しで食べさせるんだ。そうすればまだ間に合うかもしれない!」


 クロは勇也の顔をじっと見つめていた。

 彼女の澄んだ黒い瞳には深い悲しみがあった。全てを悟り、もう受け入れるしかないことに気付いてしまった、そんな絶望を知るような瞳だ。

 クロはその瞳で勇也を捉えたまま、ゆっくりとかぶりを振る。


「主様、リンカはもう……」


「……」


 勇也はもう何も言えない。

 クロの瞳が全てを語っていた。

 もう凜華は助からない。手遅れだった。死んだ者を生き返らせることは出来ない、と。

 そんな瞳で見つめられて、勇也は嫌でも理解するしかなかったのだ。


「ユーヤ」


 呆然とする勇也を、背後からアナベルが抱き締めた。


「リンカのことは残念でした。でも、今は再会を喜ぶのです。さっきは夢だ幻だの言いましたが、これが現実だと理解したのです。本当にユーヤが戻って来てくれて、アナは信じられないほど嬉しいのです。愛しいユーヤ。アナは心からユーヤを愛しています。ユーヤだってアナを愛しているから戻って来てくれたのでしょう? ……それとも、リンカじゃなくてアナが死ねば良かったのですか?」


「そんなわけ……!」


 勇也は驚いてアナベルを振り返った。


 そこにいるのは間違いなくアナベルだ。

 少し成長し、より女らしくなったとはいえ、彼女の面影はそのまま残っている。

 しかし同時に、勇也の知らない彼女がそこにいた。


 魅惑的な表情、妖艶な眼差し、アナベルが勇也を捉えている。

 そしてその瞳に映っているのは最早勇也だけだった。


 かつて人の世界で生きたいと思ったアナベルはそこにはいない。

 アナベルが今求めているのは勇也だけだ。

 人に認められ、人に必要とされ、人の社会の中で生きる。物語の中に出てくるような、人の行き交う大きな街を歩き、食料を買って、日用品を買って、そして大好きな本を買う。

 今まで夢見てきた幻想は、すでにアナベルにとって何の価値もなかった。

 そこに勇也がいないなら、アナベルのかつて願った全てが叶えられたとしても、それはただの生き地獄だ。

 むしろ勇也さえいてくれるなら、この地獄と呼ばれる地下迷宮だって、アナベルにとってはかけがえのない場所に変わるのである。


「アナ、変わったね」


「それは嬉しいのです。アナは変わるべきだったのです。ユーヤから離れてしまうようなアナは、死んだ方が良いアナなのです。今のアナはユーヤから何があっても離れないアナなのです。今のアナは嫌いですか?」


 勇也はかぶりを振った。

 勇也の気持ちがアナベルから離れるなど有り得ないことだ。もちろんこうして再会できたことも、アナベルが勇也を拒絶しないでいてくれたことも、何より嬉しい。


 ただ、今だけは悲しかった。

 凜華を死なせてしまったことが、大切な仲間が欠けてしまったことが、ただただ悲しかったのだ。

 できればその悲しみを分かち合いたかったが、アナベルに悲しむ様子は微塵もない。


「アナ、多分凜華はアナを庇って死んだんだ」


 少しでも悲しみをわかって欲しいと思ったのか、思わずというように、勇也はそんなことを口走っていた。


「……そうなのですか」


 アナベルの表情が一瞬歪む。

 眉間に皺を寄せ、何かを嫌がっているような顔だ。


 アナベルにとって凜華はすでに敵だった。恨むべき、憎むべき、一刻も早く殺すべき。勇也の体を知る女が自分以外にいるという事実が何より許せなかった。

 凜華が死んだことは僥倖だったが、それが自分の命を守るためだったと言われると、何か引っかかるものがあるのだ。

 許してはいけないはずなのに、許してあげてもいいのではないか、そんな考えがアナベルに過ぎる。


 勇也にはそれで十分だったのかもしれない。

 勇也は体ごとアナベルに振り返って、彼女を抱き締める。そして声を殺して涙を流した。


 アナベルも何も言わない。

 勇也が凜華のために涙を流すことが癪であったが、もちろんそんなことは口に出さなかった。

 ただ体を震わせる勇也の背を撫でてやるだけだ。


 しばらくして勇也がクロを振り返った。


「凜華の死は無駄じゃなかった。こうしてアナが無事だったんだ」


「ええ、その通りです。主様」


 クロは言いつつ、そっと凜華の亡骸を岩の陰に横たえた。

 凜華とはここで別れるしかなかった。

 いつまでも彼女を連れて行くわけにはいかない。まだ道のりは遠く、戦いも終わっていないのだ。

 だが、ならばせめて自分たちで弔ってやりたかった。どんな形でも。


 クロの思いは勇也にも伝わっており、そして彼自身も同じ気持ちだった。

 勇也はアナベルを放してクロに近づく。


「クロ……」


 クロはただ頷いた。

 それで十分だった。

 それだけで勇也の言おうとしたことも、クロの想いも通じ合っている。


 勇也が翼を広げた。

 一枚だけ羽が抜け落ち、それはひらりひらりと舞いながら、横たわる凜華の亡骸の上に落ちて行った。

 そして羽が凜華の亡骸に触れた瞬間、それは一筋の青い火柱となって燃え上がった。


「さようなら、凜華」


「またいつか会おう、妹よ」


 別れの言葉は短い。

 だが、その一言に二人はそれぞれ思いを乗せていたのだった。


 燃え上がる火柱を見て、それまで離れたところにいた千佳とイーターが戻ってきた。

 イーターは夏帆を食い殺した後、すぐさま千佳の治療をしていたのだ。おかげで、千佳の肩は服にだけ穴が空いて、周りに血が付いてはいるが、怪我はどこにもなかった。


「今のは……?」


 千佳が酷く怯えた表情で勇也に問う。

 勇也は固く目を閉じた。

 言わなくてはいけないが、言い難いことだった。


「リンカが逝ったよ」


 勇也が口を開くよりも早く、クロが代わりに答えていた。

 何となく彼女は自分が言うべきだと考えていたのだ。


 千佳も凜華も勇也を巡って対抗し合う仲ではあったが、その分お互いを認め合ってもいた。

 彼女たちはライバルであり、仲間であり、友でもあった。

 勇也より長く二人と旅をしたクロには、それがよくわかっていたのだ。


 千佳はクロの言葉に泣き崩れ、そのままクロに抱きついた。

 クロも優しく千佳を抱き返している。涙は流さず、ただ悲しい目をしたまま。


「そうか、沖田ももういないのか……」


 イーターは誰に言うでもなく、呟くようにそう言ったのだが、それに反応する者がいた。


「ユーヤ? ユーヤが二人いるのです?!」


 アナベルだった。

 クロが人間の姿になったことには、特に触れることもなく受け入れてしまっていたのだが、勇也が二人いることは受け入れられなかったようだ。

 勇也が何とか説明するが、アナベルは釈然としない。


 アナベルは、違う時間軸から召喚された(しかも、もう一人いる)という話は理解できた。

 ならば何が釈然としないかというと、未来の勇也というべきイーターが、千佳のことを愛しているということである。


「アナを愛さないユーヤはユーヤじゃないのです」


 イーターは特に興味もなさそうにアナベルを見る。


「ならそれでいい。僕のことはイーターだと思っていれば」


 アナベルはやはり納得していないようだが、それ以上何か言うことは無かった。

 イーターの存在が許せないからと言って、彼に何かすることは出来ない。

 アナベルとイーターの間には実力の差があり過ぎる。アナベルがイーターを『鑑定』しようとしても、それが弾かれてしまっていた。

 結局、イーターの言う通り、イーターのことは勇也の顔をした別の人間だと思うしかなかった。

 実際のところ、勇也とイーターは顔と声は同じだが、背丈が少し違うし、しゃべり方も雰囲気も異なっている部分がある。

 それに、勇也ももう一人の自分や千佳を傷付けることを良しとはしていない。もしアナベルが二人を攻撃しようものなら、勇也は全力でアナベルを止めようとするに違いない。


――本当にそうなのですか?


 アナベルの中にふとした疑問が過ぎった。

 勇也は何よりもアナベルを愛している。それこそ、一度は千佳を殺そうとしたほどに。

 アナベルが本当に二人の排除を望み、それを勇也に手伝わせられるなら可能なのではないだろうか。


 だが、唐突にその考えは消え去った。

 殺す必要はない。放っておけばその内違う道を歩むことになる。

 なんとなくそんな気がし、それで良い気がしたのだ。


 なぜ急にそんなことを思ったのかはわからない。

 そしてアナベルがそれ以上疑問に頭を悩ませることは出来なかった。


 すぐ近くに人の気配がする。

 それに大量の魔物も一緒だ。


「やっと来たか」


 勇也はそう言って闇の先を睨む。

 その表情から、やって来る者が仲間でないのは間違いないようだった。


 勇也たちの前に大量の魔物を伴って人が現れる。

 現れたのは五人。

 勇也たちのクラスメイトである近藤咲良、斎藤優樹菜、平井柚希、大石諒、そして担任であり、勇也とアナベルの仲を引き裂いた元凶である武市花がそこにいた。




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