第百五話 最後の戦い.3
7/12~連続投稿10日目。
千佳、凜華、クロの三人は魔物のひしめく洞窟を真っ直ぐ進んでいた。
近づく魔物をクロが手刀で以って素早く斬り刻み、後ろの二人には一切近付かせない。
どんなに頑丈そうな甲殻を持つ魔物であっても、どんなに素早く動き回る魔物であっても、クロの手刀は吸い込まれるように魔物の体の中に潜って行き、そのまま切断してしまう。
今までもクロの強さに頼もしさを感じていた二人だが、さすがにここまで一方的な強さは異常だった。
しかも体自体は小さくなり、自分たちと年も体格もさして変わらない細身の女性の姿にったのにもかかわらず、だ。
「クロってば、マジで強過ぎじゃね?」
「当たり前だ。主様より力を頂いたのだから」
クロは前を向いたまま当然のようにそう語る。
彼女は自分の強さに何の疑問も抱いていなかった。
主である勇也が強大な力を手に入れた。その勇也を守るためには自分もまた強くなくてはいけない。彼女にはそんな確固とした思いがある。
凜華はそんな彼女を羨ましそうに眺めていた。
勇也の前では吹っ切れたような姿を見せた。
しかし、実際にはそう簡単に割り切れるものでもない。
今まで当然のように感じていた繋がりを感じることができなかった。自分が立っていた場所が消えてしまった。当たり前だと思っていたことがそうでなくなってしまった。
それは恐怖と絶望だ。
言うなれば、ある日突然「実はお前はうちの子じゃない」と言われるようなものだろう。
何もかも失うような恐怖、それをたかだか十六年しか生きていない少女が耐えられるわけはなかった。
それでも凜華がこうして前へ進み続けていられるのは、彼女が天性の精神的強さを持っているからだ。
そして、全ての繋がりが断たれたわけではないからだろう。
勇也は凜華を否定したわけではない。それにクロは未だに自分を妹のように思っていてくれている。
だから凜華はまだ前に進んでいられる。
この先に何が待ち受けているのかはわからない。
担任である花に操られた元クラスメイト達、考えただけでも吐き気がする。
その中に騎士がいたとして、まともに話せる状態なのかもわからない。
そして話したとして、どうなるのかもわからない。
それでも凜華は前へ進むことに躊躇いはなかった。
クロを先頭に三人は進んで行く。
すると、壁のように立ちはだかっていた魔物の群の数が少なくなってきた。
クロが足を止め、手で二人を制す。
二人は何事かと思いつつも、クロの強さを目の当たりにしたため、そこまでの不安は抱いていなかった。
だが、次の瞬間、心臓が止まるかと思うほどの炸裂音が辺りに響いた。
それも一度や二度ではない。連続で爆音が響いているのだ。
その音が響くたびに、周りにいた魔物が次々に木端微塵になって吹っ飛んで行く。
「身を屈めろ!!」
クロが叫ぶと同時に二人は即座に言う通りにした。
そして屈みつつ、千佳は何が起きているのか察した。
これは機銃掃射だ。
信じがたいことではあるが、誰かが機関銃を使っている。
それはもちろん魔物などではないだろう。クラスの誰かがすぐ近くで魔物を蹴散らしているのだ。
壁のように立ちはだかっていた魔物が見る見るうちに消えていく。
そしてその先に現れたのは、
「伊東君!」
やはりクラスメイトの内の一人、伊東蒼真だった。
蒼真は岩の上に機関銃を置いて、下を見下ろしていた。そして、生きているのかどうかさえ分からないような表情で、名前を呼んだ千佳を見つめる。
「……」
千佳を見ても、彼の表情には何の変化もない。
それが何を意味するか、千佳も凜華も嫌でも理解せざるを得なかった。
戦うしかない。
だが、クラスメイトと戦い、最悪殺さなくてはいけないという忌避感があるのはもちろん、それ以前にあんな強力な武器を持つ相手にどう戦えばいいのかわからなかった。
さすがにクロでもあんなものを相手にするのは難しいのではないか、千佳と凜華はそう思ってクロを見るのだが、クロにはまるで焦る様子が無い。彼女からは変わらず自身が満ち溢れている。
千佳たちがどうすべきか悩んでいると、蒼真が動いた。
彼は迷うことなく機関銃の標準を千佳たちに定めたのだ。
「さすがにお前たちを庇いながら戦うのは無理がある。ここは私が引き受けるから先に行け」
クロは二人が仲間同士で戦うのを避けようと、気を利かせたわけではない。もちろん決死の覚悟があるというわけでもなかった。
言葉通りの意味だ。
クロは一対一なら、あの凶悪な兵器を相手にしても負けない自信があったのである。
それに、ここから先には魔物がほとんどいなかった。これなら二人でも抜けることができるだろうとクロは判断したのだ。
「わかったわ。お願いね、クロ」
「ああ、くれぐれも無理はするな。出来れば私か、地竜の姉妹が来るまでどこかに隠れていてくれ」
「ええ、ありがとう。それと……」
千佳は言い淀む。
言いたかったのは蒼真のことだ。
千佳は彼と仲が良いわけでもないし、話したこともほとんど無い。
ただ、彼がそこまで悪い人間だとは思っていなかった。少なくとも勇也を苛めていた素振りもなかったのである。
そんな彼をどうしてほしいのか、クロに何を頼むべきなのか。
しかし、千佳を見てクロの方が先に口を開いた。
「苦しませないようにする」
千佳は頷く。
それ以上千佳に言えることは無かった。
千佳が走り始め、凜華が後に従う。
「クロ、気を付けてね。それと、これ使って」
凜華は走りながらクロに向かって刀を放り投げた。
「ああ、有り難く使わせてもらう。リンカ、お前も気を付けるのだぞ」
二人は蒼真が陣取っている岩の周りを迂回して先に進もうとする。
しかし、蒼真はそれを見逃さない。二人が走り始めたと同時に、蒼真が機関銃を構えた。
狙われたのは千佳と凜華だ。
蒼真はまるで感情のない顔で二人に向かって容赦なくその引き金を引いた。
二人の上に銃弾が雨あられと降り注ぐ。
蒼真の手によって生み出された兵器は地球産のどんな型のものよりも威力が高い。
当たれば拳銃くらいであれば弾き返せそうなほど硬い甲羅を持つ魔物も、蒼真の放つ弾丸はいとも簡単に貫通させ、あっという間にハチの巣にしてしまう。並の魔物であれば当たった瞬間に爆散だ。
凶悪な機銃掃射を浴びせられ絶体絶命かと思われたが、二人は傷一つなかった。何事もなかったようにそのまま走り抜けていく。
「お前の相手は私だ!」
刀を構えたクロが蒼真を真正面から睨みつける。
二人を庇ったのは当然彼女だ。
問題はどうやって守ったのかということだが、彼女の手には刀が握られており、そして彼女の周りには真っ二つになった手の平ほどありそうなサイズの長い弾丸がいくつも地面に転がっていた。
そう、クロは飛んでくる弾丸を見切り、それを全て叩き斬っていたのだ。
驚愕すべきことだった。
恐らくそんなことは、この世界で十指に入る実力を持つウィズでさえ難しいだろう。
似たようなことができそうなのは、人外の力を持つ勇者、その中でも疾風の勇者であるチェイサーくらいのものだ。
正確に言えば、クロはチェイサーほど速くはないし、長い距離を音速で走り続けることもできない。
だが、反対に言うと、チェイサー以外に彼女より速く動ける者はいないだろう。
ジェヴォはもちろん、牙の勇者ジャンゴでさえも、彼女は彼らの上を行く。
蒼真の前に立ちはだかるのはそんな絶対的強者だ。
しかしもちろん、蒼真がクロの実力を測ることができたとしても、彼が退くことは無い。他の生徒たちと同じように、自分の意思とは関係なく。
だが、自分の方が実力は上であり、絶対に負けることは無いと自負していたクロであったが、誤算があった。
実に単純なことだ。
クロは蒼真の本当の実力を低く見積もり過ぎていたのである。
蒼真が機銃掃射で以ってクロを牽制する。
本来それは必殺の武器であるのだが、クロにとっては牽制にしかならない。
蒼真はそれを理解していた。
だから蒼真は手数を増やす。
蒼真は片手だけで機関銃を操作しながら、もう片方の手を後ろに構え、クロに向かって何かを放り投げる仕草をした。
蒼真のそれまで何もなかったはずの手には、いつの間にか濃い緑色の楕円状の物が握られていた。
蒼真はそれを投げたのだ。
きっとそれは、千佳であれば、いや、生徒たちのいずれかが見ればすぐに何だか分かっただろう。
蒼真が投げた物、それは手榴弾だった。
クロにはそれが何かわからない。
だが、このタイミングで放り投げてきたこと、緩やかに飛んできていること、それらのことから察するに、その緑色のものが当たらなくても殺傷能力がある何かだと予想は出来た。
クロは変わらず撃ち続けられる弾丸の嵐を斬り飛ばしながら、手榴弾の落下地点からなるべく遠ざかろうとした。
しかしそこで気付いた。
蒼真が投げた手榴弾は一つではなかったのだ。
彼は一つ目の後にすぐもう一つを投げていたのである。
それはクロを挟み込むように彼女の後ろに目掛けて投げられていた。
すんでのところで気付いたが、もう間に合わない。
クロにできたのは横っ飛びで少しでも離れることだ。
手榴弾が炸裂する。
クロの予想よりもそれは威力が高く、クロはその爆風に吹き飛ばされてしまった。
常人であればバラバラになっていただろうし、クロ自身もこれは五体満足とはいかないかもしれないと覚悟を決めていた。
だが、クロの予想に反し、服が少し破けたくらいで、あとはどこにも異常がない。怪我一つしていないのだ。
「これほどとは……。直撃しても怪我で済むといったところか。ならば……」
クロが蒼真のいた岩の上を見れば、彼はしばしクロを眺めていた。
表情には出ていないが驚いているのかもしれない。
しかし、すぐに機関銃の標準をクロに合わせると、またためらわずに掃射を開始した。
また撃ち合いと斬り合いの始まりだ。
だが、今度は少し違う。
クロは飛来する弾丸を斬りながら少しずつ前進していた。
頭や胸、致命傷になりそうなところだけを守って、あとは撃たれるのを気にせず進んで行く。
撃たれた場所からは血が流れ出るが、それだけだ。クロの皮膚を傷付けることは出来ても、筋肉を切り裂くことは出来なかった。
クロの前進は止まらず、時折飛んでくる手榴弾も爆風に巻き込まれない距離に回避した。
ついに彼女は岩のある地点まで到達し、飛び上がると同時に機関銃を斬り捨てた。
――勝った。
クロはそう確信していたが、着地と同時に鳴ったカチッという音と共に、その考えは吹き飛んでいた。
何かの罠に嵌った。
そしてそこにいるはずの蒼真もいない。
クロは自分が何かの罠に嵌められたことには気付いたが、それが何かまではわからなかった。当然、その場から動いてはいけないということも。
だから、クロは蒼真を探すためにすぐに足を上げていただろうが、どっちにしろ、彼女は足を上げずにはいられなかったのだ。
岩場の上、クロに目掛けて何かが飛んできた。
ロケット弾だった。
何だかわからなくても、クロはそれを回避しようとする。
回避するために足を上げ、刹那、巨大な爆発と共にクロは空中に投げ出されていた。
クロと蒼真が正面から殴り合えば確実にクロが勝つ。
蒼真が機関銃を使おうともクロが勝つ。
自力ではどう足掻いても蒼真がクロに勝てることは無い。
だが、蒼真には知略があった。
罠を用意し、冷静に立ち回る。
そのおかげでクロをここまで追い詰めることができたのだ。
しかし彼にできたのはそこまでだった。
クロもまた冷静さを忘れてはいなかったのである。
蒼真が上手く隠れることができたのは、クロが未だに新しく生まれ変わった自分の体に慣れていなかったことと、火薬の匂いで上手く誤魔化せていたことのおかげだ。
クロが冷静になって匂いを嗅ぎ分ければ、火薬の匂いが充満していようがその中から蒼真を見つけ出すことができる。
クロは見つけ出した蒼真の匂いに向かって吹き飛ばされながらも刀を投げつけた。
破れかぶれの一撃。
それでもそれで十分だった。
クロの投げた刀は真っ直ぐ蒼真目掛けて飛んで行き、彼の胸に突き刺さる。
クロが地面に叩きつけられると同時、蒼真は自分の胸に突き刺さった刀を見つめながら息絶えていた。
クロは起き上がると、蒼真のいる場所まで右足を引きずって歩いて行く。
彼はそう離れていない場所におり、クロは辿り着くと彼の死を確認し、胸に刺さった刀を引き抜いた。
勝つには勝った。
しかしそれは思いもしていなかったほど苦戦を強いられた勝利だ。
右足は半分炭化し、骨が見えているほどの重傷である。時間もかなり稼がれてしまった。本来なら、今頃千佳たちに追いついているつもりだったのだ。
それでもクロは自分を不甲斐ないだとか、勇也の面汚しだなどとは考えない。
「お前は強かったよ」
クロはその言葉だけを残してその場を去った。
あとは勇也が来て勝利するだけ。悪いことは何も起きないと信じて。