第九話 初めて出来た仲間は、嬉し恥ずかしでした。
ゴブリンはとても弱い魔物なのです。
そのためゴブリンは集団で狩りをしているのです。それでも狩れるのはせいぜいラビコーンぐらいなものです。
その程度の力しかないので、当然餓死したり、他の魔物のエサになったりしてすぐ死んでいきます。
アナはそんな弱い種族の変異種として生まれてきてしまいました。
同種族のゴブリンに爪弾きにされ、満足に狩りをすることができないアナは、同じゴブリンや冒険者の死骸を食べて生きていました。
それでも死骸にありつければまだいい方なのです。何も口にできない日が何日も続くことがあるのですから。
きっとアナはすぐに死ぬ、そう思っていました。冒険者が死ぬ前によく口にする「助けて」という言葉を呟きながら。
アナは魔物に殺されたり、仲間に裏切られたりして死んでいく冒険者たちを、物陰からよく見ていたのです。
その日、今から十年以上前のことです。
アナはもう何日も何も食べていなくて、ひもじさのあまり、こんなに苦しいなら死んでしまいたいとまで思っていました。
そんな時に見つけてしまったのです。丸々と太ったオークの死骸を。
辺りは薄暗かったのですが、ある程度暗い空間を見通せるゴブリン種には関係ありません。アナはほとんど警戒もせずに、その肉に駆け寄ったのです。
刹那、辺りが赤く照らされました。
「おやぁ、オーク釣りをしていたんだけどねぇ。ちっこいゴブリンが釣れちまった」
アナの前に現れたのは女の冒険者でした。
周りに浮かぶ火の玉みたいに燃えるような赤い髪に赤い目、まるでそれが警戒色のようで、アナに警鐘を鳴らすのです。
赤い女はアナに女の腕と同じくらいの長さのワンドを突き付けていました。きっと次の瞬間には、アナは炎に焼かれてしまうのでしょう。
「タスケテ……」
アナはここで死ぬんだ。
そう思い、目を閉じました。
しかし、いつまで経ってもその瞬間は訪れません。
恐る恐る薄目を開けると、女の顔がすぐ目の前にありました。
「アンタ、言葉が理解できるのかい? ……ほう、変異種か。話に聞いたことはあるけど、初めて見るね。面白い。アンタ、あたしのいう事を大人しく聞けるかい?」
アナはコクコクと頷きました。
「そうか、良い子だね。そのオークは食っていいよ」
アナは信じられない気持ちと、なんだか不思議な気持ちでしたが、飢えには抗えずオークの死骸にむしゃぶりついてしまいました。
「よっぽど腹が減ってたんだねぇ。ただし、食い終わったらちゃんと言う事を聞くんだよ。っと、そうだ、あたしはイザベラ・スカーレット。アンタの名前は……ないみたいだね。よし、今日からアンタはアナベルだ。忘れるんじゃないよ」
それが赤熱の魔女、イザベラ・スカーレット、アナのお師匠様との出会いでした。
アナはお師匠様にとってサーヴァントのような存在でした。
と言っても、アナにできることはせいぜい斥候ぐらいのものです。暗い洞窟の先を確認し、お師匠様に教えるのがアナの役目なのです。
アナは、お肉を与えて、名前まで与えてくれたお師匠様のために一生懸命働きました。
アナが一生懸命働けばお師匠様は褒めて食事を分けてくれます。色んな話も聞かせてくれます。さらに、お師匠様はアナに術式魔法を教えてくださいました。
術式魔法とは「この世の理に基づき、現象を魔力によって書き起こす」ものなのです。
例えば、『火』で考えてみますと、お肉を焼くために火を起こそうと思った時、魔法を使わなくとも火打石と燃料になるものがあれば火は起こせます。火力を強めようと思ったら風を送ってあげればいいのです。
術式魔法はこれと同じ現象を、魔力を使い、魔法術式を組み上げることによって引き起こすのです。
これは精霊魔法とは大きく異なるのです。
精霊魔法は精霊さんに魔力を与えて、己がイメージした魔法を精霊さんに起こしてもらう魔法なのです。
だから、細かいことはわからなくても精霊さんが何とかしてくれちゃうのですが、代わりに魔力をいっぱい上げなくてはいけません。
つまり、術式魔法は魔力を少ししか使わない代わりに『術式』を自分で計算しなくてはいけないのです。
アナはそんな難解でありながら、奥の深い興味深い魔法を教えていただいたのです。
お師匠様は、そこら辺のゴブリンより知力の高いアナなら覚えられるかも、と思ったそうなのです。そして、術式魔法を使うゴブリンって面白いな、と。
そんなちょっとお茶目なお師匠様のおかげで、アナは術式魔法が使えるようになりました。さらに、成長するにつれて精霊魔法も使えるようになったのです。さらにさらに、十二歳になった頃に、アナはメイジゴブリーナへと進化したのです。
いつしか高ランクの冒険者の間で、アナは「申し子」と呼ばれ有名になりました。高ランクの間だけだったのは、アナは常に二層か三層にいたのでそこまで来られるのが高ランク冒険者だけだったのです。
お師匠様は下賤な魔物であるアナを、本当の弟子のように扱ってくれました。
魔法を教え、冒険者としての知識を教え、人の世界を教えてくれました。アナが本を読ませてもらって気に入ったことを知ると、ダンジョンに戻って来るたびに本を買ってくれるようになりました。
アナはとても幸せで充実していましたが、一つ不安になることがありました。
いつかはお師匠様も冒険者をやめてしまうのではないでしょうか?
そうすればアナはまた一人ぼっちです。
お師匠様は冒険者ですが、美しい女性なのです。いつかは結婚し家庭を持つでしょう。お師匠様はよくアナに「恋がしたい」、「男が欲しい」、「結婚したい」と呟いております。
一人になるのは悲しいですが、それでお師匠様が幸せになるなら、とアナは思いました。
お師匠様の恋愛事情について尋ねると、
「アハハハ、あたしみたいにガサツで短気で何でもすぐに燃やそうとする女とは、誰も付き合いたがらないのさ! アハハハ、あれ? 目から汗が出てくるぞ……」
と仰って、否定されておりましたが。
確かにアナとお師匠様が出会ってから十年以上が経っても、お師匠様が冒険者をやめるという事はありませんでした。
ですが、つい最近、お師匠様がダンジョンに姿を現さなくなったのです。最後にダンジョンを出て行ってから、もう何日も戻ってきていません。
お師匠様が冒険者をやめるのは仕方のないことなのです。
しかし、最後にお師匠様にお別れの挨拶がしたかったのです。
アナの最愛のお師匠様、お母さん……。
アナはお師匠様の情報を集めようとし、気付きました。
冒険者がこのダンジョンからいなくなっているのです。
そんなことは有り得ません。
これはなにかあったに違いない。アナはそう思い、情報を集めるため一階層に向かったのでした。
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「それで僕に出会ったんですね」
「そうなのです。アナとナガクラユーヤ様は巡り合ったのです」
僕たちは今、二階層を歩いていた。
作りは一階層と変わらない。
坂道の下がまた広間で、そこから一階層と同じようにいくつか横穴が続いていたのだ。
ちょうどその横穴の一つを歩いている。
アナベルは普段二階層にいることが多いらしく、彼女に道案内を任せておけば問題なさそうである。
しかし、この二階層、一階層と大きく異なることもあった。
この階層は全体的に薄暗い。松明が備え付けられていないのだ。
代わりに青白く光っている水晶のようなものがそこいら中にあって、真っ暗闇と言うわけではなかった。これはこれで、神秘的で美しくはある。
そんな、どこか幻想的な光景の中を歩きながら、アナベルから話を聞いていたのだ。
そして、話は僕たちが出会ったところまできた。ちょっと僕の言った「出会った」という言い方が変えられているが、今はそれよりも気になることがある。
「アナベルさんは、もしかしてこのダンジョンから出られないんですか? いや、僕も出られないんですけど……」
ちょっと自分で言っていて、何が言いたいのかわからなくってきた。
「そうなのです。ナガクラユーヤ様とは別の意味で出られないのです。ですが、出られるようになる方法はあるのです。
一つは『テイム』もしくはそれに準じるスキルを持つ者に使役されることなのですが、アナは断固拒否なのです。
もう一つはアナが人族になることなのです。魔物でなくなればここから出ることができるのです」
さすが僕より知力が高いだけのことはある。僕が言いたいことを上手く読み取ってくれる。
しかし、人族になるという事がよくわからない。ゴブリーナがホブゴブリーナになるというのは、まぁ、まだ理解できる。そこからどうやったら人間になるというのだろう。
僕がその疑問を口にすると、アナベルはとんでもないことを口にした。
「アナの知っている方法は三つあるのです。一番確実で簡単なのは、人の心臓を千個食べるのです」
僕は左胸を押さえてアナベルから一歩離れる。
「そ、そんなことはしないのです! もしするとしても、ナガクラユーヤ様の心臓は食べないのです!」
「もしかしたら、するかもしれないんですね」
「しないのです! 続きを聞いてください。
もう一つは天使様の祝福を受けることです。これに至っては天使様がどこにいるかもわからないですし、どうすれば祝福してもらえるかもわからないので却下なのです。
最後に、このダンジョンのどこかに眠る、願いを叶える秘宝というアイテムを手に入れるのです。これを手に入れれば、一つだけどんな願いも叶うそうなのです。アナが狙っているのはこの方法なのです」
ん? それならホブゴブリンにはならなくていいんじゃないか。
それをアナに聞くと、「探すのにも力がいるのです。それに進化すれば寿命が延びるので、探す時間も増えるのです」と教えてくれた。
それにしても、本当にそんなご都合主義的なアイテムがあるのだろうか。
はっ! まさか七つ集めなくてはいけないとか、そういうオチじゃなかろうか。
僕がそんな下らないことを考えていると、また広間に出た。ここまでモンスターとは運良く遭遇していない。
「今日はここら辺で休まれますか?」
スマホを取り出して時刻を見ると、二十時過ぎだった。
休むのには丁度いいぐらいの時間だろう。
ここにいると、本当に時間の流れがわからない。今はスマホで確認できるが、多分明日の夜までは持たないだろう。電池がもう三分の一を切っていた。
それにしても、アナベルは今が夜だとちゃんとわかっていたようだ。
「ずっと同じ明るさなのに、アナベルさんは時間がわかるんですか?」
アナベルはキョトンとして、不思議そうに首を傾げる。
「だってアナはここで生まれ育ったのですよ。当たり前ではないですか?」
ア、ハイ。ソウデスネ。
少しの間不思議そうにしていたアナベルであるが、急にそわそわとしだして僕の顔色を窺うようにチラチラと見出した。
何だろう、お花摘みかな?
「アナとナガクラユーヤ様は『仲間』なのですよね?」
僕は頷く。僕が彼女にお願いしたことだ。
「で、では、アナベルさんなどと畏まらず、アナと愛称でお呼び下さいませ。それに敬語も不要なのです」
アナベルはなんだか恥ずかしそうにもじもじとしている。
また僕の胸に温かな感情が流れ込んで来た。
彼女を前にすると、なんというか、優しい気持ちになれる気がする。
「わかりま……わかったよ、アナ。それじゃあ、アナも僕のことは勇也って呼んで」
「ユーヤ……なのです」
アナベル、アナの顔が真っ赤に染まる。
本当にあの醜いゴブリンと同種だとは思えなかった。
「敬語もなしで、ね?」
途端にアナの顔が素に戻った。
「それは無理なのです。アナはしゃべり方を変えられないのです。このしゃべり方はアナのアイデンティなのです」
「えっ? そこまで……。いや、無理にとは言わないけどさ」
「善処はするのです」
僕は頬を引き攣らせつつ苦笑いする。
アナのこだわりについては……うん、よくわからない。
困るわけじゃないから別にいいけど。
そういえば、肝心のアナが地下階層に向かう目的は何なのだろう。
アナの先程の話によれば、彼女は上の階層に向かっていたはずだ。
なぜ今度は一転して、地下に向かうことにしたのだろうか。まさかとは思うが、
「アナは何で地下に向かうことにしたの? まさか僕のためじゃないよね」
アナは正面から真っ直ぐ僕の瞳を捉えている。曇りのない瞳で。
きっと彼女は嘘や誤魔化しをしないで、真実を話すつもりなのだろう。
そして、彼女は口を開いた。
「違うですよ?」
うん、違うんならいいんだ。全然良いんだ。アハハハ……。
それにしても、敬語をやめたつもりなのか、口調が余計に可笑しなことになってはいないだろうか。
「アナが地下に向かうのは、お師匠様が来ていないか確認するためなのです」
んん?? どういうことだ? よくわからないぞ。
「五階層には龍脈が流れているのです。龍脈とは、この世界を流れる魔力と生命エネルギーの流れなのです。それを利用して五階層には転移魔法陣が設置されており、ダンジョンのすぐ外に繋がっているのです。
きっと外にある転移魔法陣の周りは、兵士様が取り囲んでいると思うのですが、もしかしたらお師匠様が、無茶をしてそこから入ってこようと考えるかもしれないのです」
「なるほど、だからそこら辺の様子を見に行こう、と」
「そうなのです。だけど、五階層にある転移魔法陣の周辺にも兵士様が待ち構えている可能性があり、行けば捕まって連れて行かれる恐れも考えられるのです」
そうか、この国の兵士が生き残った人間を回収しに来るなんてのは、当たり前のことなのか。
僕は捕まるだけで済むかもしれないけど、アナは殺されてしまうかもしれない。
その転移魔法陣に近付くのが無理そうであれば、素通りして六階層を目指してみよう。あまりアナに無茶はさせたくない。
その話をアナにすると、
「六階層に向かうのも相当無茶なのですよ。それを言うなら五階層を目指す時点で無茶なのですが」
「ちなみにアナは何階層まで行ったことがあるの?」
「三階層でいっぱいいっぱいなのです」
マジですか。
それは確かに、相当の無茶をしようとしているのかもしれない。
だけど、進まないわけにはいかないのだ。
アナの言う通り、上の階層で留まっていればいずれ『刺客』が放たれると思う。
正しく前門の虎、後門の狼という状況である。
困難な状況を切り開いていくためにも、まずは戦力を整えよう。アナに中級魔法を教えてもらえば、かなりの戦力アップになるはずだ。
ここまで一度も戦闘していないから大した変化はないだろうが、中級魔法の練習をする前にステータスを確認しておくことにした。
≪名前≫永倉勇也
≪種族≫人族
≪称号≫ゴブリンの友
≪年齢≫16
≪身長≫168cm
≪体重≫58kg
≪体力≫13
≪攻撃力≫15
≪耐久力≫12
≪敏捷≫12
≪知力≫10
≪魔力≫19
≪精神力≫17
≪愛≫30
≪忠誠≫0
≪精霊魔法≫火:94 水:6 風:85 土:15
≪スキル≫食用人間:捕食者の旨いと感じる味になり、肉体の再生に捕食者の寿命を使用できる。
鑑定:あらゆるものの情報を読み取る。
うん、変わりないな。……あれ? 変わりあるぞ。
今までずっとこの項目は気になっていたのだが、あえて触れなかった。だって、僕、ずっとゼロだったし。
それがいつの間にやら増えているのである。それも大幅に。
さて、お解りいただけただろうか。
≪愛≫30
何じゃこりゃ!
さらに見つめていると、文字が増えた。
≪愛≫30(アナベル:30)
ギャース!
いやいやいや、それはないだろう。
アナは人間じゃない、モンスターだ。
確かにアナは愛らしいし、面白いし、頼りになるし、こう一緒にいると温かな気持ちになるけど、……いや、もうこれは十分に愛情を感じているのでは?
え、嘘、十六年生きてきて最初に好きになる相手がゴブリーナなの? それって人としてどうなの?
ないないない!
そうだ。愛にだって色々と種類がある。家族愛とか親愛とか。
それに、思い出してみればギャル子は『愛』が百を超えていたし、原田は二百を超えていた。
僕の『愛』だってきっと、親愛とかなんだ。
「どうしたのです? ユ、ユーヤの顔真っ赤なのです」
アナはユーヤと呼ぶときだけちょっと恥ずかしそうにした。その仕草がまた何とも可愛らしい。
「ほ、本当に大丈夫なのです!? お師匠様の髪の毛より赤いのです。ん? ステータスを確認しているのです?」
アナが僕を覗き込みながら、目をキラリと光らせて、……僕はアナの目をチョキで突いた。
「ニギャーーー!! 何をするのですかー!?」
アナは目を押さえてのた打ち回り、僕は顔を押さえてのた打ち回ったのだった。




