第82話 問題と発明と解決と改良と普及
「――と、啖呵を切ってはみたが」
階段を上ってくると、ジンケは肩を竦めた。
「戦うとPKになるからやめろって言われてんだよな」
「はあ……あっそう……」
俺の気合い入った台詞を返せ。
「こいつが問題のボスか?」
ジンケは普通に俺たちのそばに立ち、岸壁から彫り出されたドラゴン像を見上げた。
「そう。《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》」
答えたのは起伏のない声だった。
俺でも、チェリーでも、ストルキンでもない。
ジンケについてきた、メイド服の銀髪少女だ。
メイド服なんて奇抜な格好をしている割に、顔はマネキンみたいな無表情。
喜怒哀楽のひとかけらも見て取れない。
《ジュゲム》をそばに飛ばしているから、配信スタッフか何かだと思っていたが、その割にはジンケとの話し方や距離感が気安いなと思った。
「むむむ……」
「……? どうしたチェリー」
「……いえ、なんでもありませんし。脂肪が多ければいいってわけじゃありませんし」
…………人が意識しないようにしていたことを。
ジンケに侍ったメイド少女は、非常にたわわなお胸をお持ちだった。
黒いブラウスのボタンは弾け飛ばんばかりで、白いエプロンはぐぐっと山なりになっている。
ちょっと不自然に見えるくらいだ。
と、メイド少女がこちらを見た。
てこてこと歩いてきたかと思うと、チェリーに手を差し出す。
「リリィ」
「……はい?」
「わたしの名前。お近づきの握手」
リリィと名乗ったメイド少女は、チェリーの手を勝手に握る。
「は、はあ……チェリーです」
と困った調子で、チェリーも握手に応じた。
リリィさんはチェリーの顔をジーッと見つめる。
「お噂はかねがね」
「それはどうも」
「数々の素晴らしい小悪魔テク、いつも参考にしてます」
「はい?」
「《クロニクル》バージョン2編の1巻で使っていた『じゃあ、先輩が育ててくれますか?』はわたしも使わせていただきました」
「ちょっ、ちょっとストップ!!」
チェリーは顔をひくつかせながら、恐る恐る尋ねた。
「く……《クロニクル》の読者さんですか?」
こくりと頷くメイド少女リリィ。
……《クロニクル》ってのは、MAOの公式ノベライズ本のことで、MAO内で起こったことがほぼそのまま小説化されたものだ。
実在プレイヤーもキャラとして多数出演する。
オープンベータからの古参である俺とチェリーは、現在皆勤賞だ。
が。
小説は小説。
脚色だってあるのである。
「《クロニクル》の私たちは脚色だらけですからね!? あんな頭の悪いカップルみたいな会話しませんし!」
うむ。
俺は深く頷いた。
「……そう思っているのは君たちだけだと思うが」
ストルキンの呟きは聞かなかったことにした。
リリィさんは無表情のまま、銀髪をさらりと揺らして小首を傾げる。
「じゃあ、胸の大きさをいじられて『じゃあ、先輩が育ててくれますか?』と返したシーンも、実際にはなかった?」
「あるわけっ……ある…………ど、どうでしょうね~?」
俺とチェリーは揃って目を逸らす。
ノーコメント!
「ふむ」
銀髪メイド少女はなぜかこくこくと頷くと、ジンケに振り返って言った。
「ジンケ。これがバカップル。わたしたちもこれになりたい」
「絶っっっっっっっっ対イヤだ」
第六闘神は力いっぱい拒絶した。
今、すっげえ不本意な呼ばれ方された気がするんですけど?
「悪いな。ウチのバイトが」
ジンケが申し訳なさそうに言った。
「バイト?」
「ああ。こいつはリリィって言って――」
「1時間1200円でジンケにイロイロしてあげてます」
リリィさんが無表情でピースして言った。
俺たちはジンケに非難の視線を送る。
「いや! ただの雑用だっつの! スケジューリングとか! そういうマネージャー的なやつ!」
リリィさんはこくりと頷く。
なんだ……。
プロゲーマーにもなると、たとえ高校生でもいかがわしい店を利用できるのかと思った。
「いかがわしいことは無料でしてあげてるから――もごご」
ジンケが若干顔を赤くしながらリリィさんの口を塞いだ。
えっ?
マジで?
そういう関係?
「本題に入ろう」
ジンケはリリィさんの口を塞いだまま、至極真面目な声と顔で言う。
これ以上触れるなと仰っておられる。
「とにかく、あのでっかい像がボスなんだな?」
「おう。でも今のとこ、近付く方法すら見つかってない」
「ふうん。……おいリリィ、ここで待ってろよ。あともう一言も喋んな」
「…………(こくこく)」
リリィさんを放すと、ジンケは無造作にダ・モラドガイアに向かって歩き始めた。
「あ! あぶな――」
チェリーが止める前に、ドラゴン像が口を開ける。
祭壇全体を飲み込むブレスが吐き出され、
「あっぶね!」
ジンケはすんでのところで下がって避けた。
「おお……」
俺は感心する。
今のも初見で避けた。
やっぱり反射神経が普通じゃない。
「なるほど……。これのせいで近付けねーのか」
口を閉じたドラゴン像の顔を見上げ、ジンケは呟いた。
視線を下げ、祭壇の向こう側を見やる。
「奥に扉があるな。開くのか?」
「わからん。誰もあそこまでたどり着いたことがない」
「へえ……」
再びダ・モラドガイアを見上げるジンケ。
「今のブレス……」
そして。
何でもないことのように呟いた。
「発生が15F、持続が150F、硬直が30Fってとこか?」
……なんだって?
Fというのはフレームの頭文字だ。
対人戦で使われるスラングで、1Fは60分の1秒を意味する。
今ジンケが呟いた数字を、秒に換算すると――
ダ・モラドガイアが敵を関知して炎を吐くまでが約0.25秒。
炎が祭壇全体を覆っている時間が約2.5秒。
炎を吐き終えたアギトが閉じられるまでが約0.5秒。
――ということになる。
「(……先輩)」
「(ああ……俺たちが動画で検証したのと大体合ってる)」
とんでもない体内時計だ……。
「成功するかわかんねーけど……何事も挑戦だな。リリィ、ブクマ石くれ」
リリィさんはこくりと頷いて、ジンケにブクマ石を渡した。
事前に記録した場所にワープできるアイテムだ。
「よしっ……」
ジンケは槍を強く握り、少し腰を低くした。
〈焼かれる前に駆け抜けるのか?〉
〈縮地使ってもさすがに間に合わなくね?〉
ジンケの姿勢を見て、配信のコメントがざわつく。
俺も同じ意見だ。
MAO全体を見渡してもかなりAGIが高いほうだろう俺でも、炎の息が来る前に、この広い祭壇を駆け抜けるのは難しいだろう。
《魔剣再演》を使えば可能かもしれんけど……。
「まあ――」
ジンケは不敵に笑った。
「――見てろ!」
強く地面を蹴る。
同時、
「第四ショートカット発動!」
ロケットのようなスピードで、ジンケの身体が弾き出された。
《縮地》のスイッチを入れたのだ。
ジンケは地面を舐めるような低い姿勢で祭壇を駆け――
巨像がアギトを開ける。
やっぱり間に合わない。
半分行ったところで炎に呑まれる!
「――こ」
巨像の口腔が紅蓮の炎で満ちる。
「――こ」
溢れ出すようにそれが吐き出され。
「――か」
瀑布のように祭壇へと流れ落ちて。
「――らっ!」
ジンケの身体を呑み込む。
寸前に。
――ジャンプした。
直上から滝のように祭壇中央に降り注ぐファイアブレス。
ジンケはそれが祭壇全体に広がる寸前のタイミングで、大きくジャンプしたのだ。
炎の海の上空に、ジンケのアバターが躍る。
確かに、これならほんの少しだけ寿命が延びる。
だが一時凌ぎだ。
炎は約2.5秒間、祭壇を灼熱地獄に変える。
完全に回避しきるには、2秒半もの間、滞空し続けていなければならない……!
《縮地》によって跳躍力が上がっていると言っても、2秒半も空中にいられるほどではない。
この方法じゃあ、重力に囚われ、落下し、炎の海に沈むしかないんだ。
――でも。
「何かあるんだろ? プロゲーマー――」
俺が呟いたのと、ほとんど同時だった。
「第二ショートカット発動!」
ジンケの槍が炎を帯びた。
そして直後、紅蓮の軌跡が満月を描く。
ブオン! と。
回転したのだ。
まるでヘリコプターのように。
槍系炎属性体技魔法《炎旋》――
それによって、一瞬。
本当に一瞬だが、ジンケの滞空時間が延びた。
その間に、ブレスの放出が終わる。
わずかな火の粉が残るばかりとなった祭壇に、ジンケは無事着地した。
〈うおおおおおおおおおお!!〉
〈避けたあああああああああああ〉
硬直は約0.5秒。
次のブレスが来るより先に――
ジンケは悠々と、巨像の足下にある扉にたどり着いたのだった。
「……なんてことだ……」
ストルキンは愕然とうめく。
俺はどうしてか、あまり驚けなかった。
このくらいできて当然だと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
「おっ!」
ガチャン。
巨像の足下にたどり着いたジンケが、そこにある扉を開いた。
やっぱり開いてたのか!
「これ、中かなり広いぞ……! ――リリィ、来い!」
ジンケが何か小さなものを放り投げてくる。
それは見事なコントロールで、メイド少女リリィの手元に収まった。
投擲されてきたのはブクマ石だった。
リリィさんはこくりと頷いてから、平坦な声で俺たちに言う。
「お先に」
ブクマ石を使用し、メイド姿が消えた。
と思ったら、その姿は祭壇の向こう側――ジンケの側に移動していた。
「おい!」
ジンケが不意に叫び、俺を指さす。
と思うと――
その指で、くいくいと、手招くようにした。
それからプロゲーマーはメイドと連れ立ち、扉の向こうに消える。
「……ついてこいってか」
俺はダ・モラドガイアを見上げた。
その横で、ストルキンが難しい顔をする。
「まさか、いきなり突破するとはな……。何度か挑戦したならともかく、あんなシビアなタイミングを要求される神業を、一発で成功させるとは……。一度戻ってセツナさんたちに相談するか」
「そう、です、ね……。さすがにアレを真似するわけにはいきませんし……。何回デスペナルティを払えばいいのやら――先輩?」
俺は頭の中でシミュレーションをしていた。
発生が0.25秒。
持続が2.5秒。
硬直が0.5秒――
「あの、先輩? 聞いてますか?」
「――なあ」
「はい?」
「さっきジンケがやったやつさ……」
「え? も、もしかして真似するつもりですか!?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「そうじゃなくてさ。
……あの方法、別に体技魔法挟まなくてもよくないか?」
「…………へ?」
俺はストレージから『あるもの』を取り出した。
それから、剣を鞘に納めたまま、腰を低くして唱える。
「第三ショートカット発動」
《縮地》。
弾かれたように駆け出す。
「ちょっ、先輩っ!!」
半分を少し過ぎた辺りで、炎のブレスが降ってきた。
俺はそれを全力でジャンプしてかわす。
このまま重力に身を任せれば、灼熱地獄がお出迎えだ。
体技魔法で滞空時間を稼げば、もしかしたら助かるかもしれない。
だが、俺は剣の柄には触れなかった。
代わりに――
ストレージから取り出した『あるもの』を、頭上に広げる。
「あっ……!」
それは、ほとんどのプレイヤーがまず必ず携帯しているもの。
リアルでだって携帯している奴は多いだろう。
それほどありふれた、何の変哲もない――
――傘だった。
広がった傘が、空気を受ける。
ただの空気ではない。
祭壇を覆い尽くした炎から、沸き起こるようにして吹き上がる――
――上昇気流。
炎がある場所には上昇気流が起こる。
それがMAOの仕様だ!
俺の身体は、落下するどころか浮き上がった。
祭壇が地獄と化す2.5秒を、悠々とやり過ごす。
傘を閉じて着地し、再び走ると、あっさり扉までたどり着くことができた。
俺は振り返って叫ぶ。
「チェリー! お前も来い!
この方法なら誰でもできる!」
「……! わかりましたっ!」
チェリーもストレージから傘を取り出し、祭壇を走った。
俺に比べるとAGIをあまり上げていないから、3分の1ほど行ったところでファイアブレスに襲われたが――
ジャンプする。
すぐ傘を開く。
浮く。
ブレスが終わるのを待って着地。
実に簡単だった。
神業でも何でもない。
チェリーもまたあっさりと、扉にたどり着いた。
「先輩っ!」
チェリーは俺に駆け寄って快哉を叫ぶ。
「超っ、簡単ですっ!!」
「だろ?」
俺はチェリーににやっと笑みを返す。
たった一人の天才にしか実行できない方法に意味なんかない。
なぜなら、俺たちは―――
「ストルキン!」
俺は祭壇の入口に残ったストルキンに叫んだ。
「この方法をセツナたちに伝えてくれ! なんなら他のクランに喋ってもいい! 細かいことは任せる!
――俺たちは先に行って、ジンケたちを追いかける!」
「了解した!」
ストルキンは背を向け、階段を駆け下っていった。
「行くぞチェリー……!」
「はい! プロだからって、そう簡単に最前線は渡しません!」
俺たちは巨像の足下に開いた鉄扉に飛び込んだ。
―――なぜなら俺たちは、VRMMOプレイヤー。
集団で戦うのが、本来の姿なのだから。
MAOを舞台とした新作
『オフライン最強の第六闘神』
を開始しました。
リンクは下にあると思います。
相変わらず主人公とヒロインがイチャつきながら、
プロゲーマーとして成り上がる話です。
時間軸は本作の半年くらい前。
主な舞台は対人戦の聖地ことアグナポットです。
もしかしたらケージとチェリーもいつか出てくるかも(予定は未定)
そういうわけで新作もよろしくお願いします!




