第73話 すべてを理解するのは難しいオタクの会話
「あ、あの……わたし、ちょっと……飲み物を……」
「あー、ちょうどいいや! ついでにあたしのも買ってきて! コーラね!」
「ん……わかった……」
「あ、それじゃあ私も――」
それぞれの欲しい飲み物を聞くと、ショーコさんはこくこくと頷いて、部屋を出ていった。
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「ふあ……さすがに眠くなってきたか?」
気付けば男子部屋の5人でドンチャン騒ぎのゲーム大会と化していたが、日付はとっくに回っていた。
恋狐亭の館内も閑散としたものだったが、そこはネットゲーム、この時間こそ我々のゴールデンタイムだと言わんばかりの連中もいて、人の気配をちらほら感じる。
桃鉄もゼタニートの勝利に終わり、次なにするー? とそれぞれがバーチャルギアにDLしているソフトを漁り始めたところで、俺は飲み物補給係の命を帯びて部屋を出たのだった。
売店は地下にある。
最初の最初こそ六衣しかいなかったこの旅館だが、今はさすがに人手が足りないと見えて、幾人ものNPCが仲居や店員を勤めている。
六衣は《メタNPC》――自分がNPCであり、この世界がゲームであることを知っているNPC――ではないので、仲居や店員たちも単なるbotではなく、汎用AIが実装されているようだ。
「……最近はもう、botのほうが少なくなってきたくらいだよな……」
最初――オープンベータの頃は、自由に会話できるNPCなんてほんの一握りだったんだが。
いまや俺の愛剣となった《魔剣フレードリク》――その元の持ち主のことを思う。
「お、あった」
地下への階段を降りたところで、売店はすぐに目に付いた。
中に入る。
「えー……紅茶とお茶とコーラと……」
注文を反芻しながら飲み物コーナーに向かうと、先客がいた。
猫背気味の小さな背中。
普段のトレードマークである魔女帽子はないが、その大人しい雰囲気は、俺にとっては印象に残りやすい。
「よお」
「あっ……」
ショーコは俺に気付くと、腕に抱えていたコーラを落としかけた。
「っと」
空中でキャッチして、腕の中に返す。
「あ……ありがと……ございま……」
「ん。いいや。お前らもまだ起きてんの?」
「あ、はい……。えっと……」
「うん」
相槌を打って、ショーコが言葉を紡ぐのを待つ。
俺も似た風になることがあるからわかる。
答えたいことが頭の中にあっても、すぐに口から出てこないのだ。
そうしてまごまごしているうちに、答える機会を逸してしまって、結局黙っているだけになる。
無口な奴ってのは、実は頭の中では誰よりも雄弁であったりするのだ。
「……れ、レナさんは、ずっと、寝てます……。他のみんなで、その……お、お話しを……」
「そっか。ありがとうな」
「えっ……あっ、はい」
レナは起きたら悔しがりそうだが。
『どうしてあたしも混ぜてくんないのーっ!?』って。
「えっと……これと、これと……」
注文された品を取り出して腕に抱える。
それをレジに置くと、店員がすぐに、
「600セルクでーす」
と、やる気のない声で言い、目の前に購買確認のメッセージが現れた。
イエスを押すと、チャリーンと音がして、代金が自動的に引き落とされ、飲み物がストレージの中に消える。
これでよし、と。
売店を出ると、先に精算を終えたらしいショーコが、なぜか立ち止まっていた。
何してんだ?
まるで俺を待ってたようだけど。
「どうした? 戻らないのか?」
「あっ……えっと……」
ショーコは、俺から目を逸らし、ボブカットの毛先をいじり……と、いまいち要領を得ない態度を取る。
俺は辛抱強く答えを待った。
「あの……その……へ、変な意味じゃないんです、けど……」
「うん」
「…………ちょっと、お話し、できませんかっ?」
「うん?」
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「うわー。卓球台だ。やっぱあるんだな、旅館だから」
「……………………」
ちょうど売店の入口から卓球台が見えて気になったので、そっちに移動することにした。
俺は壁際に置かれたベンチに腰を下ろし、立ったままのショーコの顔を見る。
「んで? 話って?」
「…………えと」
ショーコは長めの前髪をくしくし指でこすりながら、あちこちに目を泳がせた。
「あ……あのっ! ……隣、座っても……?」
「ん。おう」
たまにボリュームの調整をミスったようになったり、さっぱり文脈に合わないことを言ったりするが、それも口下手のご愛嬌というところだ。
俺が少し横にずれてスペースを作ると、ショーコはベンチの端に座った。
遠いな。
これでは隣とは言えんのではあるまいか。
まあ、あんまりくっつかれても困るけど……。
「…………えっと……」
「無理して間をもたせようとしなくていいぞ。のんびり聞いてる」
「あ……は、はい」
そもそも、俺は『間がもたない』と思うことがない。
沈黙をつらいと感じる人種のことが、いまいち理解できない。
チェリーといるときだって、ずーっと何にも喋らずに、それぞれ好き勝手に違うゲームしてたりすること、あるしな。
「あの……」
「うん」
「…………す、好きなキャラって、いますか?」
「んん?」
好きなキャラ?
「あのその! アニメとか、漫画とか、小説とか、ゲームとかで……」
「あ、いや、ごめん、わかってる」
まさかそんな雑談が来るとは思わなかっただけだ。
「うーん……すぐに出てこないな……。それって男キャラか? それとも女キャラか?」
「あっ……お、女キャラで……」
「そうか……」
となると、パッと思いつくのが一人いるんだが、それは俺の黒歴史と直結しているので言いにくい。
小学生の頃、初めてやったギャルゲーのヒロインに心を打ち抜かれてしまい、家族に『この人と結婚する!』と言い触らしてしまった黒歴史と……。
やめよう。
彼女のことは心の奥に封印するのだ。
さて、それ以外では誰だ?
子供の頃、いとこの兄貴にやらされたレトロゲームの数々を思い出す。
女性キャラの好み、となると、やっぱりアレだよな。
「ドラクエ5ならフローラ派だな」
「あっ……そうなんですね」
「意外か? っていうかわかるのか」
チェリーにドラクエ5で例えても通じなかったのに。
「一応……有名なのなら、古いのでも」
「ちょっと嬉しいな。チェリーはどっちかというとアナログゲーマーだからな」
「あの、じゃあ8はお姫様のほうですか?」
「そういうことになるよな」
「じゃあテイルズオブシリーズでは?」
「強いて言えばシンフォニアのプレセア」
「歴代のゼルダ姫では……?」
「これはスカイウォードソード。次点でブレスオブザワイルド。でもヒロイン度で言ったらミドナが強すぎだよな」
「次は……あっ、ポケモンの歴代女主人公では?」
「なかなかマニアックな……まあ、BW2のメイ」
「えーっと……あの、アドベンチャーゲームでもいいですか?」
「エロゲー以外なら、相当マイナーじゃない限り大体わかるぞ」
「Fateでは?」
「いきなり元エロゲーじゃねえか。ステイナイトなら遠坂派。エクストラならキャス狐派」
「ちなみにグランドオーダーなら……」
「マシュ。メインシナリオしか知らんけど」
「だと思いました」
ここでショーコは、初めてふふっと笑った。
「じゃあ、シュタインズ・ゲートでは?」
「比屋定真帆」
「……それ、ゼロのキャラですよね?」
「え、なしなの? じゃあフェイリス」
「シリーズ繋がりでカオス・チャイルド」
「有村雛絵」
「……やっぱり」
「やっぱり?」
「いえ……クラナドでは?」
「双子の姉のほう」
「パワプロの女性選手では?」
「それアドベンチャーゲームか? ……んー、六道聖かな」
「ふむ……」
ショーコは口元に触れて、何事か考える仕草をした。
いま気付いたが、質問を重ねるうちに、座る位置が少しずつこちらに近づいている。
「あの……ライトノベルとかも、わかりますか?」
「有名なやつならまあ。中学のときに何シリーズかかじった」
「じゃあ安パイで……SAOなら?」
「ロニエ」
「……アリシゼーション編の?」
「そうだな」
「禁書目録なら?」
「まあ御坂美琴かな……」
「物語シリーズ」
「扇ちゃん」
「リゼロ」
「レム」
「ふつう……」
「おい。普通とか言うな」
殺されるぞ、全国のレムファンに。
「あっ。ご、ごめんなさっ――ひああっ!?」
気付けば肩が触れ合いそうな距離になっていて、ショーコはびくんと飛び跳ねて俺から離れた。
徐々に近付いてるの、気付いてなかったのか。
「何をそんなに夢中になってんの? そんなに面白いか、俺の女性キャラの好みか」
「はい……あ、じゃなくて、えと……」
目元を隠そうとしているのか、前髪をくしくしとこする。
「あ、あの……」
「ん?」
「…………『先輩』って呼ばれるの、好きなんですか?」
「は?」
思わず語勢を強めると、ショーコは「あうっ」とおののいた。
「だ、だって……マシュ、有村雛絵、ロニエ、忍野扇……」
ショーコが指を折って挙げたのは、主人公のことを先輩と呼ぶキャラだった。
「……そりゃこんだけ答えれば、後輩キャラの一人や二人いるだろ」
「四人ですけど……」
「大体、ステイナイトなら遠坂派だって言ったし。後輩好きなら桜派のはずだし」
「でも……遠坂凛は、髪型がチェリーさんと同じ……」
聞こえません。
「……好きなんですね、本当に」
ひっそりと呟くようにショーコが言ったので、俺は顔を逸らして聞こえなかったフリをした。
「……わたしも……」
小さな声が続く。
「……わたしも、好きみたいです」
「そっか」
「一途で、優しくて、親しみやすくて、わたしなんかにもちゃんと付き合ってくれて……」
「ふうん」
まあ、俺以外には普通に優しいらしいからな、チェリーは。
「あの」
「うわっ!?」
何度目だかわからない『あの』に振り返ると、ショーコがぶつかりそうなくらい詰め寄ってきていた。
「最後の質問、なんですけど」
「お、おう」
「む……胸は、大きいのと小さいの、どちらが好み、ですか……?」
「え」
何、その質問……。
なんで性癖訊かれてんの、俺。
「い、いや……そんなの、考えたことねえけど……」
「強いて言うなら?」
ショーコの瞳には、今まで見たこともない強い光が宿っていた。
「ん、んー……し、強いて言うなら……」
「はい」
「……大きいほう、かな」
本当にどっちだっていいんだが。
小さいほうが好きっていうのもロリコンっぽかったので、とりあえずそう答えた。
「そう……ですか」
ショーコは、かすかに微笑んだ。
そして、ベンチから腰を上げる。
「それじゃあ、わたし……部屋に、戻りますね」
「あ、ああ……おう」
ショーコは小走りに、1階へ上がる階段へと去っていった。
な……なんだったんだ?
好きなキャラを次々訊かれて、最後には貧乳派か巨乳派か訊かれて……謎の時間だったな。
「……俺も、戻るか」
俺はベンチから腰を上げた。
瞬間。
「――いーけないんだー、いけないんだー。チェリーちゃんにー言ってやろー」
ずいぶん懐かしいメロディの歌が聞こえてきた。
卓球台が置かれたスペースに、小柄な人影が入ってくる。
フードを目深に被ったそいつを、俺は知っていた。
「……お前、いたのかよ」
「いたよ~? 一部始終見てたよ。ケージ君の浮気現場を♪」
UO姫はにっこりと笑って言った。
「何が浮気だよ……。たまたま会ったからちょっと喋っただけだろ」
「ケージ君的にはそうかもね~」
「……お前は、いちいち含みのある言い方をする奴だな」
「ミステリアスで魅力的でしょ? 付き合おっか?」
「ナチュラルに告るな」
「ふふふ」
UO姫は艶めかしく微笑む。
俺はその顔をあまり見ないようにする。
何か呪いでもかけられそうだ。
「それにしても……」
UO姫はショーコが消えた方向を見た。
「得だか損だかわからない性格してるね、あの子」
「……どういう意味だ?」
「自信がなさすぎて、自分がどうこうなろうなんて最初から考えてない。だからたとえ不毛な恋愛でも、ちょっと構ってさえもらえれば満足できちゃうんだ。……ちょっとだけ羨ましいかな」
……何の話だ?
「でも、もし何かの拍子に欲のスイッチが入っちゃったら、すっごいことになるだろうね、ああいうコは。ほら、普段大人しいコほどエッチだって言うし?」
「それは単なる男の願望だろ……」
「どうだろうね~♪」
ぴょんっぴょんっ、と。
ステップを踏むようにして、UO姫は俺に近付いた。
「それで、ケージ君。考えておいてくれた?」
「……何を?」
「またまたぁ。ミミを彼女としてレナちゃんに紹介してくれるとき、彼氏としてミミとナニをしたいかってコ・ト」
くすくす。
UO姫は、ピンク色の唇を嫣然と歪ませる。
「なんなら……」
「ちょっ」
UO姫はさらに詰め寄ってきた。
俺は壁際に追い詰められる。
なおもUO姫は距離を詰め――
俺のお腹の辺りに胸を押しつけて、至近距離から見上げてきた。
「……今から、予行演習しよっか?」




