第54話 カップルは水辺が好き。海とか湖畔とか鴨川とか。
森を抜けて湖畔に出ると、ひんやりとした空気が肌を覆った。
いや、真冬だから空気が冷たいのは当たり前なんだが、しっとりとしてるというか。
「湖畔って言うから、もっと綺麗な場所を想像してましたけど……」
「霧が深いな……」
そう、霧だった。
湖の上を白い霧が覆っていて、対岸まで見通せない。
森の奥にひっそりとあったこの湖が、どれほどの大きさなのか、それすらもわからなかった。
「これは馬だと危ないかもしれん。わかりやすいところに繋いどこう」
「そうですね」
湖畔の入口辺りに、まるで駐輪場のごとく、何頭もの馬が木に繋がれていた。
全員考えることは同じか。
俺たちも地面に降りて、馬の手綱を木に軽く巻き付けておく。
これで勝手に逃げ出したりはしなくなる。
自分に所有権がある馬にはアイコンがポップアップしているので、間違えることもない。
湖に近付いていく。
深い霧だが、空はきちんと見えてるし、カンテラが必要になるほどじゃなかった。
水際まで来ると、俺は湖の真ん中を見やる。
「この霧、なんか不自然だな」
「湖の真ん中を覆い隠してるみたいですよね……」
そうなのだ。
霧は湖の真ん中辺りが一番濃くて、ほとりのほうはそれほどじゃない。
「行ってみるか? 真ん中。船を造ってさ」
「まあ、まずはそんなところですか――」
―――ォオォオオオオオオオオォォ―――
不意に。
大きな唸り声のようなものが響き渡ってきた。
それと同時に、俺は目撃する。
湖の中央を閉ざす、深い霧――
そこに、何か巨大な影が映ったのを。
「おおわ!?」
「でかあ!?」
ビルみたいな高さだった。
ぬうっと唐突に現れた巨大な影は、特に動くでもなく、そのまますうっと消えていく。
「な、なんだったんだ……? ネッシーか?」
「絶対窮屈でしょう……。あのデカさですよ?」
確かに、高さ50メートルくらいはあった。
もしネッシー的生物の首だったとしたら、胴体はどれほどの大きさか。
満杯にした湯船みたいに、ちょっと身じろぎするだけで湖が溢れるんじゃないか。
「……あ! 先輩、あれ!」
チェリーが指さしたほうを見ると、霧の奥から一艘の船が出てくるところだった。
すわイベントか、と思ったが、近付くにすれ、船に乗っているのがプレイヤーであることがわかってくる。
しかも知っている顔だった。
「いやあー、びっくりしましたなー!」
「し……しんぞう、止まるかと……」
「さすがのあたしもちょっと声出ちゃったよ」
「だ、だから別に確かめなくたっていいと言ったんです、わたしは!」
「ありゃりゃ? ろねりあも怖かったのかにゃ~?」
「こ、怖くなんて……! ――あっ!? な、なんですか、リスナーさんたちまで! ちょっとびっくりしただけで、怖くなんてありません! かっ、可愛くないですったら!」
ろねりあ一行だった。
JK四人組はぺちゃくちゃ喋りながら、オールを漕いで接岸する。
船を盛大に揺らしながら地面に飛び移ったビキニアーマーの双剣くらげが、俺たちに目を留めた。
「およ? ケージ君にチェリーちゃんじゃん。湖畔デート?」
「違う」
「違います!」
「えー? でもカップルって水辺好きじゃん。鴨川とかさー」
何かにウケたらしく、双剣くらげはけらけらと笑った。
いくらカップルでも真冬は水辺行かねえよ。
「あっ。お二人もこちらに来られたんですね」
背後に飛ばした妖精型カメラ・ジュゲムに向かって長々と言い訳をしていたろねりあも、俺たちに気付いて近寄ってきた。
「お二人は洞窟のほうへ行かれるのかと思ってました。ここには大したモンスターも出ないようですし」
「ええ、まあ。ジャンケンで決まりまして」
ジャンケンじゃなくて胸チラ(フェイク)で決まったんだろ、あれは。
都合の悪いことにはまるで触れず、チェリーは霧に包まれた湖を見やって尋ねる。
「霧の中に行ってきたんですか? どんな風になってました?」
「どんな風、と言いますか……」
ろねりあは困った顔をした。
「霧で視界が取れなくなったと思ったら、唸り声のようなものが聞こえてきまして……」
「そんででっかい影が出てきてさー、ろねりあが『うえぉああぇあ!?』って奇声発してぶふくくく!」
「くらげさんはちょっと黙っててください!」
ろねりあが奇声……?
あとで配信のアーカイブ見よう。
「こほん! ……その大きな影が見えたと思ったら、湖岸のほうに戻されていたんです」
可愛らしい咳払いで話題を元に戻し、ろねりあは事のあらましを説明し終えた。
「ふうん……強制的に戻される霧か……」
「戻されるときにいちいちあの唸り声と影が出てくるんですかね?」
「そうみたいです。わたしたちも他のプレイヤーさんから話を聞きまして、そうしたらくらげさんが『とりあえずやってみよう』って……」
「ひっひっひ」
双剣くらげを横目で恨みがましげに睨むろねりあ。
へー、結構怖がりなのか。
……恋狐亭に幽霊がいるかもしれんって話、教えたらどうなるだろう?
「何か隠されているのは確定ですね」
ヴェールのように湖上にわだかまる霧を眺めて、チェリーは言う。
「問題は、あの霧をどうやったら突破できるのか……」
「何かしらの条件を達成するか、もしくはアイテムだろうな」
いずれにせよ、今の俺たちはこの湖を攻略できる状態にないのだ。
「ろねりあさん。この湖から先には何もないんですか?」
「そのようです。これも他のプレイヤーさんからの伝聞ですが、ダメ元で周囲の森を徹底的に探索しても、めぼしいものは見つからなかった、と」
「ってことは、やっぱりここは現時点で来るべき場所じゃないのか……」
俺は何気なく湖面を覗き込んだ。
俺のアバターの顔が映り込んでいる。
「……ちなみにさ。船じゃなくて、水中を行けばどうなるんだ?」
水中に霧はない。
ならワンチャン、あの霧の向こうに出られるんじゃないか?
「ああ。それも試した方がおられるみたいですよ。やっぱりいつの間にか元の方向に戻されていたそうです」
「そうか……。まあ対策するよな、それくらい」
NANOもアホじゃあないのだ。
オープンベータやバージョン1の頃は、運営上の不手際でアホバカ間抜けと罵られることもあったが、最近はすっかり熟達している。
SNSの公式アカウントがクソリプまみれなのは今も昔も変わんねえけど。
「んー。どうするチェリー? 後回しにするか?」
「そうですね……。もう少し先に進んでみてから来たほうが、効率が良さそうな気がします」
「でしたら、ここはわたしたちにお任せください」
ろねりあが上品に微笑んだ。
「今度は水中を探索してみようと言っていたところなんです。何か見つけたらお教えしますね」
「水中って……《バブマリン》、育ててあるんですか?」
「はい。いつか使うだろうと」
《バブマリン》っていうのは、身体を泡で包むことで水中でも行動できるようになる魔法だ。
NPCから教えてもらえる割とポピュラーな魔法だが、あんまり使う機会がないので、大体の奴は熟練度が育ってない。
いざ必要なときになって『育てとけばよかったー!!』となるのが、MAOあるあるとしてよく語られる。
そうならず、きっちり育ててある辺りに、ろねりあの生真面目な性格を感じた。
「ここはどうぞお任せください。洞窟のほうが、モンスターが強くて皆さん苦戦されてるみたいですよ」
「なるほど……。それじゃあ行ってみましょうか、先輩」
「おっ! 今度は洞窟デートかにゃー!? 薄暗いからってエロいことしちゃダ――」
「水中探索の一番槍はくらげさんですね。くらげだけに」
「うゃあーっ!?」
ろねりあに首根っこを掴まれて、双剣くらげは湖の中に放り込まれた。
ツインテールが湖面にぷかぷか浮かぶ。
ビキニアーマーで真冬の湖に沈んだ哀れな少女に祈りを捧げて、俺たちは木に繋いだ馬のところに戻った。
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前線キャンプまでいったん戻った。
馬をどうするか少し悩んだが、洞窟にはモンスターが出るってことで、とりあえず置いていくことにした。
必要になれば戻ってくればいいし、もういらないようなら、所有者設定を解除すれば独りでに貸し馬屋へ帰っていく。
洞窟へ行く前に、前線キャンプにいるプレイヤーから少し情報収集をした。
無論チェリーが。
フハハ! この俺が知らない奴に話しかけられるとでも思ったか!
情報収集はウィキやSNSからでももちろんできるが、やっぱり現地で集めた生の情報が一番早いし確実なのだ。
で、(チェリーが)聞き出したところによると。
洞窟内のモンスターのレベルは、平均でも100を超えるらしい。
これはもう、ぶっちゃけアホみたいに高い。
俺とチェリーのキャラクターレベルが100代後半なので、それとほとんど変わらないということだ。
妖怪としての姿になった六衣よりも高い。
「相応の経験値がもらえることを願うばかりだな」
「どうでしょうねえ。NANOとしては最前線組の過剰なレベルアップを抑えて、中級者の人たちを追いつかせたいんでしょうし」
「レベル上限の解放もやるやる詐欺だしな」
「そもそもカンストまで行ってる人が数えるほどしかいませんけどね」
現状のキャラクターレベル上限は130だが、100を超えると必要経験値量が冗談みたいに増えて、まともにレベルが上がらなくなってくる。
120以上ともなれば、もう完全なる廃人――というかレベリング中毒者だ。
もちろん、ステータス上昇値も相応のものなんだが、やっぱりあまりにも手間がかかるんで、俺とチェリーは『無理にレベリングするよりも、実戦級の魔法を増やして戦術の幅を広げたり、プレイヤースキルを鍛えたりしたほうがいい』という結論に至っていた。
「まあ、案ずるより産むが安しだ。とりあえず入ってみようぜ」
「先輩、産むつもりなんですか?」
「ことわざだよ!」
くすくす、とチェリーはせせら笑う。
「先輩は産む本人よりもテンパりそうなタイプですよね。分娩室の前を歩き回ったりして」
「大体そういうもんなんじゃねえの? 知らんけど」
「ふふっ。実際どうなるか見物です」
「見れないだろ、いずれにしても」
「いずれにしても?」
「……いずれにしても」
「ふーーーーーーーん?」
チェリーは含みのある目つきで俺の顔を見上げた。
俺がなんとなく顔を背けると、「ふふっ」とおかしそうに笑う。
……なんだよ、もう。
「行くぞ。《魔物払い》外せよ。たぶん効かねえから」
「はーい」
洞窟に向かって歩き始めた俺に、チェリーは含み笑いしながらついてくるのだった。
宣言通り、明日更新したら1週間ほどゼルダ休暇をいただきます。




