第30話 キノコを食べたわけではない
いつもの通りマイホームにログインした俺たちは、ワープポータルを使ってフロンティアシティから移動した。
《神聖コーラム》。
今はそう呼ばれるこの国は、かつてMAOの中心だった。
オープンβテストからバージョン2までにかけて、MAOのストーリーのほとんどはこの国を中心に動いていたのだ。
最初は単に《コーラム王国》という名前だったが、バージョン2で起こった内乱による分裂と統合を経て、《神聖コーラム》と名を変えた。
ワープポータルがある首都の名は《教都エムル》。
プレイヤー国家はたいてい首都と国の名前が同じだが、元から存在するNPC国家である神聖コーラムにはきちんと個別に名前が付いていた。
ワープポータルから出た俺たちは、白亜の大理石に降り立つ。
チュロスみたいな――って言ったら怒られるかもしれんが、そういう溝が彫られた柱が円状に並ぶ大空間。
見上げれば雄大な天井画が広がっていて、いやでも荘厳さを感じさせられる。
教都エムルの中心――
《聖エリス大聖堂》のロビーだ。
もちろんサント・ミミ城と同じで、ここからじゃ大事な場所には行けないんだが。
「いま何時だ?」
「16時40分。あと20分で17時ですね」
MAOにおけるイベントってのは、ゲーム内でやるお祭りみたいなものだ。
1日か2日くらいで終わることが多く、1週間も2週間も続くということはまずない。
内容はまちまちだが、今回のように限定クエストが大量発生する、という形式が多い。
他にも、公式非公式問わず、各地で様々なイベントが催される。
トークショーとか、ライブとか、リアルイベントと変わらないようなことだ。
だから当然、イベントの中心となるのはプレイヤー国家ではない。
限定クエストを出すNPCがたくさんいて、運営のお膝元ゆえに公式イベントが数多く催されるこの街――
神聖コーラム首都、教都エムルなのだ。
「さすがに人多いなー」
「イベント中はログイン率が10倍になるらしいですからね。イベントに参加するためだけにアカウントを持っている人もいるらしいですし」
「さっさと抜けよう。人混みに捕まってるうちに時間になりそうだ」
言いながら、俺はチェリーの手首を掴んだ。
「うわひゃあっ!?」
瞬間、チェリーが変な声を出す。
俺は慌てて手を放した。
「お、おう。悪い。昔、妹と祭りとか行ってたときはこうしてたから……」
「い、いえ……別にいいですけど……」
チェリーは掴まれた手首を何度かさすって――
ちょこん、と俺の袖を摘まんできた。
「……はぐれたりしたら、タイムロスですし……」
「おう……そうだな、うん」
人混みの間を縫って、俺たちは大聖堂のロビーを出る。
大理石の廊下を抜けて外に出ると、そこは広大な広場だった。
大聖堂のロビーと似て、円状にパルテノン神殿みたいな柱が並び、中心には時計台が建っている。
《サンエリス広場》である。
サンエリス広場には多くの人間が行き交っていた。
観光シーズンの京都みたいな人数だ。
プレイヤーとNPCが入り交じって、ほとんど見分けがつかない。
「どうやら皆さん嗅ぎつけてきたみたいですね」
「ネットにも流れてたしな。……事前に用意したチョコはここで使うって」
実はMAOでは、イベントに先んじてそのヒントとなる情報をしれっとNPCの台詞に紛れ込ませたりすることがある。
今回もそうだった。
『気前がいいことで有名なアベニウス卿が、サンエリス広場で大プレゼント交換会を行う』と、本当に何でもない通行人NPCが言っていたのだ。
曰く、アベニウス卿とやらはボランティア精神が旺盛らしく、一般人でも手に入れやすいチョコと引き替えに貴重なものを配る習慣があるのだと言う。
だが、それは完全な公平ではなくて、手作りの上等なチョコであれば、それに見合うものをくれるらしい。
ちなみに、集められたチョコは恵まれない子供たちに配られるとかなんとか。
「立派な人もいたもんですよねー」
「それを大聖堂の目の前でやるのは嫌がらせかなんかなのか?」
「様式として貴族制度は残ったとはいえ、この国の実権は今や《聖旗教団》のものですもんね。旧政権の残骸である貴族が、現政権である教団のお膝元で大々的にプレゼント交換会っていうのは、確かに挑発的です」
「お前もたまに似たようなことやるよな。俺の目の前でこれ見よがしにレナと通話したりすんの」
「いえ、別に先輩に見せるためじゃありませんけど」
「えっ? 『お前の妹は預かっているぞ』的なアピールじゃなかったのか!?」
「私のことどんな目で見てるんですかあっ!」
と、思わず大声で話してしまったからか。
「あっ!」
近くを通りがかった女性プレイヤーが声を上げて、俺たちを指さした。
「チェリーさん!?」
「えっ? ……ほんとだ!」
「応援してます! 頑張ってくださーい!」
芸能人めいた声援は瞬く間に広がっていく。
「UO姫をヘコませろー!!」
「俺はチェリー派だ!!」
「調子に乗った姫気取りを許すなー!!」
「「「チェリー! チェリー! チェリー!」」」
「うわあ……」
あっという間に王の軍勢みたいになった人々を前にして、俺は苦笑する他になかった。
取り決めた通り、チェリーとUO姫とのバレンタインクエストRTA対決はネットを通じて発表されて、気付いたときには特設サイトまでできていた。
当事者二人以外に課されたルールは二つ。
一つ。
チェリーまたはUO姫に対して、自分の持つ情報を自由に与えることができる。
二つ。
チェリーまたはUO姫がルール違反を犯している現場を発見した場合、録画映像を証拠として添えることでこれを指摘できる。
二つ目のルールが生まれたことにより、証拠動画を検証する役割が必要になったので、これはチェリーとUO姫が話し合って指名した。
それがセツナとろねりあだ。
この二つのルールにより、チェリーとUO姫の個人的な私闘は、いつの間にか大量のMAOプレイヤーを巻き込んだイベントと化していた。
その流れでプレイヤーたちは《チェリー派》《ミミ派》に派閥が分かれることとなり――結果はご覧の通りである。
拳を突き上げてチェリーコールを繰り返すプレイヤーたちを、チェリーはスッと両手を持ち上げることで鎮めた。
何なのその為政者の風格。
この群衆を前にして苦笑程度で済ませられる俺も俺だが、お前はいくら何でも慣れすぎじゃない?
大統領めいたオーラで群衆を黙らせたチェリーは、将軍めいた声を朗々と張り上げる。
「ご声援ありがとうございます、皆さん!! 私は今度こそお約束しましょう!! あの存在そのものがイラッとする女の化けの皮を剥がし、『調子に乗ってすいません』と土下座させることを!!」
「「「おぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」」」
いや、盛り上がってるところ悪いんだけど、負けたら土下座なんて取り決めしてないから。
文化祭前夜みたいな謎テンションに支配されたサンエリス広場だったが、その空気を引き裂く声があった。
「――控えおろう!! 控えおろう!!」
控えおろう!?
時代劇以外で初めて聞いたその台詞を放ったのは、全身をプレートアーマーに包んだ騎士たちだった。
群衆で力ずくで押し退ける彼らの後ろには、4人の騎士に担がれた神輿が続いている。
「いや、神輿!?」
ショッキングピンクの屋根の下をカーテンが隠している。
薄く透けた布に、少女の影がぼんやりと映っていた。
なにこれ。
大名行列? 参勤交代なの?
神輿は群衆のただ中を突っ切ると、時計台の近くで止まった。
騎士たちがその周囲をガチガチに固める。
こんなアホなことをリアルにやるのは、あいつくらいしかいない。
「媚び媚び姫!」
道を開けてくれた群衆を抜けて神輿に近付くと、チェリーは開口一番ディスった。
「何やってんですか! クランメンバーは使わないルールでしょう!!」
「あれ? 誰かと思えば……」
カーテンの影が小首を傾げた。
「淫乱ピンクさん?」
「チェリーです! 殺しますよ!!」
てらいがない。罵倒にてらいがないぞ!
「ふぇぇ……こわいよぉ……ちょっとした冗談なのに……くすん」
「ミミ様を泣かせたな!」
「万死に値するぞ!」
「泣かないでミミ様!」
「あぁああああぁムカつく……ッ!!!」
騎士たちの反応に、チェリーは地団太を踏みながら俺の肩をバンバン叩いた。
イライラを俺にぶつけるな!
「あんたの安っぽい涙なんてどうだっていいんですよ! それより、何いきなりルール違反ぶちかましてるんですか!」
「ルール違反じゃないよぉ? だって庶民と会ったり連絡取っちゃダメっていうのは、イベント期間中の話でしょぉ? イベントはまだ始まってないから大丈夫だも~ん」
「『だも~ん』が心の底から癪に障ります……!!」
それは俺も同意する。
でもチェリー、お前もたまに似たような喋り方するからな?
「まあ、でも、そろそろ時間だし――準備をしないとね!」
甘ったるい声が言うと同時、神輿のショッキングピンクの屋根がロケットみたいに吹っ飛んだ。
「「ええ……?」」
俺たちが戸惑っていると、神輿の周囲にいる騎士たちが跪いた。
神輿の上は、屋根が残していったスモークに包まれている。
まるで騎士たちが跪く時間を作るために焦らしているみたいだった。
やがて晴れたスモークから現れたのは、当然ながらUO姫。
華奢な割にメリハリのある身体に纏っているのは、チョコレート色のゴシックロリータだ。
腰や髪など、各所に大きな蝶型のリボンがあしらわれていて、『プレゼントはわ・た・し♪』とでも言わんばかりだった。
自分を乗せた神輿を地面に降ろさせると、UO姫はこれまたフリルだらけの日傘を差した。
いらねえだろこんな真冬に、という当然のツッコミが出てこないくらい、その姿は完璧な出来映えだった。
「どうかな……?」
顎を引いて上目遣いになり、UO姫は照れたようにはにかんで見せる。
「せっかくだからチョコ風にしてみたんだけど……ケージ君、ミミのこと、食べたくなってくれた……?」
ぐあああああああ!!
心が……心がぁぁあ……!!
「先輩! これを!」
チェリーが素早く自分の寝顔&胸元画像を見せてくれたことで、俺は落ち着きを取り戻す。
「ふう……。危なかった……。でもなんかそのうち、この画像も見慣れてきちまう気がするな……」
「えっ……? そ、そうなったら私、もっとすごいことしなきゃいけないんですか……?」
チェリーがさっと頬を染めたところで、UO姫のほうから抗議が来た。
「もぉー!! ミミの前でイチャつくの禁止っ!!」
「い、いや、別にイチャつくとかそういうのじゃ……」
「ふんだ。……いいもん。そうしていられるのも今日までだも~ん」
再びの『だも~ん』によって、チェリーの紅潮が一瞬で引いた。
そろそろ別の意味で顔真っ赤にしそう。
「ルール通り、イベントが始まったらミミは庶民とは一切協力しないよ。
でも、それはそれとして、協力者は一人までOKだったよね?」
「……ええ、そうですね」
一緒に行動する人間は本人含めて二人まで。
俺とチェリーが行動を共にするように、UO姫も一人までなら供を付けられるのだ。
「せっかくだから今ここで紹介するねっ! 来て、《火紹》君!」
悲鳴が聞こえた。
大聖堂とは反対方向。
広場の入口のほうからだ。
「えっ!?」
「うおっ……!?」
俺たちは同時に呻く。
悲鳴が聞こえてきた方向。
そちらから――
小さな山が、近付いていたからだ。
人垣をかき分けてくる小山は、よく見ると人間だった。
赤い鎧を身に纏った大男だ。
いや、大男なんて生やさしいもんじゃない。
アレは、巨人と呼ぶべきものだ。
猫背でわかりにくいが、身長2メートル半はあるんじゃねえか?
まるでビッグフット。
アレを同じ人間にカテゴリするのは、些か以上にためらいがあった。
「もお! 遅いよーっ! 来てって言ったらバーンと登場するのっ!」
巨人が人垣を抜けてくると、UO姫は頬を膨らませて、その太腿の辺りを叩いた。
太腿くらいまでしか手が届かないのだ。
UO姫の身長が140そこそこくらいだから、誇張抜きに倍くらいの身長差があるのである。
「…………(ぺこり)」
UO姫の叱責に対し、巨人は無言で軽く頭を下げる。
あまりにデカいからか、その動きはどこかゴーレムめいて見えた。
「な……なんですかこの人……」
「アバターって、こんなにデカくできたっけか……?」
俺たちは巨人を見上げて唖然とする。
アバターの身長はある程度自由に設定できるはずだが、上限は確か2メートルくらいだったはず……。
こんな漫画みたいな巨人アバター、作れるわけがない。
「ふっふ~ん」
UO姫が得意げに笑った。
「すごいでしょ~。火紹君はね、ミミの知る限り唯一の《巨人》クラスなんだよぉ~」
「《巨人》クラス?」
「そんなのあるんですか!?」
「実はあるんだな~。2ヶ月くらい前にミミたちが見つけたんだけど、秘密にしてたの☆」
MAOのクラスは装備スキルや魔法の組み合わせによって自動的に決定する。
その種類は膨大で、未だに新クラスが発見されることがある。
そんな仕様だから、中にはゲームバランスを崩壊させるほど強力なクラスがあって、それを一部のクランが秘匿して独占しているんじゃないか、なんて噂も流れていた。
ガチかよ。
陰謀論じゃなかったのかよ。
「《巨人》クラスはねぇ、HPとSTRとVITにすっごく補正が入るんだよ? その代わり、出すのがすっごく大変で、さすがにみんな手を出せなかったんだけどぉ……この火紹君が習得してくれたの! 2ヶ月かけて!」
2ヶ月……。
つまり、年末と正月を生贄に捧げて巨人をアドバンス召喚したってこと?
「大変ですね、騎士団の人たちも……」
「上司は選ぶべきだよな……」
「ひどいなあ、もぉーっ! 火紹君は文句一つ言わずにやってくれたんだから!」
「………………」
「文句どころか言葉一つ発しないんですが」
「職場のストレスで失語症になってない?」
「違うよお! 火紹君は『普段は寡黙だけど戦場では人が変わったように暴れ回る勇猛な武将』のロールプレイをしてるだけだよっ!」
ロールプレイかよ。
それで『火紹』なんて三国志っぽい名前なんだな。
「……いずれにせよ、今まで隠していた《巨人》を出してきたってことは……」
チェリーは油断のない視線でUO姫を刺す。
「本気、みたいですね」
「もちろん、本気だよ?」
UO姫は淡く微笑みながら唇に指を添え、俺のほうを一瞥した。
……これは別に、あのお姫様が俺に惚れているなんて話じゃない。
UO姫が名の知れたプレイヤーをクランに引き込もうとするのはよくあることだ。
加えて――
こいつは、チェリーの持っているものを何でもかんでも奪いたがる。
俺自身のことは、別にどうだっていいのだ。
UO姫が欲しいのは、有名プレイヤーを部下にする優越感と、チェリーを叩きのめす達成感だけ。
だから俺は、こいつの誘いにはどうあっても乗れないのだ。
「……そろそろ時間だね」
巨人騎士・火紹を従えたUO姫が、傍の時計台を見上げた。
ちょうどそのとき。
その長針が、12を指し。
その短針が、5に移動する。
――ガラン、ガラン、ガラン――
サンエリス広場の全域に、午後5時を知らせる鐘が鳴り響いた。




