第256話 Virtual Liver - 夢の中で生きる者 -
剣のようなライトが夜を裂き、ステージの上の二人を照らし出す。
一方は青、一方は白。
それぞれのイメージカラーをあしらった衣装に身を包み、観客たちの歓声を浴びる。
俺とチェリーはそれを、人気のない教室から見下ろしていた。
「くあ……」
「疲れたか?」
「ん~……そうですね。さすがに疲れました。慣れないことで、緊張もしましたし……今になって、どっと疲労が……」
「その割には堂々としたもんだったけどな」
「緊張が顔に出ないんですよね、私」
「そうかぁ? テンパってるときはすぐにわかるけどな」
「ふふ。それは、先輩だけですよっ♪」
「はいはいどーも」
「むう……ちょっとはドキドキしてくれたっていいじゃないですか」
音楽が月天に流れ出すと、少女たちは飛び跳ねるようにステップを踏み、歌声を紡ぎ出す。
歓声に混ぜるように。
観客と溶け合うように。
「まあ……確かに、疲れましたけど」
ステージ上の天初百花を、そして雨矢鳥フランを眺めながら、……チェリーは、口元を緩ませた。
「良かったですよね。……この光景が、壊れなくて」
「……そうだな」
俺は、さっきのことを思い出す。
校庭での推理劇が終わった後、今回の依頼人である雨矢鳥フランが、俺たちのところにやってきたのだ。
――ありがとうございました
――おかげで……ようやく、本気になれそうです
その謙虚な言い方に、俺たちは思わず笑ったものだ。
――今まで、誰よりも本気だったのはあなたでしょう?
――見せつけてこいよ。今まで隠してきたお前をさ
すると、雨矢鳥はこそばゆそうにはにかんで、
――はい
今までのダルそうな雰囲気が嘘のような足取りの軽さで、ステージへと去っていったのだった。
そして、その後。
俺たちのもう一つの依頼人――《杞憂の民》も、接触してきた。
――感謝を
――我々に安堵を与えてくれたあなたたちに、感謝を
相変わらず姿は見えず、声だけで言うそいつらに、俺たちは苦笑いした。
――それじゃあ、例の件は黙っててくれるってことですね?
チェリーの疑り深い質問に、奴らは笑みの気配で返してきた。
――あんな休憩所があると知れたら、危ないのは我々のほうだよ
それっきり、気配は消えた。
結局、連中には踊らされっぱなしだったってことだ。
でも、まあ、あの繊細な連中が安心できたなら、今後の天初たちの配信も、多少は安泰になるだろう。それをメリットに数えて、良しとすることにした。
真実を知ることで、傷付くこともある。
真実を知ることで、救われることもある。
それは結局、知ってみなければわからない。
しかし、……踏み出す勇気が、傷付く覚悟が、そいつにあるのなら。
きっと、真実の先には、未来が広がっているのだ。
杞憂なき未来が。
「んん~~……」
「さっきから、何やってんだ? 口の中でもごもごして」
「虚面伯の戦いを見てですね、やっぱりベロジェスチャー強いなーって思いまして。ちょっと練習してるんです。んん~……あ、出た」
チェリーの手からポンッ! と火の玉が飛び、窓から外に飛び出して、空中で弾けた。
俺はそれを目で追いながら、
「そういえばさ。微妙に引っかかってることがあんだけど」
「はい?」
「天初が、晴屋京のベロジェスチャーを誤爆させるためにキスしたって話。ベロジェスチャーは繊細だから、舌を無理やりぐちゃぐちゃにやれば誤作動するだろうってのはわかる。けどさ、実際には誤作動してなかったわけだろ?」
「そうですねえ」
「だとしたらさ、実は晴屋京は、ベロジェスチャーなんて設定してなかったって可能性もあるんじゃねえのか? 《窃盗》を使わされる可能性を見越して、舌なら手は出せないだろうって、天初に嘘を教えてたとか……」
「可能性としては、もちろんありますよ。そもそも、キスしたのはキーワード・ショートカットを封じるためで、《窃盗》はスペルブックから使わせようとしたのかもしれませんし――」
「でも、雨矢鳥の証言には、スペルブックが開かれてたなんて話、なかっただろ?」
「気付かなかっただけかもしれません。まあ仮に、そのときスペルブックが開かれていなかったとしたら――単純に、好きでキスしてただけってことになりますね」
「……好きでやってたんなら刺されないだろ」
「わかりませんよ? 晴屋さんにはその気がなかったのかも」
「今更杞憂を増やすなよ……」
「それじゃあ、試してみますか?」
チェリーは試すように俺の目を覗き込みながら、赤い舌をちろっと出した。
「今、設定してありますから――誤作動したら、きっと先輩の推理が正解ですね」
「……いや、でも、お前」
「あの媚び媚び姫にもああ言いましたし、私は全然構いませんけど?」
――するよね~、キスくらい! 二人っきりでデートする仲だもんねぇ? それはそれはディープでラブラブなやつをしちゃうよね~?
――やりますよ! 当然ですよ! 挨拶みたいなものですからそんなの!
売り言葉に買い言葉じゃねえかよ、あれは。
いわば冗談みたいなものであって――お前もそのつもりだから、そうやってニヤニヤ笑って余裕ぶってるんだろ?
まったく腹の立つ奴だ。いっつも安全圏をしっかり確保してからかってきやがる。
そうして、わざわざ俺に言わせるのだ。
「……そんなこと、俺たちには必要な――」
――俺から言えることは、互いを大切にしろっていう、月並みなお説教だけさ……。特に、愛情を誤魔化すのは程々にしておくんだな。意地は人生に指針を与えてくれるが、前に進めてはくれない……
そのとき、俺の脳裏を過ぎったのは、いやにダンディな占い師が語った言葉。
あんなもの、オカルトですらないただの雑談だ。誰にでも当てはまりそうなことを言われただけのバーナム効果。
しかし、少しだけ不安になる――杞憂をする。
今まで、同じことを何度も繰り返してきた。
だからこそ――たまには、必要なんじゃないか、と
「……わかった。試そう」
「ふぇ?」
細い肩を掴むと、チェリーはビクッと身を固くして目を瞬いた。
「え? いや、あの――」
「目、閉じろ」
「――あ、……はい」
俺が本気だと気付いて、……チェリーは、大人しく目を閉じた。
それから、少しだけ顎を上げる。俺を、受け入れやすいように。
その人形のように整った顔に、俺は自分の顔を近付けながら、瞼を閉じる。
触れ合うことを、恐れているわけじゃない。
ただ、負けたような気がするだけで――本当に、ただそれだけで。
だとしたら、……今回、俺よりずっと頑張ったこいつになら、……負けを認めても、いいんじゃないか?
……いや、言い訳だ。
往生際の悪い理論武装だ。
俺たちがカップルじゃないと言い張ってきたのは、そうしたかったからであり。
だったら――こうしたいときは、こうすればいいんだ。
そっと、唇を触れ合わせる。
息を止めて、瞼の裏の暗闇を見ながら、チェリーの唇の柔らかさだけを感じる。
そうして――自分の中に、温かな何かが膨れ上がっていくのを、感じる。
たぶん、数秒だった。
どちらからともなく顔を離し、瞼を開け、チェリーの大きな瞳を、間近から覗き込んだ。
水晶のような煌めきが、揺れながら俺の中を見返して、
「あの、……先輩? 舌は……?」
「……………………」
俺は目を逸らす。
「……さては、ビビりましたね? 上手くできるか不安になりましたね?」
「いや、まあ、その、……ん、…………」
口ごもるしかない。
己の本番の弱さに打ちひしがれるばかりだった。
「……ふふっ。これじゃあ検証にならないじゃないですか」
チェリーは不意ににやっと笑ったかと思うと、蠱惑的な上目遣いをして、
「――好きで、しただけになっちゃいましたね、先輩?」
「……ぐ、…………」
……その通りだよ……。
好きで、しただけだよ。
ムカつくから、口には出さんけど。
「何ならやり直しましょうか? ほら、先輩って、一度した失敗は二度としないじゃないですか? 今度こそちゃんと検証しましょうよ」
「うるせえなあ! いいよもう! 俺の考えすぎだったんだよ!」
「拗ねないでくださいよ、もお~」
どうやら、俺には踏み出す勇気も傷付く覚悟もなかったらしい。
杞憂なき未来は、まだまだ遠いな――
そのとき、夜空が眩く輝いた。
花火が立ち昇り、大きく弾けたのだ。
「あれ?」
「花火って、もう終わったんじゃ――」
光に惹かれて、窓の外を見やったとき――そこに、目撃する。
空に咲いた花火の中から、まるで生まれ落ちるようにして――一人の少女が、舞い降りてくるのを。
イメージカラーはオレンジ。
ついさっき、すべてのヴェールを脱ぎ、1年越しの杞憂を打ち払った少女。
『天に百花が咲く頃に、初めてヴェールを捨てましょう』
呆然と見上げる観客たちの間に、朗々たる声が響き渡る。
『雨天決行、晴天の霹靂。一夜限りの晴れ舞台』
怪盗のような、飄々としたものではなく。
『奇跡の夜を――御覧じよ!』
晴れ渡った空のような明るい声で――晴屋京が、ステージに降り立った。
そして。
マイクを手に。天初と雨矢鳥の二人と、横に並び。
観客に、世界に叫ぶ。
『みんな――ちょっとだけ、ただいまっ!!』
世界が震える。
校舎が揺れるかのようだった。観客から湧き起こる声の爆発に全身を打たれて、俺は脳味噌を吹き飛ばされたように感じた。
天初百花、雨矢鳥フラン、そして晴屋京。
それはまさに、一夜限りの晴れ舞台。
すれ違うままに続いてきたものが、より強く晴れやかに続いていくための、正統なる継承の儀式。
そこから、三人が歌い始めてからの時間は、もはやこの世のものではなかった。
『極めてリアルな夢』とも例えられるVR世界の中ですら、なおも夢のようで。
輝くステージも、揺れる観客も、まるでここではないどこかのようで。
ああ――なるほど。
「……なあ、チェリー」
「はい?」
「俺たちも、魔王と戦ったり、小説になったりしてるけどさあ……あんな風には、なれねえよな」
「当たり前じゃないですか」
チェリーはくすりと笑い、
「私たちは現実の人間で、あの人たちはバーチャルの人間ですよ?」
まったくもって。
繰り返すが、VR世界は『極めてリアルな夢』とも例えられる。
ならば、『バーチャル』を存在に刻みつけられた彼女たちは、寝ても覚めても夢を見て、そして見せているのだろう。
深い理解のもとに同じ夢を共有したとき、それは立派なリアルになるのだ。
現実とは違う。
しかし、虚構でもない。
見る者と見せる者、双方が合意の上で夢を見て、その視界の中で生きていく。
誰に見られるかなど関係なく、ただ俺たちでしかない俺たちとは、根本的に異なる存在だ――
「――あ、そうだ!」
チェリーが不意に声を上げ、ウインドウを開いた。
表示させたのは、このライブステージを中継している公式配信だ。
「スパチャ投げましょうよ、先輩! 割り勘で!」
「別にいいけど、なんて言うんだよ?」
「そうですね~……ま、いつも通りでいいんじゃないですか?」
……確かにな。
この4日間は慣れないことばかりだったが、楽しかったのは確かだ。
だったら、同じゲームを遊んだ者として、この言葉を贈るのが礼儀だろう。
〈楽しかったです! グッドゲーム!〉
これにて、百空学園を舞台にしたゲームは終了だ。
大きな夢の中で生きる彼女たちにいったんの別れを告げ、俺たちは次のゲームに進んでいく――
『――え? チェリーさんからスパチャ来てるって?』
『どうせケージさんと一緒に見てるんじゃないですかぁ?』
『カップルで見てんじゃねーぞこらあーっ!!』
〈カップルじゃないって言ってるでしょうが!!〉
時には、見せてやるわけにはいかない夢もある。
俺たちは現実の人間なので、そういうことも多いのだ。




