第255話 天に百花が咲く頃に
第四夜にしてついに犯行に失敗し、舞台を降りたと思われた怪盗――虚面伯。
今になって、そいつが再び、視線という名のスポットライトを浴びる。
ああ……きっと、再び光が当たったのは、虚面伯だけではないのだろう。
虚面伯という仮面の奥に隠れていた、本当の彼女――
――晴屋京もまた、1年ぶりに、表舞台に上がったのだ。
「……晴屋……京……?」
愕然と。
呟いたのは、昨夜まで虚面伯に協力していた、雨矢鳥フランだった。
「ど、……どういう……? すみません……頭が、追いつかなくて……」
「シンプルな話です」
虚面伯も――そして、1年前の当事者である天初百花も沈黙を保っている。
だからこそ、チェリーが代わりに、晴屋京という人間を覆い隠すヴェールを裂く。
「虚面伯は、晴屋京さんのサブアカウントだったんです。だから、晴屋さんは卒業に当たって、自分の短剣を天初さんに移譲しなければならなかった――晴屋京が所有権を持つアイテムが存在したら、晴屋京のアカウントにログインする権限を持たなくても、虚面伯の変身魔法で晴屋京に戻れてしまいますからね」
虚面伯の変身条件は、変身対象が所有権を持つアイテムを所持していること。
だから、晴屋京を完全に卒業させるには――その所有権さえも、残らず抹消する必要があった。
「晴屋京さんが卒業したのは、『かねてよりの夢を叶えるため』――だったそうですね、雨矢鳥さん」
「う……うん……」
「虚面伯の活動は、約1年前――晴屋さんが百空学園を卒業するのとほぼ時を同じくして鎮静化しています。これもまた、同じ理由だったんでしょう。Vtuberのみならず、MAOも夢を追うために引退した――違いますか?」
「……………………」
虚面伯は、黙して語らない。
あくまでも、探偵役であるチェリーに、すべてを明かさせようとしているのか……。
「……いいでしょう。どうせ、晴屋さんとあなたを直接的に紐づける証拠はありませんしね。晴屋さんの『夢』というのはもしかして『女優』ではないか――なんていうのも、私の憶測でしかありません」
女優――ああ、腑に落ちる。
虚面伯の図抜けたアバターコントロール――あれはきっと、自分の一挙手一投足を完璧に制御し、観客に魅せつける、役者のスキル……。
チェリーに化けたときの素人離れした演技力も思えば、ほぼ間違いないと言っていい。
……しかし。
女優になることが、晴屋京の夢で。……そのために、Vtuberを辞めたのだとしたら。
晴屋京にとって――Vtuberとは、百空学園とは、晴天組とは――
――一体、なんだったのか……?
「ですから、ここから先も、私の想像でしかありません。間違っていれば、遠慮なく反論をしてください」
虚面伯を。
そして天初百花を見やりながら、チェリーは言う。
「1年前。ハレルヤ迷宮の最深部で起こったこと。……それは本来、とてもシンプルなものだったはずです。
卒業を控えていた晴屋さんは、自分の思い出の品を預かってもらうため、相方の天初さんに秘密を打ち明ける決意をした。その秘密とは、自分が虚面伯の正体であるということ――Vtuberと怪盗の二重生活をしていたことです」
「……………………」
「誰にも見咎められるはずのないダンジョンの最深部で、事情を話し、短剣を移譲する。たったそれだけのはずでした。ですが晴屋さん――あなたには、ひとつだけ誤算があったんですね?」
「……………………」
「あなたは、自分の卒業について、天初さんがどう思っているのか、わかっていなかったんです。……あるいは、天初さん自身すら、わかっていなかったのかもしれません。その瞬間になって、唐突に実感が湧いたのかもしれません……」
天初もまた、口を開かなかった。
自分で自分の肘を掴んで、地面を見つめていた。
「これは本当に想像ですが――晴屋さん、あなたの夢がVtuberとは別にあった一方で、天初さんは『Vtuberになることが夢だった』と、イベントで言われたことがあるそうです。
その食い違いを、あなたは認識していなかったんじゃないですか?
天初さんにとっては、あなたと晴天組として過ごす日々が、何よりも大事で、何よりも幸せだったんでしょう。その一方で、あなたは別のことを目標にしていた――あるいは、天初さんの夢だったVtuberを、一時の足掛かり程度にしか思っていないのかもしれなかった」
「ちがッ――……ぁ……」
天初が、反射的な否定の言葉を口にしようとして、……しかし、できなかった。
その反応が、何よりの証拠。
天初の心のどこかには、そういう気持ちが確実にあったのだろう。
――わたしにとってはこんなに幸せな今も、京ちゃんにとっては通過点でしかないのかもしれない……。
そうやって、疑う気持ち。不安になる気持ち。
……杞憂が、あったのだろう……。
「その気持ちが、短剣が移譲され、晴屋さんの所有権が消えた瞬間に、爆発したんです。このままでは、本当に、あなたがいなくなってしまう。幸せな今が終わってしまう――そう考えた天初さんは、きっと衝動的に、『元に戻さないと』と、思ったのだと思います。
所有権を、もう一度晴屋さんに戻す。
晴屋さんの了解を取らず、無理やりにそれを可能にする方法はひとつしかありません――つまり、『盗ませる』ことです」
「……………………」
「そこからが雨矢鳥さんが目撃したシーンなんでしょう。まず、天初さんは晴屋さんの身体の自由を奪い、彼女の手に短剣を無理やり握らせました。それから、彼女自身に《窃盗》を使用させようとした――
これは当初、天初さんが晴屋さんのもう片方の手を使い、スペルブックを操作させようとしたのではないか、と私は考えていました。けれど、雨矢鳥さんの証言で考えが変わりました。
そう、キスをしていた、という証言です。
天初さんの目的を思えば、これは晴屋さんの口を塞ぐことが目的だったのではないかと思えます。ショートカット・ワードを口にすれば、身体の自由が奪われていても、魔法で天初さんを引き剥がすことができてしまいますからね。ですが、キスをすることで得られる効果はもう一つある――
――それは、舌を操作できること、です」
んべっ、と桃色の舌を軽く出してみせて、チェリーは続ける。
「虚面伯としてのあなたは、ベロジェスチャーを使いこなす《怪盗》です。であればもちろん、晴屋京としてのあなたもまた、ベロジェスチャーの使い手だったはず。最初の夜、私がベロジェスチャーの存在について話したとき、皆さん驚いておられましたが――天初さん、あなただけは知っていたのではないですか? 未知の知識に驚いたのではなく、私たちがその存在を知っていることに驚いたのでは?」
――ジェスチャー・ショートカットって、実は舌の動きにも設定できるんですよ
――え!?
――ええっ!?
――ほんと?
――氷室白瀬までもが驚いて目を瞬く。
「手を掴まれて無理やり動かされることには抵抗もできましょう。しかし、捻じ込まれた舌に舌を動かされることには、そうそう抵抗できるものではありません。天初さんは晴屋さんのベロジェスチャーを誤作動させて、《窃盗》を発動させようとしたんです」
「……………………」
「しかしそのとき、晴屋さんが抵抗した。握らされたばかりの短剣で、天初さんを突き刺したんです。その一撃で天初さんは倒れ、晴屋さんも続けて、《ダゴラド》の攻撃に遭って死亡――短剣は晴屋さんの装備品ではありませんからその場にドロップし、《ダゴラド》に回収されました」
「……………………」
「天初さんは、ちゃんと短剣を盗ませられたかどうか、正確にはわからなかったんだと思います。晴屋さんが具体的にどんな風に舌を動かして《窃盗》を使っていたのか、知らなかったでしょうしね。ベロジェスチャーは普通にしていてさえ誤作動する繊細なもの……舌を絡めて無茶苦茶に動かせば、作動している可能性は高い。天初さんはそう信じて、短剣をダゴラドに任せ、今日に至るまで所有権を確認しなかった。
けれど、晴屋さんは確認しようとしたんでしょうね。レッドネームになっているのを目撃されたのはそのときだと思います。いくら何でもソロで、しかもメイン武器を失った状態で最深部まで潜ることは、できなかったようですが」
虚面伯からも、天初からも、反論はなかった。
その沈黙は、肯定と同義。
チェリーは何秒も待って、反論の時間を、そして納得の時間を置いてから、また口を開く。
「以上で、私からの説明を終わります。1年前の事件に関する謎は、これですべて暴かれました――が、実はひとつだけ、はっきりとわからないことがあるんです」
地面に座り込んだままの虚面伯に、一歩近づき、……チェリーはしゃがみ込んで、目線を合わせた。
「あなたの変身能力は、変身相手が所有権を持つアイテムを所持している必要がある。……だとしたら、なぜ天初さんに変身しなかったんですか?」
……ん……?
どういうことだ?
なぜ天初に変身しなかったか……?
「あなたは昨夜、《ジ・インフィニット・フェイス》でアバターを入れ替え、雨矢鳥さんに天初さんのアバターを使わせました。《ダゴラド》を掌握するのに天初さんの顔が必要だから、と――けれど、そんな必要はなかったはずなんです。だってあなたは、1日目に天初さんの剣を手に入れていたんですから」
――《晴天組の秘宝》!
そうか……! あれは確かロングソードだった。晴屋京が使っていたのが短剣である以上、《秘宝》は天初の武器だったはず……。
「もちろん、《窃盗》を使えば所有権の移行が起こり、変身条件の達成には使えません。逆に言えば、それさえしなければ、あなたは3日目にあんな面倒な事件を起こさなくても済んだ。雨矢鳥さんという協力者も不要だった。一応、『天初さんに変身できる可能性をあらかじめ潰しておき、ダゴラドを狙っていることを天初さんに悟らせまいとした』とも考えられますが――」
「――ふふ」
初めて。
チェリーの解決篇が始まってから、初めて――虚面伯が、……否、晴屋京が、口を開いた。
ゆるりと顔を上げ。
怪盗らしく胡散臭い、……だが、どこか温かみのある笑みを浮かべて。
「チェリーちゃん――君は、ケージ君のことを『先輩』と呼ぶね」
「え? はい、そうですが……」
「だから、わからないのかもしれないね。誰かの先輩になる気持ちが――先を行く者として、後輩に何かを残してやりたいという気持ちが」
「……え……?」
――ああ、そうか。
雨矢鳥の、ためだったのか。
後輩がこれ以上、道に迷わないように……逆に目一杯、目の届く範囲で迷わせて――
ぱちぱちと目を瞬くチェリーを見て、虚面伯は微笑ましそうに唇を緩ませた。
「おいおい、不甲斐ないな、探偵役。……だったら、仕方がない。これで本当に引退だと思っていたけど――あと一度だけ、御覧じようか」
そのときだった。
ヒュルルル……という細い音が響いたかと思うと、ドンッ! と、急に夜空が明るく照らされた。
チェリーも、俺たちも、驚いて空を仰ぐ。
天に開く、満天の花火。
「――天に百花が咲く頃に、初めてヴェールを脱ぎましょう」
歌うような、声がした。
それに惹かれて目を地上に戻したときには、すでに晴屋京――
否。
――怪盗女優・虚面伯は、チェリーの背後に立っていた。
その右手に、晴屋京の短剣を携えて。
「えっ……!?」
チェリーが空になった自分の手に驚き、慌てて振り返る。
虚面伯は、不敵な笑みを湛えた。
驚くのはこれからだと、煽るように。
一歩。
虚面伯の姿が、光に包まれた。
二歩。
背が縮み、体格が細くなる。
三歩。
光が散ったとき、特徴的な赤髪は、栗色に変わっていた。
「……なんで……?」
チェリーが唖然と口を開く。
「……うそ……」
雨矢鳥が口元を覆う。
「…………京、ちゃん…………?」
そして天初百花が、瞳を揺らした。
夜空に花火が次々と咲く。
その光を、まるでスポットライトのように浴びながら――
――晴屋京は、かつての相方、天初百花に向かって歩いていく。
ありえない。
そのはずだ。
だって、その短剣には、晴屋京の所有権は残っていない。
なのに、どうやって――
「……えへ」
晴屋京は天初の前で立ち止まると、はにかむように、笑った。
天真爛漫で、しかし聡明で。
ポンコツだった天初百花を、いつもフォローしていたという――
「いっぱい迷惑かけてごめんね、百花ちゃん。あたしがちゃんとしなかったから……」
「ちが……違うよ……! 私が、私が勝手に……!」
「ううん。……あたしが、臆病だった。もっとちゃんと話すべきだった。百花ちゃんにも、リスナーのみんなにも――だから今回も、全然関係ないチェリーちゃんに、代わりに話してもらったの。今更あたしが何を言ったって、みんなの不安は拭えない。でも、無関係の第三者が話したら印象は変わるでしょ? それに――謝るにしたって、少しは面白くしないと。配信者だからね?」
悪戯っぽく笑って、晴屋京は天初百花の手を握る。
天初は拒絶しなかった。
俺が偽物のチェリーに騙されず、チェリーが偽物の俺に騙されなかったのと同じ。
きっと、天初も偽物には騙されない。
だから、二人が手を取り合う、その光景が、何もかもが本物であることを示している。
「百花ちゃん。あたしにとって、百空学園は青春だったの」
誰もが見守っていた。
1年ぶりに語らう晴天組を、誰もが、静かに。
「キラキラして、ワクワクして、ドキドキして――けれど、いつか必ず終わってしまう。けれど……いつまでも必ず、残っていく」
青春。
必ず過ぎ去り、必ず残るもの……。
「あたしはもう、戻ってはあげられないけど――けど、きっと続いていく。百花ちゃん……あなたが、続けてくれる。あたしたちの青春を」
――だって、そうでしょ?
と、晴屋京は笑った。
「あたしたちは、『バーチャル』だから。あたしたちの今と、みんなの今とが繋がって、生きていくものだから。ちゃんと見てるよ、百花ちゃん。あなたが見せて、あたしが見ている限り――『バーチャル』は、続く」
見ている。
そう、見ている。
俺が、チェリーが、氷室が、千鳥が、犬飼が、雨矢鳥が。
大勢の人間が。
彼女たちを見ている。
見せて生きる、彼女たちを見ている。
そうやってできている。
「……ああ……」
天初の瞳が潤んだ。
仮想の世界にも、涙はあるのだ。
心がある。人生がある。
それを、俺たちは見る。
その視界の中に、……彼女たちは、存在する……。
「……あり、がとう……京ちゃん……。私……ずっと、忘れてたかもしれない……」
「うん。そうだと思った。百花ちゃんは忘れっぽいからね」
ひひひ、と悪戯っぽく笑って――
晴屋京は、チェリーから取り返した短剣の柄を、天初に差し出す。
「それじゃあ……今度こそ、受け取ってくれる?」
差し出された柄を、天初は見下ろして。
唇を引き結び。
……しかし、すぐに綻ばせる。
「……うん」
手を伸ばし。
しかと、短剣の柄を握り。
「――卒業おめでとう、京ちゃん。元気でね」
「そっちこそ、元気で。今度ご飯でも行こ?」
「うん!」
夜空を照らす光の花が、二人を言祝ぐように一層光り輝く。
今夜のことを、心無い奴は『茶番』などと呼ぶのだろうか。
……いいや、だとしても関係ない。
見ている奴は知っている。
天に百花が咲く頃に。
二人の少女が、心からの笑顔を浮かべていたことを……知っている。




