第253話 VS.夢幻深淵神ダゴラド&《赤統連》第六席・虚面伯 - Part4
《ダゴラド》が痛ましげな苦鳴を上げる。
足元に取り付いたプレイヤーたちが、情け容赦のない攻撃をダゴラドに加えているのだ。
今までその防壁となっていたはずの触腕は、多くが斬り飛ばされて短くなっている。
残るのは、上空で戦う俺と虚面伯の足場となっているものだけ――
相変わらずチェリーの姿で、バニーガールめいた衣装を纏う虚面伯は、チラリと地上を一瞥して表情を固くする。
「どうする?」
俺は煽るように笑いながら、虚面伯に言う。
「早いとこ触腕を回さねえと、ダゴラドが保たないぜ?」
「……いやらしいですね、先輩は」
「チェリーの口調で言うな!」
いやらしいのはどっちだ! いちいち精神攻撃かましやがって!
足場に使っていた触腕が、いくらか地上の迎撃に回る。
が、すぐに何本かは斬り飛ばされて、さらなる触腕の投入を余儀なくされる。
結果、俺たちの足場は減っていき、行動の択が絞られていった。
それはすなわち、相手の攻撃を回避するのが難しくなる、という意味だ。
「ぅくっ……!」
俺が振り抜いた剣を、虚面伯が短剣で受け流す。
直撃しなくてもいい。虚面伯のクラス《怪盗》は、《盗賊》の上位種だと言っていた。であれば、耐久面は決して強くない――俺と同じ、防御面をスピードによる回避に頼るタイプ。
であれば、このまま固め続けていれば削り切れる。
もちろんそれは虚面伯もわかっている。とすれば、ここで虚面伯が採る択は――
「……積極的なのも、嫌いじゃないですよ、先輩? でも――」
――間合いを取って慎重に戦う、だ。
虚面伯が後ろに地面を蹴った、その瞬間に合わせて。
俺は、一歩距離を詰めた。
「――っ!」
「浅かったな」
こういう風に、択を絞られ、追い詰められているときこそ、勝負に出るべきだった。
普通は考えつかない、奇想天外な裏択に賭けるべきだった。
いつもお前が、お宝を盗むときそうするように――!
なるほど、確かにお前は《怪盗女優》。
怪盗を――演じているだけの女だよ。
「ぁ、うっ――!」
一閃した魔剣が、虚面伯のお腹を裂く。
赤いダメージエフェクトが、普通に当たり前に、闇に散る。
俺が斬ったのは、謎に包まれた怪盗ではない。
ただの一人の、MAOプレイヤーの女だった。
真紅の光芒を散らしながら、虚面伯の身体は触腕から落下する。
その最中でも、虚面伯は生き足掻いていた。素早く短剣を手放し、代わりに《万獣のタクト》を手にして、ダゴラドに自分を拾わせようとしていた。
「させるか!」
だから、俺も追いかけて飛び降りる。
タクトを振るおうとしていた細い手首を掴み、ダゴラドの指揮を阻止する。
「やんっ! 先輩っ、やめて……」
「もう惑わされるか!」
虚面伯はチェリーの顔で切なげに上目遣いをして懇願するが、残念だったな、それは本物のチェリーも嘘で使う顔なんだよ!
俺は最後まで手を離さなかった。
虚面伯もろとも地面に激突しても、決して離さなかった。
そのまま地面に組み伏せる。赤いタイツで覆われた太腿を股の間に挟み、もう片方の手首も掴んで押さえつける。
「きちゃ――っ!!」
「今だっ!!」
千鳥や氷室の声がして、どどどど! と大勢のプレイヤーの足音が、地鳴りのように響いた。
このまま袋叩きにして虚面伯を退場させれば、ダゴラドを倒すのは容易になる。それからダゴラドが抱え込んでいる晴屋の短剣を検める――!
「……ふ」
そのとき。
チェリーの顔をした虚面伯が、不敵に微笑んだ。
嫌な予感が、背筋を突き抜ける。
直後には、俺は身体を持ち上げて叫んでいた。
「よせっ!! 近付くなっ!!」
時、すでに遅かった。
殺到したプレイヤーたちに、俺の視界は覆われた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「よっし……!」
「これであとはダゴラドだけじゃん!」
「ふぇっへへ。裏切った罰です~」
氷室さんと千鳥さん、雨矢鳥さんがガッツポーズをする横で、私は警戒感で身を固くしていた。
最後――殺到していく皆さんの身体と声で、よく見えなかったし聞こえなかったけど――
先輩が、何か叫んでいた。
警戒を促すように、何かを――
「皆さん! いったん離れてっ――」
ダメだ、聞こえてない!
だったら……!
私は地面に向けて《ファラゾーガ》を放った。
ドッグォンッ!! という大爆発が起こり、虚面伯に寄って集っていたプレイヤーたちが、ビクリと驚いて振り返る。
「皆さん……落ち着いて、いったん離れてください」
注目が集まったところで、改めて言う。
「虚面伯の姿を――ちゃんと、確認しましょう」
さっきまで虚面伯は、私のアバターに化けていた。
けれど……私たちはもう、何度も騙された。
この四日間で、この怪盗に、毎夜毎夜騙されてきたのだ。
だったら――今夜だって、例外じゃない。
ゆっくりと、プレイヤーたちが散らばっていく。
その途端、彼らの中から疑問と驚きの声が上がった。
「え!?」
「な、なんで……!?」
いなくなっていたのか?
――違う。
虚面伯も、そして先輩も、今も確かに、そこにいた。
ただし。
その両方が、先輩の姿をしていた。
「えっ……何これ?」
「ケージさんが……二人」
前を開けた学ラン。
一つだけ取れたボタン。
右手に携えた魔剣フレードリク。
何もかもが、同じ。
誰もが唖然とする中で、当の先輩たちも、呆然とした顔で、お互いの顔を見つめ合っていた。
そして、およそ五秒後。
二人の先輩は、同時に口を開く。
「「俺ごとやれッ!!」」
その先輩らしい、寄り道なしの最善手に対して、真っ先に呼応したのは私たちではなく――夜空に聳え立つダゴラドだった。
少なくなった触腕をムチのように振り下ろし、二人の先輩に叩きつける。
先輩たちは顔を顰めながら、同時に地面を蹴ってその攻撃を避けた。
スピードも、反応速度も、ほとんど同じ。
先輩の並外れたアバターコントロールをコピーできる人間なんて、この世に何人もいないだろう。
その数人の一人が、虚面伯だった。
誰よりも間近で、誰よりも多く先輩を見ている私ですら、動きから本物を特定することはできなかった。
「この野郎っ! 今度は俺か!!」
「こっちの台詞だ! 猿真似も大概にしろ!!」
叫び合いながら、先輩たちは恐ろしいスピードで跳び回り、交錯するごとに剣戟を交わし、固く握り締めた拳を叩きつけた。
氷室さんたちは、それを唖然として見守ることしかできない。
「ど、……どっちが本物なんだ……?」
「わからーん!! せめて大人しく止まっててー!!」
「あちゃあ……もうこうなったら、本人の言う通りどっちも倒しちゃいますかぁ」
その方法もあるにはある。
けれど、もし先に倒したのが本物だった場合、虚面伯のスピードについていける人間がいなくなってしまう。
だから――解は一つ。
「皆さん。――ここは、私に任せてください」
氷室さんが、千鳥さんが、雨矢鳥さんが、私を振り返る。
「……チェリーさん。わかるんですか?」
疑問と期待がない混ぜになった氷室さんの質問に、私は笑ってうなずいた。
「一目見たら」
先輩は、本物を特定する作業に手間取ると見て『俺ごとやれ』と言ったんだろう。
でも――あまり舐めないでほしい。
この私を。あなたの後輩を。見くびらないでほしい。
本物の先輩がどっちかなんて――一目見ればわかるに決まっているだろう。
私は駆け出した。
高速で跳び回る二人の先輩――その片方が、着地する瞬間を狙って。
「先輩っ!」
呼びかける。
いつも通り、先輩の顔が振り返る。
私が思いっきりその首に抱きつくと、彼は柔らかく受け止めながら、口元を綻ばせた。
「お、……お前……わかったのか!? 俺が本物だって!」
「わからないはず、ないじゃないですか。先輩だって、私の偽物を見抜いてくれたでしょう?」
間近から瞳を覗き込んでからかうように笑うと、先輩の目は恥ずかしげに横に逸れた。
その反応を見て、私はさらにくすくす笑いながら、剣を握っていない左手に手を伸ばす。
「先輩は気付いてないかもしれませんけど、私、先輩が思ってる以上に、先輩のことを見てるんです。だから一目見た瞬間、簡単に気付いたんです――」
握られた左手に、指を入れた。
「――学ランのボタンが、一つなくなっていることにね」
先輩の顔――をした偽物が、表情を固まらせる。
同時、……私は、その左手から硬く小さなものを抜き取った。
それは、金色のボタンだった。
ついさっきまで――本物の先輩の学ランに、付いていた。
「き、……君、は……!」
「ありがとうございます、怪盗さん。実はあなたについて、一つだけ確証を持てなかったことがあったんです」
逃がさないよう、首に腕を巻きつけた偽先輩の身体が、光に包まれる。
「推測はできていました。けれど実証する機会がなかったがゆえに、口にするのは憚られました。このまま腹を決めて解決編に進むしかないかと思っていましたが――ああ、安心した。どうやら合っていたようですね?」
ゴツゴツした男子の身体が、柔らかな女子のそれに変わる。
私の腕の中に現れたのは、鮮烈な赤髪の少女。
《怪盗女優》の素の姿であるその顔に、私は間近から真実を突きつける。
「――あなたは、変身する相手の持ち物を持っていないと、その人に変身できないんです」
私に変身できた理由はなんだろう、とずっと考えていた。
けれど、どれだけ考えても、一つしか思い浮かばなかった。
通行手形だ。
百空学園に入るときチェックされる、通行手形。
あれは、来場者側と会場側が同じ形のものを持っていて、その形を照らし合わせることで本人確認を行うもの。
……であれば、容易なのだ。
受付NPCに扮して、私が持ってきた、私が所有権を持っている手形と、もう一方の手形をすり替えることは。
もう一つ、犬飼れおなさんの件がある。
虚面伯は鍵を盗み出すために、偽物の鍵に犬飼さんの所有権ログを残した。そのためには、犬飼さんに変身する権利を確保していなければならなかったはずだ。
そこで思い出したのが、全員でタクトを守る籠の施錠を確認しに行く前の、何でもない会話だった。
――あれー? ごめん氷室くーん。ないかもー
――そうですか。別にいいですよ。自分で採ってきます
――おっかしいな~。もうちょっとあったと思うんだけどな~……
犬飼さんが、確かに話していたのだ。
あったはずのアイテムが失くなっている――と。
それが、虚面伯によって盗まれていたからだとしたら?
私も犬飼さんも、自分の所有権が残ったアイテムを盗まれていたとしたら?
偶然かもしれない。
考えすぎかもしれない。
けれど今、仮説は実証された。
「謎はすべて解けました」
改めて私は宣言し――続いて、虚面伯の左袖に手を突っ込む。
ここしかないと思っていたけど……あった。
細長い指揮棒。
《万獣のタクト》だ。
「すべては、あなたのその変身魔法の条件が原因だったんですね? あなたがダゴラドが持つアイテムを守らなければならなかった理由――そして、天初百花さんが晴屋京さんを殺してしまった理由も。そのすべての原因が、この条件にあったんです」
抜き取ったタクトを、私はダゴラドに差し向ける。
所有権を奪い取らずとも、使用することはできる――虚面伯自身が実行済みだ。
「すべて、吐き出せ」
この夜の――そして一年前の真実を。
ダゴラドは夜空に向かって咆哮した。
殷々と響き渡る叫声とともに、ダゴラドの口から一つのアイテムがポンっと噴き出した。
テイムの際に与えられたアイテムは、きっと消費されてなくなっているのだろう。
だから、ダゴラドのインベントリにあるのは、ただ一つ――
かつて、晴屋さんが愛用していた短剣だけ。
夜空の下に、一本の短剣がくるくると舞う。
あれを回収すれば、すべての証拠が揃うだろう。
虚面伯が暴けと煽り、同時に守ろうとした、真実を導く証拠が。
だから。
彼女はそれを、手に取ろうとした。
――天初百花。
今夜、まったく姿を見せていなかった彼女が、どこからともなく走ってきて、くるくる回りながら落ちてくる短剣を、拾おうとしていた。
それほど、大切だったのだろう。
私たちも、学園の仲間さえも出し抜いてまで、守りたいものだったのだろう。
だけど――
――もう、向き合わなければならないんですよ、天初さん。
「――第一ショートカット発動」
一つの人影が、赤い残影を宙に引きながら、天初さんの前に割り込んで、短剣を拾った。
それは、魔剣フレードリクを真紅に染めた先輩。
一日に一度しか使えない《魔剣再演》を、短剣を拾う、そのためだけに使ったのだ。
それこそが、この夜において、最も重要な局面だとわかっていたから。
「……ぁ、……う……」
手を伸ばした格好で凍りつく天初さんに、先輩は申し訳なさそうに目を伏せた。
「悪いな。……でも、もう、お前だけなんだよ。全部を隠しておきたいと思ってるのは」
天初さんをその場に置いて、先輩は私のほうに歩いてくる。
「杞憂を払うときが来たんだ。……お前以外は全員、覚悟を決めてるよ」
あれほど騒がしかった夜の校庭は、今やしんと静まり返っていた。
何かの儀式を見届けるように、誰もが、先輩の手から私へと、短剣が手渡されるのを見つめていた。
謎は疑惑を残す。
疑惑は杞憂を呼ぶ。
そして杞憂は不安を生み――
――不安は、あらゆるものに影を落とす。
これ以上、あなたに、この学園に影が生まれないように。
今、ここで、そのためだけに呼ばれた私が、謎という謎を解こう。
私は、短剣の所有権ログを開いた。
【20XX/04/26 20:21 天初百花 所有】
それが――最新の、所有権ログ。
それ以前は、ずいぶん前の日付に晴屋京さんが取得したとする記録があるのみ。
そして4月26日は、事件が――天初さんが殺された事件が起こった日付だ。
天初さんは、確かに言っていた。
この短剣は、『最後に晴屋さんが使っていたもの』だと。
けれど――これはどうしたことだろう。
事件当夜、この短剣の所有権は晴屋さんから天初さんに移譲され、そのままになっているのだ。
かくして、証拠は出揃った。
「――さあ、解決篇を始めましょう」




