第252話 VS.夢幻深淵神ダゴラド&《赤統連》第六席・虚面伯 - Part3
「セイッ――――!!」
漆黒のプリーツスカートを翻し、怪盗が二本のダガーを叩きつけてくる。
俺はかろうじて魔剣フレードリクでそれを受け止めるが、……鍔迫り合いの向こう側、間近に迫ったその顔に、ざわざわとした違和感を禁じ得ない。
つぶらな瞳も、通った鼻梁も、薄い唇も、あどけない丸みを帯びた頬も、何もかもがそのまま。
この2年、他の誰よりも多く、他の誰よりも近くで見たチェリーの顔が、虚面伯の胡散臭い笑みを浮かべているのだから。
「どうしました、先輩? 動きが精彩を欠いているようですが……?」
くすくす、と零す笑い声すら、耳慣れたそれと瓜二つ。
これだ。虚面伯のリアルチート、その二つ目。
仕草や話し方まで完全に化ける、およそ素人ではありえない演技力!
「お前……! 《女優》ってのは、ただの二つ名じゃねえな!?」
「くすくす。……いけませんよ、先輩? 女の子のことをみだりに詮索しちゃあ……!」
ギインッ! と虚面伯のダガーを弾いた。
ように見えた。
同時、虚面伯は上半身を仰け反らせながら、赤いタイツを穿いた脚を鋭く伸び上がらせてくる……!
「うがッ!?」
爪先で、顎を蹴り上げられた。
ダメージはさほどじゃない。だが、視界を上に向けられた。虚面伯の姿を見失う――
「くそっ!」
俺はあえて膝から力を抜いた。
その場に仰向けに倒れるのだ。絶対に虚面伯の追撃が来る。それを、とにかく一度は回避するために……!
ヒュンッ、と前髪を白刃が撫でた。
よしっ、避けた!
倒れゆく視界で、ダガーを振り抜いた格好の虚面伯を見上げ――
「やんっ!」
――た瞬間。
チェリーの姿をした虚面伯が、可愛らしい声を上げてプリーツスカートを押さえた。
内股になって――俺の視線から、自分のパンツを守るように。
……え?
いや、そういうつもりで倒れたわけじゃ――
「――なぁんちゃって♪」
チェリーが。
いや、虚面伯が、ぺろりと舌を出した。
直後、眼前が靴の裏に覆われた。
「ぶべらッ!?」
思いっきり踏みつけられて、俺は足場にしていた《ダゴラド》の触腕から滑り落ちる。
あんっ……の女! そんなところまでチェリーを再現しやがって!
「第三ショートカット発動!」
《焔昇斬》で重力を無視して一瞬滞空し、周りを把握してからさらに《風鳴撃》で横に移動して触腕の上に戻る。
と、すぐに虚面伯が上から降ってきて、俺と同じ触腕に降り立った。
「ふふ。……君たち、意外とうぶなんだね?」
からかうように笑いながら、虚面伯はスカートの裾を摘まんで、少し持ち上げてみせる。
赤いタイツに覆われた太腿が露わになり、けれどその上のパンツは見えない、そんなギリギリのラインまで。
「……さっきは反射的に驚いちまっただけだっつの。もう効くか! そんな色仕掛け! 大体、『中身』は謎の光で隠れる仕様だろ!」
「へえ。知ってるんだ、それ。見せてもらったことがあるのかな?」
動揺しねえぞ。その手のからかいは慣れっこだからな!
虚面伯は不敵に笑いながら、
「確かに、残念ながらパンチラはサービスしてあげられないね。……でも、こういうやり方もあるよ?」
「……は?」
コッ、と舌を鳴らす音がした。
すぐに思い至る。MAOで最も無駄がなく、見抜かれにくく、そして難しすぎるジェスチャー・ショートカット――ベロジェスチャー!
虚面伯の姿が――否、その身に纏う服だけが、光に包まれた。
漆黒のセーラー服が変形する。
裾を揺らしていた腰回りはぴったりとしてくびれを露わにし、プリーツスカートは消え去ってお尻の丸みを浮き立たせる。
足元まで靡いていたマントは短くなり、お尻の後ろ辺りで燕尾服のように二股に分かれた。
光が消え散り、その全貌が露わとなっても、果たして謎の光は現れなかった。
それはどこか、女マジシャンを思わせる衣装……。バニーガールのようなぴったりとした衣装は、胸から腰、お尻までのラインを容赦なく露わにし、股間なんかエグいハイレグで守っているだけで、赤タイツがなければ下着とほとんど変わらなかった。
そのタイツも、さっきよりもデニールが低くなっていて、肌色が薄っすらと透けている。
あ、あれ……後ろに回ったら、お尻ほとんど見えてるんじゃねえの……?
「お気に召しましたか、先輩?」
マントの結び目と胸を覆うカップとの間に覗いた、わずかな白い肌。そこに自分の手をそっと触れさせながら、虚面伯はほんのりと色気を帯びた微笑を浮かべる。
「何事も、抜け道というものがあるんですよ? 良かったらこの衣装、どこで本物が手に入るか教えて差し上げましょうか……?」
「いっ……いるかあっ!!」
目の……目のやり場に困る……!
あんな、ソシャゲキャラの最終形態みたいな露出度……! 反則だろ! チェリーのアバターで着るのは!
「ふふ。……だったら今、じっくりと目に焼き付けておかないとですね?」
小悪魔めいて笑いながら。
虚面伯は、桜色の髪と小さなマントを靡かせながら肉迫してきた。
落ち着け。落ち着け。落ち着け!
この程度なんてことない。対人戦じゃ、ほとんど裸みたいな格好で胸をぶるんぶるんさせながら戦ってる奴もいるんだ――今更、この程度で――!
俺の懐に踏み込み、虚面伯は二本のダガーを振りかぶる。ハサミのように左右から食い破ってくる構え。
避けろ。退がれ! それから差し返し――
――黒い布のカップから、意外と大きな乳房が白い肌をはみ出させていた。
それは、そう、見たことがある。温泉に行ったとき、朝目覚めると、浴衣姿のチェリーが一緒に寝ていて、その襟元から覗いた、なだらかな白い谷間――
「(――くすっ)」
桜色の唇が笑み、とろけるように囁いた。
「(先輩のえっち♪)」
あぶぁばばばばぅあーっ!?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「――なぁにしてるんですか先輩っ! そんな偽物ごときにーっ!!」
明らかに精彩を欠いた先輩に、私は地上から檄を飛ばしていた。
先輩と虚面伯が戦っているのは、無数の触腕がうねるダゴラドの頭上――その上、二人ともが超高速で三次元機動を描きながら戦っているものだから、ほとんど影しか見て取れない。
けれど、私はきちんと見ていたのだ。
虚面伯が私に変身して……あ、あろうことか、まるでバニーガールみたいな、とんでもなくスケベな服に着替えたのを!
それからだ。先輩が見るからに押され気味になったのは。
相手が私の見た目をしているからって、戦闘中に他所事に気を取られるなんて、先輩らしくもない! 相手が私の見た目だからって! 私だからって!
「おおーう……彼が自分の偽物に騙されるのはムカつくけど、それはそれとして自分の姿に気を取られてくれるのはちょっと嬉しい――みたいな、複雑な乙女の表情だ! どう、ムロっぺ! 合ってる!?」
「合ってると思いますが、それを口に出すのはクソ空気が読めてないと思いますね」
金髪ギャルの千鳥さんの発言に、パーカー眼鏡の氷室さんが冷静にスペルブックを繰りながら答えた。
こうしている今も、縦横無尽に触腕を振るうダゴラドと私たちとの戦いは続いている。
虚面伯が先輩との戦闘にかかりきりになり、ダゴラドを指揮する暇がなくなった今、戦況は以前ほど悪くない――けど、長引けば不利になるのはこっちだ。何せ向こうの触腕は時間が経てば再生するけど、こっちのポーションには限りがある。
「もう少し触腕を効率的に排除できる方法があれば――攻撃手段であり防御手段でもある触腕をもっと一気に削ることができれば、上空の虚面伯も自分の足場に回す余裕がなくなるはずです」
「虚面伯を地上に引きずり下ろすことができれば、囲んで一斉に叩くこともできる――ですね」
「でもキツくない? 確かに雷魔法で一時的に麻痺させることはできるけどさあ、マジでほんの一瞬じゃん。削るって、あの触腕を斬り飛ばすってことでしょー? そんなの、ケージさんくらいヤバい火力がないと無理じゃない? あたしは基本的に対人勢だからレベル微妙だしー」
集まったプレイヤーや学園生の中には、先輩ほどとは言わずとも触腕を斬り飛ばせるくらいの火力の持ち主が何人かいる。
けれど、心もとない。
安定してダゴラドの触腕を減らすには、先輩レベルの火力を持つ刀剣使いが、せめてあと一人……!
「――くあ~……」
場違いな、欠伸が聞こえた。
ずりずりずり、と小さく何かを引きずる音を伴って、一つの足音が、背後から近づいてきた。
私たちは振り向いて、そして見る。
それは、長い白のツインテールを揺らす女の子。
白を基調とした改造セーラー服の上に、着る毛布を羽織っている。地面に引きずっているのは、その裾だった。
「よく寝ましたぁ……」
ダウナーなタレ目を、くしくしとこすり。
彼女は――雨矢鳥フランは、触腕の怪物を見上げていた。
「なんか、スッキリしましたねぇ……。一晩寝たら、いろんなことが……」
つい昨日まで怪盗側に寝返っていた裏切り者は、けれどぼんやりとした声で。
「――まあ、でも」
肩に羽織った毛布に手を掛ける。
「あたしも一応、配信者なんで。――利用されたままじゃあ、終われないんですよね」
毛布が脱ぎ捨てられ、宙に舞い、地面に落ちる。
そうして、初めて全身を露わにした雨矢鳥さんは、意外なものを腰に付けていた。
いつも眠たげな彼女とは真反対の――冴え冴えとした光沢を放つ、漆塗りの鞘。
「に……《日本刀》……!」
基本的に西洋的な世界観であるムラームデウス島には、本来存在しない武器。
ゆえにプレイヤーメイド限定アイテムではあるものの、決して珍しくはない。
けれど、……どうしてだろう。
セーラー服に日本刀を佩いたその姿には、ピンと張り詰めるような、静謐な存在感があった。
「チェリーさん……」
それを見ながら、氷室さんが言う。
「これで、足りましたよ。火力が……」
雨矢鳥さんは、ツインテールを柳のように揺らしながら、そっと柄頭に手を添えた。
それを見計らっていたかのように、ヒュンと一本の矢が飛来する。
オモチャのような、ハートマークの矢羽根が付いたそれは、雨矢鳥さんの肩に突き刺さったかと思うと、その身体を強化魔法の光で包み込んだ。
矢による魔法の遠隔発動。
振り向けば、あの媚び媚び女が、小さな弓を手にして親指を立てていた。
「ミミちゃん、ありがと」
友人にそう告げて。
雨矢鳥さんは、刀を鞘に納め、柄に手を添えたまま――腰を深く落とした。
――この構えは。
《居合い斬り》……!
刀剣武器の攻撃力が、鞘から抜いた一瞬だけ強化されるスキル《居合い》。
カタナ系の武器を専門とするクラスだけが、それをより上位のスキルに成長させることができる。
《居合い》よりもさらに大きなダメージ倍率を持ち、さらに、効果時間中に発動した体技魔法を、専用の剣技に変化させる――
「――――《雷轟》――――」
バヂィッ!! と。
覗いた鯉口から、稲光が迸った。
「――――《瞬刃》――――!!」
刀剣系武器の基本的な体技魔法《雷轟刃》。
それが、一瞬の間に、化ける。
迸った稲光は、そのすべてが斬撃だった。
ダゴラドがうねらせる無数の触腕が、一斉に麻痺して動きを止め、同時にことごとくが両断される。
雨矢鳥さん自身は、一歩も動かなかった。
それどころか、刀を鞘走らせた瞬間さえ、私は見ることが叶わなかった。
気付いたときには、稲光はすべて、漆塗りの鞘の中に戻っていた……。
なんという威力と、速さ。
普通じゃない。限界の限界までスキルの熟練度を高めなければ、これほどにはならない。
最前線で戦うフロンティアプレイヤーにさえ、これほどの《居合い斬り》の使い手がいるかどうか――
「テイムモンスターの力を借りていたにしても、たった二人で事もなくハレルヤ迷宮を攻略したのは、伊達ではありませんよ」
バチバチと稲光の残滓をツインテールに纏わせる雨矢鳥さんを見ながら、氷室さんが言う。
「この世界は、費やした時間こそが力になる。――あの人は、根っからのネトゲ廃人です」
雨矢鳥さんは白い髪を揺らして振り返り、ふにゃりと笑った。
「えへ。……昔、刀のゲームにハマってましてぇ」
ああ――
――いや、カッコいい風に言ってるけど、要するにオタクなだけでは。




