第251話 VS.夢幻深淵神ダゴラド&《赤統連》第六席・虚面伯 - Part2
夜の校庭に聳え立つ怪巨人が、無数の触腕を振り上げる。
隙間のない絨毯爆撃のようでいて、それにはわずかに間隙がある。俺とチェリーは、それぞれ瞬時にそれを見抜き、叩きつけられる触腕の隙間に潜り込んだ。
「――先輩。このリーチでは《聖杖再臨》は使えません」
「わかってるよ。《魔剣再演》も、この手数が相手じゃゴリ押しは無理だ」
粉塵に視界を塞がれる中、轟音の隙間を通すように言葉を交わす。
チェリーの切り札・《聖杖再臨》のサポートを受けて、俺の切り札・《魔剣再演》で削り切る――それが俺たちの、いざというときの必勝パターン。
だが、俺たちの切り札には大きな弱点がある。
《聖杖再臨》は使用中に移動が不可能になるし、《魔剣再演》も技を使いすぎればあっという間に効果時間を消費してしまう。対してこの触腕は伸縮自在で後衛に手を出しやすく、斬り飛ばしても再生するためゴリ押ししようとしてもジリ貧になる。相性の悪い相手だ。
だったら、どうするか。
時間はたっぷりあった。俺もチェリーも、答えはとっくに出ている!
粉塵を突っ切って、俺は跳んだ。
触腕の半数近くが振り下ろされた状態で、ちょうど地面を這っている。俺はその上に乗り、駆け上がり――目指すは、そう、《ダゴラド》の頭上にいる虚面伯――!
「ふふ――思ってたよ、そう来ると」
触腕の上からこちらを見下ろす赤髪の女が、余裕ぶった笑みを浮かべる。
直後、残されていたもう半数の触腕が攻撃態勢に入った。
今度こそ絨毯爆撃。覆い被せるような飽和攻撃で、俺を叩き落とすつもりだ。
ああ――思ってたぜ、そう来ると。
「―――《天下に這い出せ 群成す雷》―――!!」
チェリーの詠唱が朗々と響いた。
「――――《ボルトスォーム》――――ッッ!!」
蛇のようにのたくる大量の稲妻が、夜の校舎を白く染めながら撒き散った。
だが、決して野放図ではない。それらはひとつひとつ、正確に触腕を射貫き、その動きを麻痺させる。
タコに似た吸盤の通り、《ダゴラド》の身体は水属性だ。ゆえに雷撃の通りはすこぶるいい。ほんの3秒ほどではあるが、触腕の動きを止めることができる……!
攻撃の途中で硬直した触腕は格好の足場だった。
俺はバチバチと帯電する触腕を次々と蹴り、ダゴラドの身体を駆け上がる。
さあ――怪盗さんよ。
初めて会ったのも、確かこんな高い場所だったな。
だが今回は、あのときみたいな逃げ道はない。
上には夜空、下にはチェリーを含むプレイヤーたち。
逃げずに向き合ってもらおうか――!
虚面伯が陣取る太い触腕の上に、俺は着地する。
挨拶なんてしなかった。
言葉の代わりに、剣がある。
俺の魔剣と、虚面伯の短剣とが火花を散らした。
間近に迫った怪盗女優の顔が不敵に笑う。
それは、ヴェールだ。
謎という名のヴェールが、こいつの本当の顔を覆い隠している。笑みという仮面を被せている!
素顔を晒すときだ、虚面伯……っ!!
「はッ――!」
ギャリリッ! と刃を滑らせて勢いを受け流し、虚面伯は漆黒のマントを靡かせながら距離を取った。
俺が改めて魔剣を構え直す一方、虚面伯は右手に持った短剣をだらりと下げる。
隙だとは思わない。武術的な構えを必要としないスタイルなんざ、この世界にはいくらでもある。
「ケージ君――聞くところによると、君はこのMAOで、最も速いAGIを持つプレイヤーだそうだね」
薄い笑みと共に繰り出された質問に、俺は集中を切らさないようにしつつ、
「さあな。比べたことがねえからわかんねえよ」
「このゲームのAGI――つまりスピードは、ある一定の数値を超えると制御さえ難しいものになる。ゆえに高レベルプレイヤーは、AGIにはあまりポイントを回さない。――しかし、その中でもトップ・オブ・トップである君は、AGI極振りのピーキーなビルドを好むことで有名だ」
「……何が言いたいんだよ?」
「僕は君に、レベルでは敵わない。けれど――僕のクラス・《怪盗》は、いわば《盗賊》の上位版でね――」
《盗賊》の上位版――ということは。
瞬間、虚面伯はスカートの左側を素早くめくり、左の太腿を露わにした。
「――AGIの数値に、なかなかの補正をしてくれるんだよ」
太腿には、武器を仕舞うホルスターがあった。
空だった左手で引き抜くのは、もう一本の短剣。
短剣の二刀流――ダブルダガー!
「スピード勝負と洒落込もうか、ケージ君?」
「……泣き言言うなよ? 怪盗女優」
虚面伯は悠然と笑み。
俺もまた、かすかに笑い。
そして、同時に詠唱する。
「捕まえてみたまえ!」
「第二ショートカット発動!」
――――《縮地》――――!!
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
《ジ・インフィニット・フェイス》から解き放たれ、元のアバターに戻った氷室白瀬は、戦場となった校庭に現着して真っ先に、それを目撃した。
「…………ぅあ…………」
それは、状況を忘れて見惚れてしまうほどの光景。
夜空をバックに。
おぞましい触腕を足場に。
二人の人間が、目にも留まらぬ高速で縦横無尽に跳ね回っては交錯する、およそ人智の及ぶものとは思えない戦闘だった。
「やっば! 何アレ! 完全に人間やめてんだけど! うひょあーっ!!」
一緒に来た千鳥・ヒューミットは興奮して騒がしいが、氷室は無言。
氷室白瀬は、ことゲームに関しては人より秀でた人間だった。
どんなに難しいゲームでも途中で挫けたことはないし、どんな対戦ゲームでもすぐにコツを掴み、全国でも高順位の実力を身に付けることができた。
そのゲームセンスがゆえに、デビュー1年以内にもかかわらず百空高校eスポーツ部のエースとなっているのだ。
そんな彼の目から見ても、その戦いは異次元だった。
いや、わかる。理屈はわかるのだ。
《受け流し》のスキルにより、交錯の瞬間には知覚が加速される。スローモーションになった世界で瞬時に周囲の状況を把握すれば、あれほどの非現実的な高速戦闘も可能となるのだろう。
だが、……『できる』と『やる』には、天と地ほどの違いがある。
頑張れば『できる』と思う。思うが……『やろう』とは思えない。普通はそうだ。そこには判断の壁があるのだ。
しかし、ケージにはない。
動画ではわからなかった。けれど、その戦いを生で見て、初めてわかった。
虚面伯に勝負を持ちかけられ、躊躇いもせずそれに乗った。そして、あの異次元の高速戦闘を難なくこなしている。その事実を見れば、瞭然なのだ。
ケージには、『できる』と『やる』の境目がない。
できると思ったことは、本当にやれてしまう。可能性という可能性の限界まで、一足飛びに辿り着いてしまう。
それが、ケージが『生まれる世界と間違えた』と言われる理由――そして、そのプレイに、見た者が惹きつけられてしまう理由なのだ。
――こんなことまでできるのか。
人間の、ゲームの可能性の先を、彼は見せてくれる。
だから、思わず目で追ってしまうのだろう。プロでも配信者でもない、彼のことを。
「……はは……」
「んえ? ……ムロっぺ、いま笑った?」
「笑ってませんよ。先輩が死んだわけじゃあるまいし」
「あたしが死んだときしか笑わないの!?」
なんとなく、わかった気がした。
天初百花を始めとして、百空学園にはMAOでの活動に積極的ではない配信者が何人かいる。
彼女たちは、わかっていたのだろう。
この世界には、飾りつけも演出もない、天然の才能がゴロゴロしている。そんな中に入っていけば、自分が埋没してしまうかもしれないことを。
新しい世界には、新しい役者が現れる。
そしてもはや、VRアバターで活動することは特別ではない。
Vtuberはどこまで行っても、2010年代に生まれた旧時代の存在だ。そんなものが今更のこのこ新世界に入っていったところで、時代の流れに沈むのみ……。
――ああ、けれど。
氷室白瀬にあったのは、諦観ではなかった。
胸の高鳴り。湧き上がる熱。
感動とも興奮ともつかない、モチベーションの渦。
僕らは、彼らと同じ世界にいるのだ。
生身の芸能人では無理だ。一介のゲーマーでも無理だ。
Vtuberという旧時代の、けれど新しい規格に対応できる存在であるからこそ、僕は彼らのような、選ばれし人間と同じ世界にいることができる。
面白い。
面白いじゃないか。
こんなに面白いことが、他にあるか!?
「――行きましょう、先輩」
総身に満ちる熱をクールなキャラの裏に隠し、氷室白瀬はスペルブックを開いた。
「虚面伯は必ずケージさんが倒します。僕たちはダゴラドがケージさんの邪魔をしないよう、ヘイトを稼いでおけばいい」
「ええー? 倒すって、PK不可能じゃないっけ?」
「レッドネームの虚面伯が《法律》に守られるはずないでしょ」
「あ、そっか。ぃよーし!」
1日ぶりに自前の槍を構え、千鳥は後輩に指示を仰ぐ。
「それで、ムロっぺ! どうする!?」
「行け、先輩! 《雷針》だ!」
「あたしはポケモンじゃないってのーっ!!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
目まぐるしく戦況が変わり続ける、空中での高速戦闘。
たった一度の瞬きで置き去りにされかねない、戦闘機のドッグファイトのような戦いの中で、俺は虚面伯の動きを注視していた。
……スピードは想像以上だったが、アバターコントロールに長けていることは予想済みだ。でなければ、幾度となく俺たちの手から逃げおおせることは不可能だ。
だが今、こうして改めてその動きを観察してみると、かなり年季の入った技術であることがわかる。
――《リアルチーター》だな。
リアルでの技術をVRゲームに応用している連中。
純粋にゲームの中だけで体術を磨いた人間と、現実での体捌きを応用している人間とでは、上手く説明できねえけど匂いみたいなものが異なる。こいつはわかりにくいが、おそらく後者だ。
こいつはきっと、指先に至るまで、自分の身体がどう動いているかを明確に把握している。だから一挙手一投足に淀みがなく、そして目を惹くような華がある。それは、そう、まるで舞台に立つ女優のような――
このタイプは体技魔法のシステムアシストに任せた戦い方をしないから読みにくい。……だが、自分の身体を常にマニュアルで操作し続けるのは不可能だ。どこかにルーチン化された癖が必ずある。それこそが最大の弱点になると、自覚もできないままに……!
ヴァヂィッ!! と、ダゴラドの全身に紫電が走った。
地上の連中がやったらしい。雷属性の攻撃をクリーンヒットさせた……!
触腕が一斉に硬直する。それによって格段に足場が安定する。
――行ける。今だ!
固まった触腕に足を着けた瞬間、確信した。
観察によって見つけ出した、虚面伯の隙を突くときだと。
「おおおッ――――!!」
鋭く気勢を吐きながら触腕を蹴る。
両手に握るフレードリクを少し立てる。唐竹割りの構え。
虚面伯は俺の攻撃態勢に気付いている。左右のダガーを頭上にクロスさせ、衝撃を受け止めるため少し左足を下げる。
――そこだッ!
重心が左足に移るその瞬間。
その瞬間を狙えば、もう無理だ。
しゃがんで回避することは――!
俺は即座に、構えを薙ぎ払いに変えた。
「ッ!?」
虚面伯の首と胴体を泣き別れにするような斬撃。
本来なら身を屈めるなりすれば避けられるそれは、今この瞬間だけ必中――そして必殺の一撃となる……!!
「まっ――」
虚面伯の顔が、驚愕に目を見張りながらも獰猛に笑む。
「――ったくっ!」
瞬間、光に包まれた。
虚面伯の姿が。輝き。シルエットがおぼろになって。
次の瞬間、別人になっていた。
「あッ――!?」
光が消えた後に現れたのは、同じ黒セーラーを着た、小学生くらいの女の子。
――犬飼、れおな……!?
《万獣のタクト》の元の持ち主として、今も魔物たちを指揮してダゴラドと戦っている彼女と、寸分違わない姿がそこにあった。
驚愕で脳が白く染まる。しかし、そんなことはどうでもいい。本質的にもっと重要なのは、犬飼れおなの、その身長だった。
俺の攻撃は、身長160センチほどと思われる虚面伯の首に向かって繰り出したのだ。
だが、犬飼れおなの身長はそれより30センチほども低い。
ほんの少し頭を下げるだけで、俺の斬撃は空を切る……!
「へへへぇ~♪ ――なんてね」
ふわふわした笑顔が、不敵なそれに切り替わる。
鋭く伸び上がってきた足が、俺の顎をしたたかに蹴り上げた。
「がッ……!」
体勢を崩した俺は、本能的に足で触腕を蹴り、自ら落下することで追撃を避けた。
どうにか直下の触腕に片手で掴まり、突如として幼女化した虚面伯を見上げる。
「そんなに瞬時に変身できんのかよ……! 反則だろ!」
「よく言う。この高速戦闘の最中に人の細かな癖を見抜いてくるなんて、そっちのほうが反則だろう?」
未だ、虚面伯が他人のアバターに変身できるようになる条件はわかっていない。
だが、《万獣のタクト》が盗まれたときのトリックで、虚面伯は犬飼れおなに変身している。少なくともその条件を満たしていることは確実だ。
ダゴラドの麻痺が終わり、触腕が動き出す。
その動きの勢いを利用して、いったん虚面伯から距離を取りながら、俺は頭の端で考えた。
虚面伯が変身の条件を満たしている人間は、犬飼れおなの他にもいる――
「――この魔法は、完全詠唱のときとは違って強さまではコピーしてくれないんだけど。まあ、悪役らしくやってみようか?」
俺の思考でも読んだのか、虚面伯はからかうように笑いながら、再び光で全身を包んだ。
少し、身長が伸びる。
背中に長く髪が伸び、頭の両脇が小さく結ばれる。
光が消えたとき、そこには人形のように整った顔面があった。
あどけなく、だけど理知的で、世界を丸ごとオモチャだと思っていそうな小悪魔ヅラ。
服装は漆黒のセーラー服のままに――虚面伯は、チェリーに変身した。
「さあ、先輩?」
男女問わず、たっぷり10秒は硬直させそうな蠱惑的な笑顔で、そいつは言う。
「愛しい私が――斬れますか?」
「余裕だわ。ゲームだからな!」
あと、誰が愛しいって!?




