第250話 VS.夢幻深淵神ダゴラド&《赤統連》第六席・虚面伯 - Part1
あらゆる抵抗は潰えた。
あらゆる妨害は破られた。
時を追うごとに大きくなる振動。足の下より着実に迫り来るその異端神の存在を、百空学園に集ったプレイヤーたちは、不安と期待を胸に待ち構え、あるいは待ち望んでいた。
午後9時。
試算された到着予定時間、そしてプログラムで予告されたイベント開始時間と、1秒たりとも違わなかった。
このときを待って結成された即席レイド・パーティ、約30名。百空学園のファンと、野次馬的に駆けつけた戦闘マニアとで編成された最終迎撃部隊の前で、校庭の土が下から大きく盛り上がる。
まるで噴火の寸前だった。
だからプレイヤーたちも、直後に来た巨大な衝撃に、耐えることができた。
無数の土くれが舞い上がり、そして降り注ぐ。
夜空に舞い上がった粉塵に、異形の影が浮かぶ。
触腕の一本が、双月を掴むがごとく伸びた。
粉塵が切り裂かれる。
触腕が鞭のようにしなりながら地面を叩き、プレイヤーたちの足元を揺さぶった。
「――さあ、前説の始まりだ」
月光の中に、無数の触腕を備えた巨神が聳え立つ。
その頭上には、一人の少女の姿があった。
マントとスカートを夜風に靡かせ、血のように赤い髪を闇に冴え冴えと輝かせる。
異神という舞台に立った、怪盗女優。
「奪ってみせろ、観客諸君――真実は、僕の手の中にある」
「「「《オール・キャスト》!!」」」
《スペルブック》を手に取った魔導士たちが、一斉に唱和する。
続いて《ダゴラド》を取り囲むように溢れた光は、戦士たちを強化する支援魔法だ。
鬨の声代わりのそれらに応えるように、異形の神もまた動き出した。
無数の触腕がうねるように動く。と思った次の瞬間には、それらは黒い嵐のようになり、取り囲んだプレイヤーたちを薙ぎ払わんとした。
「退がれッ、退がれえーっ!!」
「巻き込まれるなっ!! 遠くから攻撃しろッ!!」
ハレルヤ迷宮内で幾度となくプレイヤーたちが退けられてきたその原因は、まさにその無数の触腕にあった。
伸縮自在ゆえの超リーチ。そしてとても捌ききれない数。
単純なプログラムに従って動き、パターン化も比較的容易だった野良の頃ならばともかく、今はそれらが人の――虚面伯の指揮に従って動くのだ。
無論、一定の攻撃パターンは見て取れる。しかし、どのパターンがどのタイミングで来るのかは、虚面伯の巧みな指示によってシャッフルされ、プレイヤーたちを幻惑し続けていた。
攻撃を躱しきるのは至難の業。
しかし、ならばとプレイヤーたちも考えた。
進行を押し留めなければならなかった迷宮内とは違う。ここは奴の目的地だ。これ以上の移動はない。そしてリスポーン地点から離れてもいない。どれだけこちらの戦力が削られようと、即座にそれを補充できれば問題はない……!
ピュイイイ――――ッ!!
どこかから、笛の音が高く響き渡った。
満天の星が煌めく夜空を見れば、その正体がわかる。星の光を、大量の怪鳥の影が遮っているのだ。それらは編隊を組み、巨大な翼で夜気を切り裂きながら、海面の魚を狙うかのように滑空してくる!
「行っけえ~! 行け行け行け~っ!!」
とりわけ大きな怪鳥の背に乗り、怪鳥の編隊を指揮しているのは、魔物園の主である学園生・犬飼れおなであった。
本来の《万獣のタクト》の持ち主である彼女が、MAO最大級のテイム戦力を解放したのである。進軍が制限される迷宮内では大戦力の投入は難しかったが、開けた地上ならば、彼女が貯めに貯め込んだテイムモンスターたちを容赦なく動員することができる。
甲高い笛の音と共に滑空する怪鳥たちが、バリアのように張り巡らされた触腕に着弾しては、その一部を食い千切っていく。
上空からの攻撃に気を払わなくならなった分、触腕による地上への攻撃は厚みを薄れさせ、前衛職プレイヤーたちが接近する隙ができた。
「うおらあーっ!!」
「どけどけどけどけどけぇいッ!!」
強化魔法のエフェクトを棚引かせるウォーリアたちは、あたかもブルドーザーのよう。
振るわれる触腕を巧みに躱し、あるいは弾きながら、その奥に隠れる本体に取り付いた。
剣が、槍が、触腕の根本に食いついた瞬間、誰かが喜色を湛えて叫ぶ。
「減った! 減ったぞッ!!」
夢幻深淵神の頭上に表示された、三段にも及ぶ体力ゲージ。その一段目が減少したのである。
これまでの迷宮での戦いでは、ただこれだけのことにさえ多大な犠牲を払っていた。
しかし、今はどうだ。陣形は維持されている。戦力の損耗もない。
いける。
誰もがそう思った――だからだろう。虚面伯には、彼らの心が手に取るようにわかったのだ。
「上げて、落とす――脚本の基本だよ。もちろん、悲劇のね」
とある戦士系プレイヤーの背後だった。
人間の身長ほどもある大剣をダゴラドに深々と突き刺していた、男のすぐ後ろだった。
音もなく。
夜の帳が降りるように。
怪盗女優――虚面伯が降り立った。
男は、振り返れない。
それよりも早く、そっと冷たい手が、男が握る大剣の柄に触れたのだ。
そして囁く。
この世界で最も美しい、盗人の声が。
「確かに、頂戴した」
光のエフェクトが瞬く。
え、と男が目を見開いた瞬間には、大剣がするりと嘘のように、その両手から抜けていた。
代わりに、少女特有のしなやかな手が、柄を握っている。
虚面伯はずるりと大剣をダゴラドの身体から引き抜くと、赤いダメージエフェクトで宙に輪を描きながら、大剣の元の持ち主の首に向かって、その分厚い刃を叩き込んだ。
「がッ――」
致命。
時間にして、3秒とあっただろうか。
男の手から大剣が奪われ、男の首に返却され、その命さえ奪ってみせるまでは。
「えっ――?」
すぐ隣にいた片手剣のプレイヤーが疑問の声を上げたときには、すでに虚面伯は盗んだ大剣を放り捨てていた。
分厚い刀身が地面に突き刺さる。
と、その頃には、やはり赤髪の少女は獲物の背後に回り、そっと片手剣の柄を撫でながら、耳元で囁いているのだ――
「――確かに、頂戴した」
幾重にもなって散る真紅のダメージエフェクトは、まるで彼女のダンスを飾り立てているかのよう。漆黒のマントとセーラー服で、夜闇に溶けているはずの彼女の姿が、ポリゴンの血風によって露わとなる。
「ぶっ……武器がっ! 武器が盗まれるっ!!」
「《窃盗》スキルだ! レベルの低い者は退がれッ!! 《窃盗》の成功率はレベル依存だッ!!」
歴戦のMAOプレイヤーは、さすがに対応が早かった。
レベル100以上のプレイヤーを前衛に出し、虚面伯の窃盗戦術を予防せんと試みる。
しかしながら、その交代の隙、攻撃の間隙こそが、虚面伯の求めたものだった。
「ふふ……」
マントを翻し、怪盗が高く舞い上がる。
直後、その残像を掻き消すかのように、触腕が薙ぎ払われた。
交代しようとしていた前衛プレイヤーがまとめて弾き飛ばされる。それによって、後衛に控える魔導士たちの壁が失われた。
「人狼ゲームはやったことがあるかい?」
触腕の上に着地した虚面伯が、歌うように語る。
「果たして人狼は、勝利するために誰を真っ先に食い殺すべきか。占い師? 狩人? 違うね。みんなわかってる。ゲームだから遠慮しているだけで、本当に殺すべき人間は最初から決まってる。つまり――」
触腕が振り上げられた。
そのおぞましい凶器が狙うのは、先ほど即座に《窃盗》スキルへの対策を示した、一人の魔導士プレイヤーだ。
「――最も頭の切れる者を殺す。そうすれば後は、愚かな村人が群れるだけ」
触腕が、闇を轟然と断ち割った。
即席で組まれた烏合の衆にとって、知識と経験、そして判断力を兼ね備えたプレイヤーがいかに希少か、語るまでもない。いかにリスポーン地点が近いといえども、復活してくるまでには数分のラグがある。たかが30人ぽっち、その間に蹂躙することは容易いことだった。
そう、誰もがわかっていた。
だから――その二人にも、容易く予想が可能だった。
振り下ろされた触腕が、瞬く前に斬り飛ばされる。
「――え?」
「んあ?」
「うえっ……?」
突然の事態に、プレイヤーたちの多くが呆気に取られ、間抜けな声を漏らした。
斬り飛ばされた触腕が夜空に舞い、ポリゴンの欠片となって消え散る。
その代わりに軽やかな音を立てて着地したのは、一人の少年だった。
全身から強化魔法の光を立ち昇らせ、右手には一振りのバスタードソード。
戦場らしくもない学ラン姿なのは、今回は飽くまで百空学園の側に立って戦うという意思表示なのか。
決して凛々しくはないゲーマー然とした顔に、しかし稚気と戦意を織り交ぜた不敵な表情を貼りつけて、少年は神の上に立つ怪盗を見上げていた。
「遅刻して悪かったな。まだ席は空いてるか?」
虚面伯は悠然と微笑んで、
「心配はいらない。VIP席を用意してるさ。――二人分ね」
直後、虚面伯は不意にジャンプし、他の触腕に飛び移った。
それと同時、虚面伯がいた場所を稲光が貫く。
雷撃魔法による不意打ちだった。
それを放ったセーラー服の少女が、姿を紛れさせていた人垣の中から現れて、少年の隣に並び立つ。
「さすがにバレますか。……ま、こんなので終わってもらっちゃ、配信映えしませんしね?」
「もう配信者気取りかよ。このミーハーが」
「先輩だって、やけにカッコいい登場だったじゃないですか」
「あれは魅せプレイっつーんだよ。ゲーマーの嗜みだ」
ただ二人。
30人以上集まっているところに、ただ二人増えただけで、まるで空気が変わった。
なぜなら、MAOをプレイする者なら誰でも知っている。
数多のクロニクル・クエストをクリアに導き、冗談でも誇張でもなく、幾度となく世界を救ってきたこの二人のことを。
少年が携える剣は《魔剣フレードリク》。
少女が携える杖は《聖杖エンマ》。
もはやこの世界において、伝説となりつつある二つのユニークウエポンが、一人の怪盗に差し向けられる。
「さあ――」
「――一緒に遊びましょうか、泥棒さん?」




