第248話 どこまでが現実で、どこまでが虚構で
「《ウォルドーラ》!」
「《ギガデダーナ》!」
チェリーが唱えた水属性魔法に、俺はすぐさま雷属性魔法を合わせる。
渦を巻いた水にモンスターどもが巻き上げられ、紫電がその内部を駆け巡る。二つの魔法の威力に加え、感電ダメージが発生し、モンスターの体力ゲージを大きく奪い去った。
雷の流れた水流はすぐに消え去るが、モンスターは麻痺状態でしばらく動けない……!
「会長っ!!」
「やあああっ――――!!」
氷室の号令に応え、天初百花が勇ましい声を上げて、奥義級体技魔法《鳥嵐烈閃》を放った。
翼のように広がった風が無数の刃となり、痺れたモンスターたちに殺到。直後、ロケットのように撃ち出された天初が、トドメの一撃を加える。
激しい衝撃が撒き散り、山のように積み重なったモンスターが一斉に宙を舞い、……そして、紫色の炎に包まれて、消えていった。
「今ので最後……ですね?」
「オッケー! みんなお疲れーっ!!」
チェリーの確認に、千鳥が元気よく答え、俺はようやく構えを解く。
俺の身体に入ったUO姫が、へたりとその場に膝を突いた。
「ひいっ……ひいいーっ! し、死ぬかと思ったぁ……」
「実際、何回も死んだでしょう! 何度防御をミスったら気が済むんですか!」
「だってぇ! 前衛は庶民の役目なんだもーん!」
「いや、俺のHP管理がずさんだった……。悪かったな、何度も死なせて」
俺が手を差し伸べると、UO姫は俺を見上げて、
「うぇ、ぇへへ……そ、そんなことないよぉ……。け、ケージ君は、ちゃ、ちゃんとやってたと、お、思うよぉ……?」
「……お前、そういう喋り方をさせる側の人間なんじゃねえの?」
「虎の威を借る狐ならぬ、美少女の威を借るオタクですね」
「仕方ないじゃん!! オタクなのは!!」
UO姫を立ち上がらせ、みんなで消費した物資をチェックする。
……厳しいな。特に回復系のアイテムが底を突きかけている。
人工的にレベリングされたモンスターは通常よりずっと強い。それを野生に戻し、けしかけられたのだ。MAOにテイムという概念が実装されてから存在する、最も強力なPK方法の一つである――全滅しなかっただけマシと思うしかない。
「ですが、代償として虚面伯と雨矢鳥さんは、戦力の半分を失いました」
チェリーが言うと、天初がうなずく。
「次の階層――第12階層は、シンプルなモンスター系の階層……ひたすらモンスターと戦い続けるダンジョンだよ。ここで半分も戦力を持っていかれたのは、きっと痛いはず」
「攻略も遅くなるはずじゃんね! きっと追いつけるって!」
千鳥は明るく言うが、相方の氷室の表情は硬い。
俺も、楽観的なことは言えなかった。
何せ俺たちは戦力になるテイムモンスターさえ連れていない。生身の人間だけなのだ。
それでも一時的にせよ追いつけたのは、行軍速度の差だろう――特にこの階層《階段》のような単純なマップであれば、大所帯の向こうのほうが確実にスピードが落ちる。
裏を返せば、攻略速度において俺たちが勝っているのは、その一点だけなのだ。
だとすれば。
戦闘が主になるという次の階層で速度に優れるのは、果たしてどちらか――
「……話し合っている時間もありません。一刻も早く、次の階層に進みましょう」
チェリーは開かれた大扉を見上げる。
城門のような大扉の中には、闇のようなものが渦巻いている。この先が、この《ハレルヤ迷宮》の実質的最終階層――
「……そうだね。行こう」
剣の柄を強く握り、天初は言う。
「第12階層――《神殿》へ」
薄暗く。
薄黒く。
毒々しい色の石材で組まれた、謎の神殿。
各所には形容しがたいキメラのようなモノの彫像があり、死亡エフェクトを想起させる青白いかがり火にぼんやりと照らされている。
床には血のように赤い絨毯が敷かれ、俺たちの足音を吸っていた。
そして、部屋を進むごとに、ローブで全身を覆った《地底の狂信者》なるモンスターが現れ、俺たちの行く手を塞ぐのだ。
第12階層《神殿》。
ここは、今までの異空間めいた階層とは、明確に雰囲気が異なっていた。
何せ、明らかに人工物。
第7階層のSF的なものとも異なり、原始的で、異端的で、秘匿的な建造物。
こんなものがあんな異空間の先にあるってだけで、充分に意味深で、充分に不気味だ。
改めて、ここはどういう設定のダンジョンなんだ?
本当に神殿なのだとしたら、何を祭っている?
ムラームデウス島とは、《旧き存在》の骸。だからその地下は神の領域と言える。
だとすれば、地下深くに潜むボスモンスターとは……?
「――きゃあっ!」
前衛のUO姫が、敵――《狂信の残影兵》の剣に押され、バランスを崩した。
防御姿勢が崩れる。どころじゃ済まない。ただでさえ慣れない身体で、ステータスに合わない防具を着けているUO姫は、その場で尻餅を突いてしまった。
にもかかわらず、ヘイトは彼女に集中している。
ここまでの道中でも何度もあった、UO姫の死亡パターンだった。
UO姫は自分に向いた敵意の瞳を見上げ、
「……あ、終わったぁ。みんな、ミミのことは置いて先に……!」
「わかりました!」
「それじゃあな!」
「ちょっとは助けようとしろお――――っ!!」
叫びが敵の魔法の爆風に消えた。
あとには蘇生待機状態の魂が残るが、それは敵の群れのド真ん中にある。蘇生させようと駆け寄れば、瞬く間にその隙を突かれてしまうだろう。
「くっ……! これでは助けようにも……!」
「UO姫……いい奴だった……」
「ちょっとミミさんが可哀想じゃないかなあ!」
別の場所で《狂信の残影兵》と鍔迫り合いながら、天初が叫んだ。
今までは、あらかたモンスターを蹴散らした後に蘇生させていた。……だが、もう蘇生アイテムには余裕がない。MPにしてもそうだ。
これ以降は、トリアージが必要になる。
より有効な戦力に、より多くのリソースを注ぎ込む必要が。
UO姫は慣れない前衛でよく頑張ってくれた――しかし、いったんここでおさらばだ。
「余裕といえば、もう時間の余裕もありません」
槍で敵を牽制しながら氷室が言う。
「そろそろ雨矢鳥先輩たちがボス階層に着く頃です。この際、安定性は捨てましょう」
「あんていせい? ってどゆことー?」
「お得意のゴリ押しを解禁すると言っているんですよ、千鳥先輩」
「え? マジ? ぃよっしゃあーっ!!」
言うが早いか、千鳥は何も考えずに魔法をぶっ放し始めた。
それを見た氷室は俺たちに振り向いて、
「というわけで、あのゴリラに暴れさせておくので、群がってきた敵をお二人とも、よろしくお願いします」
「そちらのほうこそ扱い酷くありませんか……?」
「百空学園、ブラックじゃねえ?」
「ひ、氷室くんだけだから……たぶん……」
相変わらず緊張感がないように見えるが、……これでも、焦っている。
しかし、なんでだろう。焦りと同時に、どこか緩んだような気持ちもあるのだ。
なんというか、……そう。
どうせこうなると、わかっていたかのような。
あの泥棒を、《怪盗女優》と人は呼ぶ。
女優とは、舞台に立つ者。物語を演じる者。
舞台には、脚本があるものだ。筋書きがあるものだ。
だからきっと、もうすぐわかる。
どこまでが虚面伯の脚本なのか。
どこまでが現実で……どこまでが、虚構なのか。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
『やあ、諸君。何時間ぶりかな?』
『よくこの配信に気付いたね。《ジュゲム》は飛ばしていない。音声のみの配信だ。フランちゃんも、僕がこうして音声を垂れ流しにしていることは知らない。言ってはいけないことを言ったりしないかとヒヤヒヤしたよ。大して仲良くないのが幸いしたかな?』
『結論から言おう。君たちは間に合わなかった。もはや僕たちは、最深部の目と鼻の先まで来ている。仮に今この瞬間に追いつかれたとしても、ボスを倒してその持ち物を検めなければならない君たちと、ただボスを解放するだけでいい僕たちとでは、難易度が異なりすぎる』
『けれど、嘆くことはない。ゲームオーバーはまだ先だ。天に百花が咲く頃に――幕を開けるのは明日になる』
『だから一日、君たちには考えておいてほしいのさ。僕は明日、何を盗むつもりなのか? 僕は結局、何をしたかったのか? そして、この迷宮の最深層に眠っていた真実とは何か?』
『探偵役は優秀だったよ。僕が張った伏線を、彼女たちは丁寧に配信に載せてくれた。だからきっと、君たちにも彼女と同じ答えに至ることが可能なはずだ』
『真実に至るピースは未だ、ひとつだけ欠けている。取りも直さず、今、僕たちが争奪しているそれだ。けれど逆に考えれば、今はまだ自由なのさ。真実という枷に囚われない、自由な想像が君たちには許されている』
『考察、推理、杞憂――すべて君たちの自由だよ。その旅にも似た自由な思考が、明日という日に素敵な魔法をかけるだろう』
『……不思議な気持ちだね。解決篇があることがわかっている犯人役なんて。でも、抵抗くらいはしてみせるさ』
『何をする気だって? それを言っちゃあつまらない。パンフレットでも読みながら、幕が上がるのを楽しみにしてくれたまえ』
『それじゃあね、探偵諸君――きちんと、僕を丸裸にしておくれよ?』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
MPを惜しまず。
最大火力を叩きつけ。
最短最速で、狂信者たちが湧き出る部屋を、すべて駆け抜けた。
第12層のゴール。
第13層の入口。
ボス階層に続くその場所は……ここに来て、ただの階段だった。
幅の広い大階段が、真っ黒な闇に呑まれている。
俺たちはそれを見下ろして、すでに虚面伯の姿も、雨矢鳥フランの姿もないことを確認した。
もはや、闇を恐れている余裕もない。
無言で覚悟を固めて、階段を駆け下りた。
そして――
《神殿》と、あまり雰囲気は変わらなかった。
ただ、長い通路がある。
不気味な青白いかがり火に照らされた、長い長い通路が、まっすぐに伸びている。
それを走り、走り、走った。
5人分の足音だけが、長く反響していた。
静かだ。
あまりにも、静か。
遠い地上に、音さえも置き去りにしてしまったかのように。
モンスターも出ない。
トラップもない。
通路は何事もなく終わり、……その終点に、深い大穴があった。
まるで、世界の底だ。
これ以上の『下』は存在しないと、そう主張してくるような、底なしの深淵だった。
その淵に。
二人の少女が立っている。
「……遅かったですね」
天初百花の黒髪を翻し、雨矢鳥フランが振り返る。
その瞳には、決意でもない、敵意でもない――ただ、勝者の輝きだけがあった。
「おいで」
彼女が告げた直後。
深淵の底より、無数の触手が伸び上がった。
巨大なイソギンチャクのようなそれを、俺たちは見上げ、慄き、武器を構えながら、一歩後ろに退がる。
触手……? いや、あれは触腕と言うんだったか?
吸盤が付いているのだ。てらてらと輝き、うねうねと揺らめく細長い管が、無数の吸盤を備えているのだ。
タコ。
いや、タコに似た何か……いや、いや。
タコのほうが……この『何か』から生まれた、進化の末端でしかないかのような。
本体があった。
穴に引きこもったウツボのように、無数の触腕の奥で、瞳を光らせていた。
それは……タコと人間を混ぜ合わせたような、巨大な怪物。
いや、ネームタグにはこうあった。
――《夢幻深淵神ダゴラド》。
「か……神……!? こんな気色悪いのが……!?」
チェリーが顔を歪めながら呻いた。
それも無理はない。MAOはプレイヤーに配慮して、例えば虫などの、多くの人間が本能的に嫌悪するモンスターは出さない方針を取っている。フルVRでは嫌悪感も普通のゲームの比ではないからだ。
しかし、……こいつは。
ともすれば、その方針の外側にいるものかもしれない。
モチーフは、明らかにクトゥルフ神話の神々だ。それはわかっている。わかっているのに、……この形容しがたい、脳を直接ヌメヌメした舌で舐められるような、生理的な嫌悪感を抑えきれない……!
「……1年前、あたしは見ました」
平然とした顔で、その外法の神を背後に従えて、雨矢鳥フランは天初百花を見据えた。
「ここで京せんぱいが百花せんぱいを殺し、この子が京せんぱいを殺した。そして残った短剣を、この子が拾っていった……」
天初が、痛みをこらえるように唇を引き結ぶ。
「京せんぱいが、どうして百花せんぱいを殺したのか。……あのときの真実が、この子が持つ短剣に眠っている。そうでしょう?」
雨矢鳥が手を伸ばすと、ぬらぬらと光る触腕が一本伸びてくる。
まるで、犬がお手をするように――
「あたしは――その真実が、知りたかったんです」
インベントリを開こうとしているのだ。
あの神の中から、晴屋京の短剣を取り出そうとしている……!
「やめてっ、フランちゃん――!!」
それでどうなるのか、俺にはわからない。
真実が明らかになることで何が起こるのか、俺にはわからない。
それでも、俺は動こうとした。
雨矢鳥フランが真実を手にするのを、止めようとした。
どうして?
わからない。
しかし、俺はそれが勝利条件だと、本能で理解していたのだ。
だから――
「残念ながら、まだ早い」
「え?」
誰もが虚を突かれた。
俺も、チェリーも、天初も、氷室も、千鳥も。
そして――雨矢鳥も。
ただ一人、虚面伯だけが、超然と佇んでいた。
その手に、雨矢鳥が持っていたはずの、《万獣のタクト》を握って。
「使役モードのスイッチを入れるには、天初百花の顔が必要だった――けれど、その後の制御でまで必要だとは言っていないよ、フランちゃん」
赤髪に黒セーラーの怪盗は、握り締めた《万獣のタクト》を掲げ、
「確かに、頂戴した」
決まり文句と共に、光のエフェクトを瞬かせた。
《窃盗》スキルの発動――
雨矢鳥から、タクトの所有権を奪い取った……!?
「ど……どういうことですか。1年前の真実を明るみにするって……!」
「そんなことは言っていないよ。だって――そうだろう?」
雨矢鳥に詰め寄られ、それでも虚面伯は、世界を騙すように笑った。
「僕は、怪盗だ。――だから、真実だって盗んでみせるのさ」
《ダゴラド》が……《夢幻深淵神》が、動く。
無数の触腕の一つが鋭く振るわれ、雨矢鳥を薙ぎ払った。
「うあっ……!?」
「フランちゃん!」
力なく床を転がり、壁に激突した雨矢鳥に、もはや虚面伯は興味を払っていなかった。
雨矢鳥の手を取るために伸びたはずの触腕に、黒セーラーの女はひらりと飛び乗る。
そして、自身を高くまで持ち上げさせ、俺たちを見下ろすのだ。
「さて、諸君。言っておくけれど、戦うのは推奨しないよ。こいつは《神》だ。人が定めたルールになんて従わない――つまり」
PK禁止の《法律》には縛られない。
野生に介さずとも、明確な指揮でもって、俺たちを殺すことができる。
そう言いたいんだろ。わかってる。だが――!
いつもならこの瞬間、俺が、チェリーが、何か言い返す場面だった。
だが、今回限りは、この場限りは。
より適切な役者が、他にいた。
「返してよ!」
天初百花が叫ぶ。
怒るように、請うように。
届くはずのないものに、手を伸ばすように。
「返してよ……! その子を……京ちゃんの剣を! それが……それがないと!」
「取り返してみたまえ」
対して、虚面伯は冷たく告げた。
「欲するのなら。取り返してみろ、天初百花――そのために、君はそこに立っているんだろう?」
天初は、唇を引き結ぶ。
拳を握り締める。頬を震えさせる。
――けれど、それ以上は何も言わず。
ただ、虚面伯を睨み上げた。
ああ、それでいい。
戦う意思があるのなら、俺たちは手を貸そう。
これは――そういう脚本なんだろう?
俺も、チェリーも、氷室も、千鳥も、無言で天初の隣に立つ。
虚面伯は俺たちを、薄く笑みを浮かべながら見下ろしていた。
勇者を出迎える魔王? ……いいや。
それはまるで――舞台の開演を前にした、一人の観客のよう。
「人を一人も殺さないブラッディ・ネーム。それが僕の売り文句だったけれど――それも、今日をもって終わりとしようか」
たぶん、誰もがわかっていた。
少ない物資。慣れないアバター。アンバランスなパーティ。
これらを考えれば、答えなどわかりきっていた。
「さあ、続けるために地にひれ伏せ――負けイベントの始まりだ」
今日、俺たちは勝てない。
明日のために、ここで死ぬ。
先週はお休みしてすいません。
定期更新がないときは、カクヨムでやっている中学生編が動いているかもしれないので、
チェックしてみてくださると幸いです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893019483




