第247話 全部を知るまで終われない
「押すなよ、絶対押すなよ!」
「押しませんよー」
「絶対だからな! 絶対に押すなよ!」
「押しませんってー」
「フリじゃないからな! マジのガチで絶対の絶対に――」
「えい」
「うおわああ!?」
「ぷふっ! あ、すいません。手が当たりました」
「フリじゃないって言ったろお前ええ!!」
「はい、そこー。配信者よりもコントしないようにー」
第10層《逆山》も佳境に入っていた。
頭上にグツグツとマグマが煮えたぎる火口を崖に沿って下っていく。
眼下には無窮の空。足を滑らせたらジ・エンド――ムジュラの仮面に出てくる神殿のように、空に向かって真っ逆さまだ。
先を行く天初百花が振り返り、
「もう少ししたらゴールだからね。みんな頑張ってー!」
「ですって、先輩。頑張ってー」
「お前のは全然心が籠もってない!」
ジップラインの活躍もあって、ここまで一人の脱落もなく進んでくることができた。
氷室曰く、この層が終わればもう即死要素はないという。代わりにモンスターの攻撃が激しくなるそうだが――
「――あっ。来てる来てる! 《バッデスト・バット》だ! 気を付けてください!」
先頭の氷室が注意を促したのは、鷹ほどもある巨大なコウモリだ。
そいつらはバッサバッサと群れを成してやってきて、細い崖道を進む俺たちにたかってくる。
「このっ!」
結局、弓を諦めて杖に持ち替えたチェリーの《ダイホウカ》が、コウモリの群れを追い払う。
第10層は道中、普通に出てくるモンスターも強力だが、何より厄介なのは、こうした不安定な足場のときに妨害してくる奴らだ。何せ大したことのない攻撃力でも簡単に即死させられてしまう。実際、血気はやった千鳥・ヒューミットが、何回か落下しそうになっていた。
「いい調子だね。ここまで脱落者なしなんてそうそうないよ」
「そうですね。やっぱりケージさんとチェリーさんの適応力がずば抜けてます。伊達に最前線で戦ってません」
「ま、まあななな。く、クロニクル・クエストは、いつも初見クリア前提だからななななな」
「震えながらイキっても意味ないですよ先輩」
かくして、どうにかこうにか第10層の最下層――逆さまになった山の頂上に辿り着いた。
当然、頂上には地面がない。だが代わりに、ドーナツ状に浮かんだ雲が俺たちの足場になった。
中心の穴から下を覗けば、空の真ん中に闇が渦巻いているのが見える。まるで栓の抜けた排水口のように、それは空を吸い込んでいた。
「本来はここで階層ボスと戦うんですが、やっぱり今回もスルーできるみたいですね」
「先を行ってる二人が倒したってことかぁ。ちょっと欲求不満」
氷室が辺りを見回して言い、千鳥が頭に手を置いて不満そうに言う。
本来、各階層には階層間を守るボスがいる。しかしここまで、俺たちは一度もそいつらに道を阻まれたことがなかった。
理由は考えるまでもなく、先を行く虚面伯と雨矢鳥フランが倒しているからだ。階層ボスは、倒されると一定時間経たなければ復活しない。
「逆に言えば、階層ボスに当たったら追い抜いてるってことになりますよね」
チェリーが言う。
「ボスが出てきたら即、取って返して二人を探すことになりますから、結局、階層ボスの相手をすることはないんですかね」
「えー? そっかぁ……」
「でも、そのおかげでだいぶ物資が余ってますんで、11層と12層は好き放題暴れてもいいですよ、千鳥先輩」
「マジ!? やったー!」
戦闘狂なのか? このギャル……。いや、今の見た目は眼鏡イケメンだけど。
「じゃあ次に行きますよ。真ん中のブラックホールみたいなやつに飛び込んでください」
「まともな階段はねえのかよ、このダンジョン……」
「きゃーっ! ケージ君怖い~」
「遅せえよ。いま思いついただろそのムーブ」
「さっさと行きますよっ!」
チェリーに背中を押され、絡みついてきたUO姫ともども、闇が渦巻く空の穴に落ちていく。
ハレルヤ迷宮第11層――通称・《階段》。
そこは、その名の通りの空間だった。
天も地もない闇の世界に、階段が無限に続いているのだ。
「ここは単純な謎解き系の階層です。あちこちにあるオーブを点灯させると、新しい階段が現れます。特定の組み合わせのオーブを点灯させることで、ゴールに続く道が現れるわけです」
踊り場の真ん中にある丸い球体に氷室が触れると、ぼうっと輝きを放ち、何もなかった場所に新たな階段が現れる。
「12層の前座みたいなものです。僕が道を覚えてますから、そう長くはかかりません。一気に駆け抜けましょう」
各々うなずいて、俺たちは階段を駆け上がった。
踊り場ごとにモンスターが現れたが、「うおっしゃー!!」と千鳥が魔法をぶっ放して蹴散らした。
モンスターのタイプは鎧型が主だ。物理よりも魔法のほうが効くタイプ。だから千鳥の適当ぶっぱでも充分有効に働いた。
「うひゃっひゃっひゃ! きんもちいいーっ!! ウィザードに転向しよっかな、あたし!」
「絶対やめてください、トロール先輩」
「誰がトロールだあ!! リスナーみたいなこと言いやがってこの後輩はー!!」
次々と迷いなくオーブを光らせていく氷室を追いかけて階段を走っていると、自分が上っているのか下っているのかもあやふやになってきた。
12層の前座みたいなもの、と氷室は言ったが、初見の手探りで攻略していたら、だいぶキツい階層だったんじゃないだろうか。
何せ風景が変わらないからな……。俺はすでに、自分がどこにいるのかまったくわかってない。
「……ここなら、いくらでも隠れられるかもしれませんね」
走りながらチェリーが呟いた。
「そうか? 遮蔽物も何にもねえけど……」
「氷室さんだって、この複雑なマップのすべてを把握しているわけじゃないでしょう? ゴールに続く道順以外はわからないはずです……。そういう脇道に隠れられていたら、探すのは至難の業かもしれません」
「……確かにな。オーブを消しておけば、自分に繋がる道自体を消しておけるわけだし」
「階層ボスがいたらすぐに取って返しましょう――」
ゴールはあっという間に迫ってきた。
闇の世界に佇む、巨大な扉。長い長い階段の先に、それがちょっとずつ見えてくる。
しかし、その手前で――
「……!」
「誰かが、戦ってる……!」
響き渡る甲高い鋼鉄の音。爆発。怪物の雄たけび――
俺たちが階段を上り切ったとき、そこにあったのは、巨大な鎧にロボットのような兵装をいくつも取り付けた無人の門番が、バチバチと火花を散らしながら崩れ落ちていく場面だった。
その前に、少女が音もなく着地する。血のように赤い髪と、夜闇のように黒いセーラー服を翻しながら。
そしてその隣で、流麗な長い黒髪の少女がヒュンとタクトを振った。するとそれだけで、周囲に展開していたモンスターたちが、彼女たちを守るように参集する。
虚面伯。
そして、天初百花の姿となった雨矢鳥フラン。
二人は揃って振り返り、俺たちを視線で出迎えた。
「――やあ。遅かったね。待ちくたびれたよ」
薄く笑う虚面伯の手には、一振りの短剣が鈍く光を放っている。
仮に虚面伯が《盗賊》に連なるクラスの持ち主だとすれば、その系統はプリースト寄りのウォーリア系。戦闘専門職ではないが、搦め手が使える分、極めれば厄介な戦い方になることが多い。アバターを入れ替えられて対応力が落ちている今だと、ますます厄介な相手だ――
「フランちゃん……!」
「ちょっ、天初さん!」
警戒して身構える俺たちの前に、不意に天初が一歩踏み出した。
「なんでこんなことするの……!? 京ちゃんの剣を回収して、それでどうなるっていうの!? どうして置いておいてくれないの……!?」
チェリーは制止しようと伸ばした腕を、そっと下ろす。
見極めるのだ。ここで、雨矢鳥たちの立場を。
「……カメラ、回してますね」
天初の背後に浮かぶ《ジュゲム》を見て、雨矢鳥はかすかに笑った。
「配信上で言及した以上、もうどうせ止められませんよ、百花せんぱい。あたしは、終わらせたいんです。あんなに大好きで、毎回欠かさずラジオを聞いて、毎日配信を見て、ライブにだって行った……《晴天組》があった幸せな日々を、今度こそちゃんと終わらせたい」
「終わらせたい……って、京ちゃんはもう、1年も前に……」
「ねえ! みんなもそうでしょう!?」
天初ではない。
俺たちでもない。
彼女の叫びは、カメラの向こうにいる数万人の視聴者に向いていた。
「晴天組のおしまいに……あんなしこりが残っているのは、あたしは許せません! どうせ終わるなら完全に終わらせましょうよ! 余計なわだかまりも、疑惑も、都市伝説も、謎も! ひとつだって必要ない! たとえ、それで後悔するとしても……!!」
決然とした雨矢鳥の言葉に、天初は固まって、息を呑んだ。
そんな最愛の推しにして相方に、雨矢鳥は不敵に笑い、
「知ってるでしょう? あたし、途轍もない厄介オタクなんで――百花せんぱいの全部を知るまで、粘着し続けますよ」
あいつは本気だ。配信に合わせたロールプレイなんかじゃない。あれは、ナマの人間の、ナマの叫びだ。
もう、賽は振られてしまった。
この叫びが配信に載って何万人にもなる人間に届いてしまった。
雨矢鳥の言う通り、止めることはできない――すべてが明らかになる、そのときまで。
「――いつまで黙っているんですか?」
圧し潰されそうな雰囲気の中で、チェリーが天初の隣に並ぶ。
そう。誰もが気後れするこの空気の中でも、こいつだけは資格がある。
雨矢鳥の隣で沈黙を保つ、怪盗女優に対峙する役回りとして――
「そろそろ、そっちからも何かしらの声明があって然るべきでしょう? 怪盗さん――あなたはどうして、雨矢鳥さんに協力しているんですか?」
探偵と怪盗が対峙する。
片や厳しく見据え、片や飄々と笑い、
「解決篇にはまだ早いさ」
虚面伯は告げた。
「僕がどうして盗むのか? それはきっと、奪えばわかるさ。このダンジョンの最深部に眠る、お宝をね――だから探偵君、早まってくれるなよ? 『さて』と言うのは、確たる証拠が揃ってから。それがお約束というものさ」
「……わかっています。あなたがそんなに望むなら――突きつけてあげますよ。真実をね」
またこいつは、勿体ぶったことを言いやがって。
きっと、もう見えているんだろう、こいつには。この事件の全貌ってヤツが。
与えられた探偵という立場を全うするために、今は黙っているだけで。
虚面伯はちらりと天初を見て、
「天初百花」
「……うん」
「これは――君を羽ばたかせるための舞台だ」
「……っ……」
その瞬間、強張った天初の顔を、果たしてカメラは捉えただろうか。
虚面伯がマントを翻す。
「フラン君。手筈通りに」
「はい――半分は置いていきます」
雨矢鳥の手にあるタクトが――《万獣のタクト》が振るわれる。
それと同時、二人の周りを取り巻くモンスターたちの半数が、俺たちに敵意を向けた。
「PKは僕の主義に合わない」
重々しく開いていく大扉へ悠然と歩みながら、虚面伯は言った。
「だから、死んでくれるなよ? 探偵諸君――」
……はッ。
言われなく――
「てぇええりゃあッ!!」
――ても。
……って。
「千鳥先輩! 今のあんたは後衛ですよ!」
「あっ、やべ!」
千鳥の脳死突撃と共に、戦端は開かれた。




