第244話 昔のエルフが貧乳だった理由
《ハレルヤ迷宮》第8階層――
SF的な生産プラントから昇降機でさらに下り、ハッチじみた出入り口を抜けると、また暗い洞窟だった。
かがり火のひとつもないそれを、松明片手に用心深く歩きながら、氷室白瀬の説明を聞く。
「第8層の環境はこの迷宮でもトップクラスに厄介です。面倒なスキルを持っているモンスターが多いというのもそうですが、それよりも面倒なのは空気のほうです」
「空気……?」
「はい。端的に言うと毒が充満しています」
「うげ」
そんなこったろうと思った。
嫌な予感がしたんだよなー。必要なアイテムがあるとか聞いたときに。
「なので今のうちに、さっき配った防護マスクをちゃんと装備しておいてください」
うなずいて、俺たちはインベントリを開き、武骨なガスマスクを取り出した。さっきの生産プラントでしか作れない特別製だそうだ。
ガスマスクは顔面を丸ごと覆うタイプのもので、顔に付けるとかなり視界が制限される感じがした。
ファッション装備で上書きしておいたほうが良さそうだな。
MAOには実際に効力を発揮する装備と見た目に反映される装備を別個に設定できる機能がある。それを使って、顔の見た目装備を何も着けていない状態にして、ガスマスクを消した。
「おっ、そろそろ着くよー」
千鳥・ヒューミットの声に顔を上げると、洞窟が少し先で途切れていた。
出口だ。
あの先が――
「《ハレルヤ迷宮》第8層――通称・《奈落》です」
怪物の咆哮じみた風が、眼下から吹き上がってきた。
闇。
闇。
闇――
見下ろした先に満ち満ちたそれに、俺は思わず「うあっ」と呻いて後ろに下がった。
大峡谷だ。
切り立った崖に囲まれた、底なしの闇――
いや、よく見ると、あれは闇じゃないのか。
黒ずんだもや……ガス? あるいは瘴気、とでも言えばいいのか。
それが海のようにわだかまって、峡谷の底を覆い隠しているのである。
「やっば……これを降りるのかよ……」
「真っ暗なんじゃないですか? 下……」
「ひえ~っ……戦うどころじゃないじゃんあんなん」
そっと下を覗き込みながら怯える俺とチェリーとUO姫。
底は本当に真っ暗だ。視界が利くとは思えない。
「マスクをしていれば多少は大丈夫です。それでも灯りが欲しいくらいの暗さではありますが」
「足を踏み外さないようにね……。この階層でどれだけのライバーが闇に呑まれたか……」
「半分くらいは会長だけどねー!」
「四分の一くらいはあんたでしょう、千鳥先輩。何回繰り返しても横着してショートカットしようとするんですから」
天初、千鳥、氷室の3人は、慣れた足取りですたすたと坂道を下り始める。
何度も来て歩き慣れた道なんだろう。なかなかのスラム育ちだな、こいつら。
チェリーがいつもよりちっちゃい手で、くいっと俺の腕を引っ張る。
「先輩もダメですよ。ショートカットしようとしちゃ」
「しねえよ……。自殺だろこんなもん」
「そんなこと言って……戦闘になると忘れちゃうじゃないですか、そんなの。ちゃんと捕まえておきますからね、こうやって」
「いいって! 鬱陶しい!」
「……普段なら人の前でイチャつくなって思うところだけど、チェリーちゃんとミミの見た目でやられると、なんかすっごいドキドキする……」
先を行く氷室たちを追いかけて、俺たちも坂道を下る。
これも瘴気によるものか、そこらに生えた植物は地上のそれとは似ても似つかない。紫とか赤とか、色が全体的に禍々しいんだよな。
「この層のシステムは基本的にはモンスタートラップ系――一定の距離を進むごとにモンスターが湧いてきて、それを全部倒さないと先に進めないタイプです。なので戦闘はほぼ避けられません――防護マスクだけは壊されないよう注意してください」
「はいはーい! もし壊されたらどうなるんですかー?」
遠足のノリで手を挙げたUO姫に、氷室は振り返って、
「上のほうならSTRやAGIのデバフだけで済みますが、下のほうではHPもMPもゴリゴリ減って、視界は霞むわ身体は勝手に動くわエイリアンみたいなモンスターにかじられるわで、えらいことになります」
「うへえ……」
UO姫は嫌な顔をして手を下げた。
考えたくもねえな。まあ今回、俺は後衛だから、マスクがぶっ壊れるほど攻撃を受けることはないだろうが。
チェリーがポンとUO姫の肩に手を置いた。
「頑張ってくださいね、タンクさん」
「やーだー!!」
ぐずるUO姫をぐいぐいと前に押し出しながら、坂を下ること数十秒。
学園生組が、前触れもなく武器に手を掛けた。
天初百花は片手剣と盾を。
千鳥・ヒューミットはスペルブックを。
そして氷室白瀬は両手持ちの槍を手にして――
「――来ますよ」
前方と背後の道が、不意に植物のツルで塞がれた。
同時、地面の各所がボコボコと盛り上がり――!
俺とチェリーはUO姫の背中を押した。
「任せたぞ!」
「任せましたよ!」
「うえっ!? うえええ――っ!?」
UO姫を残して後ろに退がり、俺は《聖杖エンマ》を、チェリーはUO姫から借りたオモチャみたいな弓を手にする。
ええっと――思い出せ。チェリーはいつも、どうやって戦ってた?
「《オープン・ブック》!」
スペルブックを呼び出す。
最初のページに配置されているのは、基本的なバフ魔法が3種類――そう、まずはこれだ!
「《オール・キャスト》……!」
3種類の魔法が同時に発動し、6人の身体を光が取り巻く。
……うわっ、すっげ。3つも魔法使ったのに、MPが全然減ってねえ。
驚いているうちに、5匹のモンスターが地面から生え出していた。
ミュータントって言えばいいのか――二足歩行になって鱗がどす黒く変異したトカゲだった。
レベルは85~90ってとこか。普段なら相手にならねえけど……!
「先輩! 私と氷室さんにはDEXバフもお願いします!」
「あっ、そうか……!」
《オール・キャスト》で発動したのはSTR、VIT、MATのバフだけだ。
が、チェリーの弓と氷室の槍はDEXも火力に大きく関わってくる――強化するならそこまでやらねえと……!
急いでスペルブックのページをめくる。
ちくしょう、頭と手が忙しいな! モンスターを目の前にしてるってのに、考えることが多すぎる!
「来ます! 防御!」
チェリーが叫んだ瞬間、変異トカゲがキシャアッと奇声を上げながら飛びかかってきた。
前衛の天初が盾で防ぎ、氷室が槍で払い、そしてUO姫が悲鳴を上げる。
あの箱入り女、案の定まともに戦えてねえ。
「ヘイト! ヘイトちゃんと取ってくださいビビり女!」
「そんなこと言ったってぇーっ! ひゃあぁーっ!!」
重武装で無理やり遅くした足で、どたどたと逃げていくUO姫(俺のアバター)。
せめて盾を構えるなり剣を振り回すなりしろっつの!
「まったくもう……!」
チェリーがオモチャみたいな弓に矢を番え、弦を引き絞る。
今、チェリーが操っているUO姫のアバターは、矢を媒介にして魔法を遠隔発動させるという特異なスタイルだ。
魔法使いという点では元と同じなものの、果たして初見で上手くこなせるか……!?
「んっ……!」
引き絞った弓を、放す。
――と。
戻った弦が勢いよく、大きく前に突き出た胸に引っかかった。
「ふぎゃあっ!?」
チェリーは尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴を上げて、胸をぶるんぶるんさせながら地面に倒れ込む。当然、矢はあらぬ方向へピューっと飛んでいき、大峡谷の闇に消えた。
UO姫が変異トカゲから逃げ惑いながら、
「何してんの下手くそーっ!!」
「こっ、こんな胸で弓を使う奴があるかぁーっ!!」
チェリーは顔を赤くして叫び返した。
言われてみりゃクソ邪魔だわな……。そのうえ身長が低い=腕が短いから、身体から離して弓弦を引くのも一苦労だろう。なんつー不合理な戦闘スタイルなんだ。
こうしたグダグダは、俺たち以外にも起こっていた。
「えーっとえーっと、どの魔法だっけ……」
「ショートカットに入ってるって言ったでしょう先輩!」
「ちっ、千鳥ちゃんまだぁーっ!?」
氷室白瀬は元々魔法使いだったらしいが、天性のセンスゆえか、千鳥の戦闘スタイルが単純だったからか、割と簡単にアバターに適応できていた。
天初百花のほうは、入れ替わった雨矢鳥フランとはそこまでステータスに差異があるわけではなかったらしく、元のスタイルを貫いているので、戦闘にはさほど支障があるように見えない。
問題は、元々ゴリゴリの前衛、脳死ゴリ押しアタッカーだったという千鳥・ヒューミットだ。
千鳥が入れ替わった氷室白瀬は、スペルブックだけを手にして魔法で戦うという、何ともスタイリッシュな戦い方だったらしい。制服にパーカーという格好も相まって、なんかファンタジーっつーより学園異能っぽいと専らの評判だったそうだ。
が、今まで何にも考えずに槍をブンブン振り回していた千鳥に、そんな戦い方ができるはずもなく。
「あーっもうめんどくさい! 《ファラゾーガ》ーっ!!」
「うわっ、ちょお……!」
「あーっ! 会長が爆炎でぶっ飛ばされたーっ!!」
……ダメだこりゃ。
「配信的には撮れ高完璧でしたが、ちょっと考えませんかこれ」
心なしか焼け焦げた顔で、氷室白瀬は言った。
「《法律》でフレンドリーファイアが無効になってるとはいえ、ふっ飛ばされて谷底に落ちたら普通に即死なんですからね。わかってますか千鳥先輩?」
「わーかってるってぇ。そんな怒んなくてもいいじゃん」
「僕は常々不思議なんですよ。どうやったらそんなに考えることをサボって生きていけるのか。ねえ? 七の段言えますか先輩?」
「いや馬鹿にしすぎだし! なないちがなな、ななにじゅうし、ななさん……えー、じゅう――」
「21です」
「……い、今のはキミを試したのだよ、後輩」
「そうですか。では僕からも先輩を試させてもらいましょう。ライオンは子を千尋の谷に突き落とすといいますからね」
「ちょおーっ! ちょっちょっちょっストップストップ! 無理だからぁ! 今そっちのほうがSTR高いからぁ!!」
千鳥を峡谷に突き落とそうとしている氷室を後目に、天初が俺たちに目を向けて苦笑いする。
「いやあ、思ったより大変だね。わたしはいつもの武器が使えてるから割と平気だけど……」
「ほんとーだよ!」
俺の顔でむくれて腕を組むUO姫。キショい。
「ミミはめっちゃ狙われるし、チェリーちゃんはミミのカラダで勝手にサービスシーンするし、ケージ君はチェリーちゃんとイチャつくたびにTS百合がアリかナシかでコメント欄荒れさせるし!」
「あなたの身体が悪いんでしょうが!」
「知るか勝手に荒れとけそんなもん!」
そもそも仕込んだのはお前だ!
「よくこんな身体で弓なんか使ってましたね? 信じられませんよ。リアルだったらとっくに5回はおっぱいが千切れ飛んでます」
「まーね。年季ってやつ~? ミミ、巨乳に慣れてるからさぁ~」
「……ぐぬぬ……むかつくぅ……」
……UO姫はリアルでもでっかいからなあ……。
「もう弓は諦めて、普通に魔法使ったほうがよくねえか? STRとDEXのステータスは無駄になるけど……」
「うう~~~ん……。そのほうが賢明なんでしょうけど、なんか負けた気がしてイヤです……!」
さっきの変異トカゲは何とか勝てたものの、ここから先はさらに強力で厄介なモンスターが出現するという話だ。果たして妥協した戦い方で生き抜いていけるのか、って問題もある……。
「悪いなチェリー。俺のほうもいっぱいいっぱいで、指示出しは結局任せちまってる」
「いいですよ。それはステータス関係ありませんし。……というか、今日はずいぶん殊勝ですね?」
「いつもこんなもんだっつの」
「そうですかね~? いつもはもっと横柄というか~。私がミスしたら、何してんだー! ばちーん! みたいな」
「人をDV野郎にすんじゃねえよ配信してんだぞ今!」
「え? DV? ドメスティックですか? 私と先輩が? あれれ~?」
「揚げ足! めんどくせえな!」
「くふふふ!」
「あー、荒れてる荒れてる、百合厨どもが。ちなみにミミはアリだと思うよコメント欄!」
おめえはどっちかといえば夢女子だろ! 片方自分なんだからよ!
ハレルヤ迷宮第8層・通称《奈落》は、道としては曲がりくねった坂道を延々と下っていく感じだ。
もちろん分かれ道は無数にあるんだが、氷室たちが道を知っているから迷うことはない。……まあ、ちゃんと道を覚えていたのは氷室だけだったんだが。
進めば進むほど瘴気は濃くなり、モンスターも強くなっていく……。
なるほど。もし何の情報もない初見挑戦だったらと思うと、気が滅入ってくる。
「氷室さん。虚面伯と雨矢鳥さんは、どのくらいまで潜っていると思います?」
千鳥を千尋の谷に突き落とすのをやめた氷室に、チェリーが質問する。
「そうですね……。少なくとも9層には入っているでしょうね」
「断言ですね。根拠はあるんですか?」
「はい。ちょっと気になっていたんですが、この辺り、普段よりモンスターの湧きが少ないんです。たぶんあの二人が『持っていった』んでしょう」
虚面伯たちは《万獣のタクト》を持っている……。それを使ってモンスターをテイムすれば、楽に迷宮を進むことができる。
「この辺りのモンスターは次の階層でも使えるので、ちょっと多めにテイムしていったんじゃないかと思います。なので、少なくともこの階はすでに通った後ですね」
「階によって使えないモンスターがいるんですか?」
「そりゃあそうです。第6層より上のモンスターはこの階層では使えません。全部瘴気にやられちゃうんで」
そうか――言われてみれば当たり前の話だ。
ってことは、次の階層もこの階みたいな劣悪環境ってことかよ。まあ事前に配布された装備で、なんとなく察しは付いてるけど……。
「今頃、適度にテイムモンスターのレベルを上げながら、第9層を進んでいる頃でしょう。追いつけるとしたらその次の10層か、もしくは12層だと思います。おそらく10層で戦力の補充が必要になると思いますし、12層は単純に難しい」
「ギリギリですね……」
最深部・第13層は全体がボス階層だという。ボスと戦うだけのフロアで、ダンジョンがないってことだ。
追いつくなら12層までに追いつかなければならない。
「……ちなみに、第13層にいるっていうボスはどんな奴なんですか?」
「いや、それはネタバレになるんで」
「ネタバレとか言ってる場合では……」
「ネタバレはちょっとね。やっぱりね。ちょっとね」
俺らが驚くの見たいだけじゃんコイツ。
道理でギリギリまで何も教えてくれねえなと思ったよ。
俺は闇のような瘴気が満ちる谷底を見やり、先を行く二人のことを考える。
ボスが持つ晴屋京の遺品――って言うと縁起が悪いけど――を狙う虚面伯と、なぜかそれに協力する雨矢鳥フラン。
あの二人は、なぜこんな事件を起こしたのか。
刑事ドラマなんかじゃ、追いつめられた犯人が涙ながらに動機を語るってのが定番だが――
明かされるのだろうか。
すべての真実が明らかになったとき、彼女たちの、動機は。




