第243話 《迷宮》
「ダンジョンと言っても、百空学園には物好きが多いですからね」
金髪ギャルの姿で、氷室白瀬が足早に廊下を歩きながら言う。
「全13階層のうち前半の6階層は、環境もモンスターも比較的易しいのもあって、かなり開拓が進んでいます。MAOはダンジョン内でも建築が許されている場合が多いのが面白いですよね」
「オープン系のダンジョンだと効率的にボスまで行ける街道が作られたりもしますけど、ここの迷宮もそんな風に?」
「そんなところです」
オープン系というのはMAOプレイヤーの間での俗語だ。
洞窟や迷路のような移動を大きく制限された狭苦しいダンジョンではなく、開かれた広大なフィールドを持つダンジョンのことを言う。建築や地形改変が許されていることが多いのが大きな特徴だ。
「そういうわけで、こんなものもあるんです」
言って、氷室白瀬は立ち止まる。
そこはエレベーターホールだった。下から上がってくるのに使うのとも、上の展望台に上がるのに使うのとも違う。
「まさか……」
「はい。地下7階までの直通エレベーターです」
マジかよ。
ダンジョンにエレベーター通してやがんのか。
いわゆるガチ勢が開拓しているダンジョンでも、そこまでやっているところはそうそうない――やっぱ人数は力だな。プロ配信者は廃人も真っ青な時間をゲームに注ぎ込む上に、リスナーが協力してくれることも多い。天下の百空学園ともなれば、そのマンパワーは桁違いだ。
「このエレベーターは時計塔のこの階からしか乗れません。雨矢鳥さんや虚面伯がここに入ってきた形跡はないので、おそらく1階から徒歩で潜っているはずです」
「今なら追いつける――ですか。……いいですね、天初さん?」
エレベーターホールに集まったメンバーは、俺、チェリー、UO姫、氷室白瀬、千鳥・ヒューミット――そして天初百花。
視線が集まった天初の後ろには、すでに《ジュゲム》が飛んでいる。
配信越しに何万人ものリスナーに見守られた状態で、それでも天初はうなずいた。
「……うん。行こう」
1年間。
配信上では秘してきたタブーに、触れて。
「京ちゃんは――渡せない」
迷宮最深部、地下13階。
そこに眠るボスモンスターが、その固有インベントリにあるものを保有している。
天初百花の元相方・晴屋京の愛用武器――
この事実を、同じ学園生である氷室も千鳥も知らなかった。
もちろん、配信のリスナーもそうだ――表にも裏にも出していなかった、それは天初百花だけの秘密なのだ。
誰も口にしないが、ここには謎がある。
古参の学園生すら知らないことを、なぜ虚面伯や雨矢鳥が知っているのか?
雨矢鳥にも話したことはないと、天初は言った。
ならば当然、虚面伯が知る由もない――にも拘らず、あの二人は迷宮の最深部を目指し、天初はそれが目的だと迷わずに言った。
折に触れて感じてきた、天初百花と晴屋京の秘密。
その正体が、この時計塔の地下に眠っている。
天初百花殺人事件の舞台でもある、ダンジョンに。
エレベーターに乗り込んだのは、俺、チェリー、天初百花、氷室白瀬、千鳥・ヒューミット、そしてUO姫の計6人だ。
虚面伯たちを追うためにも、俺たちはこの6人で迷宮に挑む。
ただし、まだ学園祭の最中だ。俺たち以外の面子には後の予定がある。
今夜、挑戦できるのは一度きり――
ふわりとした浮遊感と共に、エレベーターが円筒状のシャフトを降りていく。
相変わらず壁がガラス張りなもんだから、高所恐怖症の俺はこっそりと内側に寄って、チェリーの肩に捕まっていた。
ほどなくして、地面の中に入る。
暗闇が視界を塞いだのも束の間、一気に目の前が開けた。
「うわ……」
「うおっ……!」
チェリーと俺は、陶然とした息をこぼす。
街道を整備――どころじゃない。
クリスタルの光に照らされた大空洞に、バリスタを始めとした防衛機構が備えられた砦が築かれているのだ。
学園のすぐ地下にダンジョンなんて危なっかしいなと思ってたが、あんなのがあるんじゃあモンスターはどうやっても地上には出てこられない。
逆にプレイヤー側はあそこを橋頭保にして効率的に開拓を進められる――結果、元は天然の大空洞だったはずの空間は、どこもかしこも人工物で溢れた、半ば地下街のような様相を呈していた。
「上層にあるオープン系の階層は大体こんな感じですよ。まあ一番発展してるのはここですが」
「そもそもこのダンジョン自体が不思議だからさぁ、あたしはもうこのくらいじゃ驚かなくなっちったな~」
千鳥が頭の後ろで手を組みながら言う。
チェリーが首を傾げて、
「不思議……とは?」
「めちゃくちゃデカいんだよねぇ。地下なのに広すぎない!? ってなる」
「ムラームデウス島の地下はただの地下じゃないんですよ、千鳥先輩。神様の死体が島になったっていう設定なんですから――地下は文字通りの、神の領域ってヤツです。何が起こっても不思議じゃありません」
「って言ってもさぁ、このダンジョンだけでゲーム一本分くらいのボリュームあったじゃん。マジでイカれてるわー、このゲーム」
MAOのマップやダンジョンはある程度、AIによって自動生成されているという話だ。でなけりゃ、こんな馬鹿みたいなボリュームのゲームは成り立たない。
エレベーターは透明な円筒を落ちるように下っていく。
地下1階――クリスタルの大空洞。
地下2階――複雑怪奇な洞窟。
地下3階――しんとした地底湖。
湖の中に潜り、湖底を抜けたと思うと、
「うわ。すごいですね、ここ……!」
「空に湖が……」
眼下に広がるのは密林。
そして空には、ついさっき抜けてきた湖がきらめいている。
現実ではどうやっても見られない、幻想的な空間だった。
「大変だったなー、ここ。MAOの森って大体ウザいモンスターいるよね」
「誰かさんが迷子になったりしてましたしね」
「あっ、あたしだけじゃねーし! 会長だって迷ってたし! 京センパイに助けられててさ――」
「だ、誰でも迷うでしょっ、こんな森!」
確かに森系のダンジョンは迷いやすいよなー。マップを見れば方角がわかるだけ、リアルよりはマシなんだろうが。
「……ってかムロっぺ、そのときまだデビューしてなくない? なんで知ってんの?」
「配信で見てたんで」
「え? あたしの配信見てたの? へ~ぇ? リスナーだったんだぁ~」
「いえ、見てたのは晴屋先輩の配信です」
「なんでよ! 見ろ! 部活の先輩の配信を!」
いつもの夫婦漫才のようにも聞こえるが、些細な変化がある。
今まで配信上では口にしてこなかった、晴屋京の名前が出てくる――
解けてきているということか。1年間に渡る封が……。
密林の中心には古びた遺跡があり、エレベーターはその天井に無遠慮に突っ込んでいく。
謎解きらしき機構をいくつも垣間見せながら、地下深くに突き進む。そうするうちに、遺跡の様相が変わり始めた。
朽ちかけの石や煉瓦でできていた壁が、メタリックな光沢を放つ金属に。
これは――
「マギックメタル、ですね……」
「いわゆる古代文明というヤツですね」
地下迷宮っていうから延々と続く洞窟を思い描いていたが……何だかSFっぽくなってきたぞ。
「次の階層が地下7階――この迷宮唯一の休憩ポイントです。降りますよ」
宇宙船の中のような空間が高速で上に通り過ぎていくのを眺めていると、その速度が徐々に緩やかになっていく。
ずしりと足に重力を感じて、下降が完全に停止すると、ドアがスイーンと横にスライドして開いた。
ようやく地に足を着けられる。
「はあ……」
「お疲れ様です、先輩」
思わず嘆息すると、チェリーが笑い混じりに言う。
俺は急に恥ずかしくなって、掴まっていたチェリーの肩を放した。
UO姫の顔と声で言われると、また新鮮っつーか、慣れないよな……。
「どうぞ皆さん――ここが迷宮地下7階、通称《温室》です」
エレベーターを降りて、俺は天井を見上げた。
氷室の言葉通り、ここは広大な温室のような空間だった。
きっちり区画された柵の中に緑が生い茂り、その合間を遊歩道が渡っている。
天井には星々煌めく夜空があった。が、よく見ると本物ではない。天井全体がスクリーンになっていて、夜空の映像が投影されているのだった。
「ほら、あなたも降りますよ」
「痛い痛い! 優しくしてよチェリーちゃん!」
「そんな義理がどこにありますか?」
相変わらず縛ったままのUO姫を、チェリーが引っ張ってエレベーターを降りてくる。
別に解放してやっても逃げやしないんじゃねえかと俺は言ったんだが、チェリーは頑としてうなずかなかった。信頼できないという点で完璧に信頼されてるな。
俺たちは氷室の先導に従って、緑に囲まれた遊歩道を歩いていく。
こうしていると植物園みたいだが、歩道の先には建物らしきものがあり、そこには幾許かのプレイヤーの姿が見えた。
「もうここまで着いたプレイヤーがいるんだ……」
天初が素の口調で呟いた。
俺たち以外のプレイヤーは直通エレベーターを使えない。つまり、あの広大な6階層を自力で突破してきたのだ。
各階層はかなり開拓が進んでいたし、階層間を守る中ボスも一度倒してしまえばリポップするまでは素通りになる。
今はまださほどの人数には見えないが、時計塔1階の大騒ぎを思い返すに、ここもすぐに物凄い人数になりそうだ。
「普段は学園生しか入れないんでしょう? ここの設備であれだけのプレイヤーを賄えるんですか?」
「ここ、僕らは温室って呼んでますけど、実際にはこの遺跡の生産プラントなんです。なので見た目以上に生産力はありますし、何よりここの設備を使わないと、ここより地下にはいけません」
「マジめんどいよねー。せめて壊れなきゃなー」
生産プラントを使わないとここより地下にはいけない――なんか嫌な予感がしてきたぞ。さっき氷室が『“環境”もモンスターも』って言ってたのが気になるんだよな……。
「そういえば氷室さん、訊いておきたいことがあるんですが」
「なんでしょう」
「ここにも地上の《法律》は適用されるんですか? ダンジョン内で《法律》が効くかどうかはまちまちじゃないですか」
「今は効いてます。でも未踏破だった頃は何でもアリだったようです。会長がボスをテイムして踏破扱いになりましたが」
「ふむ……」
なるほどな。つまりチェリーが訊きたかったのはこういうことだ。
晴屋京によって天初百花がPKされたのはこのダンジョンでのこと。しかし踏破された後は地上の《法律》が効いて、PKはできなくなる。
よって時系列として、まず天初百花殺人事件が起こり、晴屋京がMAOにログインしなくなる。その状態でボス討伐配信が行われ、天初がボスをテイム、このダンジョンは踏破された――
……虚面伯が狙っている晴屋京の武器は、どの時点でボスの手に渡ったんだ?
晴屋京がログインしなくなった、というのが真実だとすれば、そのタイミングはひとつしかない――天初百花が殺された、まさにそのときだ。
このときはまだボスはテイムされていなかった。とすると、ボスが《拾い物》のスキルを持っていたということなのか……。
まさか、ボスをテイムしたのは、偶然じゃなくてわざと?
ボスを倒したら持っているアイテムをドロップする。ボスが晴屋京の武器を持っていたことが、配信上でバレてしまう。だから倒さずにテイムした……?
……《拾い物》か。
まるでヒントを出されているみたいだ。これまで虚面伯が起こしてきた事件に――
「ところで、ミミさんのことは結局どうするつもりなの?」
天初が、話題を変えるように言った。
「まさかモンスターのエサにするつもりじゃないと思うけど」
「それも少しは考えました……が、どうせなら役立ってもらおうと思います」
「考えたの……?」
縛られたUO姫がぶるぶると震えた。
自分の顔が怯えているのを見ると、俺も釣られて怖くなってくる。
「せっかく先輩のステータスを持ってるんですから、前線を張ってもらいます。前衛が致命的に足りませんからね、私たちは」
「えー!? そんなんエサにされるのと大して変わんないじゃん! 盾にするってことでしょ!?」
「そのくらい当然でしょう。私たちにどれだけ迷惑かけたと思ってるんですか?」
「……チェリーちゃんも楽しんでたくせに……」
「……………………」
「ちょちょっ……! 無言でロープ締めないでーっ!」
俺のステータスは耐久にまったく振ってないから、普通に盾役をやるのは難しいと思うけどなー。まあいないよりはマシだ。
「だったら、試しに動かさせてみたほうがいいんじゃねえの?」
俺はチェリーに言った。
「我ながらピーキーなステータスだから、ぶっつけ本番で行くと囮にもできねえと思うぞ」
「……んー。確かにそうですね。でも逃げられませんか?」
「地上への直通エレベーターは僕たちじゃないと使えないんで、そうそう逃げたりできませんよ」
氷室にそう言われ、チェリーは「むーん」と数秒考えると、UO姫を縛るロープに手を掛けた。
「もし逃げようとしたら、地の果てまで追いかけて後悔させてやりますからね」
「トーンがガチで怖いんだけど」
「ガチで言ってますからね」
平然とした声音が逆に怖い。
ロープから解き放たれると、UO姫はぐっと伸びをして、腕を回したりした。
「んー。別に変な感じはしないけどなー。いつもより背が高くてむしろ便利」
「とりあえず走ってみろ。AGIは走行状態じゃないとほとんど反映されないからな」
「えー? 走ることすらできないと思ってるの、ケージ君? それはさすがに馬鹿にしすぎじゃない?」
俺は黙って身振りで他の面々を下がらせる。
UO姫は「大袈裟だなぁ」と笑いながら、スタンディングスタートの構えを取り、
「行くよー――――おっ?」
ぶっ飛んだ。
踏み出した足の裏で爆弾でも炸裂したかのように、身体が宙に舞った。
「み゛ぎゃーっ!?」
汚い悲鳴を上げながら、UO姫は空中でわたわたと暴れ――そのまま、べしゃっと地面に激突した。
一同は無言になって、無様に転がったUO姫を見やる。
俺だけは腕を組んで、
「うーん、やっぱりこうなるか」
「いや、先輩……普段どうやって過ごしてるんですか。あんな身体で……」
「コツがいるんだよ。リアルで普通に走るみたいにしたらああなる。もっと身体を前に打ち出すのを意識してだな……」
あれ?
もしかして俺、ドン引きされてる?
「ギブアップ!」
地面に寝そべったまま、UO姫がスパッと手を挙げて叫んだ。
「無理です! ミミの身体ではケージ君を受け入れきれません!」
「意味深な言い方すんな! 大丈夫だって! 対策はあるから!」
「対策ってなんですか?」
「あえて超過重量の防具を着込んでAGIを下げる。防御力も多少はマシになるし、一石二鳥だろ?」
「うーん、なるほど……。前衛が勝手にぶっ飛んでいくのよりはマシですね……」
そんなやり取りをする俺たちを見て、配信者たちがぶつぶつと呟く。
「……こんな状態で8階層以降に行くのか……」
「いや草。面白くなりそー」
「ねえ。わたしたちも今のうちに、今のアバターを動かす練習したほうが良くない……?」
前途は多難だが、行く以外に選択肢はない。
全13階層。
そのうち後半の6階層は、腕自慢のプレイヤーがことごとく追い返される超シビアな難易度だ。
百空学園では、新発見のダンジョンには、発見者の名前、もしくは発見の切っ掛けとなったクエストの主導者の名前が付く慣習があるという。
ゆえに今、このダンジョンはただ《迷宮》と呼ばれることが多かった。
そう。
『その名前』が、学園の中で半ばタブー視されるようなものになってしまったがゆえに。
――本来の名は、《ハレルヤ迷宮》。
その最深部に、すべての秘密の正体が眠っている。




