第242話 地下に眠りし過ぎ去った時間
『《ジ・インフィニット・フェイス》の力は二つある』
どことも知れない洞窟で、虚面伯は胡散臭い笑みを浮かべながら配信の視聴者たちに語る。
『ひとつは無詠唱発動――自分のアバターを他者のそれに変身させる力。これは見た目と声、それにネームタグを変えるだけで、ステータスまでは反映しない。
そしてもうひとつが全詠唱発動だ。一定範囲内にいる、自分以外のアバターを他者と入れ替える力。見た目、声、ネームタグはもちろん、ステータスやスキルまで変えてしまうものだ。
アイテムはそのままなので入れ替わった相手に盗まれることはない。その点はご安心されたい。ただし、それはステータスに合った装備が手元にないことを意味する。しばらくはまともに戦闘することは不可能だろう。
その強力さゆえに、この魔法の全詠唱にはなんと、《法律》の効いた街の中でしか使えない、という制約がある――なんともはや、厄介なものだ』
なるほど――戦争などでは使えないってわけか。
対人攻撃が許されたPK国家の攻略には使えるが――だからこそ、《赤統連》はこの魔法を独占しているのかもしれない。
『この魔法を解除する方法は三つある』
虚面伯は三本指を立てた。
『一つは術者である僕を倒すこと。シンプルだね。続いて、二つ目は効果時間が切れるのを待つことだ。と、これを聞けば気になるのは、効果時間の具体的な長さだろう。単刀直入に言えば――《ジ・インフィニット・フェイス》の効果時間は、リアル時間で丸1日にわたる』
「丸1日……!?」
チェリーが呟いて息を飲んだ。
1日もこのままだってのか!? 学園に集まった人間全員!? 下手すりゃ学園祭が中止になるぞ!
『おっと、絶望するのはまだ早い。何の罪もない諸君に迷惑をかけるのは、僕の本意ではないのでね――1日も待てないという君たちのために、第三の選択肢がある』
第三の選択肢?
『ずばり――解毒薬だ』
瞬間、ポコンと目の前に通知ウインドウが現れた。
トレードの申請だった。
承諾すると、赤い液体の入った小瓶が手の中に現れる。ポーションに似ているが、アイテム名は《クリムゾン・リンクスNo.878》――見たこともないものだ。おそらくはプレイヤーメイドのアイテム……。
『たった今、《ジ・インフィニット・フェイス》の効果を無効化する薬を配布した。しかし、使う前によく聞いてほしい――その薬は、《赤統連》謹製の特殊なものでね。大概の魔法の効果を打ち消してくれる代わりに、その魔法の効果時間と同じだけの時間、対モンスターの戦闘能力を失ってしまう。基本、人間しか相手にしない我々にはないも当然のデメリットだが、これから狩りの予定がある方は気を付けてほしい。しかし、学園祭のイベントを楽しむ分には何の不自由もないはずだ』
つまり……今この薬を飲むと、元のアバターに戻れる代わりに、丸1日、モンスターと戦えなくなるってことか?
学園祭には対人戦のイベントもある。それに配慮したのか――そもそもその副作用は、果たして本当に、偶然付加されたものなのか?
『さて。僕たちはこれから、明日の仕事のために潜ることにする』
俺の疑問に、虚面伯は、そして雨矢鳥フランは、行動をもって答えた。
『これまでの三日間、そのために道具を揃えたのだからね』
そして。
天初百花の姿になった雨矢鳥フランが、一本の杖を取り出した。
その杖を、俺もチェリーも知っている。
《万獣のタクト》。
あらゆるモンスターに対するテイム成功率を補正するアイテム。
それを見た瞬間、配信に映るもののすべてが一気に紐づいた。
洞窟のような場所。
『潜る』という言葉。
天初百花の姿となった雨矢鳥フラン。
そして《万獣のタクト》。
『この状況下、諸君の中に他者の見た目を鵜呑みにする愚か者はいまい。……だが、モンスターはどうかな?』
俺は、チェリーは、聞いている。
ただの雑談だった。
本命の質問の後に、ついでのように聞いた、エピソードのひとつに過ぎなかった。
それが今、この瞬間に意味を持つ。
――なんと――そのボス、会長がテイムしちゃった
学園の地下に広がる迷宮のボスは、天初百花がテイムしている――!
『止めたければ来なよ。その身体で来れるのなら、ね』
そして虚面伯と雨矢鳥フランは、地下迷宮の闇の中に消えていった。
「皆さん!」
俺とチェリーはノックもせずに、時計塔上層階にある生徒会室に駆け込んだ。
三つの顔が振り返る。
氷室白瀬、千鳥・ヒューミット、そして天初百花――だが、その姿は今、別人のものに入れ替わっている。
「状況はどうなってますか!?」
チェリーが鋭く尋ねると、千鳥・ヒューミットの金髪ギャル姿になった氷室白瀬が、すいすいとウインドウを操作しながら答える。
「解毒薬を使ったのはざっと3割くらい。4割は入れ替わりを楽しんでる感じですね」
「……残りの3割は?」
「見てきたでしょう? 下ですよ」
そう言って、氷室はマニキュアを塗った指で床を指した。
「虚面伯と雨矢鳥さんが消えた迷宮はこの時計塔の真下にある。二人の挑戦に発奮したプレイヤーたちが、我こそはと殺到してます。本当に血気盛んですね、MAOプレイヤーは」
「迷宮って誰でも入れる仕様なんですか?」
「それなんだけどさあ~、やられてたんよ! 虚面伯に!」
悔しそうに言うのは、氷室白瀬の制服パーカー姿になった千鳥・ヒューミットだ。
「学園生しか入れないように扉を作ってたんだけどさあ! それが解除されてんの! おかげで今、迷宮の中はめちゃくちゃ密!」
「ま、入ってくるのと同じスピードで死んでいってるから、満員になることはないだろうけど」
氷室が冷静に言った。
入ってくるのと同じスピードで死ぬ……って、おいおい。
「そんなに難しいのかよ? この学園の地下迷宮ってやつは」
「そもそもエリアボスを倒した後に出てきた、いわば隠しダンジョンですからね。僕たちは何週間もかけてちょっとずつ攻略しました。でなければ、わざわざこうして地上に拠点を構えたりはしませんよ」
ふむ……。
確かに、ダンジョンの入口周りに街ができるってのは、そのダンジョンが狩場としてよほど魅力的か、あるいは難易度が恐ろしく高いかの場合が多い。
すげえときには、ダンジョンの外じゃなくて、中に街ができることさえある――特に入場料を取られるタイプのダンジョンは、金をケチった連中が中に住み着いて、市街化することが多い。
「迷宮は全部で13の階層から成ります」
そう言って、氷室はマップを映したウインドウを大きく広げた。
「その内、ボス部屋である最下層を除くと、謎解き系の階層が4、迷路型の階層が2、モンスタートラップ系の階層が5、残り1は休憩ポイントです。休憩ポイントを除く全階層に中ボスがいて、倒しても一定時間でリスポーンします」
「モンスターの平均レベルはどのくらいですか?」
「階層によって違いますね。浅い階層だと50や60くらいですが、深くなっていくと100を超えるものも出てきて、好戦性も高まります。なので普通だと、二人で最下層まで辿り着くのは難しいはずですが――」
「……あちらには《万獣のタクト》がある、ですか……」
「実際、昔の僕たちはその方法で最下層までの安定ルートを構築したので」
《万獣のタクト》を使って戦闘を避けると同時に戦力を増やし、テイムが難しくなる下層ではそいつらに戦闘を任せてしまえばいい……か。
「っていうかさぁ、フランちゃんたちは、ボスんとこまで行って何がしたいの?」
千鳥がもどかしそうに言う。
「確かに最下層には会長がテイムしたアイツがいるけどさぁ。アイツを手に入れることが、『京センパイを盗む』ことになるわけ?」
俺はちらりと天初を見た。
俺たちが来てからまだ一言も発していない天初百花は、雨矢鳥フランのものになっている顔を、そっといずことも知れない方向に逸らしていた。
「その辺りはこれから尋問します」
そう言って、チェリーはいったん生徒会室を出ると、廊下に転がしておいたそいつを引きずってきて、ぞんざいに放り投げた。
「みぎゃあっ! ちょっと! 丁重に扱ってよチェリーちゃん! 愛しのケージ君の身体でしょ!?」
「何が『愛しの』ですか。先輩の身体は紙耐久の割には頑丈ですから大丈夫ですよ」
言うまでもなく、俺のアバターに入れ替わったUO姫である。
今はロープで雁字搦めにされて、腕も足も動かせないようにされていた。
氷室が興味深そうに転がされたUO姫を覗き込む。
「もしかしてミミさん? 《騎士団》の?」
「そうです。その女、虚面伯の計画を知っていたようです」
「マジですか。ファンです。いつもファンアート見てます」
「あ、ほんと~? 男のアバターでごめんね~。ファンアートどれが好き?」
「えーと、短田先生のあの――」
「あー! あれね! ミミもすっごい好き~! ふふっ、気が合うね!」
「あっ……そ、そっすね……」
すげえ。あのクールな氷室をキョドらせた。
男をキョドらせることにかけては本当に天才だな、こいつは。
それを見て千鳥が「うわっ!」と驚いて、
「何キョドってんの~? まさか緊張してんの? ムロっぺが!?」
「……うるさいです」
「むっふふ! 恥ずかしがらなくていいじゃんオタクく~ん! かっわいいんだ~♪」
けらけら笑う千鳥から、氷室はむすっとした顔でそっぽを向いた。
その様子を見たUO姫、にこにこ笑顔のまま口の中で小さく、
「(わたしをダシにしてイチャつくなマジで寝取って炎上させてやろうかこの陽キャが)」
こわっ。
でも俺が思うに、会う男全員にとりあえずコナをかけていくお前が悪いと思うんですけど。
「はいはい。その辺りにして、本題に戻りますよ」
チェリーがぞんざいに手を鳴らして氷室たちの注意を引き、縛ったUO姫の前に膝を突いた。
「答えてください。虚面伯は何をするつもりなんですか? どうして私たちを雨矢鳥さんに紹介したんですか?」
「え~? そんなの自分で推理したら? 探偵役なんでしょ、チェリーちゃん?」
「抜け抜けと……キャスティングをしたのはあなたでしょう?」
「まあね~。学園生だけじゃ謎解きができないかもってことで、相談されたのは確かだよ?」
「謎解きができなかったら何か問題なんですか? 虚面伯側にとっては、私たちがいないほうが明らかに好都合でしょう」
「さあね。そこまでは知らない。配信が成り立たないからかもしれないし――これはミミの個人的な推測だけど、何か解いてほしい謎があるのかもね?」
――謎を暴け
虚面伯の言葉がリフレインする……。
何かあるのだ。わざわざ俺たちを巻き込んだ理由が。
俺たちが――チェリーが解くべき謎は、きっとまだ残っている。
「……あなたは、虚面伯の計画のすべてを知らされているわけではないんですね?」
「そうそう。ミミが知ってるのは、今日、《ジ・インフィニット・フェイス》でアバターが入れ替わるってことと、フランちゃんが共犯者だってことだけ。地下迷宮のボスを手に入れて何をするつもりなのかは知らないよ。知ってる人がいるとすれば――それは、ミミじゃないんじゃないのかな?」
そしてUO姫の視線は、ある人物に向いた。
奥の会長席に座り、一言も発さない少女。
百空学園生徒会会長・天初百花に――
「……天初さん、そろそろ話していただけませんか?」
全員の視線が、天初に向く。
「全部とは言いません。けれど、あなたは知っているんでしょう? この学園の地下、その最深部に何があるのか――あの二人が、何を狙っているのかを」
「……………………」
天初はしばらく沈黙して、窓の外を見た。
夜の闇に輝く、百空学園の煌めきを眺めた。
彼女が積み上げ、そして通り過ぎていったものを、見た――
「――あのボスは、あるものを守っているの」
振り返らないまま、天初はぽつりと告げた。
「あの子に預けておけば、あの頃のまま何も変わらないから……。それが一番だと、思ったの」
「それって……」
「武器」
天初がこちらを向いた。
その顔には、自嘲するような、懐かしむような、複雑な笑みが滲んでいた。
「京ちゃんが――最後に使ってた、武器」




